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第61話:谷川莉子

 7月に入っているので夜風が吹いても生暖かい。

 私は両手で紙袋を抱えていた。中には、予め用意していた蜂蜜生姜酒。もともと地元特産品の蜂蜜酒があるのだが、それに私なりの工夫を加えて、ほんのり甘く、体を芯から温めてくれる一品にした。

 直也くんは咳がひどかったから、蜂蜜と生姜の組み合わせが咳に一番効く筈だ。

 ついでに、おかゆを作ることも考えていた。病み上がりには、やっぱりそれが一番だと思ったから。


 ――けれど、直也くんの家の玄関に近づいたとき、思いがけない光景に出くわした。


 タクシーから降り立つ二人の女性。

 スーツ姿の亜紀さんと、シンプルなのに洗練されたワンピース姿の玲奈さん。

 どちらも前に一度顔を合わせたことがある。だからこそ、私の胸に微妙な感情が広がる。


 「こんばんは」

 「……こんばんは」


 形式的な挨拶。

 笑顔を交わしながらも、どこかぎこちない。

 ――立場も想いも違う。

 それでも、今は同じ目的でここにいるのだ。


 三人並んでインターフォンを押す。


 しばらくして、扉の向こうから現れたのは保奈美ちゃんだった。

 彼女の目元は赤く、泣き腫らしたように見える。けれど、その表情はきちんと笑顔を作っていた。


 「どうぞ、こちらに」


 招かれてリビングへ。

 既に布団が敷かれ、薄明かりの中で直也くんが横になっている。


 「今、お雑炊を作っているので、ソファでお待ちください」

 保奈美ちゃんがそう言った。


 「何か手伝おうか?」

 思わず声をかける。


 けれど、彼女は小さく首を振り、笑顔で答えた。

 「大丈夫です。……ありがとうございます」


 ――私だって何かしたいのに。けれど保奈美ちゃんの「大丈夫です」に遮られてしまう。

 どこに立てばいいのか分からない自分が、少しだけ情けなく思えた。


 リビングに敷いた布団の中で直也さんが目を覚ました。

 うっすらと開いた瞳が、ソファに座る私たち三人を認めて驚いたように瞬く。


 「……スイマセン」


 掠れた声。何かを言いかけたところで、亜紀さんがすかさず手を伸ばして制した。


 「今はとにかく体力を回復させないと。話すのはそれからよ」


 その言葉に、直也くんはしばし口を閉ざし、苦笑を浮かべる。

 その苦笑すら、痛々しいほどに弱々しかった。


 私は、ふと鼻をくすぐる匂いに気づいた。

 台所から漂ってくる湯気。

 だしの香りに混じって、生姜の温かさと、ほんのり甘い香り。


 ――あぁ。

 きっと、保奈美ちゃんが心を込めて作っているんだ。


 心配する必要なんてなかった。

 あの子は、あの子なりに、全力で直也くんを支えている。


 素直に「すごいな」と思う気持ちも湧き上がってくる一方で、胸の奥に少しだけ妬ましさが浮かんできてしまった。

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