第3話:一ノ瀬保奈美
新しい生活が始まって数週間。
学校でも、クラスメイトや友達にいろいろ聞かれるようになった。
「ねえ保奈美、大丈夫なの?」
お昼休み、机をくっつけてお弁当を広げたとき、隣の席の美帆が少し心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫って……なにが?」
「だってさ、ご両親が亡くなった後、今は義理のお兄さんと二人暮らしなんでしょ?」
その言葉に、周囲の数人も「え、そうなの?」と耳を傾ける。
私は少し緊張したけれど、笑顔を作ってうなずいた。
「うん。そうだよ」
「えぇー……大丈夫? 怖くない?」
「同じ家に大人の男の人がいるんでしょ? しかも二人きりって」
「なんかドラマみたいだね」
「でもそれで済めばいいけど、相手は男性だし…」
「やだー、襲われたりしないの?」
口々に言われるたびに、胸がざわついた。
――そうか、普通はそう思うんだ。
他人から見たら、そういう色眼鏡をかけて見られかねない状況なんだな。
でも、私ははっきりと言えた。
「大丈夫だよ。……直也さんは、本当に優しいから」
その言葉を口にした瞬間、友達の視線が一斉に集まる。
「えー? ほんとに?」
「優しいって……どんな感じ?」
「エリート商社マンなんでしょ? なんかカッコいい響き!」
私は少し考えてから、つい口元が緩んでしまった。
「うん、確かにお仕事はすごい人だよ。かっこいいスーツ着て、家で仕事する時に、英語の会議とかもしてて……。でもね、家庭的な事は全然ダメなんだよね」
「えっ、ダメって?」
「ご飯は毎日コンビニで、洗濯物は乾燥機から出したまま山積みだし……。この前なんか、私のシャンプー間違えて使っちゃって!」
「ぷっ……!」
机を囲む友達が一斉に吹き出す。
「なにそれ、女子高生の香りになった総合商社マンとかヤバすぎ!」
「ギャップありすぎでしょ! エリートなのにポンコツ!」
「ちょっと可愛いかも!」
私は頬を赤らめながらも、なんだか誇らしい気持ちだった。
「そうなの。ほんと、仕事はすごいのに、家ではちょっと不器用で。……でもね、すごく真剣に私のこと考えてくれるんだよ」
その言葉に、友達の表情がふっと和らぐ。
「……そっか。なんか安心した」
「保奈美、いいお義兄さんに恵まれたんだね」
「うん……そう思う」
放課後、帰り道。
商店街のスーパーで卵を買って帰る途中、ふと今日のやりとりを思い出して笑ってしまった。
――直也さんはすごく優しい。
でも、ちょっとポンコツ。
その両方の実像を知っているのは、今のところ私だけ。
「……なんか、秘密を共有してるみたいだな」
そう呟いたら、胸の奥が少しだけ温かくなった。
まだ“義兄妹”っていう呼び方にも慣れない。
でも――この人となら、前に進める。そんな気がした。