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番外編① ~ 肉食 お姉さん ~


「乾杯!」


雪緒のデビューから1年たった金曜日の夕方。ここはGNN-Japon新本社。

撮影スタジオを備えた自社ビルの完成を祝し、ケータリングによるささやかなパーティが開かれていた。4階建て社屋は大きくはない。だが開放的なガラス面と広い駐車場、緑の豊富な外構は、働く人の数に比べ十分な予算が投じられていることを思わせる。


参加者はGNNとその関連会社の従業員という内輪の立食パーティ。会場にはレイチェルに招待されたJWN特別運用チームの面々と雪緒の付添として鹿取瞳もいる。立浪は立地条件の良さに感心している。


「駅や幹線道路にも近いし、何より私たちの会社から歩いて行ける距離ですからね。番組がスタートしてもここならとても便利ですよ。建物もきれいだし。私、気に入っちゃいました」


「よくこんな場所を見つけたものだよ。まあ、彼女が誰かさんのことを全力で考えて探し出したことは想像に難くないが。創業者一族社長の力はすごいもんだね。雪緒君がわが社の社員でよかったよ」


田尾がレイチェルの影響力に感心する横で、雪緒は瞳が取り分けた”から揚げ”をつついている。彼は夏になると食欲が落ち体重が少し減る。それが心配な瞳は少しでも食べてもらえるよう気をまわす。


「雪緒、他に何か食べたいものはある?」


「とりあえず大丈夫。ありがとう」


この会場にいる男性は雪緒一人。GNN社員は皆、遠巻きに彼を見ている。誰もが彼を知っており、できれば並んで写真などを取りたいところ。が、すでに勤務を終え、個人として参加している彼(未成年者)に、むやみに話しかけ負担にならぬよう、社長に固く止められている。

そんな彼女らを尻目に、スピーチを終えたレイチェルは早速彼に話しかける。


「雪緒、来てくれてありがとう。大したものはないけど、楽しんでね」


「こんにちは、レイチェルさん。自社ビル完成、おめでとうございます。とてもきれいですね」


「肝心のスタジオはまだ工事中なのよ。あら、今日は瞳さんも来ているのね。()()()()、ありがとう」


丁寧ではあるが、どこか棘のある言葉に、瞳も応じる。


「新社屋完成、おめでとうございます。()()()()()


「・・・レイチェルと呼んで。ファミリーネームで呼ばれるのは好きではないの。前にも言ったと思うけど?」


「それは失礼しました。それほど親しいわけでもないので、ファーストネームは失礼かと思いまして」


あの行方不明事件以来、すでに何度か会い面識がある二人は、周りも気にせずさや当てを繰り広げる。雪緒の手前、年長者のレイチェルが大人の対応を見せる。


「まあ、いいわ。雪緒、私は少し用事があるので社長室にいるけど、何かあったらいつでも部屋に来てね。ちなみに男性用トイレは社長室の横にあるから」


彼女が去った後、JWN社員と瞳は貴重な全員での夕食の機会を楽しむ。雪緒はいまだ未成年であり、朝の早い彼の勤務時間には常に気を配っており、このような機会はめずらしい。それぞれ家族や趣味の話などで花を咲かせる。

しばらくして席をはずそうとする雪緒に、瞳が尋ねる。


「どこ行くの?何かあった?」


「ちょっとトイレ。それと、もう少ししたら帰るから、レイチェルさんのところに挨拶に」


「そう。気を付けて」


一瞬、<何に?>と返しそうになるが、益の無い会話になりそうな気がした雪緒は、ただうなずいて席を外す。社長室の隣にある建物で唯一の男性用お手洗いで用をすまして外に出ると、笑顔のレイチェルが待っている。偶然だろうか?彼女は雪緒に提案する。


「雪緒、スタジオを見せてあげる」



*****



「すごい!綺麗!」


まだ工事中の薄暗いスタジオの中、大型の8Kディスプレイ前で雪緒は感嘆の声を上げる。

画面にはこの国の航空宇宙局が提供する高精度気象衛星からの10分単位の雲の動きが映し出されている。そのなめらかな動きは宇宙飛行士の視点から地球を眺めるようだ。


「このディスプレイは、映すだけじゃないのよ」


レイチェルは雪緒のすぐ後ろに立ち、彼の両腕をとって画像の拡大や縮小などタッチパネル操作を雪緒自身に実演させる。さらに、画面を拡大した状態で右上のメニュー画面を操作すると、画面にはネットから取得された航空機の現在の運行情報を示すマークと文字が雲の画像と重ねて表示される。


「え!これって現時点の航空機の運航情報ですよね?知ってます。でも、雲の画像と重ねることができるのですか?凄い!!これだと、揺れの激しい空域にいる飛行機がすぐにわかりますね?初めて見た」


雪緒は興奮している。航空機運行情報も最新の雲の情報も、単独ではスマートフォンなどで閲覧可能だ。だが、リアルタイムで両者を統合させたものは見たことがなかった。雲と重なる位置の飛行機のマークは、飛行高度に合わせて雲の上下いずれにいるか判別できるよう描画されている。


「ふふ。他にもあるのよ」


再び雪緒の手を使って、表示位置を東京湾に移し、メニュー操作を行う。今度は海洋上に大量のマークが現れる。船舶の運航情報を示すものだ。これだと、荒れた海域にいる船舶が一目瞭然だ。再び雪緒は興奮する。雪緒の興奮を見たレイチェルは楽しそうに話す。


「私たちが目指すのはパイロットや航海士の視聴に耐えうる高度な気象専門番組。放送時間中には全国の主要な空港周辺、主要航路の状況も伝える必要がある。これらの情報の利用に当たり、提供元とそれぞれ新たに契約したのだけど、重要なのはその内容よ。彼女たち、予報番組に自分たちの情報が使われることなど想定していなかったみたい。GNNの独占使用を認める契約書にサインしたのよ」


さらにメニュー操作をすると、画面にはUS Air Force / Joint Typhoon Warningの文字と共に、最新の雲の画像と台風の進路情報の画面が出てくる。合衆国空軍及び合同台風情報センターの予報だ。軍の予測精度が高いことは雪緒も知っていた。現に台風の時期はしばしば確認したが、その時見た画像とは異なるようだ。


「この情報は一般には非公開よ。有事には使用不可になるけど、平時について契約に基づいて提供してもらうことにしたの。専用線を使ってね。私の母が元軍人だったからその人脈を使って契約できたわけ。今は、貴方の会社の気象予報の画像データをネットで転送してもらう調整をしているところよ」


このディスプレイはすべての情報を見ることができるのだ。これさえあれば、会社に行くまでもなく、詳細な予報情報が随時入手可能だ。30分という放送時間中に、最新の情報に更新することも可能だろう。雪緒は驚きで言葉も出ない。これまでの天気予報の概念を超える専門番組を作ることの意味を、おぼろげに理解する。


頭上から語りかけるレイチェルの表情を仰ぎ見る。暗闇の中、ディスプレイの青白い明かりに照らされた美しい顔が優しい笑顔で雪緒を見つめている。幻想的で現実感に欠けるその美しさに雪緒は言葉を失う。


レイチェルは雲の画像に戻し、画面を縮小してアジア全域をディスプレイに映し出す。そして、雪緒の人差し指を使って、アジアのとある地点を指す。


「雪緒、ここに何があるか分かる?」


「え?えーっと・・・」


「GNNのアジア地区ヘッドクオーター、GNN-Hongkuonのオフィスよ」


レイチェルは雪緒を振り向かせ顔を近づける。雪緒は彼女の視線が苦手だ。この幻想的な瞳に見つめられると、吸い寄せられるような感覚に陥り、抵抗できない。彼女は雪緒の頬を両手に挟んだまま囁く。


「雪緒、英語を勉強する気はない?貴方さえその気なら、私があなたに英語を教えてあげる。そしたら、私たちGNN-Japonで、アジア全域の気象番組を作れる。貴方がキャスターなら、きっとどの国でも人気が出るわ。GNN-Hongkuonだって、数字が欲しいから、きっと買う。私たちが、ここからアジアの明日の天気を伝えるのよ。そのプログラムは世界中で放送されるかもしれないわ」


「でも、僕は高卒だから・・・英語は難しいかも」


「言葉に学歴は関係ないわ。それに気象予報番組で使われるテクニカルタームは限られるの。覚えやすいはずよ。私の家に住めば、1年後には必ず話せるようにするわ。私があなたを世界に連れて行ってあげる」


夢のような話に雪緒の思考は追いつかない。気が付くと互いの唇が触れ合う距離まで顔が近づく。抵抗できない雪緒は思わず目をつぶる。互いの唇がほんのわずかに触れたその時、スタジオの扉が開け放たれる。


「雪緒!いるの?」


そこに立っていたのは息を切らせた瞳。建物の中を探していたのだろうか。だが、スタジオの暗さに目が慣れていないのか雪緒たちの居場所がすぐには見つけられないようだ。雪緒はとっさにレイチェルの手を離れ瞳に声をかける。


「瞳ちゃん?ここにいるよ。今、レイチェルさんにスタジオの設備を見せてもらってたんだ。瞳ちゃんも見る?」


目が慣れてきた瞳は二人のところに駆け寄り、雪緒の手を取り心配そうに話しかける。


「こんな暗いところで?大丈夫だった?何もされてない?」


「大丈夫に決まってるじゃない。ほら、瞳ちゃんもこれ見て。すごいよ」


雪緒は何事もなかったかのように、大型ディスプレイを操作して、その凄さを瞳に伝え始める。

彼は瞳に対して、たった今何があったのかを隠した。レイチェルはそのことを心の中で喜ぶ。雪緒は自分の行為の意味を認識したうえで、瞳に話さない選択をしたのだ。彼女は確信する。もう少しで彼は自分のものにできる。



*****



玄関ホール。

JWN社員の面々と一緒に帰宅する直前、雪緒は一人、彼女たちから離れ、見送りに来たレイチェルのもとに駆け寄り、別れの挨拶をする。

レイチェルは二人だけに聞こえる声で彼に告げる。


「例の件、考えておいて」


彼は即座に彼女が思いもしなかった返事を返す。


「レイチェルさん、ごめんなさい。僕にはやっぱり荷が重すぎます。僕はこの国と自分が住んでいる街が好きなんです。ここに立って、ここから眺める空の景色が好きなんです。レイチェルさんの話は素敵だと思いますが、僕が見たいのは世界の空ではなく、この街の空なんです」


思いもしなかった彼の拒絶にレイチェルは驚く。ほんの一瞬目を見開いたかと思うと、一息だけため息をついて、彼女は笑顔で応えを返す。


「雪緒。正直に言うわ。私、過去にお金の力で男を思うままにしたこともあるの。そういう男はみんな私の言うことに何でも従うのよ。でも、貴方は断るのね。そういえば、初めて会った時も、貴方は決して自らの立場を超える事はしなかった。不思議ね。私、ますます貴方のことが気に入ったみたい」


建物の玄関前で、瞳が雪緒を呼ぶ。雪緒は最後にレイチェルに告げる。


「僕はここでレイチェルさんの夢を応援します。僕にできることなら何でもします。だからレイチェルさんは頑張ってください。じゃあさようなら。今日はとても楽しかったです」


レイチェルは帰宅する雪緒に笑顔で手を振り、ひとり呟く。


「あなたは瞳さんを優先するけど、私とのことは秘密にしたいのね?なかなか興味深いわ」


彼女は、次はどうやって彼にアプローチするか考える。

これほど彼女を楽しませることはほかになかった。


「私はあきらめない。世界への夢も。貴方のことも」








次は愛さんのお話。

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