第八十九話
「そうだ、あなたも一緒に働きませんか? あなたのその外見、きっとなにかの魔物でしょう?」
「そうだが」
ん? このメイド、バクを知らないのか? 人里ではメジャーな魔物だぞ?
「やっぱり。体を隠す不思議な魔法を使えるからには、あなたは魔法も得意なのでしょう? この城には魔法を使える者がほとんどいないので、魔法の得意なあなたが働いてくれるととても助かるのですが」
女の声はほわほわと優しい響きだが、その目は笑っていない。この話を断ったら私を処分する気満々としか思えなかった。一メイドにその権限が与えられているのかは不明だが、その権限を持つ者へ私が不利になるような報告をするとは充分考えられる。
「キール、それからクーアと話をさせてくれないか」
強行突破をするにしても、こちらから無暗に二人と探し回るより合流したい。
「こう見えて私は人里で商売をしている身でね。自分の店を閉めてまで仕える価値がある城なのか、彼らに訊いて確かめてみたい」
キールに話を聞けたとして「ヤバすぎる。今すぐ逃げるぞ」としかならないけれども。
「それはできません」
女は即答だった。予想していなかった速さだ。少しくらい悩んでくれてもいいのに。一メイドと思っていたが、かなりの権限を持つ者なのか?
「キールには清浄な結界の中で働いてもらっています。姫様を外界の穢れに触れさせない為にも、すぐ会わせることはできないのです」
「休む間もなく、つきっきりで働いているのか?」
「ええ。ほぼそのとおりだと思っていただいて間違いではありません」
姫様というからには女だと思うのだが、そんな者に男のキールをつきっきりであてがっているのか? 非現実的な話すぎて、怪しい匂いがプンプンする。
「いつならキールと話せるんだ?」
体が縮んでしまっている分、体内に存在する魔力の量も減っている。それでもバクは魔法に長けた種族なのだからそこそこの魔法は使えるが、目前にいる女の正体やキールたちの居場所も分からない状況で暴れても、無駄な労力を使うだけである。それよりは、キールの話題について食い下がる方を選んだ。
「今すぐ決めるのは、ちょっと難しい質問ですね」
もとよりキールに会わせる気のなさそうな女が、それでも少しは悩むそぶりを見せる。
「もしキールと話したいのでしたら、この城で働きながら待ってはいかがですか? この牢で暮らすよりいいと思いますが」
女はどうあっても私をこの城で働かせたいようだ。話が平行線を辿り始めている。
「クーアと話はできないか?」
「もう夜中ですし、彼女も眠っていますよ」
女はクーアについてはさほど重要視していなかったので会わせてもらえるのではと思ったが、けっこう常識的な理由で断られた。
牢の中に脱走防止目的で魔法が張り巡らされていないかは、まだ調べていない。だがたとえ帰還魔法が使えずともバクのローブが手元にあるのだから、私が闇を渡ってここを脱出するのは簡単だ。家に帰り、また別の日にクーアの悪夢を辿ってここに侵入するという方法がとれる。
しかしそうなるとクーアたちを助けるまでの時間は延びる一方だし、そもそもクーアが悪夢を見ていてくれなければここに辿り着けなくなってしまう。帰還魔法に記憶させられる場所は一ヶ所のみだから、自宅の寝室という現在の記憶場所を消去するわけにもいかない。
家のキッチンに残してきた悪夢の状態を思い出す。繁忙期ではないから、今日明日ですぐに喰らう必要があるほど切羽詰まったものはない。けれども食べずに置いておくとそのうち悪夢が夢主のもとに戻ってしまうから、あまり長く家を空けるわけにもいかなかった。
少々悩みはするものの、私が選べる道などひとつしかないなという結論になって小さく息をつく。
「……いいだろう。ここで働いてやる」
私は女の要求を呑んだ。
「ああよかった。あなたが私たちの仲間になってくれて、とても嬉しいです。私の名前はラッテ。あなたは、ええと……」
「エルクラートだ」
「そう、エルクラートでしたね。いい名前です」
話しぶりからして、廃墟で私の名前を尋ねてきたのはこのメイドの女ラッテで間違いない。
「エルクラート、お腹は空いていませんか? 夕食は終わってしまいましたが、簡単なものでよければ私が用意しましょう」
満面の笑みを浮かべるラッテから、敵意は感じられない。けっこうな空腹を抱えてそろそろ限界を感じていたので素直に頷けば、彼女は私を実にあっさりと牢から出してくれた。
ラッテに連れられて、城の中を進む。石畳が敷き詰められた武骨な廊下の端に、細い水路が引かれている。私の一族が遺した記憶の遺産にある城と比べても、こんな廊下は珍しかった。旅行記で読むような荘厳な作りの城とは違う。もっと野性味に溢れた建物だ。砦と言われたら納得してしまいそうなほどである。
暫く進むと、建物の中だというのにまるで屋外のような冷えた空気が流れてくる。
その理由は、すぐに分かった。
城の中央と思われるその場所の天井はぽっかり正方形に開いていて、夜空が見えている。しかしその場所は広間というわけではなく、中庭のようだ。平均的な一軒家なら、五、六軒くらいは余裕で入るくらいの広さがある。
そしてその吹き抜けの真ん中に、それはそれは立派な一本の大樹が生えていた。三階建ての城を貫く木は、豊かに茂った葉を柔らかな夜風で揺らしている。長い時間を過ごしてきたのだろう。大樹の周囲の石畳が敷かれていない土の地面は、苔むしていた。大人ならジャンプで渡れそうな幅の水路が四方から大樹に伸びてきて、その下へと入っている。
思わぬ光景につい足を止めてしまったが、ラッテを見失うわけにはいかないので小走りで追いかける。
ラッテが私を連れてきたのは、厨房だった。
「そこに座っていてください。今作りますから」
ランプに魔法で灯りを入れて、ラッテが調理を始める。私を食材にするとかそういう危険は感じられなかったので、大きな調理台のそばに置かれたスツールに腰かけてラッテの手料理を待った。
ラッテが用意してくれたのは、シンプルなパンケーキだった。けれども三枚も重なっている。たぶんもらえるはずの朝食までは、腹の虫がおとなしくしていてくれそうだ。
「美味しいですか?」
隣に腰かけて問うてくるラッテに、こくりと頷き返す。メイプルシロップとバターがたっぷりしみているパンケーキは、甘じょっぱくてたまらない。
食事を終えた私を、ラッテは使用人たちの私室が並ぶというエリアへと連れていった。
「今日からここがあなたの部屋です」
そんな言葉と共に私に与えられた部屋は、使用人の部屋という言葉から想像しているよりはかなり広かった。一目見ていい品だと分かる家具が一式整えられ、掃除も行き届いている。誰かが使っていて相部屋になったわけでもないのに、綺麗なものだった。城の武骨さからすると家具の優美さはアンバランスとさえ感じられるが、いい部屋には違いない。
「今着替えを持ってきますね。その服だと動きにくいでしょう?」
わざわざ部屋のカーテンを閉めてくれながら、ラッテが言う。
「ずいぶんいい部屋だな」
「あなたは少し特別ですから、皆よりも少しだけいい部屋にしました」
ラッテの言い方が、妙にひっかかった。
ラッテが私の着替えを取りに行っている間に、部屋のあちこちを触って確認する。大人の私が大の字になっても余裕そうな大きなベッドは、もちろん牢のものとは比べ物にならないほどふかふかしている。調度品になにか仕掛けが施されているわけでもない。ごく普通のいい部屋だ。
分厚いカーテンをめくって外を確認すると、大木が生えているのとはまた違う庭だった。緑豊かな城だ。
簡単にしか見て回っていないが、別におかしなものはない。
明日からの服やパジャマを数枚持ってきてくれたラッテの様子も、ごく普通に思えた。まあラッテの様子に関しては、彼女が非常に腹黒い性格で取り繕うのが上手という場合もあるのだが。
いったいなにが他の部屋と違うのかと思っていたとき。
「なにか困ったら、右隣が私の部屋なので来てください」
ラッテの言葉で、理解した。ラッテが私を監視するのにちょうどいい部屋に通されたのか。
「それでは、よい夢を」
そう言い残して、ラッテはあっさりと退室した。
そのまま耳を澄ませて、彼女が隣室に引っ込むのを確認する。
それでもベッドにばふっと飛び込んで寝心地をじっくり確かめたりとある程度時間を潰してから、私は廊下に出た。そーっと部屋のドアを閉める。手入れが行き届いている証拠に、蝶番は少しも軋まなかった。
ラッテの部屋とは反対方向に進み、最初の部屋のドアに透視魔法をかけて、中の様子を探る。
空き部屋のようだ。
次の部屋。
ここも人の気配はない。
いくつか部屋を確認していってようやく人の姿を発見する。けれども、私に与えられたものより小さな部屋で寝ているのは、見知らぬ者だ。
そうやって部屋を覗いて回っていたら、クーアを見つけた。さすがに寝ているときにあのフードは被っていないようで、布団から少し覗いている赤い髪が仄かに燐光を振りまいてくれていたからすぐに分かった。一応まともな扱いは受けているようだ。安心した。
その後も何部屋か見て回ったものの、キールは本当に姫様につきっきりなのか、姿どころか気配すら見つけられなかった。
自室からけっこう離れたなと思いつつ廊下の窓から外を見れば、月がずいぶんと傾いている。
夜更かしをしてしまった。
明日からどんな仕事が与えられるのかはまだ教えられていないが、ラッテの言い方からするに魔法に関するもので間違いない。真面目に職務に励む気はほとんどないが、無能と判断されて城から追い出されるのも避けたいので、ある程度は働かなければ。その為には少しでも寝て魔力を回復させておいた方がいい。私はリザのような特殊な体質ではないから、ごく普通のバクの子供程度の魔力しか今の体にはないのだ。
自室に戻って、意外と寝心地のいいベッドに潜り込む。
色々と気にはなっても、今考えたところで全てが解決するわけではない。
ゆっくり呼吸をしながら、私は眠りへと落ちていった。




