第15話 自覚
本家から手配された車で帰ると、緒凛が玄関先で待っていた。
誰かから連絡を受けたのだろう、心配そうな表情で真織を迎え入れる。
「……あ」
何か言わなければと、声を出すも言葉が続かない。
真織の顔色の悪さに緒凛は歩み寄り。
「おかえり」
「……た、だいま」
いつもは自分が言う言葉だ。その優しさが、今は泣きたいほど嬉しい。
“帰ってくる場所”なのだと、緒凛が認めてくれた気がして。
「今は何も考えなくていい。風呂に、先に入れ」
命令口調なのに、押しつけがましくない。真織は小さく頷いて、浴室に向かった。
――あたたかい。
湯船に浸かった瞬間、張りつめていたものが、ゆるんだ。
天井を見上げ、反芻する。
もし、あの席に座ったら。
守る側になるということは、誰かを切り捨てる側になるということだ。
――その中に、緒凛が入る可能性は?
息が止まる。
“私”は“誰”になるのだろう。
不意に、喉の奥が詰まった。
涙は勝手に滲み、耐えられない嗚咽が漏れる。
選ぶと決めたのは自分。
選べない自分への苛立ち。
重圧と逃げ場のない焦燥。
――違う、そうじゃない。
もっと簡単な。
――ねぇお願い。
誰か、許して。
◇◆◇
風呂から上がると、リビングの灯りは落とされていた。
ソファに座る緒凛の姿だけが、間接照明に浮かんでいる。
本を見ていたようだが、それは膝の上に開かれたまま。真織の気配に振り返り、穏やかな緒凛の声が尋ねた。
「……どうした」
声をかけないまま立ちすくむ真織の顔を見て、緒凛は立ち上がり歩み寄る。
「泣いた?」
緒凛の手が頬に触れ、親指の腹で目尻を優しく撫でてくる。
真織は、首を振ろうとして――やめた。
「……ちょっとだけ」
「理由は?」
少し迷ってから、正直に言う。
「言えない」
その答えに、緒凛は沈黙を選んだ。それを破ったのもまた緒凛だ。
「じゃあ、無理には聞かない」
そう言って、真織の頭に手を置いた。
撫でるわけでもなく、押さえるわけでもない。
「言えないことがあるのは、悪いことじゃない」
真織の胸が、ぎゅっと締めつけられる。
後ろめたさから顔を見れなかったけれど、今は見たい。視線をあげると、穏やかな表情をしていて。
初めて会った時に比べて、こんな顔をよく見るようになったな、とも。
「……優しすぎる」
思わず零れた言葉に、緒凛は眉をひそめた。
「今さらだろ」
その返しに、喉の奥が熱くなる。
――だめだ。
――これは、もう。
真織は、はっきりと自覚した。
この人が好きだ。
感謝でも、依存でもない。
守られているからでもない。
知らないままで、ここにいてくれること。
選ばせようとせず、押しつけず、それでも離れないこと。
それが、どうしようもなく――好きだった。
「緒凛」
名前を呼ぶ声が、少し震える。
「ん?」
「……私」
言いかけて、言葉を飲み込む。
今、言ってはいけない。
これ以上、甘えてはいけない。
それでも。
「ここに、いさせて?」
ほとんど、願いだった。
緒凛は一瞬、驚いた顔をしてから、静かに言った。
「出ていく理由がない」
それだけ。
でも、その一言で、真織の涙が溢れた。
「お父さんが、借金返済しちゃったらどうしよ……」
「泣くな。……あと、それはいいことだろう」
「私が緒凛に借金する」
「やめとけ」
そう言いながら、緒凛は真織を抱き寄せた。
強くもなく、逃げられないほどでもない。
けれど、確かに“離さない”抱擁。
胸に顔を埋めた瞬間、
真織ははっきりと理解した。
――私は、この人と一緒にいたい。
――この気持ちは、もう誤魔化せない。
現実は、重い。
未来は、怖い。
それでも。
恋心は、もう引き返さないところまで来ていた。




