第4話:一ノ瀬直也
久しぶりに本社へ出社すると、オフィスの空気がやけにざわついている気がした。
いや、実際は、ざわついている訳ではなくて、これが平常運転。リモートワークが増えてしまうと、このオンサイトの「ざわつき」からは、どうしても遠ざかってしまう。
リモートワークを多用して、出社は週二日ほどに減った。資料や会議はオンラインでどうにでもなるが、顔を合わせなければならない打ち合わせや顧客対応というのはどうしても存在する。やはりオフィスでしかできない仕事というのはあるのだ。
そんな事情で出社した日の朝、同じチームの連中に取り囲まれる羽目になった。
「直也、マジで女子高生と二人暮らししてんの?」
「いやー、もしオレがその立場だったら耐えらんねえな」
冗談めかした声に、オレは深いため息をついた。
「お前らな……」
「だってよ、義妹ちゃんは十六歳だよ? それ、もう貞操の危機じぁない?」
とどめを刺すように宮本玲奈が口を挟んできた。同期であり、何かと突っ込んでくるやつだ。
「おい玲奈、お前はオレをなんだと思ってるんだ」
「いやいや、別に疑ってるわけじゃないけどさー、そういうシチュエーション自体がさ、もう一昔前のラブコメとかマンガの展開すぎでしょ?」
「これは現実だ。ラブコメじゃない」
「ふーん。まぁ直也が真面目なのは分かるけど」
にやにや笑う玲奈の顔に、オレは肩を落とした。
さらにそこへ、新堂亜紀先輩が加わる。
オレが入社したての頃から半年程、チューターとしていろいろと面倒を見てくれた先輩社員。今でも何かと声をかけてくれる頼れる存在だ。
「おはよう、直也くん。……噂は本当みたいね」
「おはようございます。噂って……まあ、隠してるわけでもないですけど」
「女子高生の妹さんと二人暮らし。大変そうねえ」
「ええ、まあ。料理とか家事とか、色々課題はありますが」
オレがそう答えると、亜紀さんは目を細めて笑った。
「でも直也くんって、昔から“小娘”よりも年上のきれいなお姉さんが好みだったよね?」
「……いや、そのようなことを言った覚えはないですけど」
「ふふ、覚えてないのね。でも新人時代、飲み会で『大人の女性は落ち着いてていい』って言ってたわよ」
「……それは、単に場を盛り上げようとしただけです」
玲奈がすかさず茶々を入れる。
「直也、さすがに今の状況じゃ“お姉さん”よりも“妹”に慣れる方が先じゃない?」
「慣れるも何も、オレは義兄として責任を果たしているだけだ」
「真面目だなあ。そういうとこが逆に心配だって」
昼休み、社内カフェテリアに行くと、また別の同僚に声をかけられた。
「一ノ瀬、ほんとに大丈夫か? 十六歳なんて難しい年頃だろ」
「変な噂立たないように気をつけろよ」
「仕事に支障が出てないならいいけどな」
心配してくれる気持ちはありがたい。だが、同時に自分が珍獣扱いされているようで、少し居心地が悪い。
それでもオレは、できるだけ冷静に答えた。
「問題ないですよ。むしろ、義妹が頑張ってくれてますから」
「え、妹さんが?」
「ええ。料理も少しずつやってくれるし、洗濯や整理も担当してくれて。……オレよりよっぽど家庭的ですよ」
同僚たちは「へぇ」と感心したように頷いた。
その表情を見て、オレの胸の奥にも少し誇らしい気持ちが芽生える。
保奈美がまだ慣れない手つきで卵焼きを作ってくれた朝を思い出し、思わず口元が緩んだ。
玲奈が肘でオレの脇腹をつつく。
「……なんか、今ニヤけなかった?」
「ニヤけてない」
「絶対ニヤけた」
「してない!」
オフィスに笑い声が広がる。
――心配されるのも、茶化されるのも鬱陶しい。
けれど、こうして仲間に囲まれていると、少しだけ救われる気もした。
オレと保奈美の新しい生活は、決して“普通”ではない。
でも、こうして続けていけば、きっと形になる。
そう胸の中でつぶやき、オレは午後の会議資料に視線を戻した。