母と姉にとってのデビュー
その日、篠塚家は朝からバタついていた。
普段は落ち着いた雰囲気の泪ですら愛する弟のお天気キャスターデビューに問題があってはならないと本人以上に緊張していた。夜中の3時に目覚まし時計をセットしたものの殆ど眠れず2時半には起きて物音を立てないように消化の良い朝食の準備を始めていた。
本当は自分が運転して局まで送迎したかったが事故時を考えると業者を使ったほうが良いことは弁護士の卵である本人が一番よく理解している。仕方なく事前にタクシー会社を調査し担当する予定の運転士を特定し雪緒が酔いやすい運転をしないか調べあげた。無事、泪のお眼鏡にかなう乗り心地であることは先週確認したが、念のため酔い止めも準備した。忘れずに雪緒に持たせないといけない。社員証やテレビ局の入構証も忘れるわけにはいかない。次から次へと心配事が出てくる。雪緒が起きてきてから時間はあっという間に過ぎていく。
母親の敏子は見るからにわくわくが止まらない雰囲気だ。雪緒が起きて階段を降りる音がすると同時に母親も起きてきた。泪と同じくとっくに目は覚めていたのだろう。下手に自分が動き回ると物音を立てて予定より早く雪緒を起こしてしまう、そう考えた母は彼の起床時間まで部屋で待っていたのだろう。そんな母の気づかいに泪は気づいていた。
どことなく落ち着かない癖に平静を装う姉と母の態度は逆に雪緒を落ち着かせる効果があったようだ。意外にも本人はデビュー前の緊張感を楽しんでさえいるような雰囲気だ。案外本番には強いのか、あるいは意外と鈍感なのか、泪は笑顔で家を出てタクシーに乗り込む雪緒を見送りながら彼の意外な一面を見たような気がした。
雪緒が4時に家を出てから敏子と泪は少しだけ眠ることができた。そしていよいよその時が近づいてくる。親子はいつかのようにテレビの前でそろってお茶を飲みながら番組のオープニングを見ている。予定通り録画もされているようだ。
「あー!ドキドキするわね、泪!雪緒、どんな格好で出るのかしら?」
「衣装とメークを担当するプロの人がいるらしいから、きっと可愛くしてくれているよ」
最初の10分は昨日の芸能ニュースについて流している。アイドル男性タレントが結婚することとなり、喪失感に襲われる女性が続出しネットがお祭り状態という話題だ。正直、親子二人にはどうでもよい話であり、早く天気にならないかともどかしくて仕方がない。
画面の左上の時間は6時13分。メインのおばさんキャスターはそろそろ話題をまとめ始めている。いよいよだ。二人は身を乗り出して画面に注目する。
『はい。次は天気予報ですね。実は今まで視聴者の皆さんには秘密にしてきたのですが、本日からお天気キャスターが新しい子に代わります。さあ、視聴者の皆さん、準備はよろしいですか?ばっちり目が覚めますよ。それでは、気象予報士の雪緒くーん、初めましてー!今日の天気はどうなのかなー?』
「来た!出るわよ、泪!」
「うん!」
二人の緊張感は最大限に高まる。
そしてその時が来る。
見慣れた息子(弟)とは雰囲気の異なる雪緒が画面に登場する。
『おはようございます。この7月からお天気キャスターを務めさせていただきます、“篠塚”といいます。まだまだ未熟な面もありますが、一生懸命頑張りますので、これからよろしくお願いします!』
「!!なんか、雪ちゃん、いつもと違う!!」
「眼鏡をかけて・・・・眉毛が整えられてる?」
「か!可愛い!!」「うん!」
プロのスタイリストの手にかかり、雪緒は知的でエロかわいい、かつ新人独特の初々しさも備えた絶妙な新人男子お天気キャスターに変身していた。
『はい。じゃあ雪緒くん!恐らくテレビの前で多くの独身女性視聴者が聞きたがっていると思いますので、まず年齢と好みの女性のタイプを言ってから、その後に今日のお天気をお願いしまーす!』
「は?なに!このおばさん!」「・・・」
『え?えーっと、いま18歳です。好みの女性ですか?・・・えーっと』
「「・・・」」
雪緒の口から自分のことが出ることを微かに期待した親子の間で奇妙な沈黙の時間が過ぎる。
慣れないアドリブに困った雪緒を見かねた番組の美人男性アナウンサーが助け舟を出す。
『篠塚君、北別府さんの無茶ぶりに真剣に答える必要はないですよ。お天気お願いします!』
『あ!ごめんなさい!では、本日の予報です。今日もお天気は良く、暑さが厳しくなりそうです。それでは、全国の予報です。・・・』
「「・・・ふう!」」
何とも言えないため息をつきようやく落ち着きを取り戻す二人。
「でも、やっぱりプロの技術はすごいわね。いつも可愛かったけど、今日はなんか違うわね」
「あの伊達メガネは雪緒の涼し気な切れ長の目にぴったりだね。ネクタイ姿も似合ってる」
「それに、なんて言うか健康的な色気もあって、もう最高!」
「うん。健康的で魅力的だね。本当に可愛い」
親子二人は、夢の世界にいるような気持ちで雪緒の可愛さについて語り合いながら天気予報を眺めている。
『・・・ということで、今週は晴れが続き暑い日が続きそうです。熱中症に気を付けて、こまめに水分を補給してください』
『はい!雪緒くーん、初めての放送、こっちまで緊張感が伝わってきそうでしたがよく頑張りました!!この後もお天気コーナーでよろしくね!では、続いて今朝のニュースです・・・』
終わった。雪緒の笑顔のかわいらしさに、すっかりやられてしまった二人は、脱力感と共にテレビの前に座り続ける。暫くして正気を取り戻した泪が席を立つ。
「雪緒はこのあと30分後にまた出るね。母さん、それまでに家を出る準備をしなきゃ。今日は仕事でしょ?今のうちに急いだら?」
「そうね。もう一度雪ちゃん見たら家を出ないと」
「私は今日、授業2限目からだから、母さんの代わりに雪緒の出るところを全部見ておくよ」
「ずるい!ああ!今日はお店休めばよかった!今日は雪ちゃんのデビューだし少しぐらい遅れてもいいわよね?」
軽口をたたきながら準備を始める二人。結局この後、二人はそろってすべての雪緒の出番を堪能することとなり、母親はお店の古参従業員からお叱りを受けることになる。
とはいえ愛する息子(弟)は二人にとっても満足のいく上々のデビューを飾った。親子は幸せな気分で職場と学校に向かい、そこでも可愛い息子(弟)に対する激賞と「羨ましい、紹介して」の連続攻撃で、最高の気分で一日を過ごすこととなるのであった。




