偽りの痕跡⑥
「にゃるほどにゃるほど」
紫はうんうんと頷きながら美術室を回り、美術部員が描いたキャンパスを眺めていく。
恒河沙学園には部活動開放後1ヶ月間は、何人にも部活体験させよというルールが存在する。
このルールによって、馬鹿みたいに苛烈な部活勧誘がある一方で、馬鹿みたいな奴がこうして体験入部をする事も避けられないようになってた。
しかもこれは、2年や3年にも採用されるルールである為、サークルクラッシャー(物理)みたいな厄介者が出現するのも毎年の恒例行事だったりする。
新学年を迎えた2、3年には、部活動における結束力が求められるのである。
紫はそういった意味では、まさに厄介者なのかもしれなかった。
乾いていない絵とか平気で触りそうだし、面白半分で絵の具をぶち撒けたりもしそうだ。
勿論これは、短い時間で紫に抱いた千大の偏見であり、実際は分からない。
「おい。絵には触れるなよ」
そんな風に千大が偏見100%で紫の行動を予想していると、千大と同じ考えに至ったであろう美術部員が、先手を打って忠告した。
「勿論、分かっているのにゃ」
「今、触ってたろ」
「触ってないにゃ。ちょうぴり当たっただけにゃ」
「痴漢の言い訳かよ」
「紫さんは美少女だから、寧ろヤラれる方にゃ。肘がよくぶつかってくるのにゃ」
「…反応に困る切り返しをするな」
「うまく切り返してきたら、セクハラで訴えるだけにゃ」
紫はふふんと得意げに鼻を鳴らす。
紫に口で勝つのは無理そうだ。
「なんであれ、汚すなよ」
「キャンパスは派手に汚してこその、芸術活動じゃないのかにゃ?」
「まさか、絵を描く気か?」
「ここは美術部にゃ。絵を描いてナンボの所にゃ」
「…道具を持ってるなら、好きにしたらいい。体験入部を止める権限は俺にないからな」
少しの沈黙の後、美術部員は答えた。何でも否定してきた美術部員が否定から入らないのは、紫が絵を描く道具を何一つ持っていないからだった。
「幼気な体験入部者に、貸してはくれないのかにゃ?」
「貸すわけがない。後お前、犬は抱いてろ。小便でも引っ掛けたら、俺が部長に怒られるし、乾いてないキャンパスに毛でも付いたら、俺が部長に怒られる」
「狭量な奴にゃ」
紫はやれやれと深く息を吐いた。
「絵が絡んだ時の部長の怖さを、お前は知らないんだよ」
「…」
ぐしゃぐしゃと後頭部をかく美術部員横目に、千大はホームズを抱きかえた。
ホームズがその辺に小便を引っ掛ける事はないし、毛に付いても那由が入念にブラッシングしているので、そこまで抜けない。
ただそれでも可能性は0ではないし、反発する理由もない。この美術部員はホームズの知力もブラッシングされているという事実も知らないのだ。
「ん?」
抱えたホームズの尻尾が少しだけしっとりとしていた。どこかしらのキャンパスを尾が筆のように撫でたのかもしれない。千大はホームズの尻尾を手で頑張って覆い隠した。
「絵が絡んだ時の部長の怖さ。それは中々に面白い事実にゃ。その部長とやらは例えば壁に部員が落書きしたとして、怒こったりするのかにゃ?」
「は?なんだいきなり」
「下の階で起きた事件の事をお前は知らないのかにゃ?」
「事件?」
「映像研のスクリーンに落書きされた事件にゃ」
「今知ったが、それが美術部員の仕業で、部長にバレたら大目玉を食らうんじゃないかと、お前は考えているのか?」
「話が早くて助かるにゃ」
「ないな。部長の情熱は自分の絵に対してだけだ。自分絵以外がどうなったとて、部長は怒るどころか興味すら持たない」
「にゃるほど。ちなみにお前から見て、野宮英士の才能は如何ほどかにゃ?」
「回りの評価は高いな。俺もうまいとは思う」
「部長と比べてはどうにゃ?」
「さぁ。部長の絵には計り知れないオーラみたいなのがあるけど、それをうまいと捉えるかは人次第だし、比べてどうこうするもんじゃないぞアレは」
美術部員は美術室の中心にある巨大なキャンパスに視線を動かした。
そこには怨念のような憎悪のような、慈愛のような博愛のような、それらしい言葉が思い浮かんでは消えていく、よく分からないが兎に角迫力のある絵が飾られていた。
絵を描いている者であれば技術と迫力に目がいき、絵を嗜む者には創造力を描き立たせ、絵を知らない者にはなんか凄いという印象を与える。
ただ、けしてうまい絵というわけではなかった。
見ようよっては誰にでも描けそうな絵であり、周りに置かれている多くの絵の方が、描くのは難しそうに見えた。
「にゃるほど、これは自称専門家のじじぃ達が喜んで評価しそうな絵にゃ」
「使われている技術に目を行かせない所が、この絵の凄いんだがな。まっ、だからといってこの絵を部屋に飾りたいとは思わないけど」
「お前の部長への評価は中々に高そうにゃ」
「高いよ。低くする理由もない」
「にゃるほど」
紫は頷いた。




