第63話:新堂亜紀
残務を片付けながら、時計をにらんでいた。
記者会見に向けての広報調整、プレス資料の最終確認――全部投げ出して駆けつけたいけれど、それを終えなければ直也くんが安心して休めない。
歯を食いしばりながら、手を止めずに処理し続け、ようやく区切りがついた瞬間、私はタクシーを呼び出した。
――とにかく、彼の家へ行かなくちゃ。
ビルのエントランスに出たその時だった。
「亜紀さん!」と声がして振り返る。
駆け寄ってきたのは玲奈。
「私も行きますから!」
息を弾ませながら告げられ、私は思わず眉をひそめる。
「……あなた達がもっと直也くんの負担を軽くしてあげていたら、倒れることなんてなかったんじゃないの?」
突き刺すように言った私に、玲奈はすぐさま切り返した。
「それを言うなら、亜紀さんが無理させたのが原因じゃないですか?」
胸の奥に熱がこみ上げる。
「私は――直也くんが“やる”と言ったから支えただけよ」
玲奈の瞳も揺るがない。
「それを言うなら私だってそうです。……本当はイーサン・クラークとの会談なんてさせたくなかった。でも直也が“やる”と言ったから、私は横に立ったんです」
火花を散らすような視線がぶつかり合う。
タクシーの運転手がミラー越しにおろおろしているのが、いやでも分かってしまう。
「……行きましょう」
吐き捨てるように言って、私は車に乗り込んだ。
※※※
直也くんの家に着いた時、玄関先に先客がいた。
エプロン姿の莉子。前に一度顔を合わせている。
彼女もまたお見舞いに来ていたのだろう。
――なんていう組み合わせなの。
互いに気まずい沈黙を交わしながら、三人で玄関をくぐる。
出迎えてくれた保奈美ちゃんは、目元が赤いのに、それでも精一杯笑顔を作って「どうぞ」とリビングに通してくれた。
敷かれた布団の上で直也くんが静かに眠っている。
その光景だけで胸が詰まる。
やがて、保奈美ちゃんが鍋を抱えて現れた。
湯気とともに漂うのは、だしの深い香り。
雑炊……?
彼女は布団の脇に膝をつき、御椀によそった。
スプーンに一口分をすくって、フーッと冷ましてから直也くんの口元へ。
直也くんはゆっくりと口を開け、受け入れた。
そして――。
「……コレだ」
涙が頬を伝い落ちる。
「昔、母さんが作ってくれたのと同じだ……。懐かしいなぁ……」
その言葉に、私は耳を疑った。
玲奈も隣で息をのんでいるのが分かる。
――どういうこと?
どうして保奈美ちゃんがそんな料理を作れるの?
しかも……全部自分で、スプーンですくって、口元まで運んでいるじゃない。
直也くんが「自分でやるよ」と照れ隠しのように言っても、彼女は首を振り、譲ろうとしない。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
これは、どう見ても、“奥さん”になってしまっている。
理性では分かっている。
ここで嫉妬心を出してはいけない。私はビジネスの場で彼を支えるべき存在だから。
でも――女としての私の心は、そんな理屈では収まらなかった。
保奈美ちゃん……あなた、一体どこまで――。
これまでは「ただの義妹」と片付けていた。
けれど女の本能は、目の前の光景を突きつけてくる。
――クソッ……。




