春の日の出会い3
「それは君が悪い」
アレクがあきれた声で言った。
「返す言葉もございません」
「それで、謝りもせずにそのまま見送ったわけ?」
「あそこまで距離を取られては不可能です」
コハクはため息をつく。
執務室に戻ったとき、案の定アレクは絶賛休憩中だった。
悪びれる様子もなく「早かったね」と言われたので、仕方なく事の経緯を話したのだが、それを聞いたアレクの第一声が、「情けない」だった。
「君にしては珍しい失敗だね。こんなこと初めてじゃない?」
「司祭があまりにも緊張されていたので、むやみに声をかけない方が良いと思ったのです」
「君の美貌になびかない女の子の扱いは難しかったかな」
アレクの皮肉な物言いが癪に障る。しかし、扱いづらかったのは事実だ。
「聖王国始まって以来の天才宰相様も形無しだねぇ」
宰相だろうが女性の扱いが苦手なのだからしょうがない。コハクは反論しようとしたが、アレクが急に真剣な顔になったので諦めた。
「でもさ、彼女はひとりで三個の魔道具の浄化を済ませたんでしょう」
「はい」
「城で一番力のある魔導師が、一個も直せなかったんだよ。さっき聞きそびれた司祭の詳しい経歴を教えてくれるかな」
「承知しました」
アレクの中でお遊びの時間は終わったようだ。コハクは手元の書類を取り出して要点を読み上げる。
「サラ・ファティマ。十六歳。幼い頃に両親を亡くし、施設で育つ。十一歳で王立魔法学校に入学。成績は常に上位で、氷の姫という呼び名がつくくらい、水魔法に関しては右に出るものはいなかったということです。また、治癒魔法も得意で、薬草と魔法に関する論文での受賞歴もありますね」
「そんなすごい子を、ステイシアはよく手放したね」
「前司祭からの指名を本人が了承したと聞いています」
書類を片付けて、コハクは椅子に座った。
「前司祭が他国の女の子を後継に指名したって聞いたときは驚いたけど…」
「ある時期が来ると次の司祭がわかる、と聞きました。秘伝を用いて、必要な知識をすべて伝授するとか」
「彼女は間違いなく、聖教会の司祭にふさわしい力の持ち主だったということか」
聖教会についてはコハクたちにもわからないことが多い。月と太陽と星を祭り、はるか昔から聖王国を精神的に支えてきた。王家は太陽の力をもつ一族だから、王家にまつわる儀式も聖教会が行うことが多い。年に一度、夏に行われる星祭りは国の重要な行事だ。
司祭は代々指名制で、ほとんどは聖教会の神官の中から選ばれる。しかし、今回は司祭が急な病に倒れ、後継者を発表する前に亡くなってしまった。先代の葬儀の後、見つかった遺言に書かれた通りの場所に使いの神官達が向かうと、そこで一人の少女が待っていた。それがサラ・ファティマだった。
サラはすでに司祭になるための準備を済ませており、魔法学校には極秘裏に退学届を出していた。神官たちは驚いたが、サラが遺言に書かれた通りの暗号を答えたので、彼女を次の司祭と断定して聖王国へ迎えることになったという。
「なるほどね。それで僕を差し置いて彼女に声をかけた理由は?」
やはりアレクは気が付いていた。コハクは答えに詰まる。
「一目惚れ?」
「違います」
手付かずの書類を押しつけながら、コハクは抗議の声をあげる。自分でもよくわからないが、一目惚れでないことは確かだ。
「ただ…」
「ただ、何?」
「少し前まで普通の学生だった少女が、突然他国の司祭になって、国王にまで謁見するなんて、環境の変化についていけなくて当然かと」
アレクに隠しても意味はない。コハクは思い付くままに説明をする。アレクは黙って書類の束を受け取った。
「そうか、少し君と似ているんだね」
アレクの声は優しい。その中にコハクは亡き王妃の姿を思い浮かべる。
コハクは窓の外を見た。小高い丘の一部が薄紅色に染まっている。
「もうすぐ、十二年になります」
「もうそんなに経つんだ…」
あの丘全体が薄紅色に染まる頃、コハクがこの国にすべてを捧げると誓ったあの日と同じ季節が巡ってくる。
「…ですから、少し気になっただけですよ」
コハクは自分に言い聞かせるように呟いた。
「そういう心配だけ? 本当に?」
「他に何があるというのですか」
「はいはい、そういうことにしておくよ。お茶ちょうだい」
黙ってカップを差し出すと、アレクは意地の悪い笑みを浮かべた。コハクは再び窓の外に意識を向ける。
「それにしても…」
今日のサラは可愛そうなくらいに緊張していて、コハクも声をかけづらかったのは事実だ。それにしても、もう少し気にしてあげれば良かったと思う。心細い気持ちは、自分ならわかってあげられたはずである。
「無理をさせてしまいました。体が弱いなんて聞いていませんでした…」
あのときの感触がよみがえる。柔らかく細い体。微かに甘い香り。あれは何の香りだろう。
「心配なら、もう少し優しく声をかければよかったのに。君の顔は良くも悪くも整いすぎてるんだから、いつもの仏頂面で話しかけられたら、ますます怖がられちゃうよ」
「もともとこういう顔ですから」
自分だって好きでこの顔に生まれたわけではない。それに宰相の職務を遂行する上で困らないのだから良いではないか。
「これも何かの縁だと思うけど。いいかいコハク、次はちゃんと送ってあげてよね。僕からの命令だよ」
「…承知しました」
コハクは「命令」という言葉に、反射的に胸に手をあてて一礼した。
「おもしろくなってきた」
アレクの呟きが、夕方の執務室に響いた。




