琴音
(おおやってるやってる。)
舎人の教練のそばを通りかかった安麻呂は、その中に阿礼の姿を認めた。
阿礼の動きは美しい。ただの剣の教練が剣舞の如く整っている。
双子の真礼の舞も見事なものだ。さすがは双子と言うべきか。
安麻呂の中に刻みつけられた子供の頃の二人の歌舞。透き通る歌声と見事に調和した連舞は、今でも思い出すたびに胸が痛くなるほどに美しかった。
あの美しいものが、ほとんど誰の目にも触れることなく失われたということを、安麻呂はとても惜しいと思う。あれ程に美しいものは、もっと多くの目に触れるべきだった。
しばらく眺めていると教練が終わった。
気づいていたらしい阿礼が駆け寄ってくる。
「見てたのか。暇なやつだ。」
「通り道だったのさ。」
安麻呂は手にした譜を掲げて言った。
譜は伝来の新しい知識だ。楽器の音や弾き方を指定することで楽を記録しようという試みだが、まだまだ完成度が低く、記述形式もわかりやすくはないので、解読は大仕事だった。
安麻呂は積極的に譜の研究を進めている。どうやら楽器の演奏よりもこういう読み書きのようなものに向いている質らしい。実際、安麻呂は譜の解読をしていれば寝食を忘れるが、楽器の修練にはそこまでの情熱を持てないことを自覚していた。一族の年長者や父などには、とても言えない話だ。
「譜か。お前好きだな、そういうの。」
阿礼も安麻呂に譜を見せてもらった事はある。その内容を解説してもらったこともあるが、今ひとつ感覚として捉えられずにいる。
阿礼にとっての文字はしるしだ。記号といったほうがわかりやすいかもしれない。基本的には物や現象の名前に対応して文字があるのだと理解している。音を現すというやり方も知ってはいるが、いまだに強い違和感が抜けない。そもそも言葉というものから響きを抜き取って記す文字に、強い違和感を抱いているのだ。
その阿礼の感覚からすると、楽を記すということには途方もない違和感がある。
例えば布が三反あるとして、布と三は別々の言葉だ。だからそれぞれに文字があり、それを並べて書き記す。
しかし楽というものはそういうものではない。その楽を記すということが阿礼には感覚的に理解できなかった。
「そういえば昨日、真礼を見かけたぞ。」
地震のどさくさ以来全く顔を見かける事もできない阿礼とは違い、楽に携わる安麻呂は真礼を遠目に見かけることならそれなりにある。だからこうして顔を合わせれば、様子を阿礼に知らせていた。
「いつも見事な歌と舞だ。今いる猿女の中では一番じゃないのか。」
そう言うと、阿礼がちょっと眩しそうな、そして嬉しそうな顔をする。
実際に真礼はその見事な歌舞ですでに名高いが、安麻呂は阿礼が女だったらどうだったろうと思うことがあった。きっと真礼に勝るとも劣らぬ名手だったろう。そして猿女の名を二人で更に高らしめたに違いない。
あの歌。
子供の頃の二人が歌った姿。
あれが成長した乙女として相舞われていたらと考えるだけで、安麻呂はぞわりと総毛立つような感覚に襲われる。それはきっと恐ろしいような、神々しいまでの美しさであったに違いない。
そしてこの世にそれが現れなかったことに、惜しいようなホッとするような、妙な感慨をおぼえるのだった。
ほんの少し話すだけで小休止は終わり、阿礼は足早に戻っていった。阿礼をしばらく見送ってから、安麻呂も仕事にもどった。
楽譜の解読ほど熱心になれないとは言っても、安麻呂が楽器を弾かないわけではもちろんない。一通りの手ほどきは受けた中で、安麻呂が好んで弾くのは筝だ。好きなだけにそれなりの腕前で、楽を奏す折も筝を担当する事が多い。
多氏の嫡子として幼い頃から手ほどきを受けている琴と似ているのも、ちょっと面白く思うところだ。もっとも琴は多氏の長である安麻呂の父が弾くことに決まっている。
筑紫で多くの楽器の手ほどきを受け、異国の楽人と交流もあった安麻呂に期待されるのは、今のところ古来の琴より舶来の筝を弾きこなす事だった。
糸の張りを確かめ、琴柱を挟み、音を合わせる。音がきちんと合っていれば、十三本の弦を順にさらりと鳴らすだけで、美しい音階が生まれる。
時に押して音を変え、時にひいて音を止め、時に弾いて響きを変える。
それに筝の譜はわかりやすいのもいい。
十三の弦のどれを弾くか、あるいは押すか。慣れれば一つ一つの音をたどりやすく、もとの楽を類推しやすかった。筝の楽譜への理解を元に、他の楽器の楽譜へも理解を広げることも出来る。
譜を抱えて戻ると、安麻呂の父品治ほんじが琴をひいていた。
品治は単なる楽人でなく、御門が皇子であられる頃からその領地の管理を任される配下でもある。先年の乱の折りには兵を率い、御門が御位につかれるのをお助けした。
そのように荒々しいところもある品治だが、その奏でる音は隠者の如き枯れた風韻を帯びて、味わい深い。単に氏の長と言うにとどまらず、品治は琴の名手だった。
父の琴を聞くたびに、安麻呂は楽の音の不思議を思う。
このような響きを奏でる者は、枯れて物静かな人柄であろうと誰でも想像するのだろうに、父には枯れたところなどどこにもない。むしろ楽人としては俗っぽい、上昇志向の強い父なのだ。
最近では楽人としてよりも御門の配下として忙しい父だが、それでも折に触れて琴を弾く。その琴の音を聞けば、父が多氏の長であることに誰もが納得してしまう。
父の琴に聞き入る楽人に混ざって、安麻呂もその音色に耳を傾けた。