春の日の出会い1
いつもと変わらない、穏やかな春の日の午後だった。
聖王国の城にある執務室では、若き国王アレクディア十五世が、いつものように大量の書類と格闘していた。
「何かおもしろいことないかなー、ねぇコハク」
アレクは大きく伸びをしながら傍らの青年に呼び掛けた。コハクと呼ばれた青年は読んでいた書類を机に置くと、肩までのびた金色の髪をかきあげてアレクを一瞥する。
「ありません」
コハクは冷ややかに答えると、再び書類に目を落とした。
「この前のノエル侯爵家との縁談について、とか」
それでもアレクは諦めない。書類仕事に飽きたようだ。
アレクは、空になった紅茶のカップをコハクに差し出した。コハクは片方の眉をしかめながらそれを受けとる。
「お断りしました」
コハクは熱い紅茶をカップに注ぎ、一匙だけ砂糖を入れてアレクに差し出す。
「またぁ? かわいい子だったのに」
「私は国家と陛下に忠誠を誓っております。国のためにならないことには興味がありません」
アレクは紅茶を受けとると、一口飲んで眉間にしわを寄せた。今年二十歳になる国王は、母親譲りの青い髪と整った顔立ちで国民に人気がある。しかし、仕事はできるのだが、飽きっぽいのが欠点だ。
「君には幸せになってもらいたいんだけど、いつになったら春が来るのかな」
「私は、陛下がきちんと仕事をしてくだされば幸せですよ」
「何だよ、つまんない」
完全に仕事をする気がなくなったアレクを尻目に、コハクは書類の束を整える。
仕方がない。少し早いが、次の予定を話すことにする。
「この後、教会の新しい司祭がいらっしゃいますよ」
コハクの言葉に、アレクが身を乗り出した。
「まだ聖都に来てなかったんだっけ」
「いえ。一週間前に聖都には到着されていましたが、しばらく体調を崩していたそうです」
コハクは手帳をめくり、記録を確認した。
「ステイシア出身の十六歳の女性です。今日は陛下にお目通りした後、結界の確認をなさるそうです」
「ずいぶん若い子だね。しかも北の国の子か。楽しみだね」
「では、こちらの書類をご覧下さい」
コハクが司祭に関する書類を取り出したとき、扉が叩かれる音がした。
「新しい司祭様をご案内しました」
警備の兵士の声がする。予定より少し早かったが、コハクはアレクと目をあわせて頷いた。
「お待ちしておりました。お入りください」
執務室の扉が開く。
「失礼します」
消え入りそうな声の後、兵士の影から小柄な少女が現れた。
肩より少し長い薄茶色の髪に、それよりは濃い茶色の瞳。透き通るように白い肌は、彼女が北の国の出身だからだろうか。青地に白い模様が刺繍されたドレスは、高位の女性神官の正装だ。
少女は大きな鞄を足元に置き、胸の前で手を組んで膝を折ると、ぎこちなく一礼した。
「サラ・ファティマと申します」
「はじめまして、僕はアレク。こっちは宰相の」
「コハク・エンジュです」
コハクは仕事用の笑みを浮かべて、サラを来客用のソファーに座るように促した。アレクは見てもいない書類の束を整えてから、サラの向かいに座った。
コハクは新しい来訪者を観察しながら紅茶を淹れる。
可哀想なほど緊張しているようだ。紅茶のカップを置いた音にすら、サラは肩を震わせた。
コハクが椅子を出して座ったところで、サラは顔を上げた。
「ご挨拶に伺うのが遅くなって申し訳ありません」
そう言って再び頭を下げた。
「体調を崩していたって聞いたけど、もう平気なの?」
「はい。こちらはとても暖かくて、慣れるまでに時間がかかりました」
か細い声でサラは答える。肌が白いからそう見えるのか、まだ体調が悪いのか、どちらにしろあまり元気ではなさそうだが。
「あの…、陛下」
「ん?」
アレクは紅茶をすすりながら視線を上げた。
「わたし、精一杯がんばりますので、よろしくお願いいたします」
サラは泣き出しそうな顔で言った。膝に置かれた手が震えている。無理もない。こんな小さな体でたった一人で故郷を出て、いきなり他国の国王と会うことになるなんて。
自分が初めてこの城に来た日の事が、コハクの脳裏をよぎった。
「ご無理はなさらないでくださいね」
アレクを差し置いて声をかけるなんて、普段のコハクなら決してしないことだった。それほどに目の前の少女は頼りなく見えたのだ。しかし、この国の司祭になるのだから、しっかり役目を果たしてもらわなければならない。
宰相としては当然の気遣いだと自分に言い訳する。
コハクが少しだけ後悔したとき、はじめてサラと目があった。
サラは、ふわりと微笑んだ。
「宰相さま、ありがとうございます」
白い頬が薄紅色に染まり、小さな桜色の唇が控えめな弧を描く。まるで小さな花が咲いたような笑顔だった。
思わず見とれていると、サラは恥ずかしそうに下を向いてしまった。初対面の女性に対して失礼だったか。
そのとき、アレクが何か言いたげな表情でこちらを見ていることに気が付いた。コハクは気恥ずかしくなって目を逸らす。
アレクがわざとらしく咳払いをした。
「では、結界の確認をお願いできるかな」
サラの表情が変わった。真剣な眼差しでアレクを見つめる。
「はい。今日は簡易的な処置しかできませんが、後日必要な道具を用意して本格的に修繕します」
淀みなく言葉を紡ぎ、サラは一礼した。
城には、悪意を持った者の侵入や、呪いや魔法による攻撃を防ぐ目的で、魔道具と呼ばれる鉱石を用いた結界が張られている。
魔道具は魔力を消費して結界を維持するため、定期的に特別な聖水をかける必要がある。その聖水は先代の司祭が作成していたのだが、司祭が病に倒れてからはその作業はできていない。しかもかけられた魔法が高度すぎて、城付きの魔導師や高位の神官にも手に負えない状態となっていた。
サラの司祭としての最初の仕事は、この結界の修繕であった。
「コハク、ファティマ司祭を魔道具のところに案内して」
「承知しました」
魔道具は、広大な城の敷地内の五ヶ所に設置されている。初めて来たサラが案内なしでたどり着くのは困難だ。
コハクはやりかけの書類を引き出しにしまい、掛けていたローブを手に取る。サラも鞄を手に立ち上がった。
「では、行ってまいります。陛下、私がいない間…」
「わかってる。ちゃんと仕事するから。どうぞごゆっくりー」
まったく信用のできない言葉に送られて、ふたりは執務室を後にした。