第百二十話
安らかな気持ちで感謝する私の耳に飛び込んできたのは、なにかが飛び込む豪快な水音だった。
「エルクラートさん! オリバーさんが池に!」
「なんだって!」
勇敢にもフィアラニールに矢を放ち、怪鳥の意識を己に向けるマルセル。彼がオリバーの危機を報せてくれる。
勢いよく吹っ飛んだなあと思っていたが、その勢いのまま池に落ちたようだ。いくらドワーフが頑丈でも、冬の池に落ちたら無事では済まない。早く助けなければ。
焦るが、雪に深く突き刺さった体はなかなか抜けない。周囲の雪を少しばかり温めて溶かすと、私は浮遊魔術で抜け出した。溶けた雪のせいで服が濡れて寒いが、それどころではない。
マルセルが指す方向に飛んでいけば、最初にフィアラニールをみかけたぽっかり開けた場所の一角にそれは大きな穴が空いていた。雪が積もっていて分からなかったが、下は池だったのか。フィアラニールの巨体が乗ってもびくともしないような氷が張っていたはずだが、それを突き抜けたオリバーは色々無事だろうか。
物探しの魔法でオリバーの位置を探そうとしたら、穴からオリバーが顔を出した。引き寄せの魔法で彼を引っこ抜く。「スポーンッ!」という音が聞こえそうなほど勢いよく穴から引っこ抜かれたオリバーはころころと雪上を転がったが、雪まみれになる様子はなかった。
それどころか、濡れてすらいない。ずぶ濡れになっているはずなのに、そのもじゃもじゃのひげはふっさりとしていた。
「オリバー、人魚の外套でも着ているのか?」
「ああ、特別製のやつをな。こいつさえあれば絶対に濡れないから、雪の日も安心だ」
なるほど。人魚の鱗を使って作る外套は、弱い雨程度なら完璧に防ぐ魔道具になる。オリバーはそれの強化版を着ていたのか。通常の魔道具からどれくらい強化したものなのかは分からないが、雪の日が大嫌いなオリバーが着るものだからとんでもない性能と考えられた。魔道具職人の彼らしい。
だから池に落ちても濡れていないし、雪を弾くから雪上でも私を助けるくらい身軽に動けたのか。
オリバーの無事を喜ぶ間もなく、マルセルの悲鳴が響く。
そうだ、マルセル!
狩りの腕に自信があるといっても、彼はただの人間だ。あの暴れる巨鳥を相手にいつまでも耐えられるとは思えない。
オリバーと共に急いでマルセルのもとへ戻ると、彼はフィアラニールに踏みつけられ、じたばたともがいていた。
「こいつ!」
フィアラニールの頭めがけ、雷撃を飛ばす。マルセルが一撃で仕留めるべしと言っていたので、強めのものを叩き込んだ。いくら巨体といえども、頭に強烈な雷撃を喰らったら無事ではすまないはずだ。
案の定、フィアラニールはキエエエと高い声で鳴きながら、全身を震わせてよろめいた。
が。
その太い足で踏ん張って耐えると、フィアラニールは嘴でマルセルを咥えて走り出した。こちらに背を向けて、清々しいまでの逃走を見せる。
ジャックフロストの血が混ざっているから、魔法への耐性が高いのか? かなりの威力のものを喰らわせたのに、フィアラニールは元気に森の奥へと駆けていく。
「ひいーっ! 助けてくださーい!」
どすどす走り去るフィアラニールと、小さくなっていくマルセルの声。
呆然と見ていたが、そんな場合ではない。
「オリバー、持ち上げるぞ」
「おう」
オリバーがスペシャルな装備を身に着けていたとしても、走るより飛んで追いかけた方がいいのは変わらない。私と同じように浮遊魔術で彼の体を浮かせて、フィアラニールを追いかけた。
高く飛べば針葉樹の枝葉が邪魔になるが、雪上すれすれを飛べばフィアラニールが上げる雪煙くらいしか邪魔になるものはない。
動いているフィアラニールを仕留められるような魔法を当てる自信は皆無なので、どこかで落ち着いてくれと願いつつ追いかける。
わざわざマルセルを咥えて逃げるからには、あいつは肉を食べるし、マルセルを餌にする気満々なんだろう。走り回ったまま食事をするわけがないので、マルセルを食べようとするときがチャンスか。
走るより飛ぶ方が速度が出るので、剥き出しの顔が冷えて軽く痛む。たぶんなにかに引っ掛けたら、冷えて固まった肌はすぐに裂けてしまうに違いない。
暫く追いかけると、フィアラニールが速度を落とし始めた。そのうちに歩き出し、ついには立ち止まる。私たちの足音がしないから気を緩めたのかもしれない。
フィアラニールを追いかけて辿り着いたのは、大きなモミの木の根元だった。他の木とは少し離れた場所に生えているそのモミの木の根元に、マルセルを咥えたままフィアラニールがうずくまる。
攻撃するなら今だ。
雷撃は先ほど試したが、効果はいまいちだった。他に使うとしたらなんだろう。
……ああそうだ、ちょうどいい魔法があった。
どうするのかと言いたげなオリバーを手で制して、魔法を織り上げる。
対象はフィアラニール。帰還魔法に使う予定の魔力以外、全てを使う。二人分の浮遊魔術も消して、その分の魔力をこちらに回した。
発動させるのは、睡眠魔法だ。
魔法への耐性が高そうなフィアラニールだが、さんざん走り回って疲れたようで魔法が効果を発揮し始めた。
ゆっくりまばたきをするようになり、やがて目を閉じる時間が長くなる。
頭がふらふらと揺れだした。
緩んだ嘴からマルセルがぽろりと落ちて、「ふぎゃっ」と短い悲鳴が上がる。
しかし悲鳴は聞こえているはずのフィアラニールは、強い眠気に耐えられないようで、長い首を曲げて頭を大きな翼の陰に突っ込むと、ついに眠りへとその身を預けた。うっすら青いふかふかの羽毛で包まれた体が、呼吸に合わせて膨らんではしぼむ。
フィアラニールの呼吸のペースが、かなり遅くなってきた。
深すぎる眠りは、命の終わりへと繋がる。
ついにフィアラニールの呼吸が止まった。用心して数分待ってみるが、呼吸が戻る気配はない。
今度こそ、狩りは成功だ。
「マルセル、怪我はないか?」
雪に足をとられながらも、マルセルに近づく。
「ちょっと強めに咥えられて痛かったですけど、無事です」
腹をさするマルセル。その表情が、ぱっと明るくなった。
「それより見てくださいよエルクラートさん! ここ、フィアラニールの巣です! 卵がありますよ!」
マルセルに言われ、フィアラニールの体の下へと目を落とす。
巨体の下に、仄青い空の卵があった。ひとかかえはありそうな大きな卵だ。これもフィアンポローネの材料なので、リルムに預かってもらおう。
「オリバーさん、血抜きするので手伝ってください。エルクラートさんは卵をお願いします」
楽しそうに作業を開始するマルセルの様子は、とてもさっきまでピンチに陥っていた者とは思えないくらい元気だ。
私はもう帰還魔法分の魔力しか残っていない。力仕事はオリバーがなんとかしてくれるはずなので、私はマルセルの指示に従った。
「リルム、フィアラニールが捕れたぞ」
背負っていた絵をおろし、その包みを解いて声をかける。絵から生えてきたリルムはフィアラニールを見るなり、「ほわあー」と声を漏らした。
「こんなに大きな鳥が材料だったんですか。食べきれるかなあ」
「皆で分け合えばあっという間だ」
たいていの美味いものは、山盛りだとしても気づけば腹の中に収まっているものだ。だからフィアンポローネもなんとかなると思う。
「そうだリルム、浮遊魔術は使えるか?」
「もちろんですよ。フィアラニールを持ち上げるくらい簡単です」
「だったらちょっと手伝ってくれ」
リルムの希望を叶える為の狩りだから、荷物持ち以外にも協力させよう。
「マルセル、リルムに魔法でフィアラニールを持ち上げてもらおう」
「いいんですか? いやあ、吊るしやすくなるので助かります」
マルセルの言葉に、リルムが「任せてください」と自信たっぷりに応える。
「それじゃあいきますよー!」
リルムの明るい声に続いて、フィアラニールの巨体がゆっくり浮かんだ。リルムは本体から分割された魂ではあるが、元々魔法に長けているハイエルフなのでその魔法の効果に影響はないようだ。
フィアラニールが浮かんだことで、巣の中が丸見えになる。雪を掘って作られた巣の中には、二つも卵があった。ただこの卵は、永遠に孵らない。フィアラニールの卵は無精卵だとマルセルが言っていた。
皆で協力してフィアンポローネを作ろうとしているが、それを食べるリルムは今生の思い出として食べるのか。
食事は生きる為に必要だが、彼女にとっては死ぬ為に必要なのか。
これだけの苦労をして作り上げる料理が、彼女の考えを変えてくれるといい。そうでなければ、リルムの命を終える為にオリバーが手を下さなければいけなくなる。
魔道具職人であるオリバーの手は、命を奪う道具ではない。




