第7話 前公爵を知らぬ町
夜明けの市には、まだ店が揃っていなかった。
染物倉庫から出た荷車が二台、ゆっくり通りへ入ってくる。幌の隙間から麻袋が見えた。
セシリアは運送人とともに、市場の秤の前に立っていた。ゲルトもいる。娘はミラの知る宿に預けてある。
ルカは私の少し前を歩き、人々が押し合わないよう声をかけていた。剣には手を触れていない。
「その荷を、ここで確かめたい」
私が言うと、荷車を守る兵が道を塞いだ。
「商会の荷だ。邪魔をするな」
「袋を見せるだけで済む」
「どきなさい!」
ベルントが兵の後ろから現れた。
彼は集まり始めた住民を見て、声を張り上げる。
「昨夜から、この老商人が町の仕事を妨げている。皆、惑わされるな」
老女の姿が人垣にあった。孫を連れて、今日も配給を待ちに来たのだろう。
私は杖をつき直した。
「王都の穀物庫から届いた三百袋のうち、町で配ったのは百二十袋。残りはどこにある」
「備蓄だ」
「この荷の中か」
ベルントの顔がわずかに強張る。
セシリアが運送人の受領証を開いた。
「町へ三百袋を下ろした記録があります。この倉庫を借りたのは銀鷺商会です。倉庫番は、残る百八十袋が中にあったと証言します」
「どこの馬の骨とも知れぬ商人が、書類を並べたところで」
ベルントは私に向き直った。
「兵よ、この老人を連れていけ」
人垣が静まった。
私は旅の書類から、国王の署名がある通行状を出した。
「連れていくなら、名は正しく記してくれ」
ベルントが紙に目を落とす。次に、私の顔を見た。
「アルノルト……ヴァルムント?」
ざわめきが広がった。市場の端から、白髪の男が一歩進み出る。片足を引きずる歩き方に覚えがあった。昔、北方軍で馬の世話をしていた兵だ。
「閣下」
私は首を横に振った。
「今は前公爵だよ」
男は傷のある私の左眉を見て、深く頭を下げた。
ベルントが後ずさる。兵たちも互いの顔を見た。
だが、名乗っただけでは袋の中身は明らかにならない。
「王の通行状は私の身元を示すものだ。この町で裁きを下す権限は、私にはない」
私はベルントではなく、荷車のそばの兵に言った。
「監察官が来るまで、荷をここに置いてほしい。証人の前で袋を確かめよう」
荷車の上に足をかけようとして、膝が抜けた。
すぐにルカが腕を支えた。
「無理するなって言ったでしょう」
「言われたな」
「ここからは俺が見ます」
ルカは兵の制止が止んだのを確かめて荷台に上がり、幌をめくった。袋についた王家の印を隠す布が、風で一枚ずれる。
見ていた住民から声が上がった。
ベルントが兵へ命じようとした、そのときだった。
市場の入口から馬の蹄の音が響いた。
街道監察所の印をつけた一団が入ってくる。先頭の監察官は馬を降り、私たちの間に立った。
「代官ベルント。訴えを受け、荷と倉庫の検分に来た。関係する者はこの場に残ってもらう」
ベルントは、もう笑っていなかった。
私は杖に体を預け、ようやく息を吐いた。




