26.幸せの重み
ふたりで夕日が沈んでいく街を眺めながら、いつもとは違う道を辿って宿屋へ戻りかけていたときだった。
「おや? あんた、何か様子が違うね」
闇の中から年老いた女の声に、敏感に反応したのはラウラだ。
振り向いた先にいたのは、あのときの占術師の老婆だった。
あれから何度も老婆を捜して路地を歩いたが、今の今まで再会することができずにいた。
ラウラはすぐに声の主の元へと駆け寄ると、促されるがままに立て付けの悪い椅子に座り、セストもその隣へと腰をかけた。
「おばあちゃん、やっと会えたね。ずっと捜してたけど全然会えなかったの」
「ばあさん、ラウラは今どうなってる? 誰も見えてなかったラウラがどうやら見えるようになったみたいなんだ」
無邪気に再会を喜ぶラウラをよそに、セストはラウラを押しのけ、矢継ぎ早に老婆へ質問を投げかける。
「そう急かすんじゃないよ。あんた、影が戻ってるね」
「いつの間にかラウラのぼんやりしていた影の輪郭ははっきりとして、薄かった色も濃くなってる。それと同時に周囲の人たちも、ラウラを認識するようになった。なんでだ? ラウラはこのまま消えずに済むのか?」
「お前さんはせっかちだねぇ。まあ、落ち着きな」
老婆は目を細めてラウラを値踏みするように見つめながら、難しげな表情を浮かべている。
「おかしいね。あんたの天秤が釣り合いを取り戻している」
「え? まさか、この腕飾りは本物だったの?」
セストに贈ってもらった腕飾りを反対の手で撫なでながら、ラウラが期待の眼差しで老婆を見る。
そういえば、特別に清めてあると店主が自慢げに言っていた。
「馬鹿だねぇ。そんなどこでも売ってる腕飾りにそんな力はないよ」
セストはラウラを横目で見ながら、苦笑いする。まさか信じていたとは思っていなかった。
何かを見通すようにラウラを見ていた老婆は、得心したように何度も頷いてみせる。
「ははあ、なるほど。あんた腹に子がいるね」
「子供?」
傾ききる寸前のラウラの天秤に加わった、小さな錘がひとつ。
「私に赤ちゃん……?」
「そうだ」
「ばあさん、それは本当か!?」
「ああ、間違いない」
ラウラがセストの顔を窺った途端、ひどくきつく抱きしめられた。ラウラの首筋に顔を埋めたセストが、小さく何か呻いている。
ラウラは子供がいると聞き、戸惑いはあったがすぐに嬉しいという感情が浮かんできた。しかし、セストはどうだろうか。
「……困る?」
「困らない! 心から嬉しい。やっぱりすぐにでも結婚しよう」
ラウラはセストですら最近は見たことがないような笑顔を見せていた。
初めて老婆に会った日は絶望に染まっていたラウラだったが、今は歓喜に溢れている。
喜びで紅潮した頬のまま、ラウラは両手で腹を覆うと目を閉じて子の存在を感じ取ろうとする。
「まだ分からないみたい」
「そうだろうね。まだまだ随分と小さな錘だ。だが、おかしいね。こんな小さな錘だけでは釣り合いはとれないはずだ。お前さんたちは一体何をしたんだい?」
「何もした覚えはないの。いつの間にか他の人から見えるようになっていて」
「そうかい。だったら、暇を持て余した年寄りに、あんたの視た未来を全部教えてくれないかい?」
それからラウラは、以前も話したこと、以前は話さなかったセストの運命の相手のことも全て老婆に離して聞かせた。
あのときのラウラはセストの運命の人のことは口に出すことすら辛く、どうしても話すことができなかったのだ。
「お前さん、その彼女とはどうなったんだ?」
「何もないよ。俺が好きなのはラウラだけだから、はっきりと断った」
老婆は声を出さず、息が漏れるように思わず笑っていた。
「ふふっ。断ったのかい?」
「ああ」
「はははは。なるほど。魔女が未来を歪め、その恋人が運命を断ち切った。口約束だろうと、結婚も契約の一種だからね。魔女と契約したお前さんがその子の新たな錘となったんだ」
「俺が?」
「運命を断ち切ったことを後悔はしてないのかい?」
老婆はその目を三日月に歪めると、挑発するようにセストを見て本音を探ろうとしている。
「俺の運命はラウラだ。後悔なんかするはずがない」
セストは挑発に乗ることなく、穏やかに老婆にそう答えを返した。
「その子の天秤は常に傾き続けている。今は小さな錘とお前さんが錘となって釣り合いを保っているが、もし心が離れれば重みを失い、釣り合いは保てなくなるだろう。そうすれば、今度こそ消えるだけだ」
「だったら、俺がそばにいる限りラウラは無事でいられるんだな」
占術師の老婆は肯定も否定もせず、ただ静かに微笑みを浮かべていた。
ラウラはふと疑問に思っていたことを老婆に尋ねた。
「あれ以来、未来を視なくなったの。このまま視なくなるの?」
ラウラが視る未来は、目を逸らしたくなるようなものばかりだ。
できればもう視たくはない。そんな気持ちが通じたのだろうか。
「……魔女の中には、純潔を失うとその魔力を失う者もいるといわれている」
老婆の意味深な台詞に首を傾げていたが、その意味を理解するとさっとふたりの頬にさっと朱が差した。
子供まで作っておいて、何を照れているのだかと老婆は呆れた顔をする。
「魔女といえど万能ではない。血が薄まっているあんたであれば尚更だ。視えた未来は正しかったのかもしれないし、違っていたかもしれない。あんたの見た運命の恋人とやらが本物だったのかも、今となっては分からない。だが、少なくともお前さんたちは、その未来を選び取ったのだろうよ」
老婆と別れ宿屋へと戻る道に、ラウラとセストの影が長く伸びている。
やがて近い未来に増える、小さな影を思い浮かべながら二つの影が一つに重なった。
それからも、ふたりで何度か占術師のところへ通ったが、それきり老婆と会うことはなかった。
「私を支えているのはセストなんだって。セストがいなくなったら私は消えてしまうんだって」
セストの体温を感じながら、微睡みの中でラウラが囁く。
「それならば、俺が死ぬ瞬間までずっと一緒にいよう」
それはとても甘美な言葉だった。
これから先、ラウラは愛する人に置いていかれることはなく、死すら二人を分かつことはできないのだ。
数年すれば、また小さな錘がひとつ増えるかもしれない。
そうして、大切な錘が増えるたびに、ラウラの天秤は更に安定を増していく。
その錘もやがて成長し、また錘は増え続ける。
その命が潰える時まで、ラウラの天秤は釣り合いを保ち続けるのだ。
この後、魔法士副団長&騎士団長、ラウラたちの家族との番外編があります。




