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百年戦争のイングランド軍と史実の第二次世界大戦の連合軍の上陸地点からして北フランスのノルマンディーは余程上陸に適しているのだろうか、大西洋ではノルマンディーに日英軍が上陸を図っていた。現在の俺視点で言えることは日英は北フランスに上陸して独と協力し、フランスを早期屈服させようとしている。アフリカの同盟軍は量で劣っており後手後手に回っている。インドでは同盟軍が戦力を集結させつつある。スイスは中立を保っているため独伊軍はオーストリアで激突、フランス軍はケルンまで前進した。亜細亜西太平洋同盟は対米戦のため太平洋に戦力は残しつつシナイ半島のドイツ軍の戦況が悪化するにつれてイラン戦線方向へ戦力をシフトさせるべきという議論が出てきた。太平洋の主要な部隊としては台湾防衛軍、第32軍(沖縄)、小笠原方面軍、第7方面軍、第12独立混成旅団、第45軍、北太平洋艦隊、南太平洋艦隊が米軍の進行に備えていた。ここで台湾防衛軍に歩兵二個師団と一個混成旅団を増加した。そしてマリアナの第45軍から一個歩兵師団を引き抜いてイランに回した他満州国、中華民国をメインとしてイランに回した。更に南北の太平洋艦隊から艦艇を引き抜きインド洋に回航した。結局第三総軍が設立、総司令官は史実のインドネシア軍政で後世にまで名の知れ渡る今村均元帥である。彼の指揮下にはソコトラ島艦隊や西方第二艦隊の海軍や西方航空軍の空軍等も入って対イラン戦へと向けられた。当初の予定では大規模機甲戦力で前線の全域で反撃に出るという作戦が立案されたが彼は直ぐに作戦を練り直し一部に集結させて要所を突破させる作戦に切り換えると同時にチャーバハール上陸作戦を中止してメディナへの上陸とし、イラン軍の側面を突かせるという作戦に切り換えた。更に側面を突かせる作戦に切り換えたため余分に兵力が必要となり大本営は第11軍を派遣した。歩兵三個師団を基幹として三個機甲旅団と二個重砲兵旅団、一個工兵旅団、更に増援として二個空挺旅団と一個海兵隊師団が派遣された。二個空挺旅団には新式の六式空挺車両が付与されていた。しかしこれを運べる九七式輸送機は航続距離の都合で上陸に参加できないため、これらはすぐに元の配備先であるインドネシアに戻された。ギリシャ、トルコ連合軍はイラン北西部からイラン軍に攻勢に出た。アメリカ式装備のイラン軍に押し戻されたがこれで兵力を移動させたことによって対インド戦線の戦力を減らしたのだ。ジェット戦闘機を有する日本は偵察機でイラン軍の動静を見ていた。今村はこの機を逃さず直ぐにイラン軍を強襲した。突破箇所を南中北の三ヶ所に絞りそれぞれ南から中川中将、池田中将、中根中将が指揮した。イラン軍の側面上陸は第22軍が担当し、島田中将が指揮を執った。
「本日2300よりインダス川渡河作戦を開始する、第二海兵隊連隊が上陸用舟艇にて奇襲上陸をかける、岸の一部を確保したらすぐさま架橋工兵連隊を送り込み四本橋を架ける、上流よりこれをイロハニとする。イには重橋、ロには軽橋、ハには中橋、二にも重橋を架ける。イ、二地点より機甲部隊が、ロより歩兵が、ハより砲兵が渡河し、橋頭堡を完全に確保する。そしたらさらに折りたたみでない橋を架けて重戦車や重砲を対岸に渡す、これを明日正午までに行いたい。各自作戦行動に入れ。」
「了解!」
南の渡河作戦は七月三日深夜に開始された。
「よし!行くぞ!」
突撃銃を抱えて海兵隊員が舟艇に乗り込む。
「ようし、発進!」
インダス川を素早く渡り始めた。その時イラン軍の戦闘機二機が日本軍陣地を夜間銃撃してきた。彼等からすればただの安眠妨害を狙うための嫌がらせのつもりだったろうがそれが迫撃砲の弾薬に命中してしまいそれが爆発した。その爆炎によって奇襲上陸を図っていた海兵隊が映し出されてしまった。すぐにイラン軍の銃砲撃が始まり照明弾も次々と撃ちあげられた。
「くそ!強襲に切り替える!全砲兵隊は対岸のイラン軍陣地を砲撃しろ!」
「テエ!」
各種火器が対岸のイラン軍陣地を襲った。
「煙幕をはれ!呼びの筏でもなんでも掻き集めて第七歩兵師団を向かわせて援護しろ!空挺大隊も投入しろ!絶対にここを確保するんだ。」
海兵隊の特六式内火艇がインダス川をわたり始める。短砲身75ミリ砲で歩兵支援に特化した水陸両用戦車だった。その直後ヘリコプターが上空に飛来した。強襲へリボーン部隊は対岸に下ろされた。
「行くぞ!」
新堂少佐は部下を率いてヘリコプターから降りた。イラン軍陣地から曳光弾が降り注ぐ、三式突撃銃を単発射撃しながら前進する。
「後方部隊に土嚢だろうがなんだろうがいいから掩体作れる物を輸送させるように言ってくれ。」
無線手に頼む。
「要請してますが送られてくるのは兵員だけです。」
「煙幕も張られてるからな、有効な攻撃ができない。」
更に状況を厄介にしているのは旧ソ連製の120mm重迫撃砲が同盟軍の頭上に降り注ぎ兵士達を人形のごとく空に舞わせてるのだ。
「架橋工兵連隊渡河開始しました。」
「なに?残りの弾薬を気にするな支援射撃だ!盲撃ちでもかまわんからとにかく撃て!」
曳光弾が交錯する中さらに敵の37mm対戦車砲が上陸用舟艇や特六式内火艇を破壊していく。
「工兵部隊が架橋作業を開始しました。」
すでに同盟軍の占拠していた川岸には負傷していない方が珍しかった。
「橋がかけられました。」
「衛生兵は負傷者を後方に遅れ。」
「直ぐに機甲兵が送られてきます。」
すでに日は登り始めてきたが気にする余裕はない。
「軍司令官、舟艇は負傷者の後送に使用する許可をください、既に川岸のほとんどの兵員が負傷しているのが現実です。」
「わかった。」
戦車と入れ違いに担架に乗せられた負傷兵が後送されていく。鉄兜に赤十字を描き、赤十字のゼッケンまで着用していた衛生兵が赤十字の旗を掲げた上陸用舟艇で負傷者を対岸へと送るがこれもかなりの数の舟艇が破壊されたため難しかった。結果夜間攻撃に加わった第7師団、第二海兵隊連隊、独立空挺大隊の内二千名の死者を出す渡河作戦になったが無事橋頭堡は確保して機甲部隊を対岸に渡し始めた。この状況に拍車をかけたのがメディナ付近への上陸である。隠密上陸した同盟がイラン軍の側面に表れたのはエイラトにてドイツアフリカ軍団の第三軍が包囲されていた時であった。イラン軍側面に日本軍の十八番である夜襲を仕掛けるとよく昼より戦車隊が強襲した。左翼が瓦解したことにより撤退に入ったイラン軍をさらに追撃して多数の捕虜を得た。同軍はそのままドイツアフリカ軍団から補給を受け、さらにドイツアフリカ軍団より一個機甲師団を引き抜いて配属された。ドイツアフリカ軍団主力が北部からトルコ軍を助けてテヘランへと目指すのに対し第22軍はネフド砂漠を横断してペルシャ湾の油田を確保しに動くこととなった。ドイツの主力中戦車のⅦ号戦車ジャガーは日本軍の五式中戦車と弾薬互換性があり、Ⅸ号戦車レーヴェは六式重戦車と弾薬互換性があった。設計は全く違う戦車であるが共にアラブの砂漠を東進していた。朝鮮戦争の北朝鮮よろしく同盟の反撃で最大の矛である機甲戦力が壊滅させられたイラン軍は一気に劣勢になった。ドイツ軍に補給線を断たれたトルコ方面では全てと言っていいほどの重火器、装甲車両が放棄され、多数のイラン軍兵士が投降し、インド方面でも三点が同盟により突破されて補給線が脅かされた為にイラン軍は徐々に後退を強いられていた。イラン軍の劣勢に拍車をかけたのは同盟軍の機甲部隊と海上に展開する機動部隊である。インダス川付近の軍港であるカラチ港に機動部隊が空襲をかけ、陸上から機甲部隊が攻めることでイラン軍の海軍歩兵隊は降伏してそこに機動部隊の拠点を設けると更に奥地のチャーバハールやバンダレアッバースにも艦載機が襲いかかった。空軍も戦略爆撃機が爆撃し、海軍も新兵器である六式陸攻を投入した。これは襲撃機と雷撃機を兼ね備えたジェット双発爆撃機で爆弾搭載量は1500kgにすぎなかったが高翼に中島のジェットエンジンを積み込んで最高速度は時速800km近い数値を誇っていた。実際今回の戦闘では大規模空襲前に高射砲座に低空から奇襲爆撃をしかける、夜間襲撃、補給路の橋を爆撃して爆破、飛行場に対して明け方にロケット弾の雨を降らせるなどの軽爆撃機としての任務が多かったがイラン海軍が購入したフレッチャー級駆逐艦に対してたまたま雷装で哨戒していた本機四機が発見してそのまま雷撃して沈めるという戦果も挙げた。相手がレシプロであれば戦闘機すら振り切れる速力を活かして戦術偵察にも使用された。複座であり、武装は旋回20mm機関砲一門と機首固定の三〇ミリ機関砲一門であった。航続距離も偵察で四千キロ、爆撃でも二千五百キロを誇った。これは米国艦隊を相手と想定したものではあるが有効な兵器であった。




