第一話 転生して仕方なく傭兵になったら最強だった。
冷たい空気を吸い込んだ瞬間、肺が焼けるように痛んだ。
「オギャア! オギャア!」
泣き声が部屋中に響く。
俺は驚いた。
……声が出ない。
いや、赤ん坊だからだ。
目を開けると、木で組まれた天井が見えた。
壁は石ではなく木材。
窓にはガラスもない。
若い女性が俺を抱き上げ、涙を流していた。
「あなた……元気な男の子ですよ。」
隣では父親らしき男が安堵したように笑っている。
「リオン!」
両親らしき人物達が俺を見てそう言った。
(……転生したのか。)
前世の記憶だけは、不思議なほど鮮明だった。
日本で暮らしていたこと。
社会人だったこと。
そして事故で命を落としたこと。
神様もチート能力も説明もない。
気づけば、俺は別の世界の赤ん坊になっていた。
一年。
歩けるようになった。
この世界には電気も車もない。
村には木造の家が並び、人々は鍬を持って畑を耕している。
馬車が通り、剣を腰に差した兵士が村へ税を集めに来る。
どうやらここは王国の辺境らしい。
魔法があるかもと思っていたが、一度も見たことはない。
兵士の装備は甲冑、剣、盾
まるで中世ヨーロッパそのものだった。
五歳。
父の畑仕事を手伝うようになった。
雑草を抜き、水を運び、薪を割る。
体は子どもでも、中身は大人だ。
要領よく仕事を覚え、村では「賢い子」と言われるようになった。
それでも暮らしは苦しい。
収穫の五割以上は税として持っていかれる。
豊作でも貧乏。
凶作なら飢える。
「今年も税が上がるそうだ。」
夕食の席で父がため息をつく。
母は何も言わず、パンを小さくちぎって俺の皿へ置いた。
リオンは拳を握ることしかできなかった。
十歳。
秋の収穫祭。
今までで一番賑やかな日だった。
村人たちは酒を飲み、子どもたちは走り回る。
そこへ、近くの砦から数人の王国兵がやってきた。
「今年は過去一豊作だったな!」
兵士たちは村人と笑いながら酒を飲み始める。
リオンはその姿から目が離せなかった。
鉄の甲冑。
腰には長剣。
背には盾。
中世の騎士そのものだった。
「そんなに気になるか?」
兵士の一人が笑う。
「はい。」
「じゃあ着てみるか!」
周囲の大人たちが笑い出す。
「無理無理!」
「あれは大人でも重いぞ!」
兵士は冗談半分で胸当てを外し、俺の前へ置いた。
ガシャン、と鈍い音が響く。
「ほら、持ち上げてみろ。」
リオンは両手で持つ。
……あれ?
軽い。
想像していた重さがない。
まるで少し厚手の上着を持ったような感覚だった。
「着てもいいですか?」
「もちろん。」
俺は胸当てを身につける。
重さはほとんど感じない。
肩も腰も苦しくない。
「どうだ?」
「……動きやすいです。」
その場が静まり返る。
兵士が目を丸くした。
「動きやすい……?」
リオンはその場で歩き、軽く走ってみる。
カチャカチャと鉄が鳴るだけで、身体は普段と変わらない。
「お、おい……。」
「普通、子どもが着たら立つこともできねえぞ。」
村人たちは冗談だと思って笑っていた。
だが、その笑いは少しずつ消えていく。
兵士は今度は腰の剣を抜き、俺へ差し出した。
「これも持ってみろ。」
鉄の長剣。
大人でも長時間振れば腕が疲れる重さ。
リオンは片手で受け取った。
「軽い……。」
何気なく一度振る。
ヒュンッ。
風を切る音が宴の広場に響いた。
兵士たちは顔を見合わせる。
「坊主。」
「はい。」
「お前……本当に十歳か?」
リオン自身も首を傾げるしかなかった。
リオンにとって、この甲冑も、この剣も。
まるで普段着と木の枝くらいの重さしかなかったのだから。
十五歳。
リオンはこの家の長男だった。
弟が二人、妹が一人。
父と母を含めた六人家族を、この小さな畑が支えていた。
だが、その畑は今年、ほとんど何も返してくれなかった。
雨が少ない。
それだけで、世界は簡単に壊れる。
収穫は去年の三分の一ほどだった。
それでも、徴税は変わらない。
「今年の分だ」
役人は淡々と紙を置いた。
数字は同じ。
むしろ、少しだけ増えている。
父が頭を下げる。
「……これでは来年を越せません」
返事はない。
「払えないなら、他で補え」
それだけだった。
その夜。
食卓には、薄いスープと固いパンが並んでいた。
弟は黙って食べている。
妹はすでに眠っている。
母は何も言わず俯いていた。
父は火を見ている。
ずっと、何も言わないまま。
リオンは分かっていた。
このままでは、全員が飢える。
でも、何かを変える手段はこの村にはない。
畑を耕しても、もう限界だ。
夜が更けたころ。
リオンは机の前に座った。
紙とペンを手に取る。
長くは書かなかった。
「王都へ働きに行く」
それだけ。
理由も説明もない。
書けば止まる気がしたからだ。
朝。
誰も起きていない時間。
リオンは荷物をまとめた。
パンと水と、少しの衣類だけ。
戸の前で一度だけ立ち止まる。
振り返らない。
振り返れば、戻れなくなる気がした。
机の上に紙を置く。
それだけで十分だった。
村を出る道は、いつもと変わらないはずなのに、やけに遠かった。
(これでいい)
そう自分に言い聞かせる。
王都へ行けば、何かが変わるかもしれない。
何も変わらないかもしれない。
それでも、ここに留まる選択肢だけは、もう残っていなかった。
王都へ向かう道は、整備されていない。
土は硬く、馬車の轍が深く刻まれている。
農村と王都のあいだには、はっきりとした差があった。
人も、空気も、少しだけ荒んでいる。
二日目の昼だった。
遠くから、叫び声が聞こえた。
「止まれッ!」
「荷を下ろせ!!」
続いて、金属のぶつかる音。
馬のいななき。
(……戦い?)
反射的に足が止まる。
林の向こうに目を向けると、荷馬車が一台、道の途中で止められていた。
その周りに数人。
いや、違う。
剣を持った男たちが、馬車を囲んでいる。
盗賊だ。
三人。
荷馬車の護衛らしき兵士はすでに地面に倒れていた。
鎧を着ているが、動かない。
荷台の男は震えている。
「金はない……本当にないんだ……!」
盗賊の一人が笑う。
「そういうのは聞き飽きたんだよ」
今にも男は殺されそうだった。
(まずい)
気づいたときには、身体が動いていた。
理屈じゃない。
助けるべきかどうか、なんて考える余裕もなかった。
ただ、足が前に出た。
倒れている兵士のところへ走る。
まだ息はある。
浅いが、生きている。
その横に、装備が落ちていた。
剣。
盾。
そして、鉄の甲冑。
(借りるしかない)
迷いはなかった。
甲冑を持ち上げる。
重いはずだった。
普通なら、立つことすら難しい重量。
だが、
「……軽い」
思わず声が漏れた。
まるで厚手の服だ。
盾も同じだった。
剣も。
全部、最初から自分の手に馴染んでいる。
「誰だッ!!」
盗賊の一人が気づいた。
こちらに向かってくる。
剣を振り上げる。
迷いなく、一直線。
来る。
そう思った瞬間、体が勝手に動いた。
一歩。
盾で受ける。
金属がぶつかる鈍い音。
次の瞬間、剣を返す。
ヒュンッ。
一人目。
膝から崩れた。
何が起きたか、本人も分かっていない顔だった。
「なんだこいつ……!」
残り二人が同時に動く。
左右から挟む形。
普通なら詰みの状況。
でも、遅い。
全部が遅い。
盾を左へ。
剣を右へ。
最小の動きで、最短の軌道。
二人目。
剣を弾かれ、そのまま肩を押されて転倒。
三人目。
一歩踏み込んだ瞬間に、胴を打たれる。
数秒だった。
いや、それより短かったかもしれない。
盗賊達は慌てた様子で逃げて行った。
静寂。
風だけが通り抜ける。
荷馬車の男が、呆然とこちらを見ている。
「……あんた、傭兵か?」
違う。
まだ何者でもない。
ただ、
剣も盾も、鎧も。
まるで自分の身体の延長だった。
倒れていた兵士がかすかに目を開ける。
「……それ、返せるか」
リオンは一瞬だけ迷い、そして頷いた。
「すみません。借りました」
荷馬車の男たちに礼を言われ、軽く頭を下げて別れたあと。
俺は再び王都へ向かう道を歩き出した。




