エピローグ 発見された旅、残された謎 改訂版
エピローグ 発見された旅、残された謎
第一章 旅の終わりの、その先に
『大旅行記』の物語は、ここで終わる。
少なくとも、イブン・バットゥータが旅を語り、イブン・ジュザイイーがそれを書き留めた物語は、ここでひとまず幕を閉じる。
だが、書物の物語は、書き終えられた瞬間に終わるわけではない。
書物は人の手を渡る。
読まれ、写され、運ばれ、しまい込まれ、ときには忘れられる。王朝が滅び、都市が荒廃し、図書館の蔵書が散逸しても、紙や羊皮紙の一片が、誰かの手元に残ることがある。
そして、長い年月ののち、かつて誰も知らなかった場所から、古い書物が再び姿を現す。
そのとき、人々は言う。
発見された、と。
しかし、本当に発見されたのは何だったのだろうか。
書物そのものか。
書物に書かれた旅か。
それとも、書物が失われていたという事実か。
私たちがイブン・バットゥータの旅行記を知ることができるのは、彼が旅をしたからだけではない。彼の語りを書き留めた者がいて、その文章を写した者がいて、写本を保管した者がいて、後世の人間がそれを読み解こうとしたからでもある。
旅人が帰還しても、記録は別の旅を続ける。
その旅には、旅人自身も、書き手も、最後まで付き添うことはできない。
第二章 羊皮紙に記された年月
現存する『リフラ』の写本のなかには、十四世紀にさかのぼる重要な資料がある。
フランス国立図書館に所蔵されるアラビア語写本、所蔵番号 **Arabe 2291** である。
この写本には、ヒジュラ暦七五七年、西暦一三五六年にあたる日付が伝わっている。イブン・ジュザイイーの自筆本と考えられてきた、きわめて重要な写本のひとつだ。
だが、ここでも慎重さが必要になる。
写本に記された日付は、現代の読者がその書物を手にした日付ではない。
また、写本が現代の図書館に収蔵されるまで、どのような人々の手を渡り、どのような場所に置かれていたのか。その来歴のすべてが、明らかになっているわけでもない。
一枚の羊皮紙には、文字が残る。
書き手の筆跡が残ることもある。
年月を示す記載が残ることもある。
だが、その紙を運んだ者の名や、保管した者の事情、あるいは、誰かがそれを手放した理由まで、すべてが残るわけではない。
文書が存在することと、文書の来歴が完全に分かることは、別の問題なのだ。
私たちは、現存する写本を読むことができる。
しかし、その写本がたどってきた道のすべてを、同じように読むことはできない。
第三章 十九世紀の再発見
十九世紀になると、イブン・バットゥータの旅行記は、ヨーロッパの学者たちによってあらためて紹介され、翻訳され、研究されるようになる。
一八二九年、サミュエル・リーは写本をもとに英訳を刊行した。
その後、一八五三年から一八五八年にかけて、デフレメリーとサンギネッティによる、アラビア語原文とフランス語訳を併載した校訂版が刊行された。複数の写本を比較しながら本文を検討する作業は、『リフラ』の研究にとって重要な一歩となった。
書物は、ただ見つければ読めるというものではない。
写本ごとに文章が異なることがある。
ある箇所が欠けていることもある。
写し間違いが生じることもある。
異なる写本を比較して初めて、ある一文がどのように伝わってきたのか、検討できる場合もある。
そして、校訂者がどの写本を重視し、どの異読を採用したかによって、後世の読者が目にする本文も変わり得る。
それは、誰かが必ずしも悪意を持って歴史を書き換えたという意味ではない。
むしろ、古い文章を正確に伝えようとする営みそのものが、選択と判断の積み重ねであることを示している。
歴史は、ひとつの書物の中に閉じ込められているのではない。
書物を読み、比較し、解釈する人間たちのあいだにも、歴史は存在する。
第四章 発見者のいない発見
では、『リフラ』は、いったい誰によって発見されたのだろうか。
この問いには、簡単な答えを与えにくい。
十九世紀に刊行された翻訳や校訂版は、旅行記が近代の研究者たちに紹介され、読まれるようになった過程を知るための重要な資料である。
一方で、現存する写本が最初に見つかった瞬間について、誰が、いつ、どこで発見し、その場で何を語ったのか。そうした出来事をすべて伝える同時代の記録が確認できるとは限らない。
写本の旧蔵記録、図書館の収蔵台帳、入手に関わった人物の書簡、研究者が残した序文。
それらを調べれば、書物がたどった道の一部を復元できるかもしれない。
しかし、記録が途切れた場所では、私たちは立ち止まらなければならない。
「分からない」という言葉は、物語にとって不便である。
そこに発見者の名を置けば、話はすっきりする。
秘密の収集家を登場させれば、写本の移動にも理由が生まれる。
失われた文書をめぐる陰謀を想像すれば、いくつもの空白が一本の線で結ばれる。
だが、想像によって空白を埋めることと、空白が埋まったことを証明するのは、同じではない。
ある写本の来歴が分からないからといって、誰かがそれを隠したとは限らない。
記録が残っていないからといって、秘密の出来事があったとも限らない。
そして、記録が残っているからといって、そこに書かれた説明がすべて正しいとも限らない。
発見の物語には、発見者が必要だと人は考える。
だが、書物の歴史には、名を残さなかった保管者も、書写した者も、運んだ者もいたはずである。
そのすべての名が、現代まで伝わっているわけではない。
第五章 書物の外側にあるもの
ここで、もう一度、フェズの一室に戻ろう。
イブン・バットゥータが語り、イブン・ジュザイイーが書き留めていた、あの部屋へ。
机の上には、書き終えられた文章がある。
旅人の記憶には限りがあり、書き手の理解にも限りがある。
語られたことがすべて書かれたとは限らない。
書かれたことがすべて、旅人の目撃した事実だったとも限らない。
その先には、写本を写した者がいる。
写し間違えた者がいるかもしれない。
文章を整理した者も、読めない文字を推測した者もいたかもしれない。
ただし、それぞれの写本にどのような人間の手が加わったのかは、個別の証拠によって確かめなければならない。
そして、何世紀も後にそれを読んだ研究者たちがいる。
彼らは異なる写本を比較し、欠けた文章を検討し、旅人の記述とほかの史料を照らし合わせた。
その仕事によって、私たちは、はるか昔の旅を知ることができる。
だが、彼らの仕事がどれほど慎重であっても、すべての疑問に答えられるわけではない。
失われた名前は、失われたままかもしれない。
ある文書に残された傷は、単なる傷かもしれない。
異なる記録の食い違いは、誤記や記憶違い、伝承の変化によって生じたのかもしれない。
あるいは、私たちがまだ知らない事情が、その背後にあるのかもしれない。
重要なのは、どの可能性も、証拠のないまま確定した事実に変えてはならないということだ。
謎を残すことは、考えることを放棄するのとは違う。
謎を謎のまま記録することもまた、歴史に向き合う方法のひとつなのである。
第六章 最後に残る一行
『大旅行記』は、イブン・バットゥータの旅を伝える。
だが、それは彼が見た世界のすべてではない。
彼が出会った人々のすべてでもない。
ましてや、彼が生きた時代のすべてを説明する書物でもない。
それでも、この書物は残った。
旅人が見たものを語り、書き手がそれを文章にし、後の時代の人々が写本を伝え、研究者たちが本文を読み解こうとした。
その連鎖のどこかが途切れていれば、私たちは今、これほど多くの旅の記述を読むことができなかったかもしれない。
歴史とは、残されたものから過去を知ろうとする営みである。
そこには、確かな証拠もあれば、食い違う証言もある。
日付の記された写本もあれば、来歴のよく分からない断片もある。
名を残した人物もいれば、記録の端にすら現れない人々もいる。
その不揃いな断片を前にして、私たちは物語を作りたくなる。
すべての点を結び、すべての空白に意味を与え、最後にはひとつの答えを見つけたくなる。
しかし、歴史が私たちに与えてくれるのは、いつも答えとは限らない。
ときには、問いの形を正しく整えること。
ときには、何が分かっていて、何が分かっていないのかを区別すること。
そして、ときには、記録に残らなかった人々の存在を、勝手な物語で埋め尽くさずに思い出すこと。
それが、残された書物を読むということなのかもしれない。
旅は終わった。
書物も閉じられた。
だが、その書物を読む者がいる限り、旅は別の形で続いていく。
そして、最後に残るのは、ひとつの答えではない。
過去を知ろうとする者が、何度でも問い直さなければならない、短い一行である。
記録に残されたものを読むこと。そして、記録に残されなかったものについては、分からないという事実を忘れないこと。
それが、『大旅行記』の終わりに、私たちが残しておくべき最後の一行なのだ。
イブン・バットゥータの墓所について
イブン・バットゥータの墓は、モロッコ北部の港町タンジールにあると伝えられている。
彼が旅立った町であり、長い旅の果てに戻った故郷でもある。
世界の果てまで歩いた男が、最後には出発の地に帰り着いたのだとすれば、それはひとつの美しい結末であろう。
しかし、歴史はそう簡単には物語を閉じてくれない。
彼の墓所については、ほかの土地に埋葬されたのではないかという説もあり、最期の場所を確実に特定することは難しい。
タンジールに墓が伝えられていることと、そこに彼の遺骸が眠っていることとは、同じではないのである。
考えてみれば、いかにもイブン・バットゥータらしい話ではないか。
彼は生涯をかけて世界を旅し、その見聞を語り、語られたものはジュザイイーの手によって書物となった。
だが、あれほど多くの土地を訪れ、あれほど多くの人々について語った男自身の最期となると、私たちは確かなことをほとんど知らない。
旅の記録は残った。名前も残った。
世界を歩いたという物語も残った。
それなのに、本人が最後にどこで息を引き取り、どこに眠っているのかさえ、完全には分からない。
世界を記録した男は、自分自身の最後についてだけは、記録の向こう側に姿を隠してしまったのである。
もちろん、彼が意図してそうしたわけではあるまい。歴史の空白に、すぐさま本人の企みを読み込むべきではない。
それでも、つい想像してしまう。
もし、あの老人が墓の中からこちらを見ているのなら、私たちが墓所について議論していると知って、さぞ愉快そうに笑うのではないだろうか。
「それで、わしがどこに埋められたかまで知りたいのかね?」
そう言って、また新しい話を始めるに違いない。
そして私たちは、その話をどこまで信じてよいものか、もう一度考えなければならなくなる。




