第十二話 『メイドカフェごっちん』の意味
本日は「フェアリーズ・ガーデン」はお休みです。そんな日も、五味は園城を誘って放課後に給仕の練習をしていますが……。
第十二話 『メイドカフェごっちん』の意味
「お待たせ致しました。ご注文のブレンドコーヒーでございます」
五味はそう言って手に持ったトレイから、水の入ったビーカーをテーブルの上にそっと置く。音はほとんどしない。ビーカーの配膳が終わった五味は、注文票に見立てた生徒手帳をテーブルの上に逆向きに置くと「ご注文の品は以上でしょうか?」と伺いを立てる。
テーブルに着いていた園城は横柄そうに「うむ」と頷いた。それを確認した五味は背筋を伸ばしたまま三十度の角度でお辞儀をすると、身を翻してその場から立ち去る。そして、数歩を歩いたところで立ち止まり、いきなり振り向いた。
「どうだ? 園城。今のは、ばっちりじゃないか?」
「ああ、まあまあだな。セリフも自然になってきたな。うん、やっぱりサエさんの給仕を見習おうとする方向性は間違っていないと思う。……笑顔の最悪さだけが相変わらずだけどな」
「……それは言うな。だが、それも、いおりさんを見習って一応特訓中だ」
五味は顔を顰めながらそう言うと、何かを思いついたように視線を宙に向け、
「ちょっと待ってろ」
と言って身を翻してどこかへ駆け出した。
「おいおい、どこ行くんだよ」
そんな園城の呼びかけに答えることもなく、五味は立ち去ってしまった。
今は放課後、そして場所は高校の裏庭だった。裏庭は日当たりが良く、木製のベンチや机が設置されているので、天気が良い日の昼休みなどはここで昼食を摂る生徒は少なくない。五味と園城はそんな裏庭で、給仕の練習をしていた。授業終了のチャイムと共に、五味がいきなり「給仕の練習をしたいのだが、付き合ってくれないか?」と持ちかけてきたのだ。
園城は自分の中の『五味』という人間に対する印象や評価を修正するべき時がきたことを認めざるを得なかった。
意外と素直で努力家なんだな、と。
今までは、ひねくれ屋で否定的で気むずかしいヤツだと思っていたんだが。
でも本当は、表情の起伏が少ないだけで、活発で気さくな女の子なんじゃないか?
スカートを翻して立ち去る五味を見て、園城はそんな感慨を抱いていた。
……そう考えると、わりと……。
と、園城は一瞬、心の中に浮かんだ『何か』を速攻で打ち消す。
一体、何を考えている園城。あいつは五味だ。ゴミタメだ。競馬と栄養ドリンクが好きなオヤジ臭い萌えのかけらもない女だ。ヤツが今、メイドをやっているから惑わされているだけだ。
心の中でそう何度も言い聞かせて、自分の頭を何度も叩く。
「……何をやっているんだ? 園城」
気がつくと目の前で五味が不思議そうな表情で自分を見下ろしている。バツが悪くなった園城は「うっせえ」と言って五味から視線を逸らした。
「ふん、相変わらず変なヤツだな」
五味はそう言うと、おどけたように園城の目の前に紙パックコーヒーをそっと置く。
「こちらは私からのサービスでございます」
そして自分も園城の真向かいに座ると、自分もコーヒーにストローを刺して飲み出した。
「園城。練習に付き合ってくれた礼だ。遠慮しないで飲んでくれ」
「……あ、ああ。悪いな」
どうも、今日は調子が狂う。居心地が悪い。超絶に悪い。尻の下がむずむずしてきた園城は、この妙な雰囲気を変える為に、必死に頭の中をサーチして話題を探す。
「……ええと、あー、なんだ。今日は休みなんだってな」
「ああ、コンテストの規定で週に一日は休まなくてはいけないんだ。今日は私の休日だ。だからこうして園城に特訓に付き合って貰っている」
そう言って五味は再び、コーヒーに突き刺したストローを口に含んだ。
――沈黙。
ダメだ、ダメだ。他に話題はないか、話題は?
「……と、ところで。前にメイさんが言っていた『メイドカフェごっちん』の答えは出たのか?」
唐突な園城のその質問に五味は目を丸くするが、口に含んでいたコーヒーを飲み込むと丁寧に答える。
「ああ。なんとなくだが、分かってきた」
「本当か? お前にメイドカフェを経営しろ、というトンデモ提案ではないんだろ?」
「……そんなわけないだろ。あれは、こうしてなんでもないところで考えても分からないことだ。実際に仕事をしていて、窮地に陥った時に初めてあの言葉の意味が分かる」
「なんだ、それ」
「うん、実は昨日こんなことがあったんだ」
五味はそう前置きして、語り出した。
「昨日の夕方、とあるお客様が来店してな。……ええと、仮にお客様Aとしようか。お客様Aは、ホールやや窓側の空いている二人席に案内されたんだ」
「ふんふん」
「で、十分ほどしてから、今度はお客様Bとお客様Cが来店した。お客様Bとお客様Cはお客様Aの友人だった。できれば、ABC三人で同じ席に座りたいと、そう申し出てきた。で、その対応をしたのは私だった。お客様Aの席を改めて見てみると、向かい席は空いているのでお客様Bは座れるのは間違いがない。問題はお客様Cだ。少し離れたところに一席空いている。お客様Aの隣の席のお客様をその空き席に移動して貰えば、ABC3人同席に出来そうだ。という訳でこの場合、私が取るべき選択肢は三つだった。一、お客様Aの隣のお客様に移動して頂く。二、空き席を無理矢理お客様Aの隣に持ってきて接続する。三、お断りする」
「……選択肢二は、無いな」
「うん。園城も知っての通り『フェアリーズ・ガーデン』は多くの席を碁盤の目状に並べている。遠くの席を無理矢理持ってきてこちらの席に繋げることなんて出来ない。私は選択肢一、三のどちらを選択するべきか迷った。だが、その時点で、メイさんも店長も接客の真っ最中で、相談なんか出来やしない。他のメイドたちも同様だ。どうしたら良いか、私は悩んだ」
「で、どうしたんだ? 五味は」
すると五味はまるで肩の力が抜けたような朗らかな表情で、天を仰いだ。
「その時、ふっとメイさんの言葉が頭の中に蘇ったんだ。『ここがあなたのお店ならどうしますか?』と。私しかここにはいない。私が全てを決断して良い。そう考えたら、私の心は驚くくらいにすっと決まった。私の選んだ選択肢はな、園城。三だ」
「三? え、じゃあ……」
「そうだ、園城。私はお客様に同席をお断りしたんだ。選択肢一では、お客様Aの隣に座っているお客様を不快にさせてしまう、と判断したんだ。せっかく楽しい気持ちになろうとしてメイドカフェに来ているのに、そんな思いはさせたくない。私がこの『フェアリーズ・ガーデン』の店長ならそう判断する。そう考えてお客様B、お客様Cには相席を丁重にお断りした。みんな快く了承してくれたよ」
「……その判断で間違いはないのか?」
五味はこくりと首を縦に振った。
「自分がそこの責任者だと仮定して動いたことは、だいたい他のメイドたちも同じ判断を取る。あとで、店長にこの話をしたら、『それで良いのですよ』と頷いてくれた。つまりは、こういうことなんだ、園城。『メイドカフェごっちん』というのは、私に覚悟というものを教えてくれたんだ。そうすると、仕事が人任せではいられなくなる。『フェアリーズ・ガーデン』の全メニューはチェックしておかないと気が済まなくなるし、その中で自分なりのお勧めメニューも選んでおきたくなる。そうすると接客にも自信が少しずつ出てくる。私のセリフが棒読みでなくなった理由はその点が大きい」
「さすがはメイさんだな。最年長は伊達じゃない」
「……それ、メイさんに言ったら確実にぶん殴られる」
五味は口元をつり上げてニヤリと笑った。そして手元にあったコーヒーを一気に飲み干す。
そんな五味を見て、園城はわずかながらの寂寥感と嫉妬を感じていた。五味のメイドとしての接客はまだまだだ。だが、コンテストが始まって四日しか経っていないのに、だいぶ置いていかれた気分だった。自分はそのままなのに、五味は急激に成長しようとしている。そんな中、俺は一体、何をやっているんだろう、と。
そう自分の世界に入って考え込んでいると五味が何かを思い出したように「そう言えば」と口を開く。五味は昨日、仕事帰りの更衣室であった出来事を園城に話した。サエの眼鏡のスペアが破壊されていたことを。
「このことをサエさんは他の人間には話していない。私にだけ話してくれたのは、昨日は私とサエさんの休憩時間が同じだったということもあるのだろう。つまりサエさんと全く同じ行動を取っていた私は犯人ではあり得ないわけだ」
「犯人って……それって、つまり参加メイドの誰かがやった、ということなのか?」
五味は曖昧に首を横に振る。
「そうとも言い切れない。というのは、更衣室は女性スタッフ全員が使っているし、更に言うと鍵を閉めきっているわけではないので、その気になれば誰でも入ることが出来るからだ」
「そんな不用心な」
「でも鍵を掛けてしまうと、今度はメイドたちが休憩する時が面倒になる。いつ休憩が取れるか分からないメイドが、更衣室にやって来てその都度鍵が掛かっていたら、やってられないだろう? でもメイド個人個人に割り当てられたロッカーには鍵が掛けられるから、取り立てて不用心というわけでもない」
「でも、実際サエさんの眼鏡は壊されていたわけだろ?」
「サエさんはロッカーに鍵は掛けていなかった。まあ、ミスと言えばミスだな」
「サイフとか貴重品はどうだったんだ?」
「……まあ、そんなにお金を入れていなかったらしいが、別段盗まれてはいなかったそうだ」
「……怨恨か、いたずらか」
他のコンテスト出場メイドの仕業だろうか。確かにサエはここ数日順位を上げてきて上位に食い込んでいる。そのことを妬んでのことだろうか。園城は全てのメイドの姿を思い浮かべる。全員見知ったメイドだった。そしてそれぞれのお店で会話も幾度となく交わしたこともある。彼女らがそんな陰湿なことをするとは思えない。というより思いたくない。すると、外部の犯行か? 狂信的なメイドファンによる犯行? 五味によるとその気になれば外から入り込むことも可能だとは言っている。とそこに至って園城はとある、考えに行き着いた。
「おい、五味、今ふっと思ったんだが、もし今回の事件が何者かによる妨害工作みたいなものだとしたら、ひょっとするとヒメさんのケガもそいつにやられたんじゃないか?」
「……まさか、そんな。でも、あながち考えられないわけでもない、な」
「だろ? ヒメさんは二年連続コンテスト出場者で、しかも昨年度は二位だったんだ。今年優勝を狙っているメイドがいるとしたら、ヒメさんの出場は目の上のこぶだ」
「でもヒメさんは、『ラクロスで骨折した』と言っていたが」
「うーん、ヒメさんがその加害者を実は知っていて、かばったという可能性もあるぜ。顔見知りの場合だったら、なおさらだ」
「……そう考えると、やはりコンテスト出場者の誰かという可能性もまた浮上してくるな」
ヒメは他のメイドカフェにも良く遊びに行く。そのせいで、コンテスト出場メイドとはほぼ全員顔見知りだ。
こんな展開なら考えられないだろうか。なんらかの理由でヒメはその加害者と言い争いになる。加害者はカっとなり思わず暴力を振るった。期せずして、それは相当な打撃となり、ヒメの腕を骨折させてしまう。加害者は自分のやってしまったことに驚き、泣きながら謝罪する。ヒメはそのメイドをかばうために嘘を言う。これならあり得ない事とは思えない。
「……今度ヒメさんにそれとなく訊いてみよう」
「それはともかく、お前も気をつけろよ、五味」
「ん? なんでだ?」
コーヒーを飲みながら、真底訳が分からないというような表情で聞き返す五味に呆れ果てる。
「お前だって出場メイドの一人なんだから、そんな悪意の標的になる可能性だってあるだろ」
「え? 私がか?」
五味は自分で自分を指差し、そしてその直後ぷっと吹き出した。
「何を言っている園城。そんなことあるわけがないだろう。仮にこの事件に加害者がいるとすれば、そいつの狙いはコンテストの優勝の可能性のある人物を追い落とすことだ。私などがそいつの標的になることなんて、あり得ない」
「あ」
そうか、と自分の迂闊さを呪う。言われてみればその通りだ。五味が怨恨の対象になることなんてあり得ない。恨まれるほど突出していないのだから。
「でも、まあ、あれだぞ。心配してくれたのは素直に嬉しい。一応、気をつけるとする」
照れくさそうにそういう五味に「ああ」と言って相づちを打って、目を逸らす。
居心地が悪い。無性に居心地が悪い。いつもの悪口のたたき合いはどこに行ったのだろう。
園城が自分の頭を抱えて、気味悪く身体をのたうち回り始めた時、スマホの画面で時間をチェックした五味はおもむろに立ち上がり、背伸びをした。
「さてと、そろそろ私は行かなくてはならない」
「へ? どこに行くんだ? 今日は『フェアリーズ・ガーデン』は休みだろ?」
目を丸くしながらそう問いかける園城の言葉に、五味はこくりと頷いた。
「ああ。仕事は休みだ。だが、休みはいい機会だ。この機会を利用して『フェアリーズ・ガーデン』で提供されるスイーツを全て味見してみようと思うんだ。どうだ、園城。一緒に行くか?」
「な!」
園城は絶句するしかなかった。
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五日目終了 得票数 トップ麗子『八三』、二位いおり、三位サエ、四位クララ、五位アネゴ。(参考:九位ごっちん『一』)