第九十話
日常用にと支給された服は、白いシャツに薄茶色のズボンというなんとも質素なものだった。着心地は悪くないが、特別いい品というわけでもない。ごく普通の子供服である。部屋の家具があまりにもしっかりしていたので服もそれに見合ったレベルのものが与えられるのかと思ったが、違ったようだ。
着替えを済ませてベッドに腰かけ、どうしたものかと窓の外をぼんやり眺めていたら、ラッテが朝食だと迎えに来てくれた。よかった。どんな状況でもまずは睡眠と食事をきちんと摂らなければ体が持たない。
ラッテに連れられて向かった食堂は、子供だらけだった。
私と同じ服を着た子供たちばかりである。おそらく彼らが、この城の働き手だ。大人の姿はラッテしか見当たらないから、そう思うしかない。
子供たちの中には、見慣れたあのフード付きマントを被ったクーアの姿があった。着用は許されているらしいと知り、安堵する。
やはりというか、キールらしき姿は見当たらなかった。
「今日から仲間に加わったエルクラートです。エルクラート、皆を紹介しますね」
にこやかなラッテに紹介されたこの城の使用人は、クーアとキールを抜いて全部で十五人。
これで全てだそうだ。
城内を全て見て回ったわけではないので城の規模は分からないが、昨晩大木のところでぱっと観察した感じ、三階建てである。子供ばかり十五人いても労働力としては不十分ではというのが、正直な感想だった。
十五人全員が魔法を使えるというのならまだ労働力をカバーできそうなものだが、魔物はたったひとりだけだ。クーアと同じく料理番をしているそいつは、コボルトの少年だった。これでは魔法に関しては期待できない。コボルトは身体能力が高い反面、魔法を苦手としている。私も知り合いにコボルトがいるが、そいつも魔法はさっぱりだった。
それにしてもクーアが料理番とは驚いた。ジャガイモの皮は問題なく剥けるようになったのだろうか。
「食事の前にもう少しだけ。皆で生活のルールを確認しましょう。大丈夫ですよエルクラート。どれもとても簡単なことばかりだから」
私の姿が子供だからそうなってしまうのかもしれないが、ラッテが思い切り私を子供扱いしている気がする。私は子供扱いされて喜ぶような性格でもないので、気になって仕方なかった。
生活上のルールの確認といっても、常識的なものばかりだった。気を張って覚えるようなものはない。
私の席はラッテのすぐ隣に用意され、クーアとは離れていた。食後にクーアと話ができないかと思ったが、そんな暇は与えられない。ラッテは朝食を終えて食器の片付け方を私に教えると、そのまま私を城の三階へと連れていった。
到着したのは、私の店の倍ほどもありそうなとても広い部屋だ。
日当たりのいい大きな窓に、どっしりと構えた深いこげ茶の机。それから、壁の本棚にきっちり収められた本たち。それらが、ここは書斎だとアピールしている。本棚の本はぱっと見た感じ、ほとんどが魔導書、それも精霊に関するもののようだ。
「エルクラート、あなたには本の解読をお願いしたいのです」
そう言うと、ラッテは私に一冊の本を渡してきた。深い緑色の分厚い本に、タイトルは書かれていない。少しめくってみたが、暗号魔術が掛けられているせいで、内容はもやのようにぼやけて読めなかった。
「これは?」
「城主イオリ様の手記です。イオリ様は魔術師でした」
「そのイオリ様はどこへ?」
「城内にはいらっしゃいます」
なんだその答えは。
「本人が城にいるのなら、その本人に暗号魔術を解除してもらえばいいではないか。もっとも、他人に内容を知られたくないからこうして暗号魔術をかけているのだろうが」
「イオリ様はあまりお話ができませんので」
それって瀕死とかそういう状態という話なのか?
「ラッテ、イオリは五体満足で生きているのか?」
私の質問に、初めてラッテが少しむっとした顔を見せた。
「イオリ様はご存命です。イオリ様は姫様と永久に添い遂げる為にその身を捧げ、日々この城でお暮しになられています。イオリ様がお亡くなりになるなど、ありえません!」
ラッテがムキになる様は、まるで子供が駄々をこねているようだ。話している内容がむちゃくちゃすぎる。
「落ち着けラッテ。イオリは存命だとよく分かった。それで、なぜこの手記の解読をイオリではなく私に頼むんだ? イオリに内緒で解読したがっているように聞こえるが、そうまでしなければならない理由を教えてくれ」
ラッテが今度はしゅんとする。意外と表情豊かだ。
「……私はこの書斎に出入りしていた頃のイオリ様を少ししか知りません。ですから、姫様のご病気を治す術をなにも知らない。それでも、私は治療に心血を注いでおられるイオリ様を手助けしたいのです。その為に、イオリ様が唯一書き残したこの手記を読みたいのです」
「なるほど」
きちんと理由があるのなら、初めからそう言えばいいではないか。
暗号魔術を解こうとする場合、解読を試みる者の魔法の能力がどれだけあるかが重要になってくる。暗号魔術をかけた者よりも解読者の能力が劣っていた場合、暗号魔術の術式は非常に複雑に見え、解読は難しくなる。
イオリの実力がどれほどかは不明だが、人に解読を頼むくらいだからラッテはイオリほどの能力は有していない。彼女の種族は相変わらず不明だが、魔法は不得手な種族で間違いなさそうだ。
「イオリに秘密で手記を解読する報酬として、解読が全て終わったらそのときは私たち三人を解放してくれ」
私はキールを助ける為にここへ来たのであって、一生をここで過ごすつもりなどない。私があの家に帰らなければ、主を失った大切なネムノキがどんな目に遭うか分からないのだ。そんなの想像しただけで辛すぎる。
「姫様の治療に協力していただけませんか?」
「あいにく私たちにも都合がある。内容が判明したのならイオリが望むことも分かるんだし、それに合わせてきみが他の魔術師を雇えばいい。なにも難しいことではないはずだ」
私とラッテの視線が真正面からぶつかり合う。
体が縮んでしまった私から見れば、女性といえども大人のラッテはそれなりに迫力があった。しかしこちらとて元々はいい年の大人だ。体の大きさだけで怯えはしない。
暫しのにらみ合いの後、先に折れたのはラッテだった。
「……分かりました。手記の解読が終わったら、あなたがた三人を解放しましょう」
「助かるよ」
「エルクラート」
「なんだ?」
「意外と強情なのですね」
「誉め言葉として受け取っておこう」
小さく息をつくと、ラッテは退室していった。
キールを見つけ次第、クーアも連れてさっさと帰還魔法で帰りたい。そちらの都合で色々と押し付けてくる者の為に無限に時間を捧げられるほど私は暇ではないし、お人好しでもない。
そうは思うものの、ここに来るにあたって体験した奇妙な出来事が心にひっかかっていた。
バクの通り道を抜けて到着した廃屋で、私はくしゃくしゃと丸められる紙のような感覚に包まれた。おそらく誰かが作った魔術空間に飲み込まれた感覚だとは思う。なにか飲み込まれる条件を満たしてしまって、捕まったに違いない。
魔術空間を抜けるだけならまだいいが、体が子供の姿になっているのが厄介だった。体が小さい分魔力が少ないので、正確な距離も分からないこの場所からキールとクーアを連れて帰還魔法で飛べる自信がない。
この魔術空間から抜ける方法として、帰還魔法は問題なく使えるか。
私自身の力で、体を大人に戻せるのか。
キールはどこにいるのか。
調べることだらけだ。
ラッテに託された手記は、この城の城主イオリが唯一書き残したものであるという。さすがにキールの居場所に繋がる情報は期待できずとも、魔術空間や体の変化については分かるかもしれない。
それに色々調べて回るなら、ラッテの信用を得ておいて損はなかろう。
こうして私は、仕事にとりかかった。




