27
それはシンディーさんを女官に迎えて三日目。
コンコンッ。
「ちびちゃん、少しいいか」
「おちびちゃんに話してぇ事あんだ」
ノックと共に扉から聞こえたのはマルスとトムの声だった。
「はーい?」
私はすぐに扉に駆け寄って、二人を中に招き入れた。
マルスとトムはサイラス様と一緒に龍の国に来てから、ずっと王城に滞在してる。だからほとんど毎日みたいに顔を合わせていた。
だけど、こんな風に改まって訪ねて来たのは初めてだった。
「二人とも、入って入って? ちょうど今、おばあさんとシンディーさんとお茶するところだったんだ」
凄くいいタイミングだ。実は今日のお茶請けのチョコクロワッサンは人の国でとってもお世話になったあのパン屋さんからのお取り寄せだ。
二人にも届けてあげようと思っていたからちょうどいい。
「お? おう。そんじゃ、ちっとだけご相伴に預かっかな」
「おい、トム! 俺らは茶ぁ飲みに来たんじゃねーだろが!?」
「そうだけどよ~」
?? いつもなら一も二もなく頷いてテーブルに座る二人が一体どうした。今日の二人はなにかがおかしい。
「マルス? トム? 今日のお茶請けのチョコクロワッサン、あのパン屋さんからのお取り寄せだよ?」
「! あ、あのっつーと、あのしこたま美味いパン屋か!?」
二人がキラッキラした目で私を見る。うん、分かるよ分かるよ! 私もあのパン屋さんのチョコクロワッサンには目が勝手にキラキラしちゃうもん。
「そうそう、そのパン屋さん」
「「食うぞ!!」」
二人は即答し、いそいそとティーテーブルについた。
「まぁ! ももかさんが人の国で右も左も分からぬところをお二人が保護された!? では、お二人はももかさんの恩人ではないですか! さぁさぁ、紅茶をもう一杯お注ぎしますね? あ、チョコクロワッサンももうひとついかがですか?」
シンディーさんが甲斐甲斐しくマルスとトムに世話を焼く。
「お、おう」
「すまねーな」
だけど、よくよく考えてみる。二人が私の恩人って見解、そもそも正しいっけ?
「こんなにも可愛らしいももかさんですから、いつ何時悪い輩にかどわかされやしないかと、私は心配で心配で!」
「……ももかや、シンディーはなかなか愉快な娘じゃ……もしゃもしゃ」
おばあさんが五個目のチョコクロワッサンに齧り付く。うん、シンディーさんは優しくて愉快なの。とっても素敵な、私の自慢のお友達兼女官さん。
ん? おばあさんのチョコクロワッサンが五個目? ……あ、あーーーーっっ!!
籠の中、チョコクロワッサンがもう一個しか残ってない! 私、まだ一個しか食べてないのに、うっ、うぅぅぅぅぅ。
涙目で、私は最後の一個を死守した。そうして、いそいそと紙ナプキンに包んでキープ。
私だってもっと食べたい気持ちはあるの。だけどこれは、サイラス様に食べてもらうって決めてるの。ぐすん。
「まぁももかさん、ひとつでお終いですの?」
「……うん。ダイエットだし、いいの」
やせ我慢じゃないよ。ダイエット、しないと駄目なのほんとだもん。
「ダイエット? けれど、これはももかさんの大好きなパン屋さんのお取り寄せですから特別ですわ。ももかさん、真ん中のチョコいっぱい、アーモンドの掛かっているところを、はい、あーん?」
わっ! わーー!!
シンディーさんは自分のお皿のチョコクロワッサンに上品にナイフを入れる。そして言葉の通り、真ん中のチョコいっぱい、アーモンドの掛かっているところフォークに乗っけて差し出してくれた。
「あーーーーんっ」
ぱっくっ!!
ぱっくぱっく、もっぐもっぐ。ぷっはー。
シンディーさんのあーんで食べたチョコクロワッサンは頬っぺたが落っこちるくらい、別格の美味しさだった。
「美味しかった、凄く美味しかった! だけどシンディーさんの分、私が貰っちゃって……」
「あら! そんな事はちっとも構いませんわ。私も美味しく頂きました。……可愛く頬張るぷりぷりキュートなももかさんをお腹いっぱい胸いっぱい満喫しましたわ! それにしたって、ぱっくぱっく、もっぐもっぐ。挙句、ぷっはーって、くっはーーーー!! 殺龍的、殺龍的に可愛いっ! やっぱりももかさん、かーわーいーーっっ!」
途中くるりと背中を向けたシンディーさんがブツブツ呟きながら、前屈みになってフルフルと背中を揺らしている。
「し、シンディーさん!? さしこみですかっ!?」
私は慌ててシンディーさんの背中を支えた。
「え、ええ? ほんの一瞬でしたが、悶え死ぬかと思いましたわ」
も、悶え死ぬほど激しいさしこみ!?
「いえいえ、ももかさん! 心配は無用ですわ! もう、まるっとスッキリ全快しました!」
確かに振り返ったシンディーさんの顔色は良くて、瞳もキラキラと輝いてる。とても病人の顔とは思えなかった。
病弱って大変なんだな。私は健康そのものだから、シンディーさんみたいなさしこみも貧血もないけど、ちゃんとシンディーさんの不調には気を付けてあげなくちゃ。
「そっか、よかった。それからシンディーさん、今度はおばあさんの大食らいを考慮して倍注文します! だからまた、一緒にお茶しましょうね」
「もちろんですわ!」
「……倍なんてケチな事言わんと、三倍注文すりゃよかろうに」
あ、それもそうだ。
事実、おばあさんは五個食べても物足りなそうに常備品の砂糖菓子に手を付け始めた。
「あ! そう言えば二人とも、何か話があったんだよね?」
チョコクロワッサンに気を取られてすっかり忘れていたけれど、確かそんなような事を言っていたっけ。
「あ、ああ……」
「そうなんだよ」
少し改まった様子のマルスとトム。二人が何度も目配せし合っているのが分かった。余程話しにくい事なんだろうか?
「おちびちゃん、実は俺達、この城を出る事にしたんだ」
突然もたらされた別れ話に、目の前が真っ暗になった。
思わず椅子からお尻が浮かさった。
な、なんで? どうして!?
もちろんいつかはって思ってた。だけど、今だとは思ってなかった。
「……居心地、悪い? 誰か二人を悪く言う人、いる?」
「いやな、ここの城はもちろん居心地が良すぎるくらいいいさ。俺達にああだこうだ言う奴なんて一人もいやしねぇ……、っと、いや、ちびちゃんの旦那くらいか」
あぁ、サイラス様とこの二人は同じ釜の飯を食った旅の仲間だから、色々腹を割った話もするのかな?
「城の人らは丁寧過ぎるくらいに遇してくれるさ。宰相に至っては、ちびちゃんの恩人だってんで、俺らに龍の国の永住権まで用意してくれた。普通じゃ、龍の国に人は住めねえらしいから、これは破格の扱いだ」
「けどよ、三食昼寝付きでずっとおちびちゃんのお客様してんのも俺らどうかと思ってよ」
なんで? いいじゃない! だって、やっぱり二人は私の恩人に間違いない。右も左も分からない私に屋根のある家と、最初の食事をくれた。
お財布をスッカラカンにして、可愛い首輪を買ってくれた。優しくしてくれた、私を心配してくれた……。
「お城を出たら、どうするの?」
本心ではずっとお城に居たらいいじゃないって、そう言いたい。数歩歩けばすぐ会えて、お話しできて、笑い合えるこの距離感が心地いい。
だけどそれは私の身勝手で、本当に二人を思うなら言っちゃいけない。
二人の為を思うなら、二人の決断を笑顔で後押しするべき。
「ちびちゃんの旦那がよ、初期投資してくれるって話なんだ」
投資?
「俺達もとは鍛冶屋だったんだ。最初におちびちゃんにつけたみてーな首輪や錠前、足罠、あらゆる金属製品を作るのを仕事にしてたんだ。不況の煽りを受けて一度は店畳んじまったが、もう一度始めようと思ってんだ」
「……そう言えばあの首輪、ごつくって重くって、すっごく重厚な造りをしてたよね」
そっかぁ、サイラス様が二人の後押しをしてるんだ。……だけどやっぱり、お別れは寂しいよ。
「波に乗ったら返済しろって念押しされちまったけどな」
「もし返せないなんて事態になったらおちびちゃんの旦那、おっかねぇだろうなぁ」
きっと、その心配は不要だろう。今の二人なら、大丈夫。
「でもまぁ、龍王がつがいを得ると、どういう訳か周囲も一気につがうらしいじゃねーか。そうすっと次はベビーブームだ。人口増加に付随して建築ラッシュになりゃ、俺達も職にあぶれる事ぁねーだろ」
「こう見えて俺たちゃ腕だけはよかったんだ」
腕だけ? ……ううん。
「……二人は腕はもちろん、人柄もとびっきりいいじゃない! 二人の商売、今度こそ大繁盛になるよ! だってあの首輪、私が付けるんじゃなければ凄く良い出来だったもん!」
「「(お)ちびちゃん!」」
「……お話し中に申し訳ないのですが、お二人はももかさんに首輪をお付けになったのですか!?」
ん? わぁああっ!
私達の会話にそっと割って入ったのはシンディーさん。けれど、ふと視線をやったシンディーさんは尋常じゃない様子だった。
シンディーさんから立ち昇るのは氷点下の冷気。触れれば切れる、絶対零度!
間違いない、シンディーさんは優しいのに恐ろしい!
なのに鈍感なマルスとトムはいまひとつ危機感がない様子。だ、大丈夫かな!?
「あ? ……ああっと、行きがかり上、なぁ?」
「お、おう」
たじたじにマルスとトムが是と言えば、シンディーさんが二人にクワッと目を剥いた。
わぁあ!
「許せません! ももかさんに、ももかさんに首輪を付けるなどと、なんたる暴挙を働いたのですか!? 全く以って許せませんわっ!!」
ちっとも大丈夫じゃなかった。
案の定、シンディーさんの怒りがさく裂した。
怒りの波動をモロに浴び、二人はカチンと石のように固まった。
あ、あれ?
確か神話の中にそんな怪物が居たような……? ぐるぐる、もんもん、頭を捻って考える。
あ!
「思い出した! メドゥーサだ!!」
あれ? ところでメドゥーサの石化て、どう解くの? ……ぐるぐる、もんもん。
「……きのゴンすら消滅させた最強の武器はお前さんが持っておるというに、まったく間の抜けた子じゃよ。……もっしゃもっしゃ、もぐもぐ」
おばあさんが砂糖菓子をもさぼりながら、何かもごもご言っていた。
「ねぇシンディーさん、二人の首輪のお陰で私、飼い龍だって皆に分かってもらえたの。失礼な子供の悪戯を免れたり、パンを売ってもらえたりしたの。だから二人を戻してあげて?」
悶々と考え抜いた結果、私は素直に二人を固まらせた張本人のシンディーさんに戻してくれるようにお願いした。
「まぁそうでしたの!? ももかさんがそうおっしゃるのでしたら、もうすぐにだって戻しますわ!」
そう言ってシンディーさんは快諾し、……ガシッ! ゲシッ!
えっ!? なになに!?
私の目がおかしい!? 私の目にはシンディーさんがスカートをはためかせ、結構な威力で二人を蹴飛ばしたように見えた。
「「あんっ? 俺ら一体どうしたんだ!?」」
ともあれ石化は無事に解け、二人はキョロキョロと首を巡らせていた。
ぱちぱち、しょぱしょぱ。
私はと言えば、一人ひたすら瞬きを繰り返していた。
霞み目かな? ドライアイかな?
「お、そうだそうだ! ちなみに俺ら、あそこに住む予定なんだ」
あそこ、そう言って持ち直したマルスが指さしたのは……。え? あそこ?
それは城からほど近いほったて小屋。……あれだったら二分も歩けば着いちゃうよね?
あんな近くに、お引越し!?
「やっぱしよ、おちびちゃんとは会いたい時に直ぐに会える距離じゃねーとな!」
「まったくだぜ! それは譲れねーな!」
う、うそ~! それ、早く言ってよ~!!
私は一人、思いっきり取り越し苦労をしてしまった。力が抜けた私はずるずるとその場にへたり込む。
「「(お)ちびちゃん!?」」
「ももかさん!?」
「ももかや!?」
床にお尻がつく前に、私は四人の腕に支えられていた。四人の手の温かさに、胸が熱くなった。
「……へへっ。マルス、トム、またチョコクロワッサンを食べに来てよね?」
「「ったりめーじゃねぇか」」
私は諸手を振って、二人の門出を祝福した。




