第十九話 スイーツとメイド
わずかながらも自分への評価を知った五味は、高揚した気分で『フェアリーズ・ガーデン』に早めの出勤をしてしまいます。たった一人でホールの掃除をしている時、スイーツ担当の天見に声を掛けられますが……
第十九話 スイーツとメイド
十四日目土曜日。
珍しく早起きしてしまった。
その勢いで早めの出勤なんてのもしてしまった。時計で確かめると開店二時間前だ。
まだどのメイドも来ていない『フェアリーズ・ガーデン』は更衣室もホールもがらんとしている。わずかにキッチン担当のスタッフが出勤を始めているくらいだ。
私はなにをやっているんだろう。
メイド服を身につけ、ホールの掃除を始めた五味は、そんな自問自答するが、その理由はなんとなく分かっている。身体の芯からエネルギーがふつふつと沸いてきている。わくわくしたものが沸騰した水のように沸き上がっている。
頑張ったことに対して成果が出ているからだ。努力が報われ始めているからだ。
今だったら、どんなことでも出来る気がする。どんなお客の対応も出来る気がするし、とびっきりの笑顔も繰り出せる気がする。それこそ『フェアリーズ・ガーデン』に選抜されてきた並み居るメイドたち並みの接客だって――
「……何をおこがましいことを考えている」
自分の想像、いや妄想が恥ずかしくなって、思わずそんなことを口に出してしまった。床をこするモップを持つ手にも力が入る。と、その時
「ごっちん、さん?」
「うひゃあああっ!」
不意を突かれて五味は飛び上がった。今の独り言を聴かれていなかっただろうか。心を丸裸にしていた瞬間だったので、恥ずかしさはなによりだった。顔を真っ赤にして、あわてて振り返った先に居たのは白衣を身に纏った小柄な女性。
「あまみさん……?」
「おはようなのです」
年下のはずの五味に対しておずおずとそう挨拶をしたのは、キッチン担当の天見淳。
確かスイーツ担当だったはず……と五味は記憶の中を探った。天見とはキッチンから出来上がった料理を受け取る時と更衣室ですれ違う時くらいしか接点がない。
一体、どう接したら良いのだろう。
五味がそう戸惑っていると、天見はその小柄な身体をもじもじとくねらせながら、こう切り出した。
「ごっちん……さん。この前はどうも、ありがとうです」
「え?」
そう言われて五味は戸惑いの声を上げる。礼を言われることなんてした覚えはない。それとも自分が忘れただけなのだろうか。
必死に記憶の底を浚い出す五味だったが、一向に思い出す予感がしない。対する天見は根がおっとりとしているのか、未だまともな返事をしていない五味に対して、おどけ気味の笑顔を向けるとゆっくりと口を開いた。
「ごっちん……さん、この前、私の作ったスイーツ全部食べてくれましたです。しかも自腹で」
「え? あ、ああ」
あの時のことか。
ようやく合点がいった。休日にわざわざ『フェアリーズ・ガーデン』に来店してスイーツを片っ端から食べたときのことを言っているのだ。自分の対応をしたのはメイだったのだが、意外とキッチンの中からでもホールの動向が分かるのだな。と五味は変な方向で感心していた。
「どれもこれもみんなおいしかった。私見だが生クリームのおいしさが既存のメイドカフェで提供されるケーキと段違いに感じた。さわやかというか、甘ったるさが舌の上に残らないというか」
「分かりますですか?」
五味の感想に天見は、ぱあっと顔を綻ばせた。
「ほとんどのメイドカフェで提供されているケーキは、ケーキ屋さんから買っていますから。だからウチのケーキと風味が少し違うのです。……あ、だからといってケーキ屋さんで作っているケーキが古いってわけではありません」
「え? ケーキって、メイドカフェそれぞれの店で作ってるわけじゃないのか?」
「はい。喫茶店卸専門のケーキ屋さんっていうのがありまして。そういうお店がだいたいのメイドカフェにケーキを卸しているのです。もちろん、自分のところで作っているメイドカフェもあることはありますけど。でも『フェアリーズ・ガーデン』では私がその日のうちにホイップした生クリームを提供してますし、すぐ食べて口溶けが良いように、原材料を変えたりしていますから。ケーキによっても材料の配合やホイップの仕方を変えていますし」
「生クリームだけでも、そんないろいろな工夫をしているのか……」
五味は唖然とした。
ついついメイドたちの接客にばかり目を奪われがちのメイドカフェであるが、キッチンやスタッフのたゆまぬ努力がそこにはあることを改めて気付かされる。
「で、今、呼び止めたのは別の理由があるのです」
天見は、ちょこまかと可愛らしい仕草でキッチンに戻ると、一枚の皿を携えて戻って来た。
おずおずと差しだされたその皿の上には生クリームとフルーツで可愛らしくデコレートされたパンケーキがあった。
「……店長から『フェアリーズ・ガーデン』も後半戦だからテコ入れで新メニューを考えて欲しい、と言われて……。で、作ってみたのがこれなのです。パンケーキなんて流行に乗っかっちゃってますけど」
天見はそう言って小さく舌を出した。自分の目の前に差しだされたそのパンケーキを見つめて「え? え?」と五味は戸惑う。
「ごっちんに試食をして貰いたいのです」
五味は自分の目の前に差しだされているパンケーキと恥ずかしそうに肩を竦めている天見を何度も見返して、そして口を開いた。
「私に、か?」
「はい。私の作ったスイーツを全て食べてくれたのはごっちんだけですから。そんな人に新作は試食をして頂きたいのです」
ごくり、と五味は喉を鳴らした。あまり甘い物は得意ではない五味ではあるが、目の前に置かれた皿の上に乗っているほかほかのパンケーキはそれらを飾るフルーツやクリームのおかげでとても魅力的に見える。五味はいつの間にか両手にフォークとナイフを手に取っていた。
「そ、それじゃ、遠慮無くいただく」
「どうぞ」
挙動不審にパンケーキに取りかかろうとする五味に、天見はにっこりと微笑み掛けた。パンケーキにナイフを入れる。さっくりと切れたその感触だけで、これから味わうであろうその歯触りを想像出来てしまい、背筋がしびれる。
適当な大きさに切ったパンケーキにクリームとフルーツを絡めると五味はそれを口へと運んだ。とたん、口の中に異世界が現出する。フルーツの酸味とクリームのほど良い甘み、そしてほんのりと香ばしいパンケーキとが絶妙に絡まって、五味の口の中に幻想的な風景が形取られていく。そしてそこで軽やかに飛び回る妖精たち。
「これは、まさしく『フェアリーズ・ガーデン』……」
「あ、すごいです。このパンケーキにはお店の名前を付けようと思っていたのですよ。良く分かりましたね」
口の中のその幻想郷を嚥下すると、五味はふう、とため息を吐いた。そして手元の残ったパンケーキを見下ろす。
とても、これを全て食べきる自信がない。食べ終えたが最後、その日私は給仕なんて出来なくなるんじゃないだろうか。
などと思いつつもその手は止まることがなかった。次から次へと皿の上の妖精たちを口の中に放り込む。そしてはっと気が付くと皿の上には綺麗さっぱりまるで何も載っていなかったかのようにパンケーキは消え失せていた。
なんてことだ。身体が勝手に動いていた。
五味がその真白な皿の上を呆然と眺めていると、傍らでその様子を見ていた天見はくすりと笑った。
「すっごい真剣に食べてくれて嬉しいです。おいしかったですか?」
その問いに五味は、がくんがくんと壊れた玩具のように首を縦に振ることしかできなかった。
「ごっちんさんがそう言ってくれるならこのパンケーキはメニュー入り決定ですね。これならメイドさんのお絵かきもチョコシロップで出来ると思うんですよね」
そう言いながら、早くもお客に提供する際のことに頭を巡らせている天見を見ながら五味は思った。
プロだ、と。
自分でもたまに料理はするが、それは全て自分が食べられる程度の代物ばかりだ。飛び抜けておいしいわけではないが、まずくもない。そんな料理ばかりだ。だが天見が作るスイーツはそのどれもが、飛び抜けている。お客に提供することを前提にされている。まさにエンターテイナー。これが素人とプロの違いか。
「? どうしたのですか、ごっちんさん?」
自分に向けられている熱視線に気が付いた天見は不思議そうに小首を傾げる。そんな天見に対して、五味は心の中に自然と沸いた疑問を投げかけた。
「どうしてパティシエになろうと思ったんだ?」
「え?」
突然のその五味の問いかけに天見は一瞬目を丸くした。そして「え、えっと……」と口ごもると下を向いてしまった。
なにか、訊いてはいけないことだったのだろうか。
五味はその天見の突然の豹変に戸惑う。だが、それはつかの間のこと。すぐに天見はいつものおどおどとした上目遣いで五味を見つめた。
「……それは、やっぱりスイーツが好きだからでしょうか」
そして一度言葉を切ると、俯き加減に自分の手元を見つめた。
「スイーツって、甘くて、可愛くて。ほんと夢のような世界ですよね。私、メイドさんに繋がる物があると思っているのです」
「メイドとスイーツが、か?」
「はい。どちらもほんわりとしていて、可愛くて、そして甘い香りがして。そしてささくれだった私の心を癒してくれます」
「……」
そういうものなのか?
五味は、天見のその感想にわずかに戸惑った。ほとんどなりゆきで、しかもいきなり実戦に投入された五味としては、メイドが『夢』のようで『甘い』という感想がほとんどない。五味に於けるそこは、今の自分を最大限に切磋琢磨しないとこなすことが出来ない戦場と同じだった。だが、それはメイドの適性を全く持っていなかった自分だから、そう感じたのかも知れないと五味はわずかに述懐する。そしてお客の立場から見るとそういうものなのかも知れないな、と考え直した。
「……じゃあ、今度は私から訊きます。ごっちんさんは、どうしてメイドをやろうと思ったのです?」
好奇心に満ちたきらきらした瞳で天見は五味の顔を覗き込んでいた。
「う」
天見らしくない、その真っ直ぐな瞳に五味はたじろいだ。だが、すぐに気を取り直して、頭の中の思考を整理する。
別に気負うことはない。正直に話せば良いことだ。
「私がメイドをすることになったのは、なりゆきだ」
「え?」
天見は一瞬、その眉根を曇らせる。
「親戚がメイドカフェを経営していてだな。そこで人手が足りなくなったから借り出されたというわけだ。そんなことでもなければ、この私がこんなメイド服を着て、接客なんてするわけがない」
「……じゃあ、どうしてこのコンテストに?」
「それもなりゆきだ。私の所属メイドカフェの出場予定だったメイドが怪我で出場出来なくなったんだ。私は彼女の代役というわけだ」
「……そ、そうなんですか」
何か天見から急に力が抜けたような雰囲気が伝わってきた。そして何かを考え込むように俯く。
「?」
そんな天見の態度の急変に首を傾げていると背後から五味の肩をぽんと叩く人間がいた。ふと振り向くとそこには熊のような巨漢の男性が。
「……店長?」
牛久店長は柔和な笑みを浮かべてこくりと頷く。
「ごっちん。昨日、また得票数を増やしましたよ。確実にごっちんのファンも増えておりますね」
「ええ! また?」
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「ええっ! すごーい、ごっちん、一気に三十二票も獲得したんですか?」
「しっ。アキ。あまり大声を出さないでくれ」
「あ、ごめんなさい」
アキはそう言って小さく舌を出す。
「でも凄いです。だってトップのいおりさんも、昨日の得票数は三十八票ですよ」
「……そんな。今更票が伸びたところでたかが知れている。それにいおりさんたちなんて、すでに雲の上の存在だ。比べるなんて恐れ多い。それにアキだって現在三位じゃないか」
五味がそう言うとアキは困ったように眉根を顰めると首を横に振った。
「ううん。ダメダメ。いおりさん、麗子サマ、クララさんの三人は安定して上位にいるけど、今の私はたまたま三位にいるだけ。上がったり下がったりです」
それを訊いた五味は、ふと何かを思いついたように辺りを見回した。そしてアキの耳元に口を近づけていって小声でささやく。
「……ちなみにアキは今、何票なんだ?」
アキも辺りをきょろきょろと見回し、五味と同じように五味の耳元でささやく。
「……私は二百二票」
「この差は気が遠くなるな」
「ごっちん。票数が気になり出すなんて、少し欲が出てきましたか?」
「うわあっ!」
「ひゃああ!」
突然、五味とアキの話に割って入ったのは麗子サマだった。麗子サマは五味の隣のロッカーで素知らぬ顔で着替え始める。
「ごっちんの得票数は今までずっと分からなかったけど、そんなことになってましたか」
「……いや、でも。一昨日までずっと一桁だったし。それにしたって最下位だし」
「確かに伸び率は驚異ですね。でも」
五味の言い訳などには耳も貸さず、麗子サマはメイド服に腕を通しながら言葉を続ける。
「仮にこのペースで得票数を伸ばしていっても上位に追いつくのは約四十日後ということになりますね。そしてこのコンテストは後七日で終了です」
……あ、と五味は思った。得票数を伸ばしたことに少し浮かれていた。そしてコンテストの残り日数など考慮に全く入れていなかった。そしてすかさず、そういう計算が出来るということは、自分がトップを獲ることに意識が向いていると言うこと。
「ごっちんが、上位に追いつくためには昨日以上の得票数を見せないとダメですね」
麗子サマはそう言うと、完璧に着付けが終わったメイド服をふさあっと翻し、五味に向き直った。五味はその瞳に魅入られるように覗き込む。自信に満ちあふれた光。そして下の人間に対する慈愛の色。王者の瞳とは、こういうものを言うんじゃないのだろうか。そんなたわいもないことを考えてしまう。
「でも、私は私で頑張るだけですが」
そしてその巻き髪を優雅に揺らしながら、更衣室から退室する。ドアのバタンという音がするまで、五味はその姿に見惚れている自分に気がついた。
存在感が段違いだ。いくら昨日自分が得票したからと言って、あのレベルに達する予感すらしない。
少し浮かれていた。気を引き締めよう。票が入ったからと言ってなんだというのだ。麗子サマの言う通りだ。自分は自分の接客をしっかりするのだ。
決意も新たに五味は自分のエプロンの紐をきゅっと締め直した。
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十四日目の成績 得票数 トップいおり『三一九』、二位麗子、三位アキ、四位クララ、五位アネゴ。(参考:九位ごっちん『四二』)




