第14話 不死者の王と新しい任務
五月五日。通常ならゴールデンウィークの終盤だが、黒江と葵は「次の日から学校」なんてものとは比べ物にならない緊張感に包まれていた。
というのも、全ては今朝に届いたメールが原因だった。
『差出人:ヒラタ研究室主任
どうも黒江くん。いきなりで申し訳ないけど、今日の朝九時に局長室まで来てくれるかな?
清美さんがこないだの事件のことを聞きたいらしいから、小村ちゃんと二人で来てね。局長室は五十階でエレベーター降りて、そのまま真っ直ぐの突き当たりだから』
と、そんな内容のメールが、朝七時に届いた。
そもそもヒラタ主任にメールアドレスを教えた覚えはないのだが、それはこの際どうでもいいだろう。化物退治の連絡用登録アドレスを使えば済む話だ。
問題は、そのメールで指示された内容である。
「……なあ。小村って局長と話したことある?」
「……ありません」
「……そっか。俺もだ」
昨日病室で、双葉からあの桜酒局長との血縁関係という衝撃の事実を聞かされたばかりだが。しかし、あの局長と面と向かって話すには、あまりに親近感と呼べるものが皆無すぎる。
双葉の叔母、という情報が脳内にあっても、あの軍人のような麗人と話すなんていうのは、考えただけで背筋が凍りつきそうなイベントだった。
黒江は一ヶ月前の入局式で聞いた、あの演説を思い出す。
(あれを素面で話して似合う人だからな……)
あの演説然り、この化物退治の軍国主義めいた仕組みも然り。その根本は、あの局長と関わっている。
何より、黒江の「唯一の男性局員」という立場だ。
双葉の叔母ということだが、そのあたりはどうなのだろうか。不安は絶えない。
「憂鬱……憂鬱ってこういうこと言うんだろうな……」
そうぼやきながら肩を落とす黒江は、すでに局長室の前に到着していた。
ヒラタ主任の研究室とは違い、部屋の扉は科学趣味ではない。むしろ古い裁判所やらで見るような、懐古趣味のものだ。
明治時代趣味、とでも言うのだろうか。この建物が建てられたのは昭和のはずだが。
「九時に来いってメールだったよな……小村、今何時か分かるか?」
「……八時五十九分、ですね」
「はっはっは。もういいや、どうにでもなれ」
諦めというか、投げやりなそんな言葉を口にして、黒江は目の前の扉をノックした。
その横で葵は、「そんなに怖いか」と言わんばかりの苦笑いを浮かべている。黒江と違って、根本的な目をつけられる理由がない分、ほんの少しくらいは気楽らしい。
黒江がそんな葵を羨ましいんだか妬ましいんだかよく分からない感情で見つめていると、扉の中から「入れ」と声がする。
入局式で聞いた、あの冷たい声音だった。
黒江は覚悟を決め、「失礼します」と言いながら重い扉を開け、部屋の中に踏み入り——、
「……煙草くさっ!」
と、失礼極まりない第一声を発したのだった。
「ふざけたことを言うな。葉巻だ」
浴びせられる冷淡な声。黒江ははっとして、恐る恐る前方に目を向ける。
冷淡という言葉を使えば、それが一番似合い。
冷血という言葉を使えば、それも一番似合う。
しかしなによりも、その声には「威圧」という表現が最も合う、そんな力が乗っていた。
腰元まで伸びた銀色の長髪に、時代錯誤な丸眼鏡。その奥から覗くのは、冷たく鋭い瞳だ。
ニコチンの不快な臭いが充満するその部屋の奥で、底冷えするような目線で黒江を射抜いていたのは、間違えようもなく桜酒清美局長その人だった。
そして、その隣にもう一人。
「清美さん、だから言ったじゃないですか。未成年にこの部屋はキツイって」
「……って、ヒラタ主任?」
「やあ黒江くん。急に呼び出してすまなかったね」
そう言って片手を上げるのは、間違いなくヒラタ主任だった。彼はいつも通りの軽い笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「やっぱり臭いよねえ、この部屋。僕もいつも言ってるんだけど、いつになってもタバコやめないんだよこの人」
「葉巻だと言っているだろうが。この香りがわからないとはな」
「副流煙でガンになるのはこっちなんですって。僕はともかく未来ある未成年もいるんですから、今は控えて下さい」
執務用の机の引き出しを開け、その葉巻を取り出そうとした桜酒局長にヒラタ主任がそう制止する。
「すげえ……ヒラタ主任がまともなこと言ってる」
黒江はその光景を見て、ひっそりとそんな言葉を漏らした。
ヒラタ主任はいつもなら、ほぼほぼ故意的なボケキャラなのだが、桜酒局長に関しても、案外常識はずれな行動をしてくれるようだ。こちらは天然のようだが。
しかしヒラタ主任がツッコミに回るという光景は、おそらくここでしか見られないものなのだろう。
「……さて。私が呼んだのは二人だったはずだが」
「あ、はい。小村?」
「こ、ここにいます」
そう言って、葵は黒江の背中からおっかなびっくりという様子で顔を出した。やはり特別な憂鬱抜きにしても、この局長に会うには緊張というか、恐怖に近いものを感じていたらしい。
「……ふん。その様では、せっかくの魔力適性も持ち腐れだな」
じろりと葵の顔を見据え、桜酒局長はそんな言葉を吐き出した。
その棘のある言い方に、黒江は眉をひそめる。しかし、何か文句を言い返す前に、ヒラタ主任が間に入った。
「清美さん、そういうのは今日はやめといて下さいよ。聞きたいことがあって呼んだんですから」
「……ああ。そうだな、無駄話をするためじゃない。話を始めようか」
不穏な黒江の感情を察知してか、ヒラタ主任は素早く桜酒局長をそうやって諌める。幸いにも彼女は、すぐに刺々しい視線を解いた。
黒江もそれを見て、ひそめた眉を元の形に戻す。いくらなんでも、この場で文句を言い募るほど黒江は愚かではない。
「さて。君ら二人を呼んだのは、先日の事件について詳しい事情聴取を行うためだ。事の大きさを鑑みて、私自らが聴取する」
「……事の大きさ、ですか」
黒江は棘こそ無くなったものの、ひやりとするようなその口調を聞いて、目を細める。
「三年前から化物事件の数が増加傾向にあることは知っているな?」
「えっと……はい。ニュースで聞いたくらいの認識ですけど」
「異常な事態が現在進行形で起こっているのだと理解できていればいい。それに加えて、先日の吸血鬼の事件だ」
あの吸血鬼事件は異常だった、と暗に言われているのだ。黒江は身を引き締める。
「黒江亮、君に聞こう。あの事件で何かおかしなところはあったか?」
鋭い視線のままに、桜酒局長はそう聞いてきた。
試すような物言いだ。あの事件の異常性に、それを最も近くで見た黒江がしっかり気が付いているのかと、そんな風に。
「……二つ、ですかね」
黒江は正面から桜酒局長を見返し、はっきりとそう言った。
「一つは、あの吸血鬼が……なんていうか、作戦のような、複雑な行動を取っていました」
複雑な作戦行動。
結局のところ、それになんの意味があったのかは全くわからないが、しかしあの吸血鬼は何かを考えて、単純ではない行動をとっていた。
ポルターガイストを装い、その場の人間たちを騙して化物退治へ通報が行くように仕向け。
さらに、屍人たちを使って黒江らを分断、撹乱、そして双葉を拉致した。
「それともう一つ……あの吸血鬼は、何かの命令を受けて動いていました」
「……なるほど。ひとまずは上出来といったところか」
桜酒局長はそこまで聞いて、少しだけ笑ってみせた。どうやら黒江は、彼女にとって満足のいく答えを口にできたらしい。
桜酒局長は、満足そうに、座っている高級そうな椅子の背もたれへと体重を預けた。
「お前が目をかけるのもわかるな、ファルマ。なかなかどうして優秀じゃないか」
「いやいや、僕はあなたと違って成績で人を選びませんからね?僕が黒江くんと仲良くしてるのは、黒江くんと気が合うからですよ」
「仲良く……してますっけ?」
確かに、昼休みやら休日やらに、他愛ない映画談義などに時間を費やした覚えはあるが。あれは半ば強制的に呼び出されていたようなものだ。
「君の言う通りだよ、黒江亮。その吸血鬼とやらが取った行動は明らかに異常だ」
と、そんな黒江の脱力したツッコミを聞き流して、桜酒局長は言葉を続ける。
「私が特段気にしているのは、後者の方だ。その『命令系統』とやがきな臭くてかなわん。それを踏まえた上で、君の見解を問いたいのだが?」
「えっと……その、吸血鬼に組織性があるってことは、あの事件に別の黒幕がいるってことになります」
「……良いだろう、そこまで考えが及んでいるなら話が早い」
満足そうにそう言って、しかし桜酒局長は今だに威圧的な視線を外さない。何か悪いことでもしただろうか、と黒江は冷や汗をかく。
もしくは、この威圧的な視線が彼女に取っては常なのかもしれないが。
ともあれ、黒江はとりあえずのところ、桜酒局長の望む答えを口にできた。それは事実なのだから、安心くらいはしても良いはずなのだが——この部屋を包む、緊迫した雰囲気は解かれていない。
そうして、その雰囲気のまま、桜酒局長は話を続ける。
「化物が徒党を組んで動くなんてことは、全世界で一度も確認されていないことだ。異常な、異常な事態なんだよ。もしかするととんでもない危機に繋がるかもしれないほどに」
「とんでもない、危機……?」
剣呑な言葉に、葵は怯えるような声を出す。自分の相対したあの吸血鬼が、そんなものにまで繋がっているとは思っていなかったのだろう。
しかし、これは紛れもなくとんでもない事態なのだ。黒江は桜酒局長の言葉を引き継ぎ、葵に説明を始めた。
「化物が群れで動く、みたいなことはよくあるんだよ、多分。俺らが見た屍人なんかもそうだったろ。でも、今回は話が違うんじゃないかな」
「話が違うって……どういう、ことですか?」
「今回、その何かに従って動いてたのは吸血鬼だ。いいか、吸血鬼なんだよ」
黒江は心から忌々しそうに、
「吸血鬼ってのは、化け物の王様みたいなもんなんだ。知名度でも、純粋な強さでも、それから偶像性も、最強クラスだし……『ドラキュラ』なんて、誰でも聞いたことくらいあるだろ」
「ドラキュラ……って、吸血鬼のことじゃないんですか?」
「日本だとそういう意味で使われるけど、厳密にはあれは、ただの固有名詞なんだ」
1897年、アイルランドの作家ブラム・ストーカーによって書かれた怪奇小説、「吸血鬼ドラキュラ」。その登場人物であるドラキュラ伯爵こそが、現代における「ドラキュラ」のイメージの始まりといえる。
「吸血鬼ってのは、人を襲い、血を吸う。太陽や十字架がなければ不死身って存在だ。そのモデルだって、公爵だか伯爵の貴族だったりするからな。そんな吸血鬼が、何かに従って動いてたんだぞ」
「動く死体」ゾンビなどとは比べ物にならない高貴な化け物である、吸血鬼。その吸血鬼を使役する存在がいる、ということだ。
化物としての吸血鬼は特に、「一握りで人間をボロ雑巾にせしめる怪力」、「弱点を突かなければ何度でも蘇る不死性」などという、最強に近い性質を持っている。
しかし、あの吸血鬼が何かに従って動いていたということは、単純に考えて、それよりもさらに強い化物がどこかにいることを示唆しているのだ。
吸血鬼よりも高貴で強力な、別の「黒幕」が。
桜酒局長は、その黒江の言葉を最後まで聞いて、コクリと頷いた。
「彼の言った通りだ。随分と理解が早い——だからこそ、直接その吸血鬼と相対した君らに聞きたいのだよ。それに関して何か、気になることはなかったか。思い当たる会話などは無かったか?」
「そうは言われても……会話なら多分、小村の方が多かったと思いますけど」
黒江の話したことといえば、大仰に喧嘩を売ったことと、足を踏み砕きながら口にした挑発くらいのものだ。
敵の組織性に関することなら、葵の方がむしろ聞く機会は多かっただろう。
葵はそんな周りの視線に、しかし困ったように答えた。
「確かに、『ご主人様』とか、命令されているとか……そんなことは言っていましたけど、具体的なことまでは分かりません」
「あの方、とかは言ってた気がするけど……『ご主人様』?そんなことまで言ってたのか、あいつ」
このように、確かに、上に何かいるような発言は多々あった。
しかし残念なことに、具体的な組織内容やらは聞けなかったはずだ。桜酒局長の求める「有力な情報」は、少なくとも無かっただろう。
「ご主人様……か。規律ある組織体制での、上司の呼び方では無いな」
桜酒局長は、やれやれといった風にそんな言葉を吐き出した。
この聴取によって望ましい結果が得られなかったことへの、失望とまでは言わないが、「残念だ」という感情の表れだった。
しかしその何気ない呟きが、状況の発展を生み出すことになる。
正確にはその言葉に反応した、黒江の独り言によって。
「……ノーライフキングってのは、確かに下僕の奴らにとっては親みたいなものなんだろうけど」
と。
黒江は、何気なく呟いた——それは黒江にとっては本当に何気ない一言だったし、そもそも黒江自身、呟いた内容がこの状況を動かす大きな鍵となり得ることに、今の今まで気付いていなかったのだから間抜けな話だ。
しかし、黒江が脳裏に思い出していたその記憶は、確かに状況打開のための鍵だった。
それを偶然にも聞き留めた桜酒局長は、化物退治局長の名にそぐうだけのものを持っていたのかもしれない。
「ノー……なに?今何を言った、黒江亮」
「……え?」
疑問符の含まれた桜酒局長の問いかけに、黒江はびくりと肩を震わせる。黒江にとっては何気ない独り言だったのだから、それを突然に聞き咎められては当然の反応だろう。
しかし、桜酒局長にとっては「何気ない」では済まされない。今黒江が言った二つの名詞は、彼女にとって聞き覚えのかけらもないものだった。
「私はこの仕事について長い。仕事柄、色々な文献を読み漁ったが——ノーライフキング?そんなものは聞いたことがない。君は何を知っている?」
「あ……いや、今のは独り言で」
「独り言でも、君が今口にしたことは、化物退治のために役に立つ情報になり得るかもしれないだろう」
「いや……その、すみません。俺が今言ったことは、昔祖母から聞いたお伽話を思い出しただけなんです。この状況で役に立つとは」
「それは私が判断する。それに、お伽話だろうが——フィクションには違いないだろう」
桜酒局長の言ったことは、概ね正しい。お伽話であれ、それが人によって作られた物語ならば、決して化物と無関係ではないのだから。
そもそも化物とは、人間の考え出した、「人間の恐怖の対象」の姿を模って出現するものだ。「星の意思」が人間抑制のために生み出した「殺害機構」の、いわば「型」に、人間の想像上の存在たちが使われている。
例えば「吸血鬼」の化物ならば、人間が想像し作り出した通りに、「太陽に弱く」「十字架に弱い」。
例えば「狼男」の化物ならば、人間が想像し作り出した通り、「満月で狼に変身し」「他ではただの人間の男」なのだ。
そして、「人間の想像」とは、すなわち人類が長い歴史で生み出した「フィクション」のことを指す。
吸血鬼ドラキュラ、狼男、フランケンシュタイン、幽霊、物体浮遊、奇怪音。全て人間が想像し、考え出したもの。
そしてそれらは、生まれた年代も考え出された経緯も、それぞれまるで違う。
ある化物は、紀元前の神話の中の化け物から生まれ。
ある化物は、十九世紀の怪奇小説の化け物から生まれた。
そして、その「生まれるもと」には、本当にあらゆるフィクションが含まれる。
海水浴場に出現する、巨大鮫の化物。
13日の金曜日に出現する、殺人鬼の化物。
または、孤島に突如出現する、大量の恐竜たちの化物。
人間たちが恐怖を抱く対象、人間たちの創造物。それには、なんなら一分前に描かれた短編漫画だって条件は満たしている。
「ノーライフキング、なんて言葉は聞いたことがない。しかも、『不死者の王』だと?先日の吸血鬼に黒幕がいるかもしれないという今、ぴったりな単語じゃないか」
と、桜酒局長は威圧的に言った。その感触に当てられて、黒江は珍しくも冷や汗をかく。
そんな緊張を読み取ってか、もしくは普通に空気を読まなかっただけか、ヒラタ主任が口を挟んできた。
「清美さん……黒江くんの独り言はともかく、ノーライフキングって単語は普通に知ってるべきだと思いますよ」
「……なんだと?」
「だからいつも、古代の文献やら神話やらだけじゃなくて、近代娯楽に触れるべきだって言ってるじゃないですか。漫画とかラノベとか見てれば、ノーライフキングくらい知ってたでしょうに」
「……」
桜酒局長から発せられる威圧的な空気が、少し緩和された。どうやら自分の知識の偏りを指摘されて、苦々しい思いをしているらしい。
まあ、化物退治の局長をやっていてノーライフキングなんていうおあつらえ向きな単語を知りもしないというのは、確かに黒江もどうかと思ったが。
それも指摘したのはヒラタ主任だ。よりにもよって彼から諭されるなんて状況は、桜酒局長のような人間には屈辱だろう。
とはいえ、そこは局長という立場の人間だ。すぐに気を取り直したようで、黒江に再び鋭い眼光を向けてきた。
「なら、なおさら分かりやすく説明してもらおうか。そのノーライフキングとやらを」
「……えっと」
そう言って、黒江は説明を始める。
「不死タイプの怪物って、結構いるんです。骸骨・屍人・食人・吸血鬼——そういうのを、まとめて不死者って呼びます。とりあえず、仮の呼び名として」
「不死者……ああ」
「その不死者——特に吸血鬼はそうですけど、そいつらは地位順序ってものが結構確立されてて。その中の、いわゆる王様にあたる吸血鬼がいまして」
「……吸血鬼?いや、ちょっと待て。だが今、その配下の不死者の中にも、吸血鬼は含まれていなかったか?」
そう、大雑把なくくりの「不死者」の中に、吸血鬼は一種別として存在する。
しかしそれはあくまで、野良の、ただの吸血鬼だ。
ただ生まれ、血を吸い、太陽を恐れてやがて死ぬ吸血鬼に過ぎない。
「俺らが戦ったあれは——その、お伽話になぞらえて言うなら、『使役されるための吸血鬼』だったんだと思います」
「使役、されるための——生まれながらの奴隷人形、というわけか」
使役するために生み出されたもの。桜酒局長の言う通り、まさしく奴隷として生まれる、「生まれながらの奴隷人形」。
とはいえ、腐った生まれではあっても、それはあくまで吸血鬼だ。恐るべき、化け物の王者——だが。
だが、ならば。使役する側の吸血鬼とは?
「その王様の吸血鬼とやらは、奴隷人形と何が違う?力か?生命力か?」
桜酒局長はその純粋な疑問を口にする。それを受けて黒江は、困ったように眉をひそめた。
「ペテン……って、俺は聞かされました」
「ペテン?何がだ」
「存在そのものが。死ぬとか生きるとか、何のために生まれるだとか、そんなものが全部ペテンらしいです」
黒江は言葉を続ける。
その内容は、化物退治が敵に回す者への絶望感が増すだけのものだった。
「えっと……まず、人を文字通りの『ボロ雑巾』にせしめる超怪力」
「怪力——吸血鬼の、基本能力の一つか」
「それと、至近距離からのマシンガン掃射を、たやすく全て避けるだけの身体能力・動体視力」
「身体能力、動体視力……怪力の延長のようなものか?」
「仮に一メートルに満たない距離からミサイルを食らっても、大した傷すら負わない耐久力」
「ミサイル……耐久力?それほどにか」
「仮に首一つ除いて消滅しようが、明確に『聖銀で心臓を潰』さない限り復活する完全な不死性」
「不死せ……まて。待つんだ、少し——」
「そして」
桜酒局長の制止を無視し、黒江は最後まで言葉を吐き出した。
「『吸血鬼の弱点』というものが効かないんです——太陽も、十字架も、銀の弾丸でも」
「——なん、だと?」
黒江が語り終わった、その絶望的な敵の性能に、桜酒局長は唖然とする。
いや、彼女だけではない。葵も、そしてヒラタ主任までもが同じような反応をしていた。
まさしく不死者の王。
不死者の王だ。
その名前に恥じないというのならその通りだが、この場合は、もはや「不死者」というのが完全に文字通りになってしまっているのだから、当然だろう。
「……ちょっと待ってくれ黒江くん。そのお話のソースは、一体なんなんだ?」
「って、言いますと?」
ヒラタ主任の慌てたような問いかけに、黒江はそう聞き返す。
「僕はそんなの、聞いたことがないんだよ。職業柄、モンスター系の漫画やらも読み漁ったし。読み落としかもしれないけれど……」
「あ、いや。さっきも言いましたけど、これは漫画とかじゃなくて、昔祖母から聞かされた昔話なんです」
そう言って手を振りながら、黒江は間違いを訂正した。
そもそも、この世界には大量の物語がある。たくさんの、化物のもととなるフィクションが混在している。
吸血鬼ひとつ取っても、「吸血鬼ドラキュラ」からマイナーもマイナー、知る人すらいないような同人誌やら昔話まで、様々なものがある。
その中から、無差別に、ランダムの形で化物は出現する。有名な作品一つ取り上げて、それに対して対処を行うことは、そもそもがナンセンスなのだ。
黒江が今話したことはあくまで、「黒江の知り得る限り最悪の場合」だ。
「俺が知ってる、吸血鬼関係の話で一番恐ろしいのがその話で——さっきはそれを、ふと思い出したんですよ」
「——なるほど。つまり今君が話したことは、あくまで『最悪の事態』なのだな」
桜酒局長は、火をつける相手のないライターのスイッチをカチカチといじりながら、冷たくそう言った。
「我々が最高限対処しなければならない想定なのだな」
「……まあ、はい。万が一、ってだけであっても——避けるべきだとは思いますし」
「0.01パーセントは、我ら自体を賭けのチップにするには高すぎる。よく理解できているじゃないか」
桜酒局長はそう口にする。そしておもむろに、首を傾けて天井を仰いだ。
「その話が事実だったなら——そういうことになるのだな」
そして、物憂げにそう呟く。まるで長年抱えていた心のしこりが解けたような、そんな雰囲気だ。
事実、桜酒局長は長年の悩みの種をーー抱えていた謎を、たった今解決させた。
ただし、その解答は、望みもしなかったものだったが。
「化物を増やす化物——それが出現した。そういう、ことなのだな」
望まない答え。それはすなわち、「明確な脅威」が出現したことを認めることだ。
三年前から始まった、化物の数自体の増大。その原因は今の所不明だった。
だがしかし、黒江の話した内容は、奇しくもその謎を解決させるものだったのだ。
不死者の王は、「眷属」という形で下僕を増やす。
それはまだ確定した答えではないものの、三年間低迷していた「化物増殖」の問題解決に、新たな道を示した。
その道を見定め、桜酒局長は司令を下す。
「ファルマ。話はわかったな」
「ええ。そういうことなら、とりあえずはそのお伽話とやらの線で調べて行きます。しかし——なるほどそういうことだったのか。化物の出現数が増えたんじゃなく、化物を生み出せる化物が出現していた——」
発想の転換だ。というよりも、それが事実ならば、日本という国は運が悪かっただけとも言える。
要はランダムに、「最悪の化物」が日本という場所に出現してしまっただけなのだ。確率的には低い可能性だったのだろうが、しかし起こり得る可能性だった——それが起こっただけ。
「——なるほどねえ。とりあえずは黒江くん、お手柄だ」
「いや……はい」
素直な賞賛に、黒江は照れ臭そうに返事をする。
「君の話したお伽話とやらについては、また後日詳しく聞くけど……とりあえず今日は、こんなところかな」
ヒラタ主任は、そう言って軽く手を叩いた。
ともかく、これでわざわざ局長室にまで呼び出された甲斐はあったのだろう。有力な情報を無事に提供出来たらしいことに、黒江は内心胸を撫で下ろしていた。
「えっと……それじゃ、俺らの用事は済んだんですかね?」
事情聴取もひと段落ついた雰囲気を感じ、黒江はそう尋ねた。
それを聞いて、ヒラタ主任はふと思い出したように、
「あ、清美さん。ほら、新しい任務が……」
「ん、ああ。そうだったな」
桜酒局長はそう言われて、ああと頷き、黒江たちの方へ向き直った。
どうやらまだ用事は済んでいなかったらしい。ヒラタ主任の言葉から察するに、新しい仕事でも言い渡されるのだろうか、と黒江は予想する。
「君ら、正局員カードは受け取ったな?」
「ああ……はい。白石班長から」
「それで、君らはこれから正式に化物と戦闘をすることになる。すでに研修期間を終えている姪とともに、十三班は特別活動班という扱いになるだろう」
「特別活動班、ですか」
「ああ。姪が退院するのは明後日のことだ。そうしたら、早速新しい任務に就いてもらう」
桜酒局長は言いながら、手元の資料の束から、一枚のメモ書きを引っ張り出す。「新しい任務」、とやらの詳細らしい。
「和光町という町にある中学校から、原因不明の負傷者や行方不明者が多発している。確証はまだだが、化物が関わっている可能性が高い」
「和……なんですって?」
黒江は、その桜酒局長の言葉に、眉をピクリと動かした。
「中学校に赴いてもらう、と言っているんだ。教職員や生徒に話を聞き、事件解決に勤めてもらう」
黒江の疑問の言葉に軽く答え、桜酒局長は話を進める。あくまで、淡々と事務的にだ。黒江の表情の変化にはまだ気付いていないらしい。
しかし一方で、葵は隣の黒江の表情が曇っていることに気付いていた。曇っている——なんというか、「あっちゃあ」という顔をしている。
しかし、どうしたのかと聞く前に、桜酒局長の説明の言葉が続いた。
「和光町立白子中学校、という学校だ。白石双葉局員の復帰を待ち、以後彼女の指示に従うこと……黒江亮、さっきからなんだその顔は?」
あらかた任務の詳細を言い終えて、やっと黒江の表情の変化が目に留まったのか、桜酒局長はそう疑問を口にした。
黒江は確かに「あっちゃあ」という顔をしている。左手で目元を覆い、天井の方向を見ていた。
その様子に、桜酒局長だけでなくヒラタ主任や葵も疑問符を浮かべている。
「なんだ、黒江亮。与えられた任務に文句でもあるのか?」
「いや……文句っていうか、なんていうか……」
「じれったいな。さっさと言え」
桜酒局長は、語調を強めてそう促した。黒江はそれを聞いて、深いため息をつく。
「……母校なんです」
「……は?」
黒江の呟いた、億劫な雰囲気を纏う言葉に、今度は桜酒局長が眉をひそめる。
そんな反応を見て、黒江は泣き笑いのような表情になり、
「白子中学校って、去年まで俺が通ってたところなんですよ」




