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         29


 この女は、危険だ。

 これまでのことから、そう結論づけることができる。

 校内で人を撃つことは、絶対に避けるべきだった。それとも、自分が日和ってしまったから、そう思うのだろうか。われわれは正義の味方でもなければ、一般市民のために動いているわけでもない。

 では、なぜそんなことを考える?

 やめておこう。自問しても、答えは出そうにない。

 昨日の出来事は、本来ならこの女の手筈で、もみ消すはずだった。

 だが、何者かがインターネット上にリークした。

 響野千鶴──《桜井》の仕業だろうか?

 当然、われわれの専門セクションが、情報の隠蔽に奔走した。電脳世界で一度広がった情報を殲滅するのは、容易ではない。しかし強大な組織力をもってすれば、充分に可能だ。

 何年かまえに、われわれの情報がネットに漏洩したことがあった。ちがう。あれは、どうでもいい内容だから、そのまま放っておいただけなのだ。

 今回は、どういうわけか消せなかった。

 それどころか、数時間で信じられないほどに拡散していた。

 桜井に、そんな真似はできるだろうか?

 そうは見えない。

 麻取には、そんな技術はない。ではいったい、どんな手を使ったのだろう。考えられるのは、プロのハッカー……しかも、その世界でもトップクラスの人間を起用した。

 麻取に、そういう人脈があるとは考えにくい。

 もしそうだとすると、非合法の側と通じている取締官がいることになる。

 やめた。不毛な妄想だ。この世界は、結果がすべてだ。

 この女に、すべてを公表すべきだと進言した。

 中途半端な隠蔽は、ひずみしか生まない。そこから泥水が流れ出し、裏の汚水がまき散らされることになる。

 この女は、断固として反対した。

 が、重傷を負った女生徒の入院先まで情報を流されたことが、この女を追い詰めた。さすがに突発的な出来事であったため、病院の手配までは行き届かなかったのだ。

 この女は、確実に殺しておけばよかった──そう口にした。

 たしかに、そうかもしれない。

 われわれにとっては、それが正しい。

 だが……。

 心のどこかで、なにかが囁いている。

 それは、なんだ?

 弱くなっている。

 そういう自覚がある。

 自分が、なにかに変化しようとしている。

 どうした?

 どうして、そんな感情を抱く?

 眼の前では、この女──清水が銃をかまえている。

 狙いは、《桜井》に合わせている。

 学校の屋上──。

 状況は、こうだ。

《桜井》が、ここをつきとめた。あのお方の……隠し子、渡瀬紗月がはじめたケシ栽培。そして、そこから構築された麻薬組織。所詮は、この程度の面積しかないから、取るに足らない集団だ。

 だが桜井は、あくまでも突き進むだろう。こちらからの取り引きに応じることはない。これまでの交流から、それがよくわかる。そして清水は、桜井のことを撃つだろう。

 はたして、それをただ見守るべきか。

 いけない。なにを考えている。

 もっと合理的になるのだ。

 冷静に、狡猾に。

 いつもの自分に──。




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「ずいぶんと都合のいいように話をすすめていますな」

 しばし沈黙していた教頭の及川が、ようやく口を開いた。痺れをきらしたというよりも、ことの成り行きを喜々として聞いていたかのように、表情はゆるんでいる。

「この帝国は、だれにも崩せませんよ。たとえあなた方でもね」

「雑魚は引っ込んでな」

 清水が暴言を吐いた。本来の関係からすれば、とても許される発言ではない。

「雑魚? はははは! 清水先生、あなたは、なにもわかっていない」

「なにがおかしい?」

「ここの帝王は、彼ではない。この私なんですよ」

「ヘロインを自分に使って、頭がおかしくなったのか?」

 そのとき、爆音が轟いた。

〈ダダダダ!〉

 渡瀬紗月がかまえているものに、ゾッとした。

 短機関銃──。

 それまでは、ケシの群生にでも隠していたのだろう。

 あやめは、一歩も動けなかった。

 いや、柴田も、清水も、佐伯も、それは同じだった。あやめと柴田はともかく、こういう修羅場には慣れているであろう清水と佐伯も、なにもできないでいる。

 弾丸をうけたものはいない。すべて地面のコンクリートに吸い込まれた。しかしそれは、ただ狙いがはずれたのではないということがわかる。

 渡瀬紗月が、ゆっくりと移動をはじめた。時が止まったように、全員がそれを眺めることしかできない。

 彼は、及川の前に移動した。まるで、盾になるように。

 拳銃をかまえたままの清水だが、どうすることもできないようだ。護衛対象の──絶対に傷つけるわけにはいかない人物が壁となってしまったのだ。

「まだ、わかりませんか。どういうことなのか」

 及川の声に、答えられる者はいない。

「渡瀬君、君からも言ってあげなさい」

「……教頭先生の言うとおりだよ」

 消えいりそうなつぶやきが、紗月の口からもれた。

「はははは!」

 それとは対照的な、及川の哄笑。

 清水が、悔しげに唇を噛みしめた。

「では、教えてあげます。不出来なあなたたちのためにね。ハムの方たち──公安の諸君、彼に関心があるのは、あなたたちだけではありませんよ。それを考慮すれば、おのずと答えは出てくるでしょうに」

「なに……!?」

 清水と佐伯の表情が、突然、強張りだしたような……。

「そうか……そういうことか……」

 あやめには、まったく理解できなかった。だが、あやめなど存在しないかのごとく、会話は熱を帯びていく。柴田へ視線をはしらせるが、やはりわけがわからないといったふうだった。

「!」

 そのとき、ふらふらと京之助が、及川たちのもとから、あやめのもとへ。すでに京之助への興味はないのか、及川はなにもしない。清水や佐伯も、同様だ。

 すぐとなりで京之助は立ち止まったが、依然として惚けたように自我が消失している。なにかをされているのは、あきらかだ。

 はやく、この場から彼を連れ出さなければ……。治療が必要なら一刻の猶予もない。この場からの離脱が望ましいのに、耳に飛び込んできた内容に、あやめはそれすらも忘れた。

「CIA……だな?」

 清水の語気は、鋭さを増していた。

 及川は、否定も肯定もしない。ただ、笑みをたたえるだけ。

(CIAって、あのCIA!?)

 思わず、あやめは声に出してしまいそうだった。本当に出していたら、だれかが返答してくれただろうか。

 言わずと知れた、米国中央情報局。

 あやめにとっては、映画や小説のなかに登場する荒唐無稽な組織でしかない。もちろん捜査機関にいるのだから、CIAにも日本支部があることぐらいは知っている。アメリカ大使館員の何割かは、諜報活動に従事していて、日夜、この国で暗躍しているということも……。

 アメリカの捜査機関であるFBIにも日本支部があって、何度か麻薬取締部も情報のやりとりをしたことがある。同じように、麻薬取締局──DEAとの交流も盛んだ。

 そういう麻取にとっても、諜報組織というものは馴染みがない。それは日本の公安部にもいえることかもしれないが、いったい普段、どんなことをしているのかも想像できなかった。

 こういう噂を聞いたことがある。

 東京地検特捜部は、CIAの出先機関である──と。

 無論、皮肉もこめた噂なのだろうが、地検特捜部が動く案件には、すべてCIAの意向が絡んでいる。特捜部が疑惑追求した政治家やそれに準ずる大物は、CIA──つまり合衆国にとって邪魔な存在なのだと。

 それを思うと、これまで世間を騒がせた地検特捜部の大捕り物の裏には、青い眼をしたシナリオライターが隠れているのではないか……。

 もし、及川が本物のCIA諜報員というのなら、その疑問をぶつけてみたい。この状況としては、とても場違いな質問が喉元まで出かかった。

「清水先生、佐伯先生、この一件から手を引いてください。この渡瀬君の身柄は、われわれの監視下にあります」

 あやめは、柴田に目配せした。

 最初はゆっくりと、後退をはじめた。京之助の手をつかむと、全力で走り出した。

 すぐに気づかれた。

「待ちなさい!」

 清水の空気を裂くような声。

 振り返らなくても、気配で、背中に狙いをつけられたことがわかった。

 だが、足を止めるわけにはいかない。

 先陣を切って、柴田が前方を駆けていくのが視界に入っている。その姿を見本に、あやめは走った。京之助も、そのスピードについてきた。それだけで判断するのなら、心配するほど酷い状況ではないようだ。

 走る、走る!

〈バンッ〉

 発砲音で、足が止まった。

 振り返った。

 しかし、そこに広がっていた光景は、あやめの想像を遙かに超えたものだった。

 倒れていた……清水が。

 撃ったのは──。




         31


 引き金は、恐ろしいほどに軽かった。

 これまでに撃った、どの銃よりも──。

 清水という女。

 倒れたときの瞳が、戸惑いに満ちていた。まさか自分に撃たれるとは、夢にも思っていなかったのだろう。

 だがこの女には、もはや関心はない。

 逃げていく三人に視線を移した。

 立ち止まり、彼女が振り返っていた。その表情もまた、戸惑いが強い。

 自分に助けられるとは、清水と同じように、夢にも思っていなかったはずだ。

 彼女は、すぐ再び走り出していた。

 そうだ、それでいい。

 もうこちらを振り返るな。

 こちらはこちらで、ケリをつける。

 自分の成すべきことを。

 眼を、問題の二人に向けた。

 教頭の及川。

 生徒の渡瀬紗月。

 この二人も、自分の行動が理解できていないらしい。

「どういうつもりなんですか?」

「べつに、深い意味はない」

 正直に答えた。

 撃ちたいから撃っただけだ。いま思えば、こんな気持ちで銃を撃ったことは、これまでなかったのではないか。

 縛られていたなにかが、無くなっている。

 それを断ち切ったのは……彼女──。

「で、あなた一人が窓口になったということですか? どうするんです? ハムとしては、どう出るつもりですか? まさか、われわれには歯向かえな──」

 及川が言い終わらぬうちに、引き金を絞った。

〈バンッ〉

 銃声が、とてもマンガチックに聞こえた。リアリティに欠けていたのだ。

 これが、自分の選んだ結果なのか……。

「はは、ははははは」

「なにがおかしいの?」

 渡瀬紗月に、そう問われた。

 指摘されて、自分が笑い声をたてていたことを知った。

 渡瀬紗月のかたわらには、及川の身体が転がっている。狙いは、はずしていない。防弾ベストを着ていないかぎり、ほぼ即死のはずだ。及川の着衣の厚さからみて、なにかを装着していることもないだろう。

「これで、大丈夫なの?」

 この無機質な少年から心配されたことが、意外だった。

 大丈夫かどうかは、よくわからない。

 CIAの諜報員を殺した。

 はたして、それがどんな面倒を生むのか。

 いや、生き残る方法には、もう行き着いている。

 ここでのことを目撃した人間は、四人。

 逃げた三人のことは、考慮しなくてもいいだろう。《桜井》は、自分に不利な証言はしない。

 どうしてだろう?

 彼女のことを信じている。

 信じる? 他人を信じているというのか、自分が。

 願望が入っているのかもしれない。もし、その願望どおりだったとしたら、邪魔な人間は一人しかいない。

 眼の前の彼を消せば、すべてを清水の暴走に仕立てることができる。

 銃をかまえた。

「ボクを殺すの?」

 虚無の瞳が、こちらを覗いている。

 短機関銃の銃身は下がったままだ。むしろ破滅を期待するかのように、無抵抗だった。

「清水先生がやったことにするんだね?」

「……そうだ。悪く思うな」

 銃声が、空に吸い込まれた。

 それは格別、美しい響きだと思った。


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