一話 もう一人の付添人
第二章連載開始です。
縁側に座る丸まった背中。短く揃ったごま塩頭にらくだの腹巻き。風のない晴れた日のお祖父ちゃんは、そこでよくカメラの手入れをしていた。
じっとしていると熱いくらいの日射しに、灰色の縁台が炙られてそこだけ真夏になる。古い木材からはお日さまのにおいがした。
セーム革で拭いて指紋や油を綺麗に取る。ブロアーでレンズのホコリを飛ばして、何年も連れ添った大切な機材を、愛おしそうに優しく扱っていた。
「おじいちゃん、それ、僕にも触らせて」
「ん~、XXXXには、まだ早いのぅ。お前が中学生になったらな」
「えー、4年も先じゃん!」
「ははは」
楽しそうに笑うお祖父ちゃんは、僕の頭を皺だらけの手でわしわし撫でた。それから迷い無く一本のレンズを手にとって、それを僕に向けた。重なり合ったレンズの向こうに、逆さまのお祖父ちゃんが見えた。
「これはな、じいちゃんが一番好きなレンズなんじゃ。わしが死んだらお前にやろう」
死んだらなんて、言うのもだけど考えても欲しくない。
「何を撮るやつ?」
「マクロレンズと言ってな、花や虫を撮る時に便利じゃぞ」
「へぇ~、カブトムシやクワガタもかっこよく撮れるかな~」
「それは練習次第じゃな。がんばれば……ほれ、こんな写真も撮れるぞ?」
大事にしている昆虫図鑑の表紙は、カブトムシとクワガタが戦っている写真だ。こんなすごいのが撮れるなんて、なんだかワクワクする。
お祖父ちゃんは珍しく、そのマクロレンズを触らせてくれた。てのひらにずしりと重くて、金属の冷たい感じがすごくかっこいい物に思えた。
お祖父ちゃん、いつも優しかったな……
◇
ぱちっと、勢いよく目覚めた。お祖父ちゃんの夢なんてどの位ぶりだろう。鼻の先に縁側の、お日さまのにおいが残っている感じがする。
この世界で夢を見たのは初めてじゃないかな。それとも、覚えていないだけで今までにも夢を見ていたのかな。
懐かしさに名残を感じて身体を起こすと、左手に何か重い物が乗っていた。ずしりとした重みに、少し冷たい感じがする。
なんだろう?
「ふぁ……」
眠たそうな声がした。ベッドの左だけ掛け布が盛り上がっている。声はそこから聞こえた気がする。さては、プリムラだな。また寝ぼけてボクのベッドに潜り込んだか。
ボクとプリムラがもう一度生まれた日、ドライアードの身体になったプリムラも、ボクと一緒に住む事になった。
さすがにベッド四つは狭すぎるので、お付きの部屋は本来の二人、アルフェルとナウラミアに明け渡した。代わりにエフィルさんの部屋の向かい、廊下を挟んだ倉庫部屋を、ボクとプリムラの部屋にして貰った。
部屋の隅には移動しきれなかった荷物が積んだままだけど、ベッド二つを置いて余裕のある広さだ。
寝ぼけたなんて言い訳が、いつまでも通用すると思うなよ。言って聞かない相手には実力行使と、ガバッと起き上がって掛け布を撥ねのけた。
そこには……
「ん、ふぁ? さむい……」
裸ん坊の女の子がいた。艶やかな黒髪は肩口で揃えたボブカット。雪のように白い肌に小さく朱を差した唇。掛け布を引き寄せてなおも眠ろうとする。
和風美少女という言葉がぴったりだと思った。ただしこの子は知らない子だ。
えぇそうですとも、誰になんと言われようと、断じて知らない!
「え、えーと、おはよう?」
肩の辺りを揺すって起こそうとしてみる。手のひらにヒヤリとした体温を感じた。
「んッ……」
ちょっと色っぽい声にドキッとする。そんな感情は一瞬で消えたけど。どうしてかと言うと、半分開いた扉の前に全身から闘気と怒気を立ち上らせる、緑の髪の元精霊の姿があったから。
本気でおしっこちびりそうなくらいビビッた。
「あっ、えぇとね? 弁解する権利を……」
「……エフィルと、アルフェル、ナウラミアも招集で文句ないわね?」
「異存はございません」
平伏して答える以外選択肢は無かった。後頭部を押さえ付けられるような、この敗北感はなんだろう……
悠然と立ち去るプリムラを見送った後、何度か身体を揺すってその子を起こした。まだ眠そうな様子で、放っておけば再び眠りについてしまいそうだった。
「あのー、きみはいったいどこの子? 前にどこかであった?」
きつい感じにならないように、ゆっくりと話し掛けてみたけど、彼女の反応は薄いままだ。そのうちに現れた三人に同じような目で睨まれて、何故だか悪い事をしている気分になった。
おかしいな、何かしたっけ?
「それで、こちらはどこから来た子なのかしら?」
エフィルさんの声は落ち着いている。表情も含んでいるものは無くて、ただ不思議に思っているだけみたいだ。アルフェルは心配そうな顔で、ナウラミアは不審者を見る目で見ていた。
黒髪の女の子はようやく起き上がったものの、掛け布を身体に巻いて眠そうに欠伸している。ボクの顔だけをぼんやり見詰めて、他の人に目もくれなかった。
「えぇと、それが、ボクにも誰やら……」
「リィのお友達じゃないの? わたしはてっきり、トゥイリンから来た子なのかと」
ドライアードの村から戻って、いろいろと変化があった。その一つがフレイの森を抜けた、東部山岳地帯の麓にある街、トゥイリンでのお務めだ。
ナウラミアの実家、バラエル家の協力でトゥイリンの近くの山から、石灰岩が採掘できることが分かったからだ。
街に住むノッカーの鉱夫に採掘をお願いしている。そこで色々な物の生産をお願いしている為に、トゥイリンには何度も出掛けて知り合いが増えた。
その話は今は置いておいて。
「いえ、この子は違うかな。容姿はノッカーっぽいけど」
ぼんやりしていた目に、一瞬動きがあったけどそれだけだ。相変わらず何もしゃべらずにボクを見ている。プリムラにはその態度が気に入らないらしく、さっきから黙って睨んでいる。
「そう。このままでは可哀相だし、ナウラミア、あなたの服を貸して上げて」
「分かりましたわ。背格好も近いですし」
こちらにいらっしゃいと、ナウラミアが手を引いて立たせようとした時、初めてはっきり反応を見せた。ただしその反応は、初対面の相手に対してまったく相応しくない。
パシッっと鋭い音を立てて伸ばした手が払われた。突然の拒絶の反応、普段そんな事をされた経験の無いナウラミアは、驚きのあまり固まっている。
「気安く触るな、下郎」
お貴族さまを下郎呼ばわりは、さすがにマズい気が……
「なんですってぇ!」
怒りで再起動、即怒鳴りつけるとは、さすがナウラミアだ。そこに割って入るのは、
「落ち着いてナリー。そこのあなたも、今の態度は良くないよ~」
ほわんと笑って、手を挙げかけたナウラミアを止める。座ったままの女の子に向き直ったのはアルフェルだ。
「いつまでもそのままは寒いでしょう? 立って、付いてきて」
硬い表情だったその子が、動きに釣られて立ち上がる。巻いていた掛け布がハラリと落ちて、雪のように白い肢体がさらされた。
「あら……」「えっ」「なっ!?」「ほほぅ」
四者四様の反応を見せるけど、全員の顔がいっせいに赤くなる。アルフェルとナウラミアは顔を背けて、エフィルさんとプリムラだけが落ち着いていた。
むしろプリムラはガン見してる気がする。ものすごく嫌な予感……
「すぐに服を持って来させるから、一緒に来てね」
エフィルさんはそれほど慌てた様子も無く、拾い上げた布で素早く包むと、手を引いて部屋の外へ連れ出した。なぜかエフィルさんの手は振り払おうとしなかった。
「あっと、それからリィ? もうそろそろ、男の子と一緒のベッドで、というのはやめた方がいいわ。無邪気なのもいいけど、慎みを持たないとね?」
……はい? 男の子?
「えぇとね、リィ? 怒らないから、ちゃんと説明してね?」
怒らないと言った言葉とは真逆な表情で、アルフェルが近付いてくる。今朝の朝食はちゃんと食べられるかな、そんな思いが過ぎった。
◇
全員が座って話せる場所が他に無いので食堂に来た。テーブルを挟んで長椅子の一方にボクと黒髪の子とプリムラが。向かいにエフィルさん、アルフェル、ナウラミアが座っている。
何とも微妙な雰囲気に、食堂で働くエルフさんも朝食に来た神官さんも、遠巻きに様子を窺っている。ボクたちが集団で入ってきた時は、食事中の何人かが席を立つ始末。ある意味でかなり迷惑な集団だ。
「もう一度確認するけど、リィはこの子に見覚えは無いのね?」
ゆっくりと、しっかりとうなずく。
「では改めて聞きます。あなたはどこの子かしら? ここにはいつ来たの?」
左からボクの腕を掴んでいるので、身体は斜めで顔だけがエフィルさんに向いている。人と話す姿勢として、正しいとは言えないし、相手によっては無用に怒らせかねない。
「……」
言葉が通じないわけで無いのは、先程のナウラミアへの態度で知れている。口を開こうとしない理由は、何かあるのだろうか。
「……たいぞうに、お願いされたから」
えっ……その名前には、覚えがある。覚えと言うより、最近思いだしたばかりというか。夢で見た光景のごま塩頭が浮かぶ。
「おじいちゃんに?」
ボクの目をじっと見て、こくんとうなずいた。
「孫を頼む、最後にそう言われました。それからあなたを守っている……」
最後の方は少し悔しそうで、ボクにだけ聞こえる小声で、守り切れなかったけど、と続いた。
「ちょっとリィ、おじいちゃんって、なによ? どういうこと?」
それまで黙っていたプリムラが、お祖父ちゃんに反応した。けっこう勢いづいて聞いてくるけど、実は爺専だったりするのか?
「中学に上がる前だから、小学五年か六年の時に死んだおじいちゃんだよ。泰三って名前で、70前だったかなぁ。ずいぶんと可愛がってもらったよ」
一つの切っ掛けで色々な事を思い出していた。夏休みや冬休み、お盆やお正月、里帰りした母方の実家で、いつも縁側に座っていたお祖父ちゃん。ぱっとしないしょぼくれた見た目の人で、お祖母ちゃんは穀潰しだなんだと、文句言ってたっけ。
「……ふぅん、リィはおじいちゃんっ子だったんだ」
お祖母ちゃんは性格がきつくて、何かあると叱られた気がする。怒られて逃げ込む先は、お祖父ちゃんの膝の上だった。
ボクたちの会話を理解出来ていない三人は、どのタイミングで何を言うか考えてるように見えた。プリムラは状況を理解し始めていると思う。
お祖父ちゃんを知っている存在で、ボクを守っていると言った。昨夜までいなかったはずなのに今朝急に現れた。それから導き出される答えは。
「君はボクの守護霊さまなの?」
「違います」
即答で否定された。逡巡すら無く、マッハでダメ出しだ。
「えぇと、それじゃぁ……」
「私はエフニ。付喪神です」
先祖霊どころか、神さまだった。付喪神と言えば、歳古した器物に宿るという、精霊みたいな神さまのはず。どちらかというと妖怪に近い存在かな。
しばらく沈黙が続く。向かいに座るこの世界の三人に、付喪神という概念があるのか分からない。神さまの一種というニュアンスは伝わるだろうか。
「エフニ……さまでよろしいですか? 『付喪神』とはどんな神さまでしょう?」
アルフェルの言葉に違和感があった。魔法で変換されていないので、たぶん概念として存在しない神さまだと思う。
どんな神さまかは、ボクとプリムラはだいたい把握してるけど。ん? 神さまと聞いて、普通に対応してる? この世界の神さまって……
「そうですか、付喪神は知りませんか。神と言っても末席を汚す、名前だけの御霊に過ぎない存在です」
付喪神は日本独自の八百万の神の一つ。自然の岩や大樹に精霊が生まれるように、人が使う道具に生まれた魂を付喪神と呼んでいる。
「さきほどは、リィを守っていると仰いました。人に守護を与える神さまですか?」
「それは神の在り方によります。加護を与える神もあれば、人を呪う神もある。わたしが前者でいられたのは、たいぞうのお陰です」
荒御霊と和御霊の事だろう。粗末に扱われれば祟り、大切にされれば寿ぐのは日本的な発想だ。
「今はリーグラスと名乗る、この者ある限り共にあり守り続けます」
それはもう、守護神と言う事になるんじゃないか。プリムラは何か納得しちゃってるし、エフィルさんも神さまであれば居てもらって問題ない、そんな感じで結論が出たようだ。他の二人も急に安心した顔になって、あれやこれや質問を始めた。
……この世界の人たちって、基本的に大らかだよなとあらためて思った。
◇
エフニさまは神さまなので、男でもあり女でもある存在だと言った。ボクとプリムラの様なドライアードとは真逆な存在、でも見た目は黒髪の美少女だ。
いろいろと話したい事があると、プリムラとエフニさまの三人で東門の先にある小川に来ていた。と言うより、トゥイリンに向かう途中だったりする。
「エフニさまは普通の人にも見えるんですか?」
いつの間にか紺鼠色の狩衣に、鈍色の小袴と和風の服を身に付けていた。精霊の時のプリムラと同じで、好きな格好になれるらしい。
「朝は油断していました。まさか無防備を晒すとは、力不足とはいえお粗末でした」
「力不足? 本来の力を発揮出来ていないと?」
「そうですね、あなたからの供給が不完全と言うか、まだ慣れていないというか……」
「エフニさま、わたしの中にいたものね」
私の中? プリムラと一緒と言う事?
「今になって思えば、ってやつかな。違和感があったし、いろいろ変なことが多いっていったでしょ? この身体になってから、『透視』使えなくなったよ。あれはエフニさまの力なんだね」
プリムラが妙に分かったような、納得していたのはこういう事だったのか。
「神通力ですから。末席と言え神の端くれですし、宿主にその位の力は与えられます」
なんとこの神さま、プリムラの魂に憑依していたそうだ。
「今まで一度もお姿を見なかったのは、ご自身で意図していたと」
「本来神とはそう言うものです。必要以上に干渉せず、見守るのが務めです」
「超級ストーカーだよねぇ……」
なんという罰当たりな。言葉を選びなさいって。
「ははは、そう取られても仕方ないですね。常に見ている、のですし。プリムラには申し訳ない事をしたと思っています」
この世界にプリムラが存在する原因が、エフニさまなのだそうだ。
「付喪神は物に宿る御霊です。神とは魂を持たぬ存在故に、依り代が必要なのです。あなたを守護し続ける為に、プリムラの魂を依り代にして付いてきました」
かなり無茶をしたので、神通力のほとんどを使ってしまったそうだ。エフニさまが言うには、この世界はどうか知らないけど、神とは精神体であり、ここ風に言うならフェア(精)だけの存在らしい。
精霊だったプリムラと相性が良かったと。
「少しずつですが神通力も戻っていますし、今後はむやみに人に見られないよう、気を付けていましょう。お二人には見えていた方が良いですか?」
んーどうだろう? プリムラと顔を見合わせて、同時に首を振る。いつも側にいてくれるのは安心だけど、見えてると意識しそうだし。
「ところで、エフニさまは何の付喪神なのですか?」
一番気になっていた事を聞いた。お祖父ちゃんと、エフニ、の名前からだいたい想像は付いているんだけど。Mytikas F-2、銀塩の名機で、お祖父ちゃんの愛機だ。
「私は……あなたも大切にしてくれていましたよ。たいぞうの形見と言えばお分かりでしょう」
あれ? あれれ? ボクがお祖父ちゃんにもらったのは……あっ。
「Zuiho Macro 90mm F2 かぁぁぁぁぁ!」
ボクが愛したマニュアルレンズの名前を叫んでいた。きゅーじゅう・えふに、それがこのレンズの愛称だ。
エフニさまはレンズの鏡胴を思わせる、つや消しの黒髪を揺らしてニッコリ笑った。
漢字で書けば、「瑞鳳マクロ」ですかね。元ネタのレンズは今も大切にしています。写真のイロハを私に教えてくれた、すごくいいレンズですよ。




