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フレイの森のお医者さん  作者: 夢育美
二章 世界樹
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一話 もう一人の付添人

第二章連載開始です。

 縁側に座る丸まった背中。短く揃ったごま塩頭にらくだの腹巻き。風のない晴れた日のお祖父ちゃんは、そこでよくカメラの手入れをしていた。

 じっとしていると熱いくらいの日射しに、灰色の縁台が炙られてそこだけ真夏になる。古い木材からはお日さまのにおいがした。

 セーム革で拭いて指紋や油を綺麗に取る。ブロアーでレンズのホコリを飛ばして、何年も連れ添った大切な機材を、愛おしそうに優しく扱っていた。


「おじいちゃん、それ、僕にも触らせて」

「ん~、XXXXには、まだ早いのぅ。お前が中学生になったらな」

「えー、4年も先じゃん!」

「ははは」


 楽しそうに笑うお祖父ちゃんは、僕の頭を皺だらけの手でわしわし撫でた。それから迷い無く一本のレンズを手にとって、それを僕に向けた。重なり合ったレンズの向こうに、逆さまのお祖父ちゃんが見えた。


「これはな、じいちゃんが一番好きなレンズなんじゃ。わしが死んだらお前にやろう」

 死んだらなんて、言うのもだけど考えても欲しくない。

「何を撮るやつ?」

「マクロレンズと言ってな、花や虫を撮る時に便利じゃぞ」

「へぇ~、カブトムシやクワガタもかっこよく撮れるかな~」

「それは練習次第じゃな。がんばれば……ほれ、こんな写真も撮れるぞ?」


 大事にしている昆虫図鑑の表紙は、カブトムシとクワガタが戦っている写真だ。こんなすごいのが撮れるなんて、なんだかワクワクする。

 お祖父ちゃんは珍しく、そのマクロレンズを触らせてくれた。てのひらにずしりと重くて、金属の冷たい感じがすごくかっこいい物に思えた。


 お祖父ちゃん、いつも優しかったな……



 ぱちっと、勢いよく目覚めた。お祖父ちゃんの夢なんてどの位ぶりだろう。鼻の先に縁側の、お日さまのにおいが残っている感じがする。

 この世界で夢を見たのは初めてじゃないかな。それとも、覚えていないだけで今までにも夢を見ていたのかな。

 懐かしさに名残を感じて身体を起こすと、左手に何か重い物が乗っていた。ずしりとした重みに、少し冷たい感じがする。

 なんだろう?


「ふぁ……」

 眠たそうな声がした。ベッドの左だけ掛け布が盛り上がっている。声はそこから聞こえた気がする。さては、プリムラだな。また寝ぼけてボクのベッドに潜り込んだか。

 ボクとプリムラがもう一度生まれた日、ドライアードの身体になったプリムラも、ボクと一緒に住む事になった。


 さすがにベッド四つは狭すぎるので、お付きの部屋は本来の二人、アルフェルとナウラミアに明け渡した。代わりにエフィルさんの部屋の向かい、廊下を挟んだ倉庫部屋を、ボクとプリムラの部屋にして貰った。

 部屋の隅には移動しきれなかった荷物が積んだままだけど、ベッド二つを置いて余裕のある広さだ。

 寝ぼけたなんて言い訳が、いつまでも通用すると思うなよ。言って聞かない相手には実力行使と、ガバッと起き上がって掛け布を撥ねのけた。

 そこには……


「ん、ふぁ? さむい……」

 裸ん坊の女の子がいた。艶やかな黒髪は肩口で揃えたボブカット。雪のように白い肌に小さく朱を差した唇。掛け布を引き寄せてなおも眠ろうとする。

 和風美少女という言葉がぴったりだと思った。ただしこの子は知らない子だ。

 えぇそうですとも、誰になんと言われようと、断じて知らない!


「え、えーと、おはよう?」

 肩の辺りを揺すって起こそうとしてみる。手のひらにヒヤリとした体温を感じた。

「んッ……」

 ちょっと色っぽい声にドキッとする。そんな感情は一瞬で消えたけど。どうしてかと言うと、半分開いた扉の前に全身から闘気と怒気を立ち上らせる、緑の髪の元精霊の姿があったから。

 本気でおしっこちびりそうなくらいビビッた。


「あっ、えぇとね? 弁解する権利を……」

「……エフィルと、アルフェル、ナウラミアも招集で文句ないわね?」

「異存はございません」

 平伏して答える以外選択肢は無かった。後頭部を押さえ付けられるような、この敗北感はなんだろう……

 悠然と立ち去るプリムラを見送った後、何度か身体を揺すってその子を起こした。まだ眠そうな様子で、放っておけば再び眠りについてしまいそうだった。


「あのー、きみはいったいどこの子? 前にどこかであった?」

 きつい感じにならないように、ゆっくりと話し掛けてみたけど、彼女の反応は薄いままだ。そのうちに現れた三人に同じような目で睨まれて、何故だか悪い事をしている気分になった。

 おかしいな、何かしたっけ?


「それで、こちらはどこから来た子なのかしら?」

 エフィルさんの声は落ち着いている。表情も含んでいるものは無くて、ただ不思議に思っているだけみたいだ。アルフェルは心配そうな顔で、ナウラミアは不審者を見る目で見ていた。

 黒髪の女の子はようやく起き上がったものの、掛け布を身体に巻いて眠そうに欠伸している。ボクの顔だけをぼんやり見詰めて、他の人に目もくれなかった。


「えぇと、それが、ボクにも誰やら……」

「リィのお友達じゃないの? わたしはてっきり、トゥイリンから来た子なのかと」

 ドライアードの村から戻って、いろいろと変化があった。その一つがフレイの森を抜けた、東部山岳地帯の麓にある街、トゥイリンでのお務めだ。

 ナウラミアの実家、バラエル家の協力でトゥイリンの近くの山から、石灰岩が採掘できることが分かったからだ。


 街に住むノッカーの鉱夫に採掘をお願いしている。そこで色々な物の生産をお願いしている為に、トゥイリンには何度も出掛けて知り合いが増えた。

 その話は今は置いておいて。

「いえ、この子は違うかな。容姿はノッカーっぽいけど」

 ぼんやりしていた目に、一瞬動きがあったけどそれだけだ。相変わらず何もしゃべらずにボクを見ている。プリムラにはその態度が気に入らないらしく、さっきから黙って睨んでいる。


「そう。このままでは可哀相だし、ナウラミア、あなたの服を貸して上げて」

「分かりましたわ。背格好も近いですし」

 こちらにいらっしゃいと、ナウラミアが手を引いて立たせようとした時、初めてはっきり反応を見せた。ただしその反応は、初対面の相手に対してまったく相応しくない。

 パシッっと鋭い音を立てて伸ばした手が払われた。突然の拒絶の反応、普段そんな事をされた経験の無いナウラミアは、驚きのあまり固まっている。


「気安く触るな、下郎」

 お貴族さまを下郎呼ばわりは、さすがにマズい気が……

「なんですってぇ!」

 怒りで再起動、即怒鳴りつけるとは、さすがナウラミアだ。そこに割って入るのは、

「落ち着いてナリー。そこのあなたも、今の態度は良くないよ~」

 ほわんと笑って、手を挙げかけたナウラミアを止める。座ったままの女の子に向き直ったのはアルフェルだ。


「いつまでもそのままは寒いでしょう? 立って、付いてきて」

 硬い表情だったその子が、動きに釣られて立ち上がる。巻いていた掛け布がハラリと落ちて、雪のように白い肢体がさらされた。


「あら……」「えっ」「なっ!?」「ほほぅ」

 四者四様の反応を見せるけど、全員の顔がいっせいに赤くなる。アルフェルとナウラミアは顔を背けて、エフィルさんとプリムラだけが落ち着いていた。

 むしろプリムラはガン見してる気がする。ものすごく嫌な予感……


「すぐに服を持って来させるから、一緒に来てね」

 エフィルさんはそれほど慌てた様子も無く、拾い上げた布で素早く包むと、手を引いて部屋の外へ連れ出した。なぜかエフィルさんの手は振り払おうとしなかった。


「あっと、それからリィ? もうそろそろ、男の子と一緒のベッドで、というのはやめた方がいいわ。無邪気なのもいいけど、慎みを持たないとね?」

 ……はい? 男の子?

「えぇとね、リィ? 怒らないから、ちゃんと説明してね?」

 怒らないと言った言葉とは真逆な表情で、アルフェルが近付いてくる。今朝の朝食はちゃんと食べられるかな、そんな思いが過ぎった。



 全員が座って話せる場所が他に無いので食堂に来た。テーブルを挟んで長椅子の一方にボクと黒髪の子とプリムラが。向かいにエフィルさん、アルフェル、ナウラミアが座っている。

 何とも微妙な雰囲気に、食堂で働くエルフさんも朝食に来た神官さんも、遠巻きに様子を窺っている。ボクたちが集団で入ってきた時は、食事中の何人かが席を立つ始末。ある意味でかなり迷惑な集団だ。


「もう一度確認するけど、リィはこの子に見覚えは無いのね?」

 ゆっくりと、しっかりとうなずく。

「では改めて聞きます。あなたはどこの子かしら? ここにはいつ来たの?」

 左からボクの腕を掴んでいるので、身体は斜めで顔だけがエフィルさんに向いている。人と話す姿勢として、正しいとは言えないし、相手によっては無用に怒らせかねない。


「……」

 言葉が通じないわけで無いのは、先程のナウラミアへの態度で知れている。口を開こうとしない理由は、何かあるのだろうか。


「……たいぞうに、お願いされたから」

 えっ……その名前には、覚えがある。覚えと言うより、最近思いだしたばかりというか。夢で見た光景のごま塩頭が浮かぶ。

「おじいちゃんに?」

 ボクの目をじっと見て、こくんとうなずいた。


「孫を頼む、最後にそう言われました。それからあなたを守っている……」

 最後の方は少し悔しそうで、ボクにだけ聞こえる小声で、守り切れなかったけど、と続いた。

「ちょっとリィ、おじいちゃんって、なによ? どういうこと?」

 それまで黙っていたプリムラが、お祖父ちゃんに反応した。けっこう勢いづいて聞いてくるけど、実は爺専だったりするのか?


「中学に上がる前だから、小学五年か六年の時に死んだおじいちゃんだよ。泰三って名前で、70前だったかなぁ。ずいぶんと可愛がってもらったよ」

 一つの切っ掛けで色々な事を思い出していた。夏休みや冬休み、お盆やお正月、里帰りした母方の実家で、いつも縁側に座っていたお祖父ちゃん。ぱっとしないしょぼくれた見た目の人で、お祖母ちゃんは穀潰しだなんだと、文句言ってたっけ。


「……ふぅん、リィはおじいちゃんっ子だったんだ」

 お祖母ちゃんは性格がきつくて、何かあると叱られた気がする。怒られて逃げ込む先は、お祖父ちゃんの膝の上だった。

 ボクたちの会話を理解出来ていない三人は、どのタイミングで何を言うか考えてるように見えた。プリムラは状況を理解し始めていると思う。

 お祖父ちゃんを知っている存在で、ボクを守っていると言った。昨夜までいなかったはずなのに今朝急に現れた。それから導き出される答えは。


「君はボクの守護霊さまなの?」

「違います」


 即答で否定された。逡巡すら無く、マッハでダメ出しだ。

「えぇと、それじゃぁ……」

「私はエフニ。付喪神です」


 先祖霊どころか、神さまだった。付喪神つくもがみと言えば、歳古した器物に宿るという、精霊みたいな神さまのはず。どちらかというと妖怪に近い存在かな。

 しばらく沈黙が続く。向かいに座るこの世界の三人に、付喪神という概念があるのか分からない。神さまの一種というニュアンスは伝わるだろうか。


「エフニ……さまでよろしいですか? 『付喪神』とはどんな神さまでしょう?」

 アルフェルの言葉に違和感があった。魔法で変換されていないので、たぶん概念として存在しない神さまだと思う。

 どんな神さまかは、ボクとプリムラはだいたい把握してるけど。ん? 神さまと聞いて、普通に対応してる? この世界の神さまって……


「そうですか、付喪神は知りませんか。神と言っても末席を汚す、名前だけの御霊に過ぎない存在です」

 付喪神は日本独自の八百万の神の一つ。自然の岩や大樹に精霊が生まれるように、人が使う道具に生まれた魂を付喪神と呼んでいる。


「さきほどは、リィを守っていると仰いました。人に守護を与える神さまですか?」

「それは神の在り方によります。加護を与える神もあれば、人を呪う神もある。わたしが前者でいられたのは、たいぞうのお陰です」

 荒御霊あらみたま和御霊にぎみたまの事だろう。粗末に扱われれば祟り、大切にされれば寿ぐのは日本的な発想だ。


「今はリーグラスと名乗る、この者ある限り共にあり守り続けます」

 それはもう、守護神と言う事になるんじゃないか。プリムラは何か納得しちゃってるし、エフィルさんも神さまであれば居てもらって問題ない、そんな感じで結論が出たようだ。他の二人も急に安心した顔になって、あれやこれや質問を始めた。

 ……この世界の人たちって、基本的に大らかだよなとあらためて思った。



 エフニさまは神さまなので、男でもあり女でもある存在だと言った。ボクとプリムラの様なドライアードとは真逆な存在、でも見た目は黒髪の美少女だ。

 いろいろと話したい事があると、プリムラとエフニさまの三人で東門の先にある小川に来ていた。と言うより、トゥイリンに向かう途中だったりする。


「エフニさまは普通の人にも見えるんですか?」

 いつの間にか紺鼠色の狩衣に、鈍色の小袴と和風の服を身に付けていた。精霊の時のプリムラと同じで、好きな格好になれるらしい。


「朝は油断していました。まさか無防備を晒すとは、力不足とはいえお粗末でした」

「力不足? 本来の力を発揮出来ていないと?」

「そうですね、あなたからの供給が不完全と言うか、まだ慣れていないというか……」

「エフニさま、わたしの中にいたものね」

 私の中? プリムラと一緒と言う事?


「今になって思えば、ってやつかな。違和感があったし、いろいろ変なことが多いっていったでしょ? この身体になってから、『透視』使えなくなったよ。あれはエフニさまの力なんだね」

 プリムラが妙に分かったような、納得していたのはこういう事だったのか。


「神通力ですから。末席と言え神の端くれですし、宿主にその位の力は与えられます」

 なんとこの神さま、プリムラの魂に憑依していたそうだ。

「今まで一度もお姿を見なかったのは、ご自身で意図していたと」

「本来神とはそう言うものです。必要以上に干渉せず、見守るのが務めです」

「超級ストーカーだよねぇ……」

 なんという罰当たりな。言葉を選びなさいって。


「ははは、そう取られても仕方ないですね。常に見ている、のですし。プリムラには申し訳ない事をしたと思っています」

 この世界にプリムラが存在する原因が、エフニさまなのだそうだ。

「付喪神は物に宿る御霊です。神とは魂を持たぬ存在故に、依り代が必要なのです。あなたを守護し続ける為に、プリムラの魂を依り代にして付いてきました」


 かなり無茶をしたので、神通力のほとんどを使ってしまったそうだ。エフニさまが言うには、この世界はどうか知らないけど、神とは精神体であり、ここ風に言うならフェア(精)だけの存在らしい。

 精霊だったプリムラと相性が良かったと。


「少しずつですが神通力も戻っていますし、今後はむやみに人に見られないよう、気を付けていましょう。お二人には見えていた方が良いですか?」

 んーどうだろう? プリムラと顔を見合わせて、同時に首を振る。いつも側にいてくれるのは安心だけど、見えてると意識しそうだし。


「ところで、エフニさまは何の付喪神なのですか?」

 一番気になっていた事を聞いた。お祖父ちゃんと、エフニ、の名前からだいたい想像は付いているんだけど。Mytikas F-2、銀塩の名機で、お祖父ちゃんの愛機だ。

「私は……あなたも大切にしてくれていましたよ。たいぞうの形見と言えばお分かりでしょう」

 あれ? あれれ? ボクがお祖父ちゃんにもらったのは……あっ。


「Zuiho Macro 90mm F2 かぁぁぁぁぁ!」

 ボクが愛したマニュアルレンズの名前を叫んでいた。きゅーじゅう・えふに、それがこのレンズの愛称だ。

 エフニさまはレンズの鏡胴を思わせる、つや消しの黒髪を揺らしてニッコリ笑った。


漢字で書けば、「瑞鳳マクロ」ですかね。元ネタのレンズは今も大切にしています。写真のイロハを私に教えてくれた、すごくいいレンズですよ。

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