2-12. フォルテ伯爵家の歓迎
簡単に掃除を済ませた私は、一旦ソナタ様の私室へ戻ることにした。
「ソナタ様。……今日は夕食を取り止めてお休みした方が良いのではないでしょうか?」
部屋に戻ると既にソナタ様は椅子の背にもたれて休んでいた。
気だるげな様子で顔色も真っ青に見える。お屋敷に到着した頃よりも更に体調が悪化しているのだと思われた。疲労が溜まっているのかもしれない。
そんな思いで提案したが彼は首を縦には振らない。
「いや、初めが肝心だ。休むわけにはいかないな」
彼はそう言って立ち上がると、おぼつかない足取りで扉の方向へ向かう。心変わりを期待して繰り返し説得するも、彼の同意は得られなかった。
主が参加すると決めたのだから支えるのが私の役目だ。
ソナタ様の身支度の手伝いを行い、彼の身を案じながら一緒に食堂へ向かった。
◇
食堂に入ると既に先客が待っていた。
食堂の中央にはリフェクトリーテーブルが鎮座し、存在感を放っている。けれどフォルテ家のお貴族様は三名と聞いていたのだが、その横長のテーブルの脇には椅子が20脚以上置かれており、家族だけの食事にしては広すぎるように思う。もしかしたら客人を招いての晩餐もここで行われているのかもしれない。
そしてテーブルの端、食堂の入り口から見て遠い場所に男女三名が固まって席についていた。その中にはアマービレ様も混じっているので彼らが家族たちなのだろう。
「遅かったな、ソナタ。早く席に着きなさい」
小太りの中年男性がそう声をかけた。アマービレ様と同じ赤色の短髪の容姿から、彼がフォルテ伯爵だと思われる。
彼が指差したのはテーブルの片端、入り口に近い場所だった。
フォルテ家の三人とソナタ様の席は、私の歩幅で5歩以上は離れている。婚約を済ませていないため客人として扱われているのだろうか。それとも、この距離が彼らとの間の心の距離になるのだろうか。今の私にはどちらか判断がつかない。
フォルテ伯爵の指示に従い、ソナタ様は席に着く。それを合図に料理が運ばれてきたので、彼の給仕を始めた。
「これで皆が揃ったな。では、晩餐を始めようか」
フォルテ伯爵の掛け声と共に一家の夕食が始まった。
「ソナタ。我が家の居心地は如何かな? 貧相なグラス家の屋敷とは比較にならないくらい快適であろう?」
「ええ。大変快適な時間を過ごしております。これも伯爵のお陰ですね」
「ああ、そうだろう。調度品から使用人まで最高品質の物を取り揃えているからな。貧乏貴族だったお前には過分なものだろうさ。存分に感謝するがよい」
会話はフォルテ伯爵とご家族が中心で、たまにソナタ様へ話題が振られるという感じだ。
けれど高圧的で無礼を含むやり取りが多く、横で聞いていた私には気分の良い内容ではなかった。
チラリとソナタ様の様子を伺う。
先ほどから料理を口に運ぶ手の動きが鈍い。体調不良で食欲がないせいだろう。それでも無理を押して彼は食事を食べ続けていた。
「アマービレ。明日の婚約式の準備はどうだ? 父親として、娘の晴れ舞台が待ち遠しいよ」
「あら、お父様。心にも無いことをおっしゃいますのね。私のことなんて政争の道具にしか考えていらっしゃらないくせに」
「何を言うんだい、アマービレ。こんなにも娘のことを大切に思っているというのに」
フォルテ家の者たちは談笑を続けていた。目の前でこんなにも具合の悪そうなソナタ様がいるのに、まるで気付かず彼らは平然と食事を続けている。その光景に苛立ちを感じる。
再度ソナタ様を見ると、彼の手は完全に止まってしまっていた。もう食べ物が喉を通らないのかもしれない。
視線をフォルテ伯爵へ向ける。
仮にもソナタ様は婿という立場だ。将来、家族になるはずの人なのに、どうして気遣ってあげることができないのだろうか。少しくらい労わりの言葉があっても良いのではないだろうか。
そう思うと口が勝手に動いていた。
「あの。申し訳ございませんが、我が主の体調が優れないようなので退出を許可いただけないでしょうか?」
私の言葉でその場の空気が一変した。楽しげなだった雰囲気が張り詰めたものに変わる。
しばらく待つが、誰も言葉を発しようとはしない。一家だけではなく、使用人たちの視線が冷たく私に刺さる。それでも私は言葉を続けた。
「このまま無理をして明日の式典に差し支えるといけません。主の退出をお許しいただけないでしょうか?」
変わらず誰も喋らない。人々の視線の鋭さが増したように感じた。彼らが何を考えているのかは分からないが、その表情を見る限りとても好意的なものとは思えなかった。
ふとソナタ様に視線を向けると、彼は小さく首を横に振っている。勝手なことをするな。そう言っているように感じた。
「貴族に対して平民が意見するとは何事だ! 身の程をしれ!」
高圧的な声が聞こえ、フォルテ伯爵の方へ視線を戻す。彼は不機嫌な態度を隠そうとしていなかった。
「ソナタ。その女はお前の連れてきた侍女だったな。少し教育が足りていないんじゃないか?」
「伯爵。大変申し訳ございません。後で彼女には言い聞かせますので、この場はどうか不問にしていただけないでしょうか?」
「おい、カル! 鞭をもってこい! 出来の悪い侍女は私がこの場で教育してやろう」
「お待ちください、伯爵! 使用人の不手際は主の責任です。であれば、彼女の代わりに僕が鞭を受けます」
「ソナタ様、待って——」
待ってください。
失敗したのは私であってソナタ様ではありません。
鞭を受ける必要があるなら、私がお叱りを受けるべきです。
そう言おうとしたがソナタ様に左腕を強く掴まれた。黙っていなさい。彼の目がそう言っているような気がして、身を一歩引いた。
ソナタ様は重そうに椅子から立ち上がると、フォルテ伯爵に向かってその場で跪く。
「僕の侍女が大変失礼いたしました。どうぞ僕に免じて彼女の無礼をお許しください」
そう告げると彼は更に頭を落とす。
ああ、主に頭を下げさせてしまった。恥をかかせてしまった。それが悔しくて情けなくて、ドレスの裾を強く掴んでいた。
「興が削がれたな。今回は不問にしよう。だが次にその女が無礼を働いた場合には、ソナタが鞭を受けろ!」
「はい。肝に命じております」
許されたソナタ様は立ち上がると再び席についた。
ふとアマービレ様と目が合う。彼女は無表情のままソナタ様ではなく私を見つめていた。その視線には敵意のようなものが含まれている気がして思わず視線を外してしまった。
◇
「勝手なことをして申し訳ございませんでした」
ソナタ様の私室に戻った私は、すぐに彼へ謝罪した。
「流石に肝が冷えたよ。でも、何事もなくて良かった。でももう二度とあんなことはしないでくれ」
「はい、ソナタ様。頭を下げさせてしまい本当に申し訳ございません」
「理解したならいいよ。はい、説教はもうおしまい」
彼は簡単に許してくれた。それでも合わせる顔がなくて頭を下げ続けていると、彼の掌か何かでそっと頭を撫でられた。
「ヒカリ。ここはグラス家とは違う。貴族と平民は明確に区別される世界だ。そのことを少しずつ一緒に学んでいこうね」
その声色はとても柔らかかった。
本当に彼は良い主だと思う。私が仕えるべき人は彼以外に考えられない。
そんな人に迷惑を掛けてしまった。この失敗を埋めるために私には何が出来るだろうか。
頭を上げた私はその場で跪く。
「お許しいただきありがとうございます。心を入れ替えて、今まで以上に誠心誠意お仕えしたいと思います」
「ああ、これからもよろしくね」
彼のために尽くそう。出来る限りのことをしよう。
だったら、今すぐにすべきことは決まっている。
「では、ソナタ様。お着替えしてすぐにお休みになりましょう」
「え、今から? 食事したばかりなんだけど」
「今すぐです! 具合の悪い方は早く寝て、ゆっくりと身体を休めてください」
これまでと比べると、フォルテ家の環境は随分と違う。
平民としての立ち振る舞いを意識しなければならないし、好意的ではない家の者たちとも関係を築いていかなければならない。その過程で辛いことも数多く経験するかもしれない。
それでも彼の傍にいる事が出来るならば、私は頑張れる気がする。本当にそう思う。




