泪の行動
小さなころから運動も勉強もできた泪は、皆の尊敬と憧れと畏怖の対象として、向かうところ敵なしの幼少時代を過ごした。
小学生のころは、泪が受け入れられない考えを持った者に対して、最終的には暴力で決着をつけることも厭わなかった。母親からは厳しくしつけられたため、決して弱いものいじめ等はなかったが、こと大切な弟に関係することで許しがたい行為をする(主に上級生の)輩に対しては、一切妥協せず、徹底的につぶした。しかし、敏い泪は、暴力に訴えることで解決できるのは、それが大きな怪我にはなりえないうち、つまり子供のうちだけであることを自覚していた。
中学校に上がるころから、泪は、自分が社会的にペナルティを受けずに他人を制御するにはどうすればよいか、日々試行するようになった。彼女には、何があっても守らねばならない存在があったからだ。時には人をだます事や、頭を下げることも試してみたが、それらは一時的な解決にしかならず、いつかは破綻するということを経験で学んだ。結局、一番有効な方法は、社会的なルールのもとで公に懲らしめることが、自らを守りつつ相手を懲らしめる唯一の手段であることに気が付いたのだ。
ただし、この方法にもデメリットがある。
一般に、ルールに基づいて不埒な輩を処分するには、それ相応の証拠を集めるなど労力と時間が必要だということだ。結果的に、彼女が悟った最も有効な方法は、懲らしめる必要がある輩に対して、ルールに基づいて厳正な処分を下すに足る証拠を入手するまでは、その相手と決定的な対立構造は作らず、相手をなだめすかしながら時間を稼ぎ、必要な証拠がそろった段階で速やかにルールの監督者(法執行機関)に対して告発する方法である。
法執行機関とは、校内ならば先生であり、社会では警察がそれにあたる。
そんな彼女が、家族を守るために将来なるべき職業は明白だった。この社会で必要に応じて他者を制御するには、法律を武器に戦える立場になる必要があり、特定の組織に所属することなく、かつ自ら携わる案件を自由に選べる(弟がかかわる案件は最優先できる)立場は弁護士しか無かったのである。
母親の店を手伝うという選択肢も、彼女の中に無くはなかった。しかし、それはいつでも出来る。今、優先すべきは弁護士資格を得ることであった。結局、彼女にとって弁護士になるという就職希望は、実は選択の余地のない、極めて切実な自らの存在における“必要条件”であったのだ。
彼女はまた、対立関係とは異なる通常の利害関係者との人間関係の構築も、常に弟を中心に考えるようになった。特に、弟との関連が深い相手に対しては、拙速な衝突は避け、出来る限り自らの味方につけつつ、泪の意思で相手の行動を制御できる立場になる術を学んでいた。
JWN社が篠塚家に接触してきたときには、この方法を見事に適用した。彼らが面談を申し入れたタイミングを考慮すれば、何らかの情報を不正に入手していた可能性が高いことはすぐに気づいた。しかし、肝心の雪緒はJWN社への就職を希望した。このような状況で、泪は雪緒の希望を最大限優先しつつ、彼の労働安全上の懸念はすべて排除し、同時に会社側に対し不正な情報入手の可能性に自分が気付いていることを暗に悟らせることで、自らがJWN社に対して一定の影響力が行使できる立場を確立したのだ。
しかし、実際に雪緒が本人の希望通りお天気キャスターとして活動を始めると、彼女は自らの力不足に焦りを感じることになる。
彼がお天気キャスターとしてデビューした時、彼女はまだ司法修習生として勉強をする立場にあり、法律を武器に戦うことが許されない立場にあった。さらに、厄介なことは、彼が出演する番組の制作側、つまり放送局に対して、現時点で彼女は何の影響力も行使できないことであった。
もちろん、彼女も手をこまねいていたわけではない。大学の先生を通じて、あらゆるつてをたどり、将来的な放送局の顧問弁護士就任という目標を達成すべく、注意深く細い糸を手繰る作業を黙々と続けていたのだ。
そんな風に将来に向けた布石を打つ作業に没頭しているときに、大切な弟が痛みを訴え、苦痛に顔をゆがめる姿をテレビで目の当たりにした。
彼女は怒りに震え、自分の力の及ばないことを深く反省した。長期的には、出来るだけ早く自分が弁護士資格を取得し、放送局の顧問弁護士の立場となり、男性人権保護の観点から、放送局の内部からトップダウンで制作側の行為にストップをかけることが有効であろうことは分かっていた。
しかし、それまでには少なくとも半年はかかる。だが、今、目の前で繰り広げられている映像は彼女には受け入れられない事であった。
結果、彼女は、番組の映像を記録した媒体と共に、匿名の告発文をBPO(放送内容に対する苦情を受け付け、必要な措置を行う組織)に送付することにした。
ただし、その告発文を作成するにあたっては、番組そのものが廃止に追い込まれることがないよう、細心の注意を払った。単に問題と思われる行為を指摘するだけでは、告発を受け取った側の解釈で、好ましくない結果に陥る可能性が否定できないし、将来の行き過ぎた行為を防ぐことにはつながらない。
彼女は自らの専門知識を駆使し、法律上の観点から、具体的な問題行為と、問題と判断すべき線引き、そして、一線を越えた際の罪の重さと責任の取り方について、丁寧に示したのだ。
同時に、本件が、現に現在進行形の問題であり、速やかに対処する必要があることも指摘した。
その結果、BPOが取った対応は、まったく彼女の望みどおりの形であった。
彼女の告発の結果、番組制作者の責任が問われる(厳重注意と2か月の減給処分)とともに、放送における具体的な禁止事項の目安が告げられたのだ。
今後、男性出演者の肉体に、直接的な接触などにより精神的・肉体的苦痛を与える行為は、法律上の違法行為として司法機関に告発されることが、問題の放送後、わずか2週間で、正式な文章で放送局に送付された。
これ以降、雪緒の天気予報が外れた時も、あの罰ゲームのような肉体的苦痛の伴う違法行為が並んだルーレットは登場しなくなった。しかし、そんな彼女でも、どうしようもできないことはあった。
放送機関の違法行為が問われる線引きを明確化したことは、同時に制作側に責任が問われない範囲を示すことにもつながったのだ。
この後、雪緒は、制作者側の巧妙なやり口により、“精神的・肉体的苦痛”を伴わない方法で、無理な注文を受けることになった。その結果、彼女自身の心の琴線にも触れるような “萌え”映像が世の中に放送されることになり、泪にとっては痛し痒しの状態になったのである。




