遼遠
「おやすみなさいませ。」
一日の神事を終え、真礼の足を清めた下仕えが去ると、真礼はゆっくりと息をついた。
沙伎の死にまつわる感情を感じ取って以来、特に阿礼の感情を感じ取るという事はなかった。それだけ阿礼にとって沙伎を失ったということが、特別な痛手だったということなのだろう。
阿礼が無事に、平穏に暮らしているのなら喜ばしいと思う一方、それだけ心を傾けた沙伎の死から、阿礼は立ち直れたのだろうかと案じる。
山狗に食い殺されたという沙伎を哀れに思いながらも、なにか恨みがましい気持ちも湧いてくるのを、真礼は抑える事ができない。
どうしても阿礼を沙伎に奪われたような気持ちになる。
奪われるも何も、実際には真礼は阿礼の姿を遠目に見ることもない生活を、今も続けているというのに。
阿礼の感情を受け取ってからしばらく、真礼は物忌した。あの感情は神器を鎮め、微睡ませるのに障るほどの激しさを秘めていた。
かつて神器は今よりもはるかに強く激しい神威を放っていたという。その強さ、激しさは、時に御門の玉体に障るほどであったらしい。
巫である皇女が斎宮として神器に仕え、和魂を写した写しを作り、本体を宮中から持ち出して、遂に良き地に祀り鎮めたが、宮中に残された写しもまた鎮め参らせるために、猿女たちがひたすらに仕え、奉り続けてきた。
神器の微睡みは歴代の猿女たちの成果だ。
徹底的に穢れを忌み、ひたすらに神器に仕えた事が神器を微睡みへと導いたのだから。
神器は猿女たちが歌う過去の夢にたゆたい、まどろむ。
猿女はひたすらにに神器を讃え、連綿と伝えられた物語を歌う。
荒ぶる神器が荒ぶるままに、大王と共にあった時代はすでに遠い過去だが、その功績の絶える事はない。それは語り継がれ、歌い継がれて常に神器と共にある。
伝承を守る事。
語り継ぎ、歌い継ぐ事。
それこそが猿女の役割であり、神器を鎮め奉る方策だ。
真礼の在りたい形は決まっている。
理想の猿女に、阿礼が女であればそうであったかという猿女でありたい。
ただ神に仕え、伝承をつなぐ事のできる猿女でありたい。
だが同時にそれだけではすまない現実もある。
猿女の実力者として認められつつある真礼には、様々な思惑が絡んでもくる。
神に仕える時はただひたすらに。
せめてそれだけが真礼にできる全てだ。
もしも阿礼が女だったなら、阿礼ならばきっと、ひたすらに猿女であろうとしたのではないか。
真礼の内に結ぶ猿女阿礼。
その清らかさにはつけ込む隙もない。ただひたすらに清らかな、理想の猿女。
もしかしたら、真礼が沙伎の存在に苛立つのはそのせいなのかも知れない。
阿礼が猿女になったなら、きっと誰のものにもならない。真礼のものでもない代わりに、他の誰かのものになる事もなかっただろう。
なのに、猿女でない阿礼は沙伎を選んでしまった。それがきっと苛立たしく、恨みがましく思えるのだ。
それはただの真礼の思い込みで、沙伎や阿礼にしてみれば理不尽な感情だろう。それがわかっていてもなお、真礼はその気持ちを消す事が、出来ない。
そして、阿礼でな真礼には、神前の他では絡みつく柵を、捨てきることもできないのだ。
真礼の中に結ぶ猿女阿礼。
そこまでのあまりにはるかな距離に、真礼は小さくため息をついた。




