彼方からの声
コハクはサラに今日の出来事を説明した。ベリルの凄惨な最期も、サラが望んだので包み隠さず説明する。彼女にはそれを聞く権利がある。
「そうですか。鳥が…」
サラが青白い顔で呟いた。気分が悪くなったのか、口元を手で押さえる。
「ごめんなさい、少し酔ったみたいです」
相変わらず彼女はこちらに気を使わせない言い回しをする。
コハクは馬を止めてサラを下ろすと、柔らかい下草の上にローブを広げた。その上にサラを座らせると、自分も隣に座り、彼女の肩を抱く。
「あの人は、子どものころからずっとコハクさまのことが好きだったのですね」
「そのようです。私はほとんど覚えていませんでしたが」
「彼女がわたしを憎むのは当然のことです」
死んだと思っていた想い人が実は生きていた。それだけなら喜ばしいことだが、相手は突然現れた別の女と目の前で恋に落ちた。
冷静に考えれば誰にだってわかることだ。でも…。
「それは貴女に非があることではありませんよ」
「人を不幸にしてまで、命を奪ってまで、わたしは幸せになっても良いのでしょうか」
「サラ…」
サラの優しいところが好きだ。でも、優しすぎる彼女は自分と一緒にいるだけで傷ついてしまう。それなら、いっそ…。
「別れたい、と仰るのですか?」
口をついて出たのは、二度と言わないと決めた言葉だった。あの夜の彼女の涙が脳裏をよぎる。
しかし、取り消そうとした言葉は、なぜか喉につかえて出てこなかった。
それでも、サラが傷つく姿を見るよりはいいのかもしれない。心のどこかで偽善者ぶる自分が笑っているような気がした。
「わたしと別れたら、コハクさまはどうなさるのですか」
顔を上げたサラは、なぜか微笑んでいた。すべてを見透かされたような気がして、コハクは冷静さを取り戻す。
「そうですね…、今まで通り仕事をするでしょうね。あなたは?」
「わたしも今まで通りだと思います」
「でも、きっと私は事あるごとに貴女を思い出します。一人で過ごす休日は寂しすぎて、貴女に会いに行ってしまうかもしれません」
その言葉に、サラは目を細めた。
「わたしも、きっと同じ気持ちになります」
「そのときは出迎えてくださいますか」
「はい。だって、わたしも会いたいから…」
桜色の唇に微笑をたたえて、サラはコハクを見つめた。
「それでは別れる意味がありませんね」
「ええ」
コハクは苦笑いをした。サラもくすくすと笑った。
きっと自分は確認したかったのだ。何があっても離れないと誓ったのに、今日は色々な事がありすぎた。
「大聖堂で儀式を行う貴女は本当に清らかで美しくて、私の血に汚れた手で触れるのはとても罪深いことのように思えたのです」
この右手から魔法を放ち、鳥を操った。
直接手を下したわけでもないのに、右手には血の臭いがこびりついているような気がした。コハクは城に戻り、取り憑かれたように延々と手を洗った。それは皮膚が擦りきれる痛みで現実に引き戻されるまで続き、そのために待ち合わせに遅れてしまったのだ。
「かわいそうに…」
サラはコハクの手を取り、荒れてしまった手の甲にそっと口付けた。まだ血がにじんでいた擦り傷がひとつ残らず消えていく。
「あのときコハクさまが止めてくださらなかったら、わたしが彼女を殺していました。だから、わたしもあなたと同じです」
「サラ…」
「コハクさまはわたしの手が怖いですか?」
それは絶対にない。コハクは強く首を振る。
「よかったです」
サラは嬉しそうに呟くと、ふわりとコハクに抱きついた。柔らかい髪から花の匂いが漂ってくる。
「儀式の最後に不思議なことが起きました」
「不思議なこと?」
「あの虹色の光は、わたしが起こしたものではありません」
「そうなのですか? 私はてっきり貴女の魔法だと…」
「ええ。神官長さまも他の神官たちも、身に覚えがないと仰っていました」
この時期によく聞く話だ。眉唾だと思っていたが、実際に目にしたのは初めてだった。
「わたしも虹色の光に包まれました。そして誰かが頭を撫でてくれました」
「心当たりはあるのですか?」
「神官長さまはわたしの両親ではないかと仰っていましたが、わたしもそんな気がしています」
幼い頃に亡くなったサラの両親か…。その可能性は大いにある。
「そうですか…。では、貴女のご両親の墓前に挨拶に行かなければなりませんね」
「お墓は…ありません」
ぽつりと呟いた言葉はコハクにとって驚くべきものだった。
「村人が全員亡くなったので、身元を確認することが不可能だったのです。だから村の跡地には慰霊碑が建っているだけです」
「それは…辛いことを聞いてしまいました」
「いいえ。わたしは今日まで両親を偲ぶことすら忘れていました。たくさんの人に支えられて生きてきたのに、いちばん感謝すべき人たちを忘れるなんてひどい娘です」
自分を責めるサラが悲しくて、コハクはその小さな体を強く抱き締める。
「…ふたりでステイシアに行きましょう。辛い思い出の場所も、ふたりで行けば何か変わるかもしれませんし、私は貴女の生きてきた場所を見たいのです」
「聖都に比べれば小さな街ですよ」
「変装しなくても騒がれないのですから、私にはありがたいことです」
コハクはサラの首筋に唇を落とした。
他国でなら、サラとふたりで気兼ねなく歩けるだろう。もちろん、聖王国の責任ある立場であることを忘れずに、自分の身は自分で守るのが前提だが。
「あの…、コハクさま」
控えめな声に、コハクは顔を上げる。
「夢だと思っていたので申し上げなかったのですが、わたし、マリアさまと、コハクさまのお母さまに命を救っていただきました」
「それは、どういうことでしょうか」
思わず上ずった声が出てしまった。心臓が早鐘を打っている。
「北のお屋敷に誘拐されたとき、死の呪文を唱えたことはお話ししましたよね」
「はい。途中で思い止まったと」
「本当は、 止めるのが遅すぎて間に合わなかったのです」
「えっ?」
「体力が底をつき瀕死の状態になったわたしは、あのまま衰弱死するところでした」
急激に体温が下がったような気がした。忘れかけていた恐怖に体が震える。
「それで…、何があったのですか」
「突然、わたしの体は暖かいもので包まれました。そして、ふたりの女性の声がしたのです」
サラはコハクを見上げ、細い指で頬に触れた。
「おふたりは、わたしを励ましてくださった後、コハクさまを、私達の分まで愛してあげて…と」
恐怖は消え失せ、別の感情で体が震えだす。
コハクが怒っていると思ったのだろう。サラは怯えたように体を引いた。
「申し訳ありません。もっと早くお伝えすべきでしたが、確信もないままコハクさまの大切な思い出に触れてはいけないと思って…」
サラが謝る必要などない。コハクはもう一度サラを抱き締めた。暖かくて柔らかい体を抱いていると、次第に震えが収まってきた。
「私が貴女の仰ることを疑うわけないでしょう。大切な人の言葉を伝えてくださって、ありがとうございます」
「コハクさま…」
「私もきちんと感謝を伝えなければなりませんね。残念ながら母の墓は旧コルテア領にあるので簡単には行くことができません」
おそらくその墓も盗賊によって荒らされているだろう。それほどにあの国の闇は深い。
「ですが、マリア様のお墓でしたら城の敷地内にあります。今度、一緒に来ていただけますか?」
「よろしいのですか?」
「お願いします」
「…はい」
サラは頬を染めて頷いた。コハクはその手を引いて立ち上がる。
「そろそろ行きましょう。貴女に見せたいものがあるのです」




