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第66話:一ノ瀬直也

 夜中にふと目が覚めた。

 点滴と薬が効いたのだろうか。熱はだいぶ下がったようで、体のだるさも少しだけ和らいでいた。

 喉の奥にかすかな渇き。――水が飲みたい。


 目を開けると、すぐそこに温もりを感じた。

 ……驚いた。保奈美が、オレの体を抱きかかえるようにして眠っていたのだ。

 小さな肩がかすかに上下して、寝息を立てている。髪が頬にかかってくすぐったい。


 オレが動いた瞬間、ぱちりと彼女の瞳が開いた。

 すぐに、まっすぐオレを見つめてくる。


「……体調は、大丈夫?」


 その声が震えていた。

 オレは黙って小さく頷く。


「ちょっと水を飲みたいんだ。……義妹ちゃん、持ってきてくれないかな」


 そう頼むと、保奈美は一瞬きょとんとした顔をして――ふっと笑った。

 首を横に振る。


「だーめです」


「え?」


「名前で呼んでくれないと、持ってきません」


 子どもみたいに拗ねた笑顔。

 オレが返事をする前に、彼女はすっと立ち上がり、台所に向かっていった。

 冷蔵庫を開ける音、コップに水を注ぐ音が響く。


 戻ってきた保奈美は、冷えた水の入ったコップを手にしてオレの前に差し出す。

 ……けれど、渡してくれない。


「名前で呼んでください」


 困惑するオレをじっと見つめる瞳。

 子どものようでいて、決して譲らない強い光を宿している。


 観念して口を開いた。

「……保奈美ちゃん。水を……」


 その瞬間、彼女の顔がぱぁっと明るくなった。

「はい。よく出来ました」


 ようやくコップを渡され、喉を潤す。

 冷たさが食道を伝い、全身に沁み渡っていく。

 ただの水なのに、どうしてこんなに甘く感じるんだろう。


 空になったコップを受け取ると、保奈美は再び布団の横に座り込んだ。

 オレは目を閉じ、眠りに戻ろうとする。

 そのとき――。


 不意に、柔らかな腕がオレの体を抱きしめてきた。


「……ちょ、ちょっと、まずいよ、コレは」


 思わず声を上げる。

 だが返事の代わりに、頬に温かい雫が落ちた。


「心配だった……」


 震える声。


「本当に心配だったの。

 学校から戻って来るとき……“病院に運ばれた”って聞いて、もうパニックで……!

 電車の中でも何度も何度も電話して……それでも出てくれなくて……!

 私、直也さんに何かあったら、どうしたらいいか分からなくて……」


 嗚咽を噛み殺しながら、言葉を絞り出す。

 小さな体から溢れ出る想いの重さに、胸がぎゅっと掴まれるようだった。


「……こんなに心配させたんだから、これは罰。

 今夜はこのまま抱きしめて寝ます」


 真っ直ぐな声。

 涙で濡れた頬が、オレの胸元に押し当てられる。


 逆らえなかった。

 ここまで想われて、どうして振り払えるだろう。


 オレは深く息をつき、観念するように目を閉じた。

 鼓動が速くなっているのが、自分でも分かる。

 保奈美の小さな手が、布団越しにオレの腕をぎゅっと掴んで離さない。


 ――この温もりに包まれながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。


 こんな夜が来るなんて、想像もしなかった。

 けれど、もうオレの胸の奥に、確かに刻まれてしまった。

 オレが「保奈美」と呼んだあの一瞬と、彼女の涙の重みが――。

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