三十一話 前夜
あれほど黄金で埋め尽くされていた田園が、今では綺麗に刈り取られていた。
村のどこへ行こうとも緊張感が伝わる。皆、領主が来るのはいつか、そんな噂ばかりしている。
私は三日前にベラさんに教えてもらっている、だから分かっている。近日中、それこそ今日か明日に現れても可怪しくないことを。
ベラさんは引っ越しをしてからも、ちょくちょく訪れ、私たちの手助けをしてくれた。
三日前を最後にベラさんは村に帰ってない。斥候を続けているんだと思う。
シュウさんも斥候として、街に潜入したりもしていたとベラさんは言っていたが、本人は何も言っていない。
ベラさんだって今の状況に対して、忙しく動き回っているのに。
決闘をする本人。シュウさんが一番ゆったりしている。
もしかしたら今にも、領主は来るかも知れないのに。
会議を終え、帰ってきてからもシュウさんは何事も無かったかのように、庭でフィオとタイガと遊ぶ。
「フィオ、タイガに伝えてくれ! 爪は出すなって!」
……何をしてるんだろう? タイガに跨がったフィオと、追いかけっこ?
毎日よく飽きないな、と関心する。
私としてはちょっぴり寂しい。運動は苦手だから交ざれない。
シュウさんが誘ってくれて、交ざってみたりもした。でもだめだった。二人にはとても付いていけない。
なんであんな、無駄に疲れることばかりやれるんだろう。
きんとれという、疲れることを。
「よし! 一本取った!」
終わったらしい。結局、今日は何をしていたか分からず終いだ。
縁側から見ているだけでも、楽しいからいいけれど。私にも、もっと構って欲しいとは思う。
もっと色々教えて欲しい。
そんなことを考えていたから、顔に出ていたのかも知れない。
「どうしたルナ?」
最近、シュウさんの臭いを嗅ぐと可怪しくなる。身体の芯がむず痒くなってしまう。
汗をかいている今は、さらに危ない。
「なんでもないです。私、晩御飯の用意がありますから、失礼します」
「そうか。いつもありがとな」
困ってしまう。
一緒に混浴をしたあの日から、心の割合が変わっていく。フィオのことばかりだった毎日にシュウさんが加わり、今ではフィオよりも、割合が多い。
これが恋なのかな?
だとしたら、辛い。
シュウさんはどうしたって、私を子ども扱いしかしない。大切に大切に扱ってくれる。フィオと同じように、バランスよく注意深く、接してくれる。
だから、辛い。決して女性としては扱われない。
でも希望はある。
子どもだからいけないのだ。大人になれば、きっと。
「ルナ、零れてる」
「ほえっ!」
竈の前で妄想し、お米を煮立たせてしまっていた私。そんな私の後ろからシュウさんが、鍋の蓋を外した。
「あー、焦げてる。ま、食えなくはないな。どうしたルナ? らしくないぞ」
「ごめんなさい」
「いいさこのくらい。普段は失敗なんかしないんだし。焦げたところは俺が食べるから、気にするな」
「でも!」
反論しようとした私の口は、人差し指で蓋をされた。
「俺、焦げたのが好きなんだよ。それに大事な話もしたいんだ。炊き直したりしなくていい」
大事な話って、何だろう?
考えながらも、今度は失敗しないよう注意しながら晩御飯の用意をした。
猪の葉包み蒸し焼きに、茄子の生姜煮付け。あとは漬け物とお味噌汁で完成だ。
普段よりは豪華だけど、このくらいでいいのかな?
大事な話だからって、目出度いとは限らない。悪いことかも知れない。
どうしよう。不安になったきてしまった。
不安になったところで仕方ないのに、私はおろおろしだした。
父様を亡くした時の、嫌な記憶が蘇ったから。
「ルナ。もう出来たか?」
びくりと肩を震わせ、驚いてしまう。
「あ、はい。あとは運ぶだけです……」
「今日も旨そうだな。じゃあ運んじまうぞ」
シュウさんはいつも通りだ。ならきっと大丈夫。一人、不安に思ったのが馬鹿みたい。
食事中に、大事な話はされなかった。食後のお茶を飲みながら、シュウさんは語り出した。
「明日、領主は来る」
いつになく、真剣な表情だった。
「二人を不安にさせたくないから迷ってたんだけど。一応、遺言は伝えておくよ」
嫌な記憶が蘇る。
「……相手は、そんなに強いんですか?」
シュウさんが遺言を考える相手、と心配してたのに。
「いや、全然。決闘は勝つよ。絶対」
淡々と宣言された。されたけど、シュウさんの表情は冴えない。
フィオは先程から大人しい。おそらく私以上に、シュウさんの心を読み取っているんだ。少し羨ましい。私は訊かないと、分からないのだから。
「じゃあ、どうして遺言なんて残すんですか?」
シュウさんは困った顔をして、後頭部を掻いていた。
こんな大事な時に、戸を叩く音が響く。
聞こえたのは玄関からだった。
「……私、行ってきますね」
こんな時に尋ねるなんてと、私は少し怒っていた。
戸板を開け、立っていたのがバリエノ様でなければ、怒鳴っていたかも知れなかった。
「ルナ、か」
残念そうに私を見下ろして、ため息をついた。
「……勿体ない。エルバの娘でありながら、人族などと」
聞き捨てならない。
「あの、バリエノ様」
「なんだね?」
私は前からバリエノ様が苦手だった。
この人の眼は冷たい。父様がいた頃はまだ良かった。バリエノ様は族長になってから、冷たさがどんどん増していった。
「ルナよ。ワタシはお前に期待していたんだぞ? それを、こんな児戯のために失いおって。エルバに対して何も思わないのか?」
言い返したいのに。バリエノ様に睨まれると身体がすくんでしまう。
けれど、すくんでいた身体は、瞬時に解きほぐされた。
バリエノ様の視線が、私の後ろに移ると、熱い掌が肩に触れた。
「何用ですか、バリエノ族長? うちの娘にちょっかい出すのは止めてもらいたい」
私は心底ほっとした。
二人は玄関で言い争い、私に聞かせないために庭へと行ってしまった。
いけないことなのはわかってる。わかっているけど、私は縁側の戸板に耳を当て、聞き耳を立てた。
ほとんどの会話は聞き取れなかったけど、喧嘩口調なのは分かった。
はっきり聞き取れたのは、怒鳴り、シュウさんが言い切ったこと。
「勝つなだと!? …………黙れ! お前の指図は受けない、責任は俺が取る! 出ていけ!」
勝つな? バリエノ様は何を言ったのだろうか?
不安が募っていく。シュウさんが帰ってきてから、再度話し合いにはならなかった。フィオは慣れない空気に疲れたのか、寝てしまったし、シュウさんもぴりぴりしていた。
寝ることになったけど、募った不安のせいで寝れなかった。
だから、フィオのように尋ねてしまった。
襖をそっと開けて中を伺うと、すぐに声を掛けられた。
「寝れないのか?」
と、上体を起こし、手招きしていた。
誘われるがまま近寄ると、あぐらの上、太股をぽんぽんと叩いていた。
どうかしていたと思う。座ってしまったんだから。
優しく髪を撫でられながら、他愛もない話をした。
ひょんなことから、話題は婚約の話になった。
「そういえば、誓約使ってなかったな」
「えっと、使いたいんですか?」
「ははっ」
何かを誤魔化すように、笑っていた。
「も、もしあるなら、何でも良いです。言ってください」
シュウさんのことだから、ベラさんが教えてくれたようなことはしない、とは思っていた。
誓約はシュウさんらしかった。
「俺はルナよりだいぶ先に死ぬ。もしそうなった時、ルナは死ぬなよ。俺に何があっても、辛くても苦しくても生きてくれ。ルナが笑って生きてくれる。死んだって俺は、それが何より嬉しい」
この人で良かったと思いながらも、少し怒った。
「シュウさん。不安に思う娘の前で、そんなこと言っちゃだめですよ」
「あー。確かに、ごめんなさい」
「でも分かりました。ルナ・レ・シエッロはその誓約をお受けします。それでも、長生きはしてくださいね?」
「……努力する」
会話はゆっくり減っていき、そのまま添い寝までしてもらい、気がつくと朝を迎えていた。




