第二章 恐怖の学校、ときめく放課後
ピピピピピピピピッ。
目覚まし時計の機械的なアラーム音が私を心地よい眠りから目覚めさせた。
しかし、朝の弱い私はすぐには起きない。
アラーム音をBGMにして「う~ん」なんて呻きながらしばらく布団に潜り続ける。
このまま五分ぐらいぼけー、としてから起きるのが私の日常であり、至福の時間だ。
いや、今日は父さんも母さんも仕事の関係で家にいないんだし後十分くらいこうして――
「うわっ!なんだこれ!?」
「すごい音が出てるねー」
何故だかイヤな予感が背筋を走り抜ける。
「しかし、うるさいな。どうやったら静かになるんだ、これ?」
「解体してみようか?」
「するなぁ!」
自分でも驚くほどの速さで布団を飛び出し、好奇心に飢える地底人どもからペンギンの姿をした目覚まし時計を救出した。
「よう、もも」
「おはようございます、ももさん」
「……おはよう」
僅かに不機嫌さを込めて挨拶を返す。
あ~あ、起きちゃった。まぁ、どっちにしても学校あるから起きなきゃならなかった訳だし、怒るのもおかしいけどさ。
「う~っん」
私は眠気を追いやるつもりで大きく背伸びをした。
ついでに窓のカーテンを開けて日の光を浴びる。
やっぱり早朝は気持ちがいいなぁ。朝食を作らなければいけないという事と、朝はゆっくりしたいという理由から私は早めに目覚ましをセットしているのだが、そのお陰でこうやって清々しい朝を迎えられる……なんて言ったら、また「年寄り臭い」って友人に指摘されちゃうかな?
「ももぉ!腹減ったんだけど?」
「……ルーク、あんたって人のいい気分をぶち壊す天才ね」
「いやぁ、天才なんて。そんなでもないぜ」
「ルー君……たぶんそれ、褒められて無いと思うんだけど」
情けなさそうに俯くカリュ……この子の今までの苦労が偲ばれるなぁ。
「まぁ、私もお腹は空いたし、朝食作るか」
私は自分の部屋からキッチンに向かった。
う~ん、何を作ろうかなぁ。
目玉焼きに、バターを塗ったトースト、合わせ味噌の味噌汁に、インスタントのコーヒーを使ったカフェ・オ・レをテーブルに並べた。
作ると言っても、私ではこの程度の料理しかできないんだよね。
「おおー、うまそうじゃないか」
「いい匂い~」
絶賛してくれる二人に、それらの料理を小分けして目の前に置いてあげる。
二人の好み――と言うか、地底人の食生活が日本人のそれとほぼ大差が無い事は、昨日いろいろと聞いて、一緒に夕食を食べた事である程度解った。
「いただきまーす」
私は自分用の椅子に座り、ルークとカリュはテーブルの上に直に座らせて食べ始めた。
よほど空腹だったらしく、二人は料理が三分の一位になるまで一言も喋らずに食べ続けた。
「――そう言えば」
ある程度食べたところでカリュが私に話しかけてきた。
「ももさんは今日学校に行くんでしたね」
口に物を含んでいた私は、首だけで頷いた。
二人には昨日私の事や、地上の事を大体は話した。まぁ、世間話感覚で流行やら趣味やらを「地底では――は○△だった」「へぇ、地上じゃ――は△☆なんだけどね」なんて感じで喋り合っただけだけどね。
その中の一つに学校の話題が出た。
私が中学校に行っていると話すと、
「――ええっ!?地上にも学校ってあるんですかっ!」
「も、ももっ!お前、学校に行っているのか?」
「あ、うん」
信じられない、と顔を見合わせる二人。
しばらく何も言わずに見つめ合ってから、ルークが難しい顔で口を開いた。
「ま、まぁ、ももの人生はももの物だしな」
「えっ?ちょっ、ど、どういう意味!?」
動揺する私にカリュも、
「取り返しのつかない人生なんて無いって言いますし、大丈夫ですよ……きっと」
――語尾に力のないその物言いは何?
その後すぐに、カリュが「地上にも飛行機ってあるの?」と話題を変えてしまったので、二人の言葉の意味は結局分からなかった。
あるいは、地上と地底では「学校」の指す物が違うのかもしれないけど。
「――ももさん」
やはり今日も、何処か神妙な面もちでカリュが言う。
「くれぐれも気を付けて下さいね」
「だから、何に?」
私が尋ねると、さっと目を背けるカリュ。
ホントに一体何なのよ。
「……ま、いいや。あんたらこそ、家でじっとしているのよ」
私は少し強めに言った。
「あんたらが何が言いたいのかはよく解らないけど、あんたらの方こそとっても危険な状況なんでしょ?」
ルーク達は地底における警察みたいなのに追いかけられているって言うし、そうでなくてもこんな珍しい存在、人に見られたら捕まえて売り飛ばそうって考える人も出てくるかもしれない。
なんて事を考えながらふと視線を移していくと、
「――ん?」
止まった視線の先には壁掛け時計。
長針と短針が示すのは八時……一三分?
えっと、学校の本鈴は八時三〇分で、家から学校までが走って一五分かかるから――
あはは、まだ二分余裕があるじゃない。
…………………………
「――って、余裕ないじゃん!」
慌てて食器を洗い場に持っていって水につける。とてもじゃないが洗っている時間はない。
すぐに部屋に戻って制服に着替えて、鞄に今日の授業に使う教科書を詰め込み部屋から出る。
そのまま家まで飛び出そうとしたが、ふと、地底人達が気になったのでキッチンを覗き、
「二人とも、くれぐれも厄介な事を起こさないようにね」
そう一言釘を刺して家を出た。
それにしても、誰かと話しながらの朝ご飯って時間が過ぎるのが早いんだね。
家は家族みんな、生活スタイルがバラバラなので朝は大抵独りなのだ。
だから、ルーク達と食べる食事はどこか新鮮で、楽しいのだけど……
明日からは目覚ましの時間、あと十分早くしよ。
そう決意を頭の隅の方で固めながら、私は全力ダッシュで学校に向かった。
ワイワイガヤガヤ。
退屈――もとい、大切な数学の授業が終わり給食の時間になると、教室内は一気に賑やかになる。
食い意地の張ったガキどもだ、なんて思わないで欲しい。成長期の真っ只中の中学生にとって、給食とは授業よりも何倍も重要なのだ。
料理が配られ始めると、教室中にいい匂いが漂う。
今日の献立は五目ご飯に、ビーフシチュー、海藻サラダと牛乳だ。
私はそれらをお盆に受け取ると、自分の机の上に置いて食べ始めた。
「いただきま~す」
私は最初にビーフシチューを一口すする。
コクのある甘みが口の中に広がった。
決して上品な味では無いけど、逆に気取った感じが無くて食べやすい。食べやすさを優先したこの味は、家ではもちろん、お店でも食べられないように思える程だ。
「なんとまぁ、うれしそうな顔しちゃって」
二口目をすする私に正面から冷めた言葉が投げられた。
わざわざ確認する必要もない。声の主は幼なじみの長田綾子だ。
顔のパーツにこれと言って特徴のある物は無いが、それはそのすべてが一級品でどれかが突出することがないという事で、全体的に見ると同性からも憧れられる程の美人だ。
声もまた顔に劣らず澄んだ良く通るものなのだけど、その声には八割以上の確立で毒が含まれているため、学年一近寄りがたい人と言われている……本人はあまり気にしていないようだけどね。
綾子は自分の机を私の机に向かい合うようにくっつけて、給食を食べ始めた。
「よくもまぁ、たかが給食でそこまで幸せそうになれるわね」
「要らないなら、ちょうだいよ」
「別に要らないとは言っていないわ」
そう言うと綾子は、私の半分くらいのスピードでシチューを口に運んだ。
綾子を見ていると、私は時々世の中が不公平に思えてくる。
綾子はあまり食べ物に興味を示しておらず小食とも言えるほどだ。なのに、身長もスタイルも私より上なのだ。
綾子に言わせると「桃の様に大声を出したり、やたらと走り回ったりと非生産的なエネルギー消費をしていないから、その分体の成長に栄養が行くのよ」との事らしいけど、どうも納得がいかない。
「あ~っ!もう食べ始めてる!」
ふと、騒がしいのが左手の方から入ってきた。
この娘は私の親友、小坂優だ。背が低く、童顔で公共施設に子供料金で入れる程で、とにかく賑やかで騒がしく喧しい女の子だ。しかし、勉強の成績は学年トップという側面も持っており、ある意味、綾子以上に理解しにくい存在だ。
「桃ちゃん、綾ちゃん、ひどいよぉ!」
非難する優に綾子が微笑みを返した。綾子は優に対しては何故か優しく――と、言うか甘く接する。
「ごめんなさいね、優さん。先に食べた事はハンデだと思ってくれません?桃は別として私は優さんより食べるのが遅いんですから」
「あ、別に謝らなくてもいいよ」
態度をコロッと変える優。この辺のさばさばした感じというか、切り替えの速さが成績トップでも疎まれたりしない理由なんだろうね。
「――って言うか、あんた給食取ってくるの遅すぎない?」
「仕方ないじゃない!ご飯の量が少なすぎるって言ったら、給食当番が『そんなに欲しいなら皆に配り終えてから余ったのを持っていけ。足りなくなったらいけないから』なんて言うんだよ」
「それは当番の方が正しいでしょ?」
私の言葉に優は頬を膨らました。
「ぶぅー。桃ちゃんはあたしの味方をしてくれないんだ」
「冷たいのよ、そいつは」
「……あんたにだけは言われたくないんだけど」
そうやって、たわいない会話を交わしながら改めて給食を食べ始めた。
「ねぇ、そう言えば知ってる?」
突然周りの目を気にするように、声のトーンを落として優が聞いてきた。
「何を?」
「最近、この近くの学校で妙な人がよく現れるんだって」
「妙な人……ってどんな人?」
私が聞き返すと、優ではなく綾子がしかめっ面で答えた。
「学校に来る妙な人間なんて、変質者以外にあり得ませんわ!全く、そういう不燃ゴミ的なクズは社会から抹殺するべきですわ!」
過激な事を言う綾子の迫力から少し身を離して、私は優に尋ねた。
「……で、実際のところ、その人はどんな事をしてるの?」
「それがですね……教室を荒らしまくったり、数人の生徒の教科書を盗んだりするらしいんだよ」
「教科書を?」
私は首を傾げた。
「教科書なんて盗んで何がうれしいんだろ?」
「さあ?」
理解できない、と優も一緒になって首を傾げた。
まぁ、世の中は広いんだし、ただの嫌がらせに人生をかけるような人の一人や二人いても不思議ではないけど……
「……う~ん、深く考えない方が良いんじゃない?」
優の提案に私も賛成した。
「そうだね……それにしても、制服とか盗む変態じゃないだけ、まだあんまり怖くはないよね――盗まれた人には悪いけど」
「あら、桃はそんな心配する必要無いでしょ?」
綾子が再び話に入ってきた。
「って、それどういう意味?」
綾子はふっ、と鼻で笑い、
「桃の制服なんて盗むくらいなら、教頭のカツラでも盗んだ方がまだましって事ですわ」
「教頭のズラ以下かぁ!私の制服は!」
そう怒鳴った直後、教室中がしんと静かになった。
他の子達の視線が集まる。そして、すぐに笑いの渦がおきた。
教頭がヅラだと言う話は学校の中では有名なのだ。
「湯桶さん、ちょっと」
叫んでしまった後悔と、恥ずかしさとで俯いている私を呼ぶ声がした。
それは担任の平下宇理先生だった。
先生は、教師用の机で、手で「来い来い」というジェスチャーをしている。
流石に教師として聞き逃すわけにはいかないのだろう。でも、引きつった顔が微妙に笑いを堪えているようにも見えるけど。
「あ~あ、桃ちゃんお説教だぁ」
「全く、これだから躾のなってない子は」
「綾子、あんたが先に言ったんでしょ」
「あら、何の事かしら?」
澄まし顔でそう言って、綾子はサラダを口にした。
ホント嫌なヤツ、と私は綾子について再認識した。
終業のチャイムが鳴り、放課後になると生徒達の行動は大体三つのパターンに別れる。
部活動に励む者、帰宅する者、友人としばらく喋る者。
自他共に認めるソフトボール部のエースである私はもちろん部活組だ。
手早く荷物をまとめて部活に行こうとした時、優が近寄ってきた。
「――桃ちゃん、部活?」
「当然!優はどうするの?」
聞き返すと、優は隣に立っている綾子にくっつき、
「綾ちゃんと百均行くんだ~」
「悪いわね、私たちだけ」
ホントは全然悪いなんて思ってないでしょ、綾子。
「桃ちゃんは部活、頑張ってね」
「ありがと、優。また明日ね」
綾子と優に手を振って私は教室から出た。
「…………あ」
廊下を歩いていると、少し離れた前方に一人の男子生徒の後ろ姿が見えた。
その瞬間、胸の鼓動が高まりテンションが上がるのが自覚できた。
顔を見なくても判る。あの後ろ姿は――
「舘内先輩!」
名前を呼ぶと、彼は肩越しにこっちを見た。
三年生で野球部の部長を務めている舘内貴重先輩。中肉中背で、目が細く、美形って感じではないけど優しさとか暖かさとかがあふれ出てそうな顔をしている。
まぁ、顔だけじゃなく、実際にものすごく優しい人だ。
私は小走りで先輩の横に並んだ。
「やぁ、湯桶。今日も元気そうだね」
「あはは、それしか取り柄がありませんから」
「そんな事はないと思うけど」
先輩が微笑み、私たちは並んで歩き出した。
会話をし出すと、その流れはいつも通り二人の興味が共通した分野である野球の話に向かった。
「――で、ですね。オニオンズはセカンドを阿良選手から森繁選手に変えるべきだと思うんですよ」
オニオンズとは地元のプロ野球球団の名前で、日本一の貧乏球団と呼ばれている。
毎年、当然のように最下位を争っているようなチームだが、どういう訳か私も舘内先輩も大好きなチームなのよね。
「どうしてそう思うんだい?」
「だって、阿良選手って全く打ててないじゃないですか。バッティングなら森重選手の方が上ですよ」
「う~ん、でも阿良選手の守備はすごいよ。見ていて参考になる部分が多いからね」
「……確かに」
と、話している内に玄関に来てしまった。
野球部もソフトボール部も更衣室はグランドにあるのだが、その位置は正反対なので先輩とはここで別れる事になる。
「じゃあ、またな」
「あ、先輩!」
私は舘内先輩を呼び止めた。
実は今日会えたら言おうと思っていた事があるのだ。
「先輩、野球部は次の日曜に試合でしたよね?」
「ああ、そうだけど?」
私は大きく呼吸をしてから、
「がんばって下さい!私、ぜぇっったいに応援に行きますから!」
キョトンとする先輩。
――しまった。つい力が入りすぎて声が大きくなりすぎた。
私は恥ずかしくなり視線を下に向けた。
いきなり大声出したりして変な子に思われたかもしれない。いや、もしくは私の先輩に対する気持ちがバレてしまっただろうか。
気持ちがバレたとしても困る訳じゃないけど……いや、でも、それは先輩の方がこまるかも。だって、試合前で集中したい時だろうし、野球部の練習で大変だろうし、優しくて素敵だし、三年生だから勉強も頑張らなきゃいけない時期だろうし……
ああもう!頭の中がごちゃごちゃになってる。
「――湯桶」
名前を呼ばれ、私は恐る恐る顔を上げる。
先輩、困った顔をしてるのかな?それとも呆れた顔?ひょっとしたら怒ってるかもしれないね……
そんな私の不安は、幸い杞憂に終わった。
先輩の顔はいつも通り優しい笑顔だった。
「湯桶が応援に来てくれるなら、それは力強いな。勝てるように全力を尽くすよ」
先輩は爽やかに言って私の視界から消えていった。
同時にふっと緊張が緩んだ。
「――先輩。あたし、絶対に応援に行きますから」
びくぅ――背中からの声に私は跳ね上がった。
だ、誰かに聞かれてた?
私は錆びたからくり人形の様にゆっくりと首を回して後ろを見た。
そして、視界に入ってきたのは――
「あたし、先輩のためにこんなの作ったんです」
「こ、これは……パワードスーツに高出力スラスターじゃないか。これさえあれば岩だって砕けるし空だって飛べる!」
「受け取ってもらえますか?」
「もちろんさ。君にはいつも感謝してるよ」
「先輩、ついでにあたしも受け取って下さい♡」
「もも♡」
むぎゅぅううううう。
「なにしてるのよ、あんたらはあ!」
ばっこ~ん。
私は手に持っていた鞄をフルスイングしてそいつら――二人の地底人プラスαを吹っ飛ばした。
二人と一匹は一直線に飛んで壁にぶつかり、跳ね返って私の前に戻ってきた。
私はそいつらを指先でつまんで目の高さまで持っていった。
すると、ルークは頭を押さえ、
「いってぇ~。ひどいじゃないか、俺たちはただもも達の真似をしただけなのに」
「私そんな事してないわよ!」
私はもう一人を睨んだ。
「ったく、カリュまで阿呆な事しないでよ」
「ご、ごめんなさい。つい調子に乗っちゃって……」
素直に謝るカリュの横で、再びルークが不満を述べた。
「でも、ももの本心はああいう事したかったんじゃないのか?」
私はその問いに、無言でルークを掴んでいる手の指に力を込めた。
「ちょっ……苦……締まってるっ…………わ、悪かった!謝るから放してくれ!」
ま、制裁はこれくらいで良いだろう。
私は二人をトロッキーにまたがらせて手を放した。
「…………ちっ、馬鹿力め」
「何か言った?」
慌ててぶんぶん首を横に振るルーク……はぁ、聞かなかった事にしておこう。
それにしても、近くに誰もいなくて良かった。このまま誰も来ない間に話をつけておかないと。
「それで、何であんた達はここにいるわけ?家でじっとしてなさいって言ったでしょ?」
愚問、と言いたげにルークは鼻で笑った。
「じっとしていろと言われて、じっとしていられる俺だと思ったか!?」
「自慢しないでそんな事!……まぁ、あんたの性格からして微妙にイヤな予感もしてたんだけどね」
「ももさん、違うんですぅ」
ルークを擁護しようとカリュが声を上げた。
「ももさんが『学校に行く』って言ったから、私達どうしても心配で居ても立ってもいられなくなったんです」
カリュはそうだろうけど、ルークはどうだろう。好奇心だけだと思うんだけど。
私は小さく溜め息をついた。
「地底ではどうだったのか知らないけど、ここでは学校は危険な場所じゃないの」
二人は周りをきょろきょろと見て、
「……そうみたいだな、火薬の匂いもしないし――」
か、火薬?
「杞憂だったようですね――よけいな心配してごめんなさい、ももさん」
「う、うん、まぁいいよ」
私はなるべく穏やかに言った。
本心を言うと、実は少し嬉しかった。私には兄弟はいないし、両親も仕事の関係上家ににいない事が多いから、こんな風に心配してもらえると家族が増えたみたいな気がしてくる。
「あ、でもさ。あんた達どうやってここまで来たの?」
私の質問に二人は一瞬顔を見合わせてから、自分がまたがっているモノをポンポンと叩き、異口同音に答えた。
「トロッキーで」
「いや、そうじゃなくて!トロッキーに乗ってきた事くらい分かってるわよ。私、学校の位置なんて教えてないでしょ。どうやってこの場所を知ったの?」
仮に二人に学校の位置を教えていたとしても、地上に来てまだ数日、地理にも疎い彼らがここまで来るのは難しい様に思える。
二人はさっきと全く同様にお互いの顔を見てから、トロッキーの背中を二、三回叩き、
「トロッキーで」
「だからぁ!あんた達は人の話を聞いてるの?」
暴れ出しそうな私の怒声に、カリュが力いっぱい手と頭を横に振った。
「もっ、ももさん。誤解しないでください」
「誤解?」
「はい、実はトロッキーは人の二〇〇から三〇〇倍の嗅覚を持ってるんです。それで、ももさんの匂いをたどってここまで来た……どういうことです」
「……それならそうとちゃんと説明してよね」
不満を口にしながら私の興味はトロッキーに向かった。
「でも、人間の二〇〇~三〇〇倍の嗅覚って……まるで犬だね、こいつ」
『犬』と呼ばれピクッと反応するトロッキー。
そう言えば、トロッキーって人の言葉が理解できるんだっけ……ひょっとしてプライドにでも傷が付いたかな。
しかし、その言葉にトロッキーは抗議とか、反抗とかする様子は無い。何でもカリュの話では、
「初めて会った時、ももさんに蹴っ飛ばされたじゃないですか。あれがトロッキーの記憶の中にものすごい恐怖を植え付け、ももさんとの間にがっちりとした上下関係を覚えてしまったようです」
って事らしいけど、恐怖って……そりゃあ、私も何処ぞの頭痛薬のように、半分が優しさで出来ているような人間ではない事くらい自覚してるけどさ。
でもそうすると、やっぱり犬みたいなヤツなのかな。
――と、そんな話は置いといて、さて、これからこの二人をどうするかな?
今のところ奇跡的に誰にも見つかっていないようだけど、このままではいずれ見つかる事は必至だろう。
そして、見つかれば大騒ぎになる事もまた必至。
……私に選択の余地はなかった。
仕方がない。鞄にでも入れて人目に付かないようにして連れて帰るとしよう。部活は……チームメイトには悪いけど今日は休ませてもらおう――ごめんね、みんな。
「よし。とにかくあんた達、この鞄の中に――」
きゃああああああ!
突然、私の声を遮る女の子の悲鳴が少し離れた上の方から聞こえてきた。
――あれ?どこかで聞いた事のある気のする声だけど……
「悲鳴?」
「行くぞ、カリュ!」
驚くカリュに一言かけ、ルークはトロッキーを走らせて声にした方向に向かった。
「ちょっと、あんた達!」
はっとして、止めようとするがすでに影も形も消えていた。
速っ!……流石はレースをやっていただけの事はあるなぁ……
――って、感心してる場合じゃない!
急いで追いかける私。
「ああ、もう。ルークはホントに好奇心の塊ね」
ちょっとはこっちの苦労も考えて欲しいものだが、今はそんな事言ってる暇はない。
何とか追いつかないと。
スピードではトロッキーの速さには全然かなわないだろうが、学校の構造を熟知してる分、地の利はこちらにある。悲鳴のした場所さえ分かれば、先回りする事も可能だとが、問題はその場所。何か手がかりでも……
――そうか!あの悲鳴、どこかで聞いた事があると思ったが思い出した。ゆうの声じゃない。
となれば、目的の場所は……うちのクラスの教室か!
目指す場所がはっきりとした私は更に加速した。
途中、すれ違った先生に「廊下を走るな!」と怒鳴られたが、かまっている余裕はなく無視する。
そして階段を駆け上がり教室のある三階に着いた瞬間、目の前をすごい速さのものが横切った。
一瞬の事だったが、私の目はそれが二人の小人を乗せた細長いモノだというのをしっかりと捉えていた。
「しまった」
仕打ちをする私を置き去りにしてルーク達は教室に入っていった。彼らの速さを侮っていたわけでは無いが、最短距離を走っても先回りをする事が出来ないとは。
きゃあ!と、教室からまたも優の悲鳴。
今の悲鳴は、突然現れたルーク達を見て驚いた悲鳴であろう事は容易に想像できた。
私は急ぎ、前後二つある教室のドアの後ろ側から入った。
「優!」
パニクっている優の姿を思い浮かべ駆け込んだ私の目に映ったのは、
「きゃあー!何これ、かわいい~!」
「へ?」
ずっ、がざざざざざざざ――
予想に反して目を輝かせながらルーク達を抱きしめてる優の姿に、私は全力で走っていた勢いをそのままにバランスを崩して激しく転がり、
――がんっ。
壁に頭をぶつけて止まった。
そこに誰か人影が近づいてきて容赦のない言葉を浴びせてきた。
「流石はリアクション女王。全く見事なコケっぷりですわね」
「あ、綾子」
正に怪我の功名。頭を打ったお陰で視界がぐらぐらと揺れまくり、初めてあんたの顔が不細工に見えるわ。
「桃ちゃん、大丈夫?」
心配そうに優らしき人物が、片手にルークを抱きながらもう一方の手でハイハイをするように近づいてきた。
頭を軽く振ると視界が元に戻る。
体の方も、多少痛いところがあるけど、大したことはなさそうだ。
「うん、なんとか――」
「大丈夫に決まってますわ。体力と頑丈さ以外に取り柄のないこの女が、この程度で怪我なんかするはずがありませんわ」
人のセリフ遮って勝手に決めつけるな、この冷血女。
綾子を睨みつけてから再び優の顔を見ると、彼女は申し訳なさそうな表情をしていた。
「ごめんね、桃ちゃん。大丈夫?」
「優は責任を感じる必要なんてありませんわよ。元はと言えば、野蛮にも廊下を全力疾走してた上に何でもないようなところで転ぶ様なマヌケな――」
「綾子シャラップ!」
毒舌家を黙らせて、私は優の肩にポンと手を置いた。
「優、私は大丈夫だから。それより何があったの?」
「あ、そうだった!」
パッと一瞬でいつもの優に戻る。流石、切り替えが早い。
「ドロボーがいたんだよ!」
「泥棒?……って、もしかして給食の時間に話してた、あの?」
優は大きく頷いた。
「あたし、帰ろうとした時に忘れ物をした事に気付いて、教室に戻ったの。そしたら、ロングコートを着て、帽子とマスクとサングラスをした男の人が教室にいて、机を倒したり置き勉してる人達の教科書を盗んだり……」
説明しながら教室の前の方を指さした。
目をそっちにやると、一部の机が横向きに倒されており、更にその先の黒板には、白いチョークで大きく、
『怪盗、ダークネス参上』
……………………だっさいネーミングセンスだなぁ。
って、そうじゃなくて!私たちの大切な教室でこんな事をするなんて許せない……私の中で犯人に対する怒りがこみ上げてきた。
「……あたし、怖くて腰が抜けちゃって」
「それで!?何かされたの!?」
優は私を安心させるように大きくゆっくりと頭を振り、
「危ないところだったけど、綾ちゃんが睨みつけたら相手が怯んだし――」
流石は綾子。泥棒すら怯ませるか。
優は抱えている地底人どもに目を向け、
「この子達が突然飛び込んできたから、驚いて逃げていった」
「どっちに逃げたの!?」
「前のドアから、桃ちゃん達が来たのとは逆の方向に」
くそっ、すれ違いか……でも、今ならまだ間に合う。
「――下か。よし、行くぞカリュ!」
「はい!」
私が追いかけようと立ち上がるより早く、今まで一言も発しなかった二人が……性格には二人を乗せたトロッキーが、するっと優の手から逃れ教室を飛び出していった。
「待ちなさいって!」
「……ねぇ、桃ちゃん。あの子達は一体?」
「今はそんな事を話している場合時じゃ無いでしょ。まずは犯人を捕まえなきゃ!」
そう言って、私もルーク達に続く。
また全力疾走か……ま、部活で鍛えてるから苦しいって程では無いけど。
廊下に出て、端まで走ると、階段の前でルーク達が上に行こうか下に行こうか迷っていた。
「何してるの!逃げようとするヤツが上には行かないでしょ!下よ!」
即断して私は階段を駆け下り始めた。
「うん、どうやらももの方がここの事は詳しそうだから、先を行ってくれ。俺たちは付いて行くから」
「そうね」
私は頷いた。
階段を下りる途中、犯人の物らしきコートとサングラス、マスクに帽子が脱ぎ捨てられていたが、私は無視した。
そして一気に一階まで降り、また廊下に出る。
「――見つけたわよ!観念しなさい!」
私は廊下を歩いていた学ランを着た一人の男の背中に人差し指を向けた。
男がゆっくりと振り返る。ヒゲ面の四角い顔をした男――これで確信した。
「観念?何の事かな?」
「とぼけても無駄よ!脇に抱えたその教科書が証拠!」
男が一歩後ずさった。
間合いを開かせないように私も一歩前に出る。
「ボクはここの生徒だよ?教科書ぐらい持っていても――」
「何処にそんな老けた面の生徒がいるかぁ!」
「ちっ、ばれたか」
舌打ちして逃げ出す犯人……って、バレるに決まってるでしょ!
私は後を追いながらルーク達向かって、
「ルーク、カリュ、あいつに体当たりをして!」
「おう!」
「はいっ!」
「きゅおおぅ!」
トロッキーまでが威勢良く返事をして、一気にスピードを上げて男にぶつかった。
二人と一匹とはいえ、純粋に体重差のある相手に体当たりをしても倒せるほどのダメージは与えられないだろうが、足止めにはなるだろう。
「くはぁ!」
私の思惑通り、男は体勢を崩した。
「今だ!……部活には出られないし、ルーク達は友達に見つかっちゃうし、さっき転んだ時打った部分がまだ痛いし――」
私は男に向かって跳躍し、
「自業自得だなんて言わせないっ!全部お前が悪いんだキィィィィィック!」
私の全身全霊を込めた跳び蹴りは男の背中に直撃し、どごっ、と鈍い音が響く。
「ぶへぇっ」
男は約三メートル程吹っ飛んで、さらに数メートル廊下を削るように滑った。
ふっ、決まった。
蹴りの勢いで倒れていた私が、立ち上がりガッツポーズを取ると、
うぉああああああ!パチパチパチパチ。
大歓声と拍手が津波のように、ほぼ全方向から響いてきた。
「え?歓声?」
見回すと、いつも間にか結構な数のギャラリーが集まっていた。
――いや、もしかすると、私が熱くなって周りの状況が見えていなかっただけで、この人達は最初からいたのかも……
「そこの女子、すごいぞぉ!」
「かっこいいわ~」
「あ、でも、最初にあの男にぶつかっていった、あれは何かしら?」
「そう言えば……何なんだ、あれは?」
ギャラリーの視線が私からルークたちに移り、歓声がどよめきに変わり始めた。
「ち、地上人がいっぱいいる……」
「ルー君、あたし怖いよ」
そうか、地底人にとって地上人ってのは恐怖の対象なんだっけ。それがこんなにもたくさんいれば、そりゃあ怖いよね。
しかし、この状況は困ったな……
「――よくやったわ、桃」
私がどう切り抜けようかと悩んでいると、後ろから綾子が声をかけてきた。
まずい、このまま綾子にルークたちのことを尋問されたら、知らんぷりして逃げ出すこともままならなくなる。
綾子がルークたちに視線を向ける。
「それに、父の会社のAI搭載の自動人形たちもちゃんと働いたようですわね。あなたに預けてテストさせて正解でしたね」
驚いたことに、綾子はルークたちを庇うような嘘をついた。
「なるほど、あれはAIか」
「あんなリアルなのがあるんだ」
真に受け始める観客たち。
彼女の父親が某おもちゃ会社の社長をしているという事はこの学校のほぼ九割が知っている事実だ。
それでも、このにわかには信じられない嘘を周りの人たちが信じ始めたのは、綾子の巧妙なしゃべり方のせいだろう。私では――いや、例え演劇部でもここまでの説得力を出す事は難しいだろう。
「さて、桃にはモニターとしてこの人形を使った感想なんかを聞きたいからちょっとついて来てもらえないかしら?」
「え、でも…………」
私は気絶している犯人を見た。いくら何でもこのまま放置しておくわけのはまずいんじゃないかな?
「大丈夫よ」
綾子は私の言いたい事を察して、ギャラリーに向けて声を大きくして言った。
「そこの教科書ドロボーについてはここにいる皆さんが警察に突き出すなりなんなりして対処してくれますわよ…………ねぇ?」
綾子がギャラリーを一周見回すと、彼らはまんまと乗せられ
「任せとけ!」
などと口々に言い出した。
こ、こいつ役者の才能とかあるんじゃないの?
私は綾子の事を見直した……少しだけだけど。
「綾子、ありがとね」
その場から早足で離れ、私は綾子に礼を言った。
すると、綾子はがしっと私の肩を掴んで脅迫に近い迫力で私に迫った。
「それで、当然私たちには彼らのちゃんとした説明をしてくれるんでしょうね?」
「……やっぱりそうなるか」
もはや私には首を横に振る余地も権利も残されていなかった。
これでどう転んでも、綾子たちには地底人の事を話さない訳にはいかなくなった。
翌日の給食時間。
やはり、いつもと同じように私と綾子と優で机をくっつけて給食を食べていた。
本日のメニューはロールパン、あさりのみそ汁、春巻き、ポテトサラダ、牛乳……統一感のない多国籍なメニューは相変わらずだ。
しかし、今日はある点においていつもと違った。
「あ、ところで桃ちゃん」
その相違点を無視して、ロールパンを食べながら優が尋ねる。
「今日はルーク君達は学校に来ないの?」
「昨日結構怖い目を見たようだし……多分、来ないと思う」
絶対と言い切れないのは、ルークの性格を考えての事だ。
「え~。それは残念だなぁ」
「会いたいなら家に来ればいいでしょ?何なら優があいつらを預かってみる?」
「そ、それは……あはははは」
笑う事で拒否の意を示す優。
「――それより」
隣で今まで黙って食べていた綾子が口を開いた。
「教室の外に集まっている生徒達は何なのかしら?」
「ああっ!せっかくその話題は避けてたのに!」
頭を抱える私。
そう、いつもと違うのは数十人もの生徒が廊下に集まり、教室の中を……正確に言うと私たちを見ているという事だ。
しかも、その人達につられて、教室内のクラスメートまでがチラチラとこっちを見ている。
正直、すごく落ち着かない。
「避けてどうなる問題でもないでしょう?……一体、どういうつもりなのかしら?」
「さぁ?私はできれば知りたくないけど」
すると、廊下の生徒達の会話が私たちの耳に入ってきた。
「――おい、あいつだよ、あいつ。昨日学校を襲った不審者を蹴り一撃で全治三ヶ月の病院送りにしたってヤツ」
「ああ、聞いた話では、なんでも蹴られた男は三〇メートル位ぶっ飛んだらしいぜ」
「恐ろしい女だな」
私は自分の顔が引きつるのが分かった。
そんな私に綾子がにやにや笑いながら話しかけてくる。
「まぁ、どうやら注目の的はあなたのようですわね」
「冗談じゃないわよ。あれじゃまるで、私がバケモノみたいじゃない」
「事実その通りでしょ?」
「あんたね――」
私が反論しようとした所で再び教室の外の会話が聞こえてきた。
「あと、その隣の背の高い女。あいつが蹴り女を裏で操っているらしいぜ」
「ああ。それどころか、実は先生達でさえ裏であの女の言いなりになってるらしい」
「なんでも、あいつの父親の会社が殺人兵器を開発してるらしく、逆らうと殺されるらしいよ」
綾子は拳を作ってワナワナと震えだした。
「な、何なの彼らは……裏だの殺されるだの……根も葉もない事実をよくあんなにも言えますわね」
「う~ん。まぁ、昨日の事件が背ビレに尾ヒレに他色々が付いた噂として広まったって所だろうねー」
冷静に分析する優。
「――で、二人ともどう?有名人になった気分は?」
「最低よ」
「最低ですわ」
私と綾子の声が重なった。
何というか……これからはもう少し周りを見て冷静に、目立たないような行動を心がけよう。
………………………はぁ。