ナルシスト、異世界へ行く
とある女が居た。
その女の前には、七つの歪んだ鏡がある。
その全てにヒビが入っている。
手に持っている一枚、それだけは傷一つなく、歪まずに綺麗に光っていた。
「……今度こそ」
女は静かに呟く。
「壊れずに、歪まずにいてくれますように……」
―――――――――
「ふう……日課のストレッチ終了……軽い運動は目をよく覚ます。この肉体美……むむ…ここに寝癖が…俺の美貌がダメになってしまうところだった…」
ストレッチ後に半裸で鏡を見ながらブツブツと何かを言っている彼は佐中柳、重度のナルシストである。
鏡の前で金髪を指で流し、満足そうにしている。
額には汗は流れているが、息は整っている。
「髪をこうすれば…ふっ、完璧な俺になった……!」
鏡の中の自分に手を触れる。それは柳にとってのルーティンのようなものだった。だが、その瞬間は、いつもと違った。
まるで、水に触れたかのような感覚。
「……は?なんだこれは……」
ガラスは液体とは言うが、ここまでではない。無意識に手が中に入り出す。
困惑する間もなく、ズルズルと手が中に入る。
まるで、招かれているように。
「柳!飯だ!早く来い!」
扉の向こうから父の声が聞こえる。柳はそこでハッとなり、机の上にあるタオルを持ち、そのままリビングに向かう。リビングの机の上には朝にしては多すぎるご飯が置かれている。
「ふむ……いい匂いだな。流石は俺の母親……そして量も」
「何様よ。早く座りなさい。あと、服は着てよね」
「お前、朝から筋トレはやめておけ。昨日も夜二時間以上筋トレしてただろ?一体何を目指してるんだか」
「究極の“美”だ……そのためにやるべきことをやっているだけだ」
「お兄ちゃん早く座ってよ。昨日食べずに寝ちゃったからお腹すいてるの〜」
「そうだったか。すまんな」
柳は優雅に椅子に座る。
「みんな揃ったね……じゃあ、いただきます」
家族は食卓を囲み、いつものように食事を始める。
自分がどれほどのトレーニングをしたかを思い浮かべながら食事を始める。
食事をしている最中、いつものように雑談をしている時、柳はさっきのことを思い出す。
「……さっき鏡に触れたら、腕が沈んだんだが、何か知ってるか?」
「……お前、筋トレのし過ぎで幻覚見えたのか?今日は学校休んでいいぞ?」
「何も知らないならそれでいい。ご馳走様」
食事を終え制服を着た柳は、いつものように鏡の前に立ち、身なりを整え、鏡に触れる。
「……やはりな」
手、腕とどんどんと中に入っていく。段々と、鏡の向こうに違う景色が見えてくる。
「一体どういうこと――」
鏡に入った腕が何者かに引っ張られ、鏡の中に落る。
最後に見えたのは、歪んだ自分の顔だった。
その顔は、笑ってるようにも、泣いているようにも見えた。
「……柳!遅ぇぞ!!遅刻――って、柳?柳?柳!!!」
父が扉を開けると、鏡が水面のようになっているところを見かける。手を伸ばすが、鏡はいつものように固くなっていた。
彼、柳の人生は、ここで一度幕を閉じた。
眩い光が柳を包む。目を閉じていても感じられる光、思わず柳は目を開ける。
「…起きました?私、女神です」
「……佐中柳だ。なんで俺はここにいる?いよいよ神に認められるほどの美貌を手に入れたのか?」
「違います。あなたは死んでしまいました。ですが、蘇るチャンスを手に入れたのです」
「……まあやむを得ん。それで、俺は一体何をすればいい?」
「これからあなたにはミッションを与えます。異世界に行き、魔王を倒してもらいます。無事倒せたら、あなたを蘇生させます。まあ、安心してください。最低限の補助はしますよ。一応神なので」
「……とんでもないマッチポンプだな。それで、何か貰えるのか?」
「それはですね…貴方が望むものをひとつ、あげましょう!」
「望むものをひとつ……」
柳は迷いはなかった。
「ちなみに…今持っている物はそのまま異世界に持っていけるか?」
「ええもちろん。それがどうしました?」
手鏡を選べるのなら、もう答えは決まっていた。
「決めた」
「決めましたか……早かったですね?」
「美しいほど強くなる力をくれ」
「……よりによって、そういう系を望みますか……わかりました。では少しお待ちを…」
彼女はなにかの呪文を唱えると、柳の周りに文字が浮かび上がる。
「…ハァ!」
文字が弾けるように空中に散った。そして柳は、身体が変化したことに気づく。
「おお…何か力が溢れるのがわかるぞ!」
「ふふっ。すごいでしょう?その力は、自分が美しいと思っているほど強くなります」
「なるほど……な」
「ちなみに一日一回しか使えませんし、その上大きな代償があるのでお気をつけくださいね」
「……ん、待て、話が変わってきたぞ」
「それでは…!異世界に…!行ってらっしゃい!」
「落ち着け!せめて鏡を見させて…ふっ、やはりかっこいい…」
彼は落ちる瞬間まで手鏡を確認していた。
ここから、佐中柳の人生の幕が再び上がった。
「……今度こそ、“彼ら”のように壊れなければ良いのですが」
女神は、小さく、そう呟いた。
女神の背後には、七枚のヒビ割れた鏡と、まだ傷ひとつない鏡が一枚。
八枚の鏡が、静かに並んでいた。
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