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第72話:谷川莉子

 夏祭りの準備は、町内会館の広場から始まった。

 真夏の陽射しが少しずつ傾きかけても、まだ空気は熱を含んでいる。

 汗のにおいと木材の香りが混じり、トントンと金槌の音が響く。


 そこに直也くんが現れた。

 まだ回復したばかりで無理させていないか心配していたけれど――すっかり元気そうな様子で、胸の奥にふっと安堵が広がる。


 けれど、その安心をかき消すように、もうひとつの影が視界に入った。

 保奈美ちゃん。


 直也くんに連れられて、お手伝いに来ていた。

 町内の人たちの前で、直也さんが改めて紹介する。

 「義妹の保奈美です。いつも気にかけていただいて、ありがとうございます」

 それに促されて、保奈美ちゃんは可愛らしく一礼。


 「まぁ! 兄妹なの? てっきり新婚さん夫婦かと思っちゃったわよ」

 近所の年配の女性が笑いながら言った言葉が、心臓に鋭く刺さった。


 ――夫婦?

 冗談じゃない。やめてよ……そんなの。


 保奈美ちゃんは、少しだけお手伝いをした後、直也くんに「期末試験があるんだから先に帰りなさい」と優しく言われて帰っていった。

 ようやく――直也くんと、二人で言葉を交わせる時間が訪れた。


※※※


 櫓を組む作業は男手が多いけれど、私は直也くんの隣に立って一緒に動いた。

 汗をかきながら木材を運び、縄を結ぶ。


 直也くんは的確に、資材の配置や手順を指示していく。

 「こっちの柱を先に立てて、それから横木を渡した方が効率的です」

 周囲の人たちも「さすがだな」と感心しきりで、頼りにされているのがよく分かる。


 その姿に――惚れ直してしまう。

 幼馴染の頃からずっと見てきたけれど、今の直也くんは大人の男の顔をしていた。



 3時間ほどかかってようやく作業が終わり、汗を拭った直也くんがこちらを振り返った。

 「莉子。本当にありがとう。保奈美が扁桃炎でダウンした際もいろいろ面倒をかけてしまったし、オレが肺炎になりかけた際も随分心配かけた」


 胸が熱くなる。

 この一言を待っていた。


 だから私は――ほんの少しだけ勇気を出した。


「……それなら、一度お礼のデートをして」


 空気が一瞬止まった気がした。

 自分でも顔が赤くなっているのが分かる。

 けれど、引き下がる気はなかった。


 直也くんは一拍置いて、照れたように笑った。

 「……うん、分かった。オレなんかでいいなら。じゃあ今度、お互い都合がよいタイミングで誘うよ」


 胸の奥が一気に弾ける。

 やった――。


「ただし……保奈美ちゃんには内緒にしてね」


 思わず口に出してしまった。

 直也くんは不思議そうに「別に隠すことでもないだろう」と首を傾げる。


 ――違うの。

 あの子は、もう私のライバル。

しかも、とんでもなく手強い相手。

私は今まではただの義妹だと思っていたけれど。

もう絶対にそんな見誤りはしない。


 だからこそ。

 この時間だけは、私だけのものにするの。


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