22
久しぶりの投稿です。
22
「二式大艇が敵発見の報を残して消息を絶ったそうだ。そこで我々は二式大艇搭乗員の救助、及び消息を絶った原因を探る。いいな。」
タラカンから北東へ向かっていた波104はいつもどおり哨戒に当たっていた。
「了解!」
「よし、取り舵三十!」
舵を切ろうとしたタイミングで電探員が叫んだ!
「対空電探に感あり!敵編隊接近中!その数二百を超えます!」
報告の最後を聞く前に電話に駆け寄ると小野島中尉は司令部に電話をかけた。
「もしもし、こちら波104です。電探に敵編隊を発見しています。数二百を超えるとのことです。」
「すぐに引き返せ。」
「はっ!」
センポルナのインドネシア第二邀撃連隊、タワウの日本空軍第二十三戦闘機連隊が発進した。両方とも戦闘機はレシプロの五式艦戦である。およそ日本機らしからぬずんぐりした濃緑の胴体に日の丸をつけて空気を切り裂いていく。今回来襲したのはフィリピンからやってきたB29で制空隊にはF86セイバーが、直掩隊にはP51ついていた。レシプロの五式艦戦は早くも空戦空域からほとんどが消えていた。十糎高射砲が待ってましたとばかりに空に赤黒い花を咲かせた。更に誘導対空噴進弾が白い尾を引いて編隊に突っ込んだ。弾幕に絡め取られて数機の爆撃機が黒煙を噴き出して墜落したがそれでも多数が残っている。P51が地上の砲火を黙らせるため降下してくる。今度はそれを待ち構えていた二〇ミリ機関砲が火箭を上空に放った。そして高射砲郡を護衛するように配置された無誘導対空噴進弾も放たれた。近接信管が埋め込まれた噴進弾と素晴らしい発射速度を誇る機関砲により多くのP51の未帰還がその日アメリカ軍に報告されたであろう。それでもアメリカ航空隊の前進は止められなかった。目標となったのはバリクパパンの精油所だった。精油所を囲むように高射砲が配置されており再び高射砲が火を吹いた。だが米軍機から黒い豆粒のような物が落とされると精油所が火を吹き上げた。高射砲郡はやられてしまった悔しさからかより一層激しく砲弾をはなった。しかし無意味であった。爆撃機が去って復旧し始めた直後にマリアナ、マーシャルから転進してきた正規空母四隻からなる航空隊がバリクパパン周辺を徹底して銃爆撃した。上陸艦隊接近の方を受けて直ぐに海防艦が全艦出撃した。夜の闇に隠れて魚雷と噴進弾を放って退避する一撃離脱を試みた。そのために彩雲四機が出撃してチャフをまいた。レーダーで一方的に敵艦隊を捉えた同盟は魚雷と噴進弾を放ってその場から離脱した。戦果は駆逐艦二隻を撃沈させて戦艦アリゾナを中破させるにとどまったが連合軍は潜水艦を想定したらしく対潜水艦哨戒網を引いたがその海域に潜水艦等いないのだから引っかかるはずがなかった。翌日から米軍はサンダカンへと爆撃目標を切り替え、艦砲射撃も行われ始めた。インドネシアは住民を南部に疎開させ、インドネシア第一機械化歩兵師団、第一機甲旅団を北部に差し向け、日本から増援でやってきた第四十六歩兵師団は密林で待機した。密林の中で遊撃戦を行うことを国防議会はボルネオ島駐留部隊に命令。歩兵は密林に隠れたが機甲部隊はゲリラ戦に向かず、仕方ないため明け方奇襲用戦力として密林にて待機した。艦砲射撃は密林に吸収された。米軍、加軍はそんなこと知らずに五月十八日に上陸した。反撃は軽微ですぐに橋頭堡を確保した米軍に対する反撃は夜間に行われた。迫撃砲を撃ち込むと接近して擲弾筒を放った。このようなゲリラ攻撃を加え、更に狙撃手が歩哨を狙撃した。その後明け方になると戦車が突っ込んだ。履帯が米軍を蹂躙して橋頭堡の内部で暴れ回った。たちまち米軍機動部隊は戦車隊及び密林に大砲撃を加え、戦車隊は壊滅に等しい打撃を受けた。その夜同盟は陸海空共同反撃を仕掛けた。まず夜間に四隻の潜水艦が雷撃、同時に戦爆合わせて六十に及ぶインドネシア海軍航空隊による爆撃が行われた。重巡ソルトレイクシティを始めとして重巡一、駆逐艦七を撃沈された連合軍に生き残った海防艦がありったけの魚雷と噴進弾を浴びせた。陸上でも飛行艇ガンシップの援護の下に歩兵大隊が擲弾筒砲撃の後夜間強襲を仕掛けた。米軍は一時的に大混乱に陥り、加軍は野営地を放棄して密林に逃げ込んだ。たが現地民を兵力とした同盟軍部隊が密林で追撃した。その日ようやくシンガポールにインド洋派遣艦隊が帰ってきた。インド洋派遣艦隊は直ちに態勢を整えてインドネシア付近の艦隊と海戦を行おうとしていた。俺はこれを機に翔作戦を発動した。インドネシアからミンダナオ島へと上陸する作戦でフィリピンを突き崩せばアメリカの西太平洋における拠点が完全に消滅するためニューギニア、ソロモン諸島の戦いも優位に行くと思われていた。ただそれを黙って見逃す米軍ではなかった。ウォーカー中将を司令官とした部隊をミンダナオ島に送り、フィリピン総司令官にクルーガー大将を任命した。更にボルネオ島の米加連合軍にフィリピンまで撤退するように命令が下った。ターナーは抗議したが上からの命令なので仕方なく引き上げた。だがスミスの部隊はそこから台湾にまわされることとなる。インド洋派遣艦隊は翌朝、フィリピンに航空兵力の総力を掻き集めて空爆を実施した。勿論インドネシアにいる陸上航空機もこの攻撃に参加した。40機前後しかいないP51など簡単に蹴散らされた。なぜここまで航空兵力が少なかったかというと多数をインドネシア攻略へ差し向け、その機体を台湾へと送ったからだ。台湾では北部から飛び立つ同盟軍航空隊が南西飛行場を確保している連合軍航空隊と激しい空中戦を連日のように展開していた。九州や大陸から沖縄を経て台湾へ次から次へと兵力が補充される同盟軍に対し連合軍は艦上戦闘機も投入したが劣勢であった。そのためフィリピンから台湾へと航空兵力を抽出したためフィリピンにはわずかな数の戦闘機が防空を担うだけになってしまったのだ。更に航空機運搬をしている護衛空母が潜水艦に狩られるといったこともあり、西太平洋での航空機の補充はうまく行っていなかった。そしてこの日、稼働戦闘機が0となりこの六月七日をもってしてフィリピンの制空権は完全に同盟軍へと渡った。そうなったら爆撃し放題である。コレヒドール島の要塞を中心に防衛陣地があると思われる地点を航空偵察して発見ししだい絨毯爆撃を敢行するなどといった爆撃を行った。又同盟軍は大型爆撃機が爆撃し、それに応射してきた高射砲の位置を割り出すと艦載機や戦闘爆撃機等で低空から潰しにかかり、又艦載機に応射する機銃群に関してはその付近を重爆で破壊した。こうして見ると爆撃を妨げるものはほとんど居なくなり自由な爆撃が行えるようになった。フィリピン総司令官のクルーガーは米本国に更なる航空兵力の派遣を要請したが送られてきたのはマーシャルにいたP51Dがわずか16機という事態でそれすらも整備中に艦載機の機銃掃射を受けて飛び立つことすら出来ずに全滅した。米政府はクルーガーの受信に必死に応えようとして新たにインドネシアの重爆を叩く作戦に出た。航空機は夕方にフィリピンに到着して夜間に整備、明け方前に発進して明け方にインドネシアの航空基地を叩くというものだった。攻撃に参加したのはB29が二四機とP51が一二機、偵察用兼誘導のB25一機の計三七機だった。この作戦の行方はいかに。
今後もよろしくお願いいたします。感想ください(割と真面目に)




