侯爵令息との婚約の王命
ここはミスランティ辺境伯領の領主一族の居城、リコリアス城の、とある応接の間
その部屋の主人に挨拶をしに来たと見える女性は、涙を流しながら言った。
「デイム、この度は突然の祝事に驚くばかりでございます。······まさかひと回りも歳上のお方とだなんて」
「ミレーヌ、いいのよ。私の願いはこの領地に幸福をもたらすこと。そのためなら私の身などいくらでも差し出す所存でしたから」
デイム、そう呼ばれた少女は本来慰められるべき立場であるはずが、途中で泣き崩れた中年の貴族女性を慰めていた。
「子爵、ミレーヌを隣の部屋にお連れなさい。これでは彼女の面目が丸つぶれでしょうから」
「姫様、ありがとうございます」
貴族たるもの、あまり感情を表に出すことは好まれない。ましてそれが辺境伯令嬢の前であれば尚更であり、子爵は少女の配慮にお礼を言いながらミレーヌを伴って退室した。
少女は着丈に振る舞っては居るが、そこには一種の悲壮感も漂うように見える。
少女の名前はフィリーネ、本名をフィリーネ・リラ・ミスランティ。数年前に巻き起こった内乱に於いて多大な功績を残して勇敢令嬢と讃えられる少女である。
ことの始まりはアルメニタ王国現国王フェルナンドによって下されたひとつの王命
"アルベール・リラ・ミスランティの娘、フィリーネはハドール侯爵子息セドリックと婚姻せよ"
ミスランティ辺境伯とハドール侯爵はどちらも王国内でも屈指の影響力を持つ大貴族だ。
有力貴族同士の婚姻を王命でまとめることはよくあることであるし、前の内戦の残像が今も残っていて、王国が不安定な現在としてはなおさらだ。
フィリーネは部屋の外を哀愁の籠った目で見た。
その視線の先にはミスランティ辺境伯領の貴族達の冬を越す館がある。
「ハドール侯爵家ですか······」
フィリーネは想い人がいるわけでもないので、政略結婚に対する忌避感などはない。
家族がどう思うかはともかく、フィリーネ個人としては老人の後添えであろうがなんだろうが、領地に利益をもたらす人物なら喜んで受け入れる。
これほどフィリーネが物憂げな心地になるのは、政略結婚がどうかではなく、ハドール侯爵家との婚姻であるからだ。
「王も王です。もう少しその辺の事情を加味して婚姻相手を決めてほしいものです。せめて年回りの良い相手か別の貴族家の人物であればミスランティ貴族達の反発もこれほどではなかったでしょうに」
フィリーネの専属侍女のリリーが国王フェルナンドに悪態をつく。
「王様のことは悪く言いたくはありませんけど、本当ね、リリー」
他領の貴族に聞かれれば足を掬われかねない危険な発言だが、正鵠を射ている。
フィリーネも至極もっともであることは分かっているので、だけれども王への不敬に当たるため苦笑いして同意するにとどめる。
「申し訳ありません、私としたことが」
「いいのいいの。誰にでもあることよ」
リリーもそこで自分の発言の危うさに気付き、一歩間違えば道連れにしていたかもしれないフィリーネに謝罪した。
フィリーネは鷹揚と笑って流す。
しかしその深刻な哀愁漂う表情を変えることはない。
「本当に間の悪いこと」
フィリーネは呟いた。
普段は分別があり、不注意な発言をしないリリーでさえもこの様なのだ。
うっかり者であれば、そして独立を夢見る大半のミスランティ貴族達であればもっと過激な発言をしているに違いない。
「せめて王国の体制がもっと安定してから、そうでないのであればハドール侯爵家以外から、叶うことなら数人の候補を出してくれればよろしいのに」
候補が複数人いればミスランティ貴族達は王命を柔らかく受け入れていただろう。
押し付けられたものではなく自分達で選択したものとして認めることができるのだとフィリーネは思う。
「まあ、王の懐刀を選ばせるためには候補を複数作ることはできなかったのでしょうけど」
セドリックは王の懐刀と呼ばれているほど王の信頼が厚い有能な人物で、特に工作活動を長けているとされる。
ミスランティ以外でも、自分達を内側から食い尽くすような不穏な人物を内輪に加えたくはないだろう。
「王の意図は痛いほど解りますが、それが逆に貴族達を刺激する結果になってしまうと気づいてほしいものです」
リリーが淡々と言う。
実際に、ミスランティ貴族達の多くは政略結婚の王命を歓迎するどころか猛反発している。
「······それはそうとしてお祖父様が逸らないかが心配です。お祖父様は誰よりも独立を望んでおられますから」
「伯爵ですか······カナリア様と辺境伯が抑えにかかるとは思いますが、どれ程効果があるか······」
辺境伯家の姻戚である立場上、軽々しく伯爵が動くことはないと分かってはいるが、侯爵子息の性格と婿入りの目的によってはどうなるか分からない。
「どうせなら嫁入りにしてくれた方がありがたいのですけど。それならお祖父様を誤魔化すことも叶いますし、反対派の動きも鈍くなりますのに」
彼らにとっては崇拝する主の一人であるフィリーネが敵地にいれば動くのは至難になる。
つまりは人質である。
考えても栓ありませんねと言わんばかりにフィリーネは小さなため息をついた。
少しうつむいて、次の瞬間には顔をあげる。
その目に灯っているのは使命感に燃える勇敢な光
「ミスランティだけは守り抜かなければ。この事態を産み出した当事者の一人として、それが私の使命です」
今この状況をなんとかできるのは自分だけ、というような気概でフィリーネは拳を握りしめた。
雨降りの空はいつの間にか晴れ間を見せていて、気づけば薄く、目を凝らさなければ視認できないほどの虹が掛かっていた。
たくさんの作品の中から拙作を読んでいただきありがとうございます。
暖かく見守ってくださると幸いです。




