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第12話 日常

「外、行くか」


タブレットから目を上げずに言われた言葉に、真織は少しだけ間を置いた。


「……外、いいの?」


ほんの少しだけ目が輝く。ここにきてずっと軟禁状態だった真織にとって、天からの啓示のような言葉だ。そんなことを言えば、緒凛は大げさだと言うだろうけれど。


真織の嬉しそうな声色に、緒凛も顔をあげての口元がわずかに緩む。


「ああ」


それだけで決まりだった。


「どこ行く?」


と真織が身を乗り出して聞いてきたので、緒凛は思わず瞬いた。

互いに、あれ? と顔を見合わせて、認識のズレを確認する。


「一緒にか?」

「一緒じゃないの?」


緒凛はただ提案だけのつもりだったが、真織は一緒のつもりだったらしい。自分の勘違いに気が付いた真織は、急にしおしおとしながらも力なくてへへと笑う。


「そう、だよね……お仕事忙しいもんね」

「……明日でいいか?」

「……え? 明日? ……明日っ?!」

「リスケする」


手に持っていたタブレットでサクサクと部下と通信するアプリを立ち上げ、明日の予定を全て調節するように丸投げする。そうして手に持っていたタブレットさえもポンッとソファに投げ出して、真織を見た。


「明日」

「……いいの?」

「じゃなきゃ、明日の俺は、一人で膝を抱えて過ごすことになるが」

「ふふっ、何それ……見てみたい」

「今度な」


そう言って真織の頭をわしゃわしゃ撫でると、彼女の顔に笑みが戻ってくる。可愛い、とは思うが、緒凛は理性が強い。自制を利かせながら「それで?」と話題を繰り出す。


「何をしたい?」


緒凛の質問に、真織はうーんと、と視線をあちらこちらに飛ばしたものの、すぐには決められないらしく、それでもと導き出した答えは。


「普通がいい」


真織の言葉に、緒凛は沈黙しわずかに眉を寄せる。


「…………普通?」


長考の末に導き出された緒凛の言葉に、真織は察した。


「なんかゴメン」


真織にはちょうどいいハードルでも、緒凛には高くそびえ立っていたようだ。


「……普通、とは」


緒凛は本気で考え込んだ顔をしている。哲学的に考えられても困る真織は、慌てて手を振った。


「いや、そんな深刻なやつじゃなくて! こう、コンビニ行ってアイス買うとかさ、公園でぼーっとするとか……」


言いながら、少しだけ声が小さくなる。


「そういうの、したことないなって」


その声色に、緒凛の呼吸がわずかに止まる。


したことがない? 誰と。――聞けばいいのに、喉の奥で言葉が詰まる。真織が気恥ずかしそうに視線を逸らした理由を、理解してしまったから。


“ない”のは真織か。それとも自分か。


もし――彼女の“普通”の“最初”が。


そこまで考えて思考を止める。胸の奥が、酷く静かに熱を持った。


「コンビニで、アイス」


場の空気を軽くするように復唱した緒凛の声は、妙に真面目だ。真織はハッとして、耳に熱を帯びたまま誤魔化すように笑う。


「うん。あと、ファストフード入ってどれにするか悩んだり」

「……悩むのか?」

「悩むでしょ。シェアする? とか話しながら選ぶの」


真織がくすっと笑う。想像しただけで楽しむ彼女の姿に、緒凛はなるほどと思う。


「過程を楽しむのか」

「んー、そんな堅苦しいんじゃないんだけどなぁ?」


何事も真剣に返答を重ねる緒凛に、真織は苦笑するしかない。緒凛の性格を考えれば、そうなっても仕方がないかと諦め、明日の外出で会話を続けてくれる事に喜びを感じながら。


「アイスは何味だ」

「え、今?」

「予習だ」

「緒凛の言う、過程って……」


真織はもう耐えきれないと爆笑する。ここにきてこんな大笑いしたのは初めてかもしれない。両手を叩いて広いリビングに真織の笑い声が響く。


そんな真織の姿に緒凛は相当驚いたようで、一瞬固まってしまったものの、次に見せたのは優しい笑みだ。


あ、この人、こんな風に笑うんだ。


こみ上げる笑いを抑えると、口の中がふくふくと鳴る。同時に、緒凛が感情を見せてくれた事に喜びを笑いともに噛みしめる。


“普通”をしたいと言ったのに。この人といると、全部特別になる。それが嬉しくて、ちょっとだけ怖い。


「……バニラ」

「無難だな」

「王道って言って」


緒凛は真織の顔をじっと見つめる。


「王道なら」


そう言って、緒凛が真織の手を取った。


「手は繋ぐな」

「は?」


真織の思考が一瞬停止する。ビクリと肩が跳ね、繋がれた指先に意識が集中して、思わず振りほどいてしまう。


「ま、待って普通って言ったよね?!」

「普通の高校生は繋ぐ」

「緒凛、高校生じゃないじゃん!!」


焦る真織を見て、緒凛がわずかに笑う。


その笑みは、からかい半分。でも、確かに本気半分。


「明日、逃げるなよ」

「……逃げない」


小さく返されたその声に、緒凛の目が細くなる。


逃げない。


その言葉が、どこまでの意味を含むのか。


――まだ、二人とも分かっていない。


“普通”がどれほど特別な言葉になっているのか。



 ◇◆◇



「……これでいいのか?」

「いいんです。緒凛様が選んだ服の方が無理です」


秘書がため息をつく。


無理――その一言に、緒凛は眉間に皺を寄せた。普段着のまま出ようとしたところを止められ、あれよあれよという間に使用人たちと囲まれた結果がこれだ。


仕事人間の緒凛は私服をほとんど持たない。学生の頃の名残でブランド品に興味はあったが、今はほとんどをスーツで過ごしている。気の利いた服などない。

秘書が場面ごとに服を用意してくれているが、そのほとんどに袖を通していない。緒凛自身、把握しきれていないのだ。


緒凛が選んだ服も悪くないが、秘書の基準では“無理”らしい。


この秘書は、以前、行き過ぎた忠誠心のあまり真織を傷つけた男だ。


焦りと嫉妬、独りよがりの正義が招いた暴走だった。緒凛は即座に彼を切ったが、能力までは否定しなかった。

以前のミスでは、減給処分でさえ納得しなかった男だ。忠誠心だけは誰よりも強い。それが、良くも悪くも。


徹底的に研修を受けさせ、頭も下げさせた。真織にも直接謝らせている。


「今日は“外出”です。仕事ではありません」


以前なら飲み込んでいたはずの言葉を、この男は躊躇なく口にする。

忠誠心は相変わらずだ。ただそこに、少しだけ度胸が混ざった。


一方の真織は、この秘書の指示で使用人たちに整えられていることなど知らない。

なぜ急に? と思いながらも、使用人たちが用意した服に着替え、初めての化粧もされるがままに。

いつも距離のある使用人たちが、今日は髪の一本から爪先まで綺麗に仕上げてくれる。

ふと、鏡越しに使用人の一人と目があった。いつもは無感情なのに、今日はほんの少し笑ってくれた。

それが妙に印象的で、真織の心に小さな疑問符を浮かばせる。


「ありがとうございます」


高校生活の中で、一番可愛い姿にされた真織がいつものように感謝を告げると、使用人たちはいつもと違って微笑み返してくれる。


そうして真織が緒凛の元へ合流したのだが。本当に無意識に真織はぽつりと漏らした。


「……かっこいい」


大人びた――けれど、真織の隣を歩くために大人過ぎないコーディネートは、流石の有能秘書といったところだろう。緒凛の魅力を引き出す服装を理解している。髪もおろしているが、軽く整えてあるのも魅力的だ。

真織の一言に緒凛は無表情ながらも、秘書に対して特別手当を心に誓う。


「真織も……」

「……?」


一方、緒凛も真織に対して同様の感想を持っていた。

甘すぎず、でも女性らしいファッションと、真っ黒で重たいイメージがあった髪も、少し毛先を遊ばせて巻いてある。「初めてネイルしたの」と嬉しそうに爪先を見せる真織に、緒凛は無意識にふにゃりと微笑んで。


「全部、愛おしい」

「っはぇ!?」


真織の顔は、一瞬で赤く染まり、心臓が跳ねる。思考が一気に吹き飛んだみたいに、言葉が出ない。


この時ばかりは責務を忘れ、秘書と使用人たちが影でサムズアップし合ったのを二人は知らない。



使用人達も人間なので、心の中では、はよくっつけと思ってた

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