第13話 エピローグ:第1章
朝。カーテンの隙間から差す光に目元を照らされ、黒江は目を覚ます。
今日も今日とて、黒江にとっては休日だ。十三班の待機命令は、少なくともあと数日はないらしい。
目覚まし時計を見ると、短針はまだ七を指していた。
「休日のお目覚め時間じゃねえな……」
黒江は目をこすり、そうしてもう一度布団を頭から被り惰眠を貪ろうとして——、
「黒江さん、おはようございます」
その声に意識が引っ張られ、黒江の眠気は五割ほど吹っ飛んだ。
聞き覚えのある——いうか、昨夜にも聞いていた声だ。黒江は、布団を取り払い、目をこすりながらその声の主を確認した。
「小村……?」
「はい。鍵が開いてたので……その、入らせてもらいました」
「鍵……あ、オートロックをオフにしといたんだっけ」
化物退治の局員寮は、基本的に全部屋がオートロックになっている。が、オートロックとは実は、とても面倒なものでもあるのだ。
鍵を忘れて外に出ると、合鍵が手に入るまで部屋に入ることはできない。
万が一鍵を紛失でもしたら、それこそ一大事になるのだし。
と、そんな事情を鑑みて、黒江はオートロックのスイッチをオフにしていた。これで鍵の開け閉めは全て手動になる。
手動になるのだが、その弊害として鍵の閉め忘れが発生する。たった今、教訓が生まれたところだった。
「まあ、今度から気をつけよう……んで?小村はこんな朝早くに何しに来たんだ?」
「朝早くって……七時ですよ?」
「休日だよ?」
黒江がそう返しても、葵はきょとんとした目でこちらを見ている。
どうも、黒江と葵とでは、生活体系が根本から違っているようだ。議論してどうこうなるようなものでもないし、議論する意味もないと、黒江は諦めた。
「んで……何の用だよ。こんな朝早くに」
「七時……いえ。その、朝ごはんが、余ってしまって……」
葵はそう返事をして、手に持っている鍋をくい、と上げてみせた。中からは、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってくる。
「……。え、くれるの?」
「あ、はい。よければ、ですけど」
「いや、くれんならそりゃ貰うって。こちとら毎朝変わりばえしない売店のおにぎりを……」
言いながら、黒江は鍋の蓋の取っ手を掴み、中身を覗く。
鍋の中身の三分の一ほどを占めているのは、いわゆる肉野菜炒めと呼ばれる料理だった。何種類もの野菜と、比率的には少なめの豚肉が炒め込まれている。
「……毎朝こんな手の込んだもん作ってんのか?」
「時々、覚ましのセットを忘れちゃいますけどね」
葵はそう言ってはにかむ。黒江はそれを横目に、その葵が手に持つ鍋の中から、菜箸で肉を挟んで口へ運んだ。
口の中に旨味が広がる。黒江は素直に感心した——若干上からの感想だが、しかし味の批評を求められているような雰囲気だし、このくらいは許されるだろう。
「美味いな、これ」
「料理は慣れてますから」
「箸と皿持ってこよう……いや。これ、食べちゃっていいんだよな?」
「はい。私は、その……お腹いっぱいなので」
「じゃあ箸だけでいいか。そのまま食っちまおう」
黒江はそう言って布団から這いずるように出て、台所の箸置きから手頃な箸を取って戻ってくる。
そうして、葵にテーブルの方へ持ってくるように頼んだ。葵は言われた通りに、鍋を運ぶ。
「頂きます」
そう言って黒江は手を合わせ、野菜炒めを口に運び始めた。
黒江には一つ、気がかりなことがある。
それは、昨夜に交わした葵との言葉が、ただの約束でないものとして結ばれてしまっているかもしれないことだ。
昨夜に、黒江と葵は一つの約束を交わした。
交わしたのはただの口約束なのだが、しかしそれは偶然にも、ある「特殊なもの」へと成った可能性がある。
黒江と葵が交わしたのは、口約束だ。「葵は黒江と共にいる」、「葵は黒江を人間として認識する」。この二つの、言葉と状況が生み出した、口での約束に過ぎない。
しかし、口約束がただの口約束に留まるのは、それを交わすのが人間同士である場合だ。
吸血鬼という存在は、血を吸うことによりその人間の魂を我が物とするいきものだ。血を媒介物として、魂の受け渡しを完了する、そういう存在だ。
それはつまり、血を通貨とした魂の取引に他ならない。
「血」というものを金がわりに、魂を売買する——そんな形式の、「取引」。
そして、その「魂というもの」が介在する取引は、ほかとは違う特別なものになる。
吸血鬼という存在は、「魂の取引」と密接にある存在なのだ。
「魂の取引」という、一つの概念があり。それに密接に結びついている、「吸血鬼」という概念があり。
そのことを考えると、ある意味当然なのかもしれないが、「吸血鬼の取引ごと」には逆説的に「魂」が付いて回ることになる——あくまで仮の話ではあるのだが。
そういう可能性もある、という話だ。
黒江が吸血鬼である以上、黒江の身を取り囲む「取引」「約束」ごとは、必ずその「特別な取引」という概念と密接に関わっている。
誰がどう見ようと、例え葵が人間と認めようと、黒江は少なくとも「吸血鬼」だ。その黒江との取引・約束の類には、同時にその「特別な意味」が付いて回る。
葵は、黒江を「人間」として見る。
人間と認め、彼と共にいる。
それは同時に、葵が黒江を「化け物」として見てしまえば、その「取引」が終わることを意味する。
葵が、黒江を化け物と認識せざるを得ない事態が起こったなら——葵は、黒江とともにいることはできなくなる。
その事態が起きた時には、世界がそうさせる。世界がそう動く。
それはこの世の道理であり、化物の存在する世界の、絶対的なルールの一つだった——もっとも、こんな非科学的で非現実なことは、公に知られてなどいない。考えられてもいないだろう。
一つの仮説としてすら、議題にも上がらないような突飛な理論だ。
しかし黒江というと、この「ルール」を化物退治関係とは別のところから四年前に学んでいた。
ある村の、小さな「神様」から学んだことがある——その件について微に入り細に入り説明すると、章を一つ消費してしまうだろうから、またの機会になるが。
魂の取引。
そういう概念が、黒江と葵の間に生じてしまった可能性がある。
(血を吸わない限り、本当に魂の取引ってわけにはならないんだろうが……どうなるんだ?)
吸血鬼にとっての「魂の取引」は、基本的には血液主流だろうし、たとえ例外があったとしてもそうそう起こるようなものでは無いだろう。もし黒江の約束事に、一々そんなものが付いて回るのだとしたら、待ち合わせも出来なくなる。
しかし、今回の約束だけは、「例外」である可能性が高いのだ。
何しろ、黒江も葵も、本心からあの約束事を口にしていた——心の底から。
魂の底から、誓っていた。
黒江は思案する。「魂の取引」という概念については、正直言って分からないことの方が多いのだが、その危険性だけは身に染みていた。
(あれは……マジで、やばいからな)
血を吸っていない限り、あくまで特別な取引にはならないのかもしれないが。
黒江が吸血鬼である以上、仮にでもその特別性が成っている可能性もある。
それ故本来、に化け物と人間は取引を行ってはいけないのだ。太古の昔から人間と化け物の取引・契約は禁忌だ。
あの状況の上、あの精神状態と興奮状態では仕方のないことだったが、しかしそのことを失念していたのは黒江のミスだった。
(……気をつけないとな)
葵にもし、「化け物」だと見られてしまえば、黒江と葵は共にいることが出来なくなる。
世界がそういう風に動く。なりふり構わずに、黒江たちを取り囲む世界そのものが、「そういう結果」を生み出そうと、なりふり構わずに全力で動く。
例えば、「死別」という形で、それが現れる可能性だってあるのだ。
「……あの、お口に合いませんか?」
「……ん?美味いよ?」
「なら良いんですけど……黒江さん、顔が曇ってました」
「ああ、いや。白石班長たちは大丈夫かなって、心配してた」
黒江はそうやって、無理矢理に話題を転換する。どのみち今は分からないことなのだから、少なくとも葵に知らせるべきではない。
というか、双葉や兼村のことが心配というのも、紛れもなく黒江の本音だった。
「班長は……まあ、流石に頭殴られただけだし大丈夫だとは思うけど」
「でも、頭ですよ。頭って一番守らなきゃいけないところですよね」
「頭と心臓と脊椎は絶対だな」
逆に言えば、その三部分さえ残っていれば、手段を尽くせば生存することができる。もっともそれには、最低でも「サイボーグ化」くらいの大規模な身体改造が必要になるが——不可能かもしれない。
「問題は兼村だよな……腕千切られかけただけでも重症なのに」
「……え?それだけじゃないんですか?」
「ゾンビ映画って見るか?小説でも良いけど」
「?いえ、パニックものはあんまり……」
パニックものを見なくても、正直常識として知っていてもおかしくないことではあるのだが。黒江は頭をかき、説明を始めた。
「ゾンビもののパニック映画ってさ。大体は要するに、感染爆発ものなんだよ。ゾンビに噛まれると、ゾンビ化するっていう……」
「ああ……って、え?それって、兼村さんは?」
「いや、大丈夫だとは思うんだけどさ。そもそもゾンビはゾンビでも吸血鬼配下のグールだし、あの傷だって噛み切られたわけじゃないだろうし」
なのだが、不安なものは不安だ。特に黒江のような、その他の類の映画の愛好家にとっては、ゾンビに襲われて怪我をする=死、もしくは感染だ。
もっとも、現実でそのようなB級映画のお約束やフラグなど、大して意味はないのだろうが。しかし心配なものは心配だった。
「今日、二人のお見舞いにでも行くか?」
「そうですね。考えてみれば、一度も顔も見せてませんでしたし……」
野菜炒めを口に運びながら、二人はそんな会話を交わす。
どのみち待機命令中の二人は、ただこの局員寮で暇を持て余すだけの一日だ。葵にも、二人のお見舞いという方針には異論はなかった。
朝は、そうして過ぎて行く。
*
双葉と兼村は、化物退治本局から目と鼻の先の巨大病院で入院していた。
警察病院のようなものだ。この病院は化物退治の局員が負傷した時や、化物による負傷者などが緊急で運ばれる場所だった。
「……え?面会謝絶?」
その病院の一階ロビー、面会受付窓口で黒江は素っ頓狂な声を漏らす。
午前九時。黒江は葵と共に、怪我で入院中の二人の見舞いに来たところだった。
そして、とりあえずは兼村の方から先にと思い、受付の女性に病室を訪ねたところ、その言葉が飛び出たのだ。
「303号室の兼村洋子様、ですね。確かに面会謝絶になっています」
「えっと……理由とか、分かります?」
そう聞き返す黒江の心の中には、一抹の不安が生まれていた。
もしかしてその面会謝絶っていうのは、原因不明の凶暴化とか、そんなのが理由なのかもしれない——と、未だに映画脳な不安を再燃させていたのだが。
もちろんそんなことはなかった。
「兼村様は、精神的な衰弱が激しいらしくて……その、私は詳しくは知らないんですが」
「衰弱……ああ」
凶暴化だとか「異常をきたしている」だとかならまだしも、「衰弱」なら、馬鹿げた不安が現実になったわけでは無いのだろう。黒江は心の中で胸を撫で下ろした。
そして同時に、それも仕方がないと納得する。
(何しろ屍人なんかに襲われて、腕を千切られかけたんだからな……寝込みたくもなるか)
黒江は黒江で、実は異常なのだ。身体的な意味ではなく。
そもそも屍人などというのは、化物の中でもとくにおぞましい部類に入る。性質が、とかではなく、見た目がだ。
そんなものを、よりにもよって十六歳の新入りが目の当たりにしたんなら、見ただけで気絶しても別におかしくはないのだ。実際に肉体的な害を被ったのならなおさらだろう。
進んでその群れに分け入って、仲間を救出しようなどとは普通、考えられない。
もっとも、黒江には身体的にも精神的にも、潜在的な「化物への耐性」があったし。
葵は葵で、「隣に黒江がいる」というある種での精神安定剤があった。
だがあの状況だと、兼村には何もない。どころか下手をすれば精神をすり減らしていたはずだ。
班内では孤立し、唯一険悪ではない(かといって仲がいいわけではないのだが)双葉は吸血鬼に攫われ姿を消していた。
その状況で屍人の群れを目の当たりにしたのだから、考えてみれば発狂してもおかしくはない。
「まあ……しょうがないか。それじゃあ、白石双葉さんは?」
「白石……ああ、彼女なら大丈夫です。病室は1005号室ですね」
受付の話だと、彼女は二、三日で退院できるらしい。大事をとって入院しているだけで、特に大変なこともなかったということだ。
黒江と葵は面会用のカードを受け取り、エレベーターに乗った。
「つーか、班長ってこんなにお菓子食べると思う?」
「兼村さんと二人分買ったから……どうでしょうか」
黒江は、手に持った大量のコンビニ菓子入りのビニール袋を見ながら、今更のようにそんなことを言っていた。
本当に今更だが、そもそも見舞い品をコンビニ菓子で済ませて良かったのだろうか。最低でも果物くらいは買っておくべきだったかもしれない。
「本当に今更だけどな……まあダメだったらダメで俺らで食えばいいか」
というかそもそも、見舞い品以前に黒江だけ追い返されないだろうか。根本的過ぎるが、あの双葉相手なら、黒江はその心配もきちんとすべきだった。
ともあれもう遅い。黒江たちはエレベーターを降り、すでに指定された病室の前に立っていた。
「……小村。ノック頼む」
「は、はい」
やや初対面時のトラウマが抜けきっていない黒江のそんな言葉に、葵は頷いた。そして、そのまま目の前の白い扉を二回叩く。
少しして、中から「どうぞ」と声がした。それを聞いて、葵は扉を開ける。
「ああ……あなた達ね。わざわざお見舞いに来てくれたの?」
「は、はい」
「失礼しますよ……と、うわ個室だ」
黒江は葵の背に隠れ気味に病室に入るなり、そんな声を漏らした。
双葉の病室は、他の入院患者との共同スペースではなく、完全な個室になっていた。窓側のベッド、質の良さそうなカーテンやらテーブルやら、ホテルの一室にすら見える。
もっとも、その優雅な生活といった雰囲気は、双葉の頭に巻かれた白い包帯がぶち壊していたが。
「えっと……その、どうですか?怪我は」
「……まあ、大事にはならなかったみたいね。二、三日で退院できるって聞かされたけど」
葵の質問に、双葉は受付の女性が説明したのと同じ内容を答える。どうやら本当に大丈夫なようだと、葵は胸を撫で下ろした。
そして、その後ろからひょっこりと顔を出し、
「あの班長。コンビニで色々買ってきましたけど……食べます?」
「……黒江」
黒江は手に持ったビニール袋を掲げてそんなことを聞いた。なるべくにこやかに……と、初対面の時と概ね同じような状況だが。
少しの間流れる沈黙。黒江はその間に、冷淡な一言目を浴びせられる身構えをする。
「ありがとう。頂くわ」
「……あら?」
返された素直な感謝の言葉に、黒江はかくりと上半身を傾けた。
「……何よ」
「いや……今日はその、優しいなあと」
「別に、お礼くらい言うわよ」
明らかに柔和になっている双葉の態度に、黒江は首をかしげる。言っていることもそうだが、向けられる表情もいくらか柔らかい。
何より、「男嫌い」のはずの双葉がいまだに、黒江に舌打ちをしていない。久しぶりに会ったというのに。
「な、なあ小村……どういうこと?」
声を潜めて黒江は隣の葵にそう聞く。女同士なら分かることもあるかもしれない、と思ってのことだった。
対して、それを受けた葵は「えーっと……」と逡巡するようなそぶりを見せた。しかし、すぐにくすりと笑い、
「あの時助けてもらったから、じゃないですか。黒江さんに」
「ええ……?そんなことで?あの、ザ・鉄の女みたいな班長がデレるか?」
「……聞こえてるのよ、この馬鹿!」
「へ?って、危ねえ!」
馴染み深い怒号に振り向くと、すぐ目の前に双葉の投げた何らかの物体が迫っていた。黒江は悲鳴を上げ、身をよじってそれを回避する。
投げられたその物体は、黒江の後ろの壁にぶつかって、からんと軽い音を立てた。
「何するんですか⁉︎」
「咄嗟の反射よ。だいたい、何を言っていたのあなたは。しいたけで圧殺するわよ」
「なんですかしいたけで圧殺って。なにそのパワーワード」
泣くように叫んだその抗議は、双葉のその正確な切り返しによって完封された。黒江は結局、いつものようにその怒号にたじろぐことになる。
ただやはり、前とは違って、その声には柔らかさというか、優しい感じがあった——ような気がする。
久々に会ったことによる安心感だろうか。未だに黒江は、疑問符を浮かべていた。
「あの……白石班長、何を投げたんですか?」
と、そんな黒江の横で、恐る恐る葵はそう尋ねる。
カラン、と音を立てて床に落ちたそれは、葵の目には何かのカードのように見えた。それも固く作られた、鍵だとかクレジットカードだとかを連想させる、要するに高そうなカード。
「ああ……叔母からあなたたちに、渡しておくように頼まれたの」
「叔母、ですか?」
唐突なその単語に首を傾げながら、黒江は落ちたカードを拾いに行く。
それは、局員寮のカードキーに似た緑色のカードだった。クレジットカードのようにも見えるが、しかしそこには、化物退治の紋章が描かれている。
「これって?」
「制限解除証明書——まあ、要は正局員カード。あなたたちはまだ研修生だけど、特別に支給されることになったのよ」
「正局員カードって……えっ、どういうことですか?」
双葉は簡単な解説をしたが、当然黒江にはそれだけでは理解できなかった。
正局員カードとは、要するに正社員登録証のようなものだ。黒江たちは少なくとも一年の間は「研修生」なのだが、このカードがあればそれ故の制限を超えて行動することが可能になる。
具体的には、各自の判断による化物との実戦闘が許可される。
実は研修生扱いである以上、黒江たちは化物と自由に戦っていいわけではない。最低でも一期上以上の正局員から、戦闘の許可を得る必要がある。
研修生が自由に戦っていいのは、化物の子に限った話である。
あの夜に関して言えば危機的状況だったことと、ヒラタ主任からの事実上の許可があったため問題にはならなかったが。
「でも、このカードがあれば……俺らでも、化物と戦えるってことですか?」
「ええ。特例中の特例、らしいけど」
「いや……ええ?」
なおのこと、黒江はそんな声で戸惑いを表現する。
「意味分からないですよ。何で俺らみたいな新人が、そんな特例に……」
「私は知らないわよ。詳しくは叔母に聞いて」
急すぎる事実上の昇進勧告に、黒江は戸惑い双葉に質問を重なるが、どうやら双葉は双葉で詳しい事情が分かっているわけでもないらしかった。
「……っていうか、そもそも叔母って?」
ならばと、黒江は確実に答えをもらえるであろう質問を口にした。
考えてみれば、そんな化物退治内での権限を自在に振るう「叔母」とやらも謎だ。
そして双葉は、衝撃の答えを用意していた。
「桜酒清美局長よ。彼女が昨日、ここに来た時に……」
「……待って待って?局長って言いました?」
「?ええ、言ったわよ」
「は、はああああああぁぁ⁉︎」
病院内だが、黒江は大声で心中の驚愕を表現した。
黒江だけではない。葵も大声こそ出していないものの、その表情には激しい戸惑いが見て取れた。
「白石班長って局長の姪なんですか⁉︎」
「え、言ってなかったかしら?」
「言われてない!言われてません!」
言いながら、黒江はあの軍国主義の塊のような麗人の顔を思い出す。
入局式で遠目から顔を見ただけだが、たしかに雰囲気は似ているような気がしなくもなかった。
(主に根本的に冷酷そうなところとか……まあ似てるっちゃ似てる?)
似てると言えば、まあ似てる——ような気もする。
ような気もするし、実際双葉本人が言うからにはそうなのだろうが、あまりに衝撃的すぎる内容だった。
(つーか、この個室待遇はそのおかげかよ……)
十七歳の少女が使うには、かなり贅沢な部類に入るであろう室内を見回しながら、黒江はそんなことを考える。局長の姪という立場なら、そのくらい頼みもしなくても、なんなら病院側の気づかいで用意されそうだ。
「はい、小村。あなたのよ」
「わ、私もですか?」
と、未だ衝撃に包まれている黒江をよそに、双葉は葵にもそのカードを渡していた。
どうやらさっきは、黒江のカードをしっかり選んでから投げつけたらしい。咄嗟の反射にしては随分と冷静だったようだ。
「……でも、実際どういうことなんですかね。俺らまだ、入局して一ヶ月のぺーぺーですよ?」
「私は知らないって。でも、そうね。実力が認められた、とかじゃないの。叔母はそういう人材をさっさと使える場所に移動させる主義だし」
「にしても、なーんか納得いかないんですけど……」
黒江は未だに、唐突すぎる特別待遇に首をひねっていた。しかし、今は考えても何も分からなかった。
黒江たちがその本当の意味を知るのは、少し後の話だ。
*
——そして。その桜酒清美局長は、自らの執務室で机を挟み、ヒラタ主任と向き合っていた。
「さて、ファルマ。お前の言った通り、姪を通じて新人二人に正局員カードを渡したが」
「ありがとうございますね、局長。僕が渡しても良かったんですけど」
「お前は姪に嫌われているだろう。だから私を介したんだろうが……」
局長室は、お世辞にも居心地のいい部屋とは言えない。
威圧的な高級家具や、数々の国に送られた賞状、勲章などがずらりと並んでいる。素人目には、どこかの外国の軍幹部の部屋にさえ見えるだろう。
ヒラタ主任に関しては、すでに慣れていたが。
「……で?なぜあの新人二人に、わざわざ回り道させてまで正局員カードを渡したんだ」
部屋の威圧感には慣れていたものの、ヒラタ主任は桜酒の発する、この冷たい眼差しにはいつまでたっても慣れなかった。
その眼光を真正面から向けられ、ヒラタ主任は苦笑いする。
「あのね、清美さん。そろそろ付き合い長いんだし、いちいち僕のこと疑わないでくださいよ」
「ならば少しくらい、慎ましい振る舞いというものを覚えろ。特殊局の中でも特に、お前の素行は奇抜すぎる」
「ちゃんと実績出してるんだから見逃してくださいよ、そんくらい……」
「その実績を上回る奇抜さだと言っているんだ。……まあいい。それで、理由をさっさと話せ」
やれやれ、とヒラタ主任はため息をつく。
この人は昔からこうだ。長く付き合えば、根っから冷酷なだけの人ではないと分かるのだが、新人の目からすればただの独裁者だろう。
根は優しいのだが。もう一度言おう、根は優しい人のだ。
ともかく、ヒラタ主任は再び威圧的な眼光に貫かれ、さっさと口を開くことにした。
「理由、ね。そりゃああれですよ。我が家に入り込んだ虫の正体をさっさと確かめるためです」
「虫……か」
「ええ、虫です」
桜酒は、鼻の上の丸眼鏡をくい、と指で上げて、それから僅かに笑った。
「先日の吸血鬼事件。あれは特殊だったそうだな?」
「……ええ。まだ詳しく事情聴取は出来てませんが、少なくとも化物が意味のわからない作戦行動をとっていたことは確かみたいですよ」
「化物が、作戦行動を……ね。汚らわしい化け物ごときが、我々を——化物退治を騙そうと画策していたわけだ」
「実際騙されましたしね。僕らはまんまとマニュアル通りに、新人をあそこに派遣した」
ヒラタ主任は、表情を苦々しいものに変える。
仕方のなかったこととはいえ、一歩間違えれば死者が出ていたかもしれない事件だった。むしろ、その可能性の方が高かっただろう。
そうならなかったのは、ひとえに黒江のおかげと言える。何も出来なかった身としては、表情も苦々しくもなるというものだ。
「三年前からだ」
「……ええ」
「三年前から、異常なことばかり起きている。今までになかったことばかりがな」
桜酒は、そう言いながら手元の資料を見下ろした。
その資料は、四十年前からの化物事件の件数を棒グラフで纏めたものだった。事件数自体は、ここ二十年でずっと減少の一途を辿っている。
ただし、それは三年前までだ。
「減少の一途を辿っていた化物が突如増殖を始めた。三年前に、突然だ。しかも日本国内のみで」
「それに関しちゃ、その三年前から色々と調べてはいるんですけどね……どうも有力なものがなくて」
「『星の意思』が活動を再開したわけでは無いんだろう?」
「それなら日本限定ってのがおかしいですからね」
化物退治が設立されてから、日本国内ではその働きによって化物の数は減り続きてきた。
だが、三年前にそれが覆った。明らかに、化物退治の「消費量」を上回る速度で化物が生まれている。
それだけでも異常な事態であったというのに、今年に入ってからさらにそれが激化した。
「作戦行動をとる化物か……無視は、出来ない」
「とりあえず明日にでも、その吸血鬼と直接接触した二人に話を聞きましょ。僕から呼び出しておきますよ」
「ああ。それに、『男性局員』とも一度、腰を据えて話したかったところだ」
「……。まあ、僕らの探りだけは悟られないで下さいね」
どのみち黒江と葵の二人は、一度くらいこの局長に会っておくべきだろうとヒラタ主任は考えていた。
「唯一の男性局員」は言わずもがなだが、葵もそうだ。あの、化け物のような魔力適性の持ち主も、やはり会っておくべきなのだろう。
「ファルマ、一つ確認しておくぞ。虫の正体が分かったのならどうする?」
「そりゃあ、あなたが決めることでしょう。あなたは虫の正体がわかったらどうするんです?」
「ゴキブリなら潰すに決まっている」
桜酒はそう言って、それから口角を釣り上げ、
「だが潜り込んだのがハエトリグモなら——家に放っておくのも良いだろう」
「……ええ。それを祈ってますよ、僕も」
言いながら、ヒラタ主任は黒江の顔を思い浮かべる。
(さてさて……せっかく気が合う友達が出来たんだ。君はゴキブリであってくれるなよ、黒江くん)
気の合う友人が、願わくば友人のままであらんことを。
願わくば、打ち滅ぼすべき敵でないことを、と。飄々とした表情のまま、ヒラタ主任は心からそう祈る。
化物退治は、化物退治の専門集団である。
その中に紛れ込んだ吸血鬼が——「黒一点」が、どのような運命を辿るかは、まだ誰にもわからない。




