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第二十二話 『フェアリーズ・ガーデン』閉幕

約三週間の長きに渡って開催されたベスト・オブ・メイド・コンテスト『フェアリーズ・ガーデン』もいよいよ閉幕となります。ますますの盛況さを見せるお店で、最後の頑張りを見せるメイドたち。そんな中、園城は最終日に何か起こる、と予見します。

第二十二話 『フェアリーズ・ガーデン』閉幕


 二十一日目土曜日。

 最終日一日前で、しかも土曜日の今日の『フェアリーズ・ガーデン』は朝から盛況だった。開店前からすでに長蛇の列で、園城はその先頭にいた。

 残り二日間は全て通ってやる、一日三回転はしてやるという不退転の覚悟で臨んだ結果がこれだ。始発電車と共に秋榛原に到着し、コンテスト会場であるビルの一階に肌寒い朝から場所取りをしていたのだ。その結果、毎度おなじみの警官に注意されたりもしたが、とりあえず、一番乗りは果たせそうだ。今日と明日は『ゴルディアス』は完全に休みを取った。もっと頻繁に『フェアリーズ・ガーデン』には来る予定だったのに、ここ数日いろいろと予想外の事が起こって、思惑通りには行かなかったのだ。

 だが、今日は違う。余程の天変地異でも起こらない限り、行けなくなると言うことはないだろう。

 今は開店一時間半前。後ろを振り返ると長蛇の列はすでにビルの外を幾重にも囲んでいて、最後尾がどこなのか検討がつなかいほどだ。この時間なら恐らく五味は『ゴルディアス』でシマにメイクをして貰っている頃だろう。園城はおもむろに携帯電話を取り出す。そして日課になっている『メイドカフェ』関連スレを読みあさる。今、集中的に読んでいるのは『フェアリーズ・ガーデン』関係のスレだ。『アネゴに罵られたいスレ』とか『アキちゃんhshs』とか訳の分からないトピックがいろいろあるが、その中でもお馴染みが『ごっちんの競馬予想が当たりまくる件について』だ。昨日の五味の復帰第一日目を終えて、その五味の変化に対して、何か書き込みがあるかと、期待したのだ。だが、予想に反してそのような内容の書き込みは少なかった。

 おかしいな。ひょっとして俺が変わった、と思っただけで一般客から見たら、たいしたことはなかったのだろうか。

 だが携帯電話の操作をしつこく続けていたら、とあるトピックが新設されているのに気がついた。

『ごっちんがいきなり可愛くなった件について 六』

「ろ、六!?」

 一つのトピックにはだいたい千件の書き込みが可能だ。で、そのトピックが六個も作られているということは、五味の変化に対して六千件以上の書き込みがなされたということである。まあ、この手のトピックには無駄な書き込みが大半であるので、一概にも言えないが、それでも相当な話題にはなった、ということだ。園城はそれらのトピックにざっと目を走らせてみた。すると『一体、何があった!』とか『同一人物なのか!?』とか『整形?』とか『一日で出来るか、バカ』とか『たいしたことねーよ。俺のいおりんの方が上』とか『いおりんご主人は、いおりんスレに行け』とか『ガタ』とかとにかくそんな感じで五味の変化に対する驚きで埋め尽くされていた。

 それを読んでいて、思わずほくそ笑んでいる自分に気がついて、少し驚く。

 ……なんだ、俺。五味ごときが褒められて、何を嬉しがっているんだ?

 だが、それも当たり前なのではないだろうか。五味はなんと言っても自分の知り合いで、そしてここに来るまでの努力を間近で見ている。それにその人気の開花にわずかながら自分も関わったという自負もある。そう言うわけで、五味が気になってしまっているんだ。園城はそう自分の言い聞かせる。

 ……言い聞かせる?

「お待たせ致しましたー! 『フェアリーズ・ガーデン』の開店ですよっ! お帰りなさいませ、ご主人様♪」

 そう言って元気よく扉を開けたのはいおりだ。いつの間にか開店時間になっていたらしい。園城は自分の心のまとまりがつかないまま、店内に足を踏み入れる。総勢九名のトップメイドたちの華やかな挨拶が園城を出迎えた。


*****************************************


 今日の『フェアリーズ・ガーデン』は戦争だった。仕事が終わり這々の体で更衣室に引き上げて来た五味は真底そう思った。コンテスト最終日前日の上に土曜日、加えて今日はやたらと五味に対して写真撮影やオムライスのお絵かきを頼むお客が多かったのだ。仕事中は気を張っていたので、何とも思わなかったが、こうして仕事が終わり、いざ帰宅の途に就く準備をしようとすると、唐突に虚脱感が襲ってくるのを感じた。

「何か一歩も歩きたくないでござる」

 と最近覚えたオタク語で呟いて五味はよろよろと更衣室のドアにカードキーを差し込んだ。更衣室にはすでに五味を除く全員が着替え始めており、帰宅の準備を始めている。五味だけトイレでうとうとと居眠りをしていたので、後れを取ってしまったようだ。かといって、あわてる必要性も感じず、のろのろと自分のロッカーに辿り着くと、鍵を差し込んだ。その瞬間、身体が勝手にびくりと反応した。あの悪夢が脳裏を過ぎる。心では忘れようと努めていても身体が覚えているようだ。五味は目を閉じて心を落ち着けた。そして気合いを入れると一気にロッカーを開ける。ゆっくりと目を開ける。

 ……異常はなかった。ロッカーを締めたときと同じ状態のままだ。安堵の息を大きく吐くと、五味はようやくゆるゆるとメイド服を脱ぎ出す。

「……ごっちん、いよいよ明日で最後ですね」

 唐突に横から声を掛けられた。声のする方を振り向くとアキだった。アキは心なしか目をうるうるさせて両の拳を胸の前で握りしめる。

「ごっちんと一緒に働くのもこれで最後なんですね……寂しいなあ……私、いっそのこと『ゴルディアス』に移籍しちゃおうかなあ……」

 と『スイート;モード』の店長が訊いたら卒倒しそうなことを言いながらアキは俯く。

「何を言っているんだ。お互い連絡先も知っていることだし、仕事場も同じ秋榛原だし、いつでも会えるじゃないか」

 五味がそう言うとアキはぱあっと顔を輝かせて、

「そうですよねっ! いつでも会えますもんねっ!」とぴょこんと飛び跳ねた。

 ああ、アキはとことん萌えだな、と五味は疲れ果てた身体の疲労が幾分か回復するのを感じる。その時、

「あら、ごっちん。よろしかったら私もメアドをお伺いしてよろしいかしら」

 と割って入ってきたのは誰であろう、麗子サマだ。唐突な、そして突然のその申し出に思わず目を剥く。

「な、なぜ、私なんかの」

「何をおっしゃっりますの?」

 麗子サマは小首を傾げて微笑んだ。

「他ならぬごっちんだからこそ、私は個人的にお友達になりたいと思うのですが、何か間違っておりますか? それともごっちんは私のことをさほどに思っていらっしゃらないということでしょうか」

「そ、そんなことはない! むしろ嬉しい」

「良かった」

 麗子サマは極上の笑顔をその顔の上に浮かべると携帯電話を取り出した。その様子を見ていた、いおりが「ああ! 私もっ♪」とあわててカバンの中から携帯電話を引っ張り出すと、あとは堰を切ったようにコロンが「うわうわうわ、ずるいよぉ」となぜか豪快にずっこけ、メイが「では、その隙に」と割り込んで、アネゴが「おお! アタシも頼むぜ!」とずかずかとアキを押しのける。そして一瞬にして五味の回りには人だかりが出来た。

「ちょ、ちょっと待て!」

 五味は殺到するメイドたちをあわてて押しとどめた。

「そこまで私の事を買ってくれるのは嬉しいが……」

 と言って少し言い淀んだ。そして辛そうに表情を引きつらせる。

「……そこまでの価値が、私にはない」

「何を言っているのですか」

 五味の言葉を即座に否定したのはサエ。サエは眼鏡の奥の瞳に優しい光を携えて頷く。

「私は今まで、正直言って『おいしくなるおまじない』などいわゆる『萌え系イベント』的なものに対して否定的でした。自分には合わないと思っていたのです。でも私はごっちんを見て、ごっちんの態度を直に接して、考えを改めたのですよ。人というのは変われるのだと。人というのはここまで出来るものなんだ、と。ごっちんに価値がないなどということ、ここにいる誰一人そんなことは思っておりません」

 サエの言葉に皆一様に納得したような表情で五味を見つめる。皆の視線を一身に浴びて、五味は真っ赤になってうろたえた。

「そ、そんな私は、別に……」

「ひゃあ! ごっちんが照れている♪ 可愛い!♪」

「そ、そんな、可愛いなんて。私なんて、『萌え』とは対極にいるような、存在だし、趣味は競馬だし、コーヒーはブラックだし」

「うわ、全力で否定にかかったよ! 『萌え』だろ、そりゃ!」

「ヤバ。ごっちんカワユすぐるぅ!」

 きゃいのきゃいのと囃し立てられる五味。どっと湧く更衣室内。その慣れない状況に冷や汗がだらだらと背中を伝っていく。だがそんな空気の中に包まれていて、何か信じられない面持ちでいた。この私が、こんなに綺麗な人たちと仲間だ、なんて、と。

 そして心に強く誓う。

 明日。最後の一日。「疲れた」だなんて弱音を吐かないでしっかり勤め上げよう。そして彼女らとの最後の一日をしっかりと噛みしめるんだ。

**

 二十一日目の成績 得票数 トップ麗子『四九八』、二位いおり、三位クララ、四位アキ、五位サエ。(参考:八位ごっちん『二七一』)


*****************************************


 二十二日 日曜日 最終日

 間に合った。

 『フェアリーズ・ガーデン』の扉を抜けて、「わ、お帰りーサトニャン! 今日三回目だねっ!」とクララに出迎えられた園城はほっと安堵の息を漏らした。クララの言う通り、園城は本日三回目の来店。一度目の入店を開店と同時に二度目を十二時に。三度目が今、十四時半だ。本日最終日は、閉店後に一階の特設会場にて『ベスト・オブ・メイド』の表彰式が行われるので、通常より早い十五時に閉店となる。その為、十四時半でラストオーダー。園城はぎりぎりに飛び込んだ形だった。

「サトニャン、何を注文する? 紅茶はもう飲み過ぎてお腹ががぶがぶでしょ?」

「ふん、メイドカフェマスターを嘗めて貰っちゃ困る。オレンジペコをポットでお願いする」

「オ、オーケー」

 クララは若干引き気味でそう答えると、身を翻してキッチンへ注文を報告に向かった。クララは最近では園城の前ではすっかり普通の日本語だった。こういう慣れは良いことなのか、悪いことなのか、園城は真剣に悩む。

 辺りを見回すと、全てのメイドが甲斐甲斐しく給仕、接客を行っている。だが、そこはかとなく浮き足立っているように感じられるのは気のせいだろうか。例えそうであってもそれは無理はないと思われた。なんと言っても今日はコンテスト最終日。この後には表彰式もあるのだ。優勝圏内にいるメイドは気が気でないだろう。

「また来たのか、園城」

 真底あきれ顔で、そう声を掛けてきたのは、五味だった。五味の問いかけに「うむ」と偉そうに腕を組んで頷く。

「今まで来ることが出来なかった分をここできっちり取り返さないとな」

「取り返す必要性が、私にはちっとも見つからないのだが」

 五味はそう言うと、どこかでお客の呼ぶ声に気がついたのか、「はい、ただいま」とメイド服を翻して、歩み去っていく。園城はその様子を眺めながら口元に笑みを浮かべた。

 やはり、新生五味のメイド服は五味に良く似合っている。身長が高い五味はともすると鈍重そうなイメージを受けてしまうが、新しいメイド服は妖精のようにふわふわとしていて、そのイメージを軽く打ち消してくれる。メイの気配り、サエの給仕、いおりの笑顔、クララの積極性、麗子サマの克己心、アキの可愛さ、アネゴの個性、コロンのトーク。彼女らからいろいろなものを学び、シマの手によりメイクアップした五味は――完璧とまではいかないまでも――すっかりいっぱしのトップメイドだ。今の五味なら自信を持って『ゴルディアス』代表として勧められる。まあ、俺にメイドをプロデュースさせれば、こんなものだ。と、最初の内、五味の萌え化に散々手を焼いたことなど棚の上に置いて、そう悦に浸る。

「お待たせー。もう! ごっちんばかりじろじろ見て、相変わらずいやらしいなあ」

「はあ!? 相変わらずってなんだよ! 相変わらずって!」

 紅茶を給仕に来たクララにいきなりそう言われて顔を真っ赤にして声を上げる。そんな園城にクララは顔をその耳元に近づけてそっとささやいた。

「サトニャン、やたらごっちんと仲が良いけど……。本当にクラスメイトってだけの関係?」

「な、な!? あ、あたりまえだろ! 五味……じゃなくてごっちんにはいろいろアドバイスを頼まれているし、仕事場も同じだから必然的に一緒にいる時間が長いだけで」

「ふーん。『一緒にいる』ねえ?」

 あわてふためく園城を見ながら冷ややかな視線を送るクララ。そしてなげやりに紅茶をカップに注いで、どすんとポットをテーブルに置くと「どうだかね?」と捨て台詞を吐いて去っていった。テーブルの上はこぼれた紅茶で水浸しだ。

「な、なんなんだよ、一体! あいつには絶対ぇ投票しねぇっ!」

 布巾でテーブルを拭きながら独りごちる。

 それはそうと――

 園城はテーブルを吹きながらも、油断無く辺りに視線を走らせる。今日、頻繁に『フェアリーズ・ガーデン』に足を運んでいる理由はもう一つあった。

 多分、今日、何かある。

 園城はそう考えていた。一連の妨害事件、それはメイドの誰か個人を狙ったものでないのならば、このコンテストの失敗に主目的があるわけだ。とすると最もコンテストの失敗を強く印象付けられるポイントはどこか――。

 そう考えると、このコンテスト最終日である、表彰式が一番危ない。表彰式で何か大事件が起きれば、このコンテストは大失敗に終わり、次年度以降の開催も危ぶまれる可能性はある。

 そうはさせない。

 園城はぎりっと拳を強く握りしめた。

 各店舗のトップメイドたちが集まる『ベスト・オブ・メイドコンテスト』。『メイドカフェ・マスター』の名にかけて、この素晴らしいイベントを易々と潰させはしない。

 そして、信じられないほどの頑張りを見せた五味。あの努力を無駄にさせたくはない。特に園城はそれを間近で見てきた。

 鏡の前で百面相をする五味。昼休みの中庭で給仕の練習をする五味。悔しくて涙を流す五味。得票があったことを楽しそうに話す五味。素敵な笑顔で楽しそうに接客する五味。メイド服を切り裂かれて連絡すら取れなかった五味。そして自力で復活を遂げた五味。

「犯人は絶対、ボコさないと気が済まねえ」

 思い返せば思い返しただけ、腹が立ってくる。そして園城はその人物がいるであろう方向に視線を向けて、静かに闘志をたぎらせていた。

 

*****************************************


「お気を付けてお帰り下さい」

「ありがとうございました」

「行ってらっしゃいませご主人様」

 と様々な言葉で最後のお客を送り出し、扉をしっかりと施錠すると、メイドたちは顔を見合わせた。そして皆、一様に少し寂しげな笑みを浮かべる。名実共にこれでコンテストの接客は終了だ。この後、二時間後の十七時から、一階の野外ステージに於いて表彰式が行われる。表彰式ではトップスリーの他にも全メイドが何かしらの賞を頂くことになっているので、五味も出席することになっている。それまでの二時間、どうやって暇を潰していようかと机の整頓をしながら考えていると、巨体の持ち主がフロアに入ってきた。その圧倒的な肉のボリュームだけで存在感があるその人物は牛久店長。店長は柔和な笑顔を浮かべてメイドたちに話しかける。

「みなさん、お疲れ様でした。約三週間のイベント、いかがでしたか?」

 店長からの訓示かと思い、皆緊張してその言葉を聞き入る。だが店長はぱあっと破顔して

「ああ、そんなにかしこまらないで。お茶でも淹れましょう。どうぞその辺に座って下さい」

 そう言って皆をテーブルに促した。メイドたちは怪訝な表情でお互いの顔を見合わせる。

「せっかくお仕事が終わったのですから一息入れましょう。表彰式までまだ二時間もありますし。これは私からのサービスですよ」

 店長はそう言って、スタッフたちが帰って誰もいないキッチンに戻っていった。その時、キッチンの隅に掃除用具が出したままになっているのに気が付き眉をひそめる。

「誰ですか? 掃除用具を出しっぱなしにしたのは。まあ、良いでしょう、最後ですから。後で私が仕舞っておきます」

 そう言って甲斐甲斐しく紅茶を煎れ始める。

「うわぁ。店長、手慣れていますねぇ」

 行事悪くキッチンを覗き込んだコロンが目を丸くしてそう言うと、店長は苦笑いをした。

「まあ、昔取った杵柄ですかね」

 その無骨そうな太い指で繊細なカップやソーサーを取り扱い、メイドたちが座っているテーブルまで給仕に来る。

「はい、お待たせ致しました、お嬢様方。アールグレイでございます」

 そして音を立てずにそっとテーブルに食器を置く。その優雅な手つきはまるでサエのようだ。皆、息を呑んでその様子を見守った。そして給仕し終えると店長は、ぱんぱんとその分厚い両の手のひらを合わせ口を開く。

「さ、どうぞ、召し上がって下さい」

 目の前にあるのはカップに注がれた湯気の出ている紅茶に、チーズケーキだ。仕事を終えて疲れきっている皆にそれを拒む精神力はどこにもなかった。

「でわ。いっただっきまーす♪」

 いおりのその声を皮切りに、皆思い思いに紅茶とケーキに挑みかかる。暖かい紅茶と甘いケーキで弛緩した空気がフロアを包み込んだ。

 で、五味はというと、紅茶を飲むことを躊躇っていた。というのは実は少し前から尿意を催していたのだ。湯気が立ち上る香ばしい紅茶で喉を潤したいのはやまやまだったが、ここで一口飲んでしまったら、利尿作用がある紅茶のことだ。すぐさまトイレに立つハメになり、せっかく店長が用意してくれたこのお疲れ様会的な場の雰囲気を崩してしまうに違いない。同じトイレに立つにせよ、もう少し後に行くことにしよう。そう考えた五味はケーキだけ食べることにした。チーズケーキは濃厚で、じんわりと身体の疲れを癒してくれる。ふとチーズケーキの向こうに天見の姿を思い出した。

 そうか、これは天見さんの手によるものか。そういえば今日でフェアリーズ・ガーデンは終わりだというのに、彼女に挨拶もしていなかった。表彰式が始まる前に会いに行こう。……というか、キッチンのスタッフたちも表彰式まで残ってくれているのだろうか。どうなんだろう。

 そう思ってふとキッチンの方を覗き込もうと背伸びした五味は、辺りの様子が何かおかしいことに気がついた。

 他のメイドたちが、皆居眠りをしていたのだ。

「え?」と思わず声を上げてしまった。コロンは大胆にも机に俯せて完全に寝入っている。いおり、クララ、アキは頬杖を突いて寝息を立てていた。そしてメイ、サエ、そしてあの麗子サマでさえ、うつらうつらと船を漕ぎ始めている。

「ど、どうしたんだ、一体」

 確かにコンテスト最終日は想像以上に忙しい一日だった。だがそれにしたって、こんな場所で、しかもほぼ全員寝入ってしまうほどではないはずだ。

「て、てめえ、まさか……」

 アネゴが気丈にも今にも落ちそうなまぶたを大きく開いて、とある一点を見つめていた。その視線は五味を通り過ぎて自分の背後に向けられている。

 何? 誰を見ているんだ? 

 五味はアネゴの視線の先、つまり自分の背後にすかさず振り向いた。そこにいるのは牛久店長だ。店長はいつもの柔和な笑顔を満面に浮かべたまま口をゆっくりと開いた。

「どう致しましたか、ごっちん。早く紅茶を飲まないと冷めてしまいますよ」

 その言葉と同時にアネゴの身体が崩れ落ちるのはほぼ同時だった。アネゴはイスから滑り落ちてフロアの床でだらしなく寝息を立てる。五味はすかさず、手元の紅茶に目をやった。自分が他のメイドと異なる行動を取ったのは、この一点。

 紅茶を飲まなかったことだ。

 まさか!

「な、なにか入れたのかっ!?」

「ごっちんは勘が良いですね。それともツイいているのか……いやこの場合はツイていなかったというべきなのですかね」

 店長は五味に向かってゆっくりと足を踏み出した。五味は、がたっと音を立ててイスから立ち上がった。そしてすかさず出口に目をやる。出口はすでに閉鎖されてしまっている。鍵がかかっているだけでなくシャッターも閉まっており、脱出することは出来ない。とすると、裏口しかない。だが、その裏口の扉は店長の後ろだ。逃げるためには店長をすり抜けてその背後に向かわなくてはならない。店長はまた一歩足を踏み出す。じり、じりと五味に近づいてくる。そしてその足取りは五味の逃走経路の選択肢を確実に減らしていた。エプロンの上からでも分かる筋骨隆々な体つき。一度捕まったらお終いだ。

 五味の額に汗が伝う。

「ど、どうして、こんなことを!」

「どうしてか、ですって? あなたがたがいけないのですよ。あなたがたがもう少し事を荒立ててくれれば、こんなことをせずともコンテストを失敗に追い込むことが出来たのに」

「事を荒立てる?」

 大声を出すか? いや、このイベント会場は防音設備はしっかりしている。扉をしっかり締めてしまうと廊下にすら音は漏れていかないのだ。

「眼鏡を壊しても、誰にも言わない。脅迫状が来たというのに、誰一人欠勤しない。メイド服をずたずたに切り裂かれても翌々日には復帰をしている。あなたがたの打たれ強さには閉口しましたよ」

 五味は信じられなかった。あの柔和な牛久店長がこんなことをしでかすなんて、とても思えなかった。全員グルになって自分を騙そうとする、コンテスト最終日ならではのドッキリなのではないか、とも思った。だが、昏睡しているメイドたち、次第に近づいてくる無表情の店長を見る限り、その考えは夢想なんだと察した。五味はそれでも店長に向かって叫んだ。

「嘘だと言ってくれ! 店長! 私が得票した時に嬉しそうに報告してくれたアレは嘘だったのか! 演技だったのか!」

 その瞬間、店長の表情がわずかに歪んだ。そして苦しそうにゆっくりと瞼を閉じる。歩みも止まった。

「店長……」

 五味はそこに一縷の光明を見た。

 だが――

「……すみませんね。ごっちん。もう私は後戻りは出来ないのですよ!」

 店長はかっと瞳を開くと、禍々しい決意を持った表情で再び五味に向かって歩を踏み出す。

「店長!」

 五味は絶望の声を上げた。そして必死に逃走経路を探す。

 窓は? 

 『フェアリーズ・ガーデン』の閉店に伴い、すでに遮蔽カーテンが下ろされている。だが、急いで駆け寄って窓を開け、悲鳴を上げることくらいは出来るかも知れない。幸い、ビルの一階には二時間後の表彰式の為に待機しているファンたちで埋め尽くされている。

「窓ですか? 無理ですね。すでに電子ロックで全て開かないようにしております」

 店長は着実に五味との距離を詰めて来ている。店長から目を離さずに後ずさりをしていた五味は自分の背中に何かがぶつかるのを感じた。壁だった。全身から血の気が一気に引いた。

「もう後はありませんよ。ごっちん。……ただ、誤解して貰っては困ります。私は何もあなたに危害を加えるつもりではないのです。このまま他のメイドと一緒に表彰式に出場しないで頂ければそれで良いのです。私の目的はこのコンテストの失敗なのです。私も正直言いまして、手荒な真似はしたくないのです」

 店長の目を見る。嘘を言っているような目ではなかった。手荒な真似はしたくない、という言葉は本当なのかも知れない。今までもメイドたちに対して肉体的な危害を加えられたことはなかった。それに今回の表彰式の妨害でも、メイドたちを眠らせるという比較的穏健な行動を取っている。恐らく店長の言っていることに欺瞞はないだろう。心が揺らぐ。だが――

「そんなこと出来るかあっ!」

 五味は思わず叫んでいた。心から叫んでいた。

 『ゴルディアス』から『フェアリーズ・ガーデン』と約一ヶ月間メイドをして来た今なら分かる。メイドたちの思いやり、気概、熱意、情熱。それらを思い浮かべただけで、その圧倒的な質量で押しつぶされそうになる。そんなメイドたちが描いてきたこれまでの軌跡を無駄にするようなことなんて出来るわけがない。

「例え私が危害を受けようと、みんなの想いを反故にすることなんて絶対に出来ない! 出来るわけがない!」

 初めて店長のその柔和な顔が崩れる。

「……意外ですね。正直言って、私はあなたがこれほどまでに障害となる人物だったとは思いませんでしたよ。始めは何も出来ない小娘だと思っていたのですけどね」

「ひっ!」

 初めて見る店長の怒りの表情に五味は思わず声を上げた。圧倒的な体格を持つ男性の、本気の暴力の予感。五味は自分の無力さに苛まれ、絶望を覚えた。身体が自分の意志と反してがくがくと震える。だがそんなことに意識を配っている余裕は全く無かった。今できることは身体を小さくして目を瞑ることだけ――

 その時。

 何かの破砕音が五味の耳に聞こえてきた。固く瞑った目を恐る恐る見開いてみると、目の前には頭を押さえてよろける店長の姿がある。そしてその周りにはばらばらに散らばった木片。その断片から察するにそれはどうやらイスのかけらのようだ。

「……見た目通りに頑丈なヤツだな、おい」

 店長の背後でイスの足の破片を握りしめながら、そう呟いたのは――

「園城!」

 園城は持っていたイスの足を投げ捨てると、店長に対峙したまま五味に視線を向けた。

「悪ぃ、五味。決定的瞬間を撮ろうとしたら、出遅れちまった」

 そう言ってポケットから携帯電話を取りだし、その画面を五味に見せた。そこには店長が今まさに五味に襲いかかろうとしていた光景が映し出されている。痛打された頭を押さえながら店長はその画像を横目で見て顔を引きつらせる。

「……貴様……」

「ちなみに静止画像じゃないぜ。動画だ。五味に対する脅迫、恫喝もしっかり記録されているぜ」

 そう言って誇らしげに携帯電話を頭上に掲げる。

「園城……どうやってここに入れたんだ」

 当然のごとくこの会場は内側からロックされていたはずだ。これから犯行に及ぼうとしていた店長が鍵をかけ忘れるなどと、間抜けなことをするわけがない。

 園城は戯けたように肩を竦める。

「今日は最終日だろ? 絶対そいつが何かやると思って、帰るフリをして、掃除用具ロッカーの中に隠れさせて貰った。ちなみに協力者はコロンさんだ」

「……どうして店長だと?」

「だって考えてみれば当然だろ? 眼鏡を壊すにしろ、メイド服を切り裂くにしろ、入れないはずの更衣室に入れるのはそいつしかいない。普通、店長ってのは何かあった時の為、マスターキーってのを持っているはずだ。外部の人間である可能性はゼロだ」

「でも他のメイドの可能性だって」

 五味がそう言いかけると、園城はきょとんとした顔で五味をまじまじと見返した。そして真底意味が分からないような表情で口を開く。

「何を言っているんだ、五味。メイドさんがそんなことをするわけないだろ」

 言い切った。何の衒いもなく言い切った。

 五味はぽかんと目を見開く。確かに容疑者からメイドを全員除けば辿り着くのは店長しかいない。でもそこまで一気に辿り着けるのは盲目的にメイドを信仰している園城くらいしかいないのではあるまいか。

 がたりと、テーブルが倒れる音がした。しばらく頭を押さえて呻いていた店長は怒りのあまり真っ赤になった顔を一度振ると、一歩を踏み出す。

「いい加減にしろよ、ガキ」

「面白ぇ。こっちもあんたには相当、頭キテんだよ」

 見たこともない凶悪な表情で吠えると園城は、つかつかと店長の目前まで距離を詰め、何の躊躇もなく店長に殴りかかった。その身のこなしや距離感は相当にケンカ慣れしているように五味には思えた。不良のような外見は伊達ではなかったようだ。だが店長は見かけによらない素早さでその拳をすいと、避ける。

「っこの!」

 園城はすかさず、逆の拳で店長のボディを狙った。間髪入れない鮮やかなコンビネーション。だが店長は避けもせずそれを腹で受け止める。腰の入ったボディブローをまともに喰らったというのに、その表情にかけらほどの変化も認められない。この時点でようやく園城の表情にも焦りが見えてきた。

「て、てめえ……」

 直後、園城の身体が後方に吹っ飛んだ。端から見ている五味にも何が起きたのか分からなかった。どうやら店長の攻撃が園城を直撃したらしい。辛うじて両腕でガードしたようだが、ダメージを深く受けて、園城は床に膝を突いた。痛みで呻いている園城の元へ店長はゆっくりと歩み寄る。あわてて防御の姿勢を取るが、そこへ丸太のような脚を持つ店長の蹴りが炸裂する。

「園城っ!」

 五味は悲鳴のような声を上げた。園城は壁際まで飛ばされ、後頭部をしたたかに打つ。そして店長の蹴りが顔面をかすめたのか、鼻血がその顔と服とを真っ赤に染めていた。素人目に見ても店長は何らかの格闘技の経験者だということは明らかだ。そして対する園城はケンカ慣れしていると言っても素人。その力量の差はかけ離れている。園城は壁にもたれながらも敵意に満ちた瞳で店長を睨み付けている。

「ふん。そんな状況になりながらも戦意を失わないことだけは褒めてやる」

 勝利を確信したのか、店長は大胆に園城との距離を詰め、そしてそのポケットをまさぐった。目的の物はすぐに見つかった。園城の携帯電話だ。店長はそれを易々と二つ折りにして破壊すると、再び屈み込み、園城の胸ぐらをつかみ取った。そしてその腕力でぐいっと引き上げる。園城は抵抗することすら出来ずにうめき声を上げた。

「今ならまだ譲歩してやる。全てのことに口を噤むのなら、あいつ共々見逃してやる」

 そう言って店長はアゴで五味を指し示す。園城は一度五味に目をやった。そして再び店長に視線を戻して、瞼の腫れた目で店長を睨み付けると、ゆっくりと口を開いた。

「くそったれ」

 店長の目が眇められた。そして無言で大きく右拳を振りかぶる。園城は固く目を閉じて身構えた。五味は悲鳴を上げる。その時――

「そこまでだ。動くな」

 園城でも店長でもない、全く別の第三者の男の声がフロア中に響き渡ったのだ。三人の視線は声の方向に一瞬で向けられる。そこは裏口の扉の前。一人のスーツを着た男が何かの証明書をこちらに向けて突っ立っている。それは警官であることを示す証明書。そしてその脇を固めるのは制服を身に纏った警官たち。

「ば、ばかな」

 店長の目は驚愕で大きく見開かれた。そして園城の胸ぐらを掴んでいた腕の力が抜ける。それと同時に園城は床に崩れ落ちた。床に膝を突いたまま、園城は腹から絞り出すように言葉を紡ぐ。

「分かってんだろうな、店長。当然のことだが、ドアの鍵を開けておいたのも俺だし、警察を呼んだのも俺だ」

 だが、店長は園城のそんな言葉など耳に入らないようだ。「あ、あ」とうわごとのように意味のない言葉を繰り返し力なく床の上に座り込む。そんな店長を見て、園城はため息を吐いた。そしてその視線を、ゆっくりと近づいてきた見慣れたスーツ姿の警官に向かって言う。

「遅ぇよ、おっちゃん」

「誰がおっちゃんだ、誰が。俺はちゃんと五味一馬という名前がある」

 その一馬と名乗った警官はゆっくりと五味に近づき、苦虫を噛みつぶしたようにそう言った。その間に制服姿の警官たちは店長の確保に動く。放心状態の店長は何の抵抗もすることもなく、警官に拘束される。

「……へっ? 五味? まさか」

 一馬はフロアの端でうずくまっている五味浄美を優しく掻き抱くと、小さく頷く。

「そうだ。浄美の父親だ。何度も警察手帳を見せているというのに……」

 そして園城に向かってこう言った。

「いろいろウチの浄美が世話になったそうだな。礼を言う。で、浄美と今後どういう付き合いをしていこうと考えているのか、その辺を訊きたい。もののついでだ。ちょっと署まで一緒に来て貰おうか」

 


約半年に渡り、連載させて戴いた『もえない、ごみ』も次回で最終話を迎える事になります。次回最終話『エピローグ 本当の笑顔』を今しばらくお待ち下さい。

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