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第1話:一ノ瀬保奈美

 義父と母の葬儀が終わり、まだ四十九日の法要が残っているものの、6月に入って、ようやく日常的な生活が戻ってきた。

 ……と言っても、私にとっては全然これは「日常」なんかじゃない。

 これからは、直也さんと二人きり。


 ――本当に、二人きり。


 義父も母もいない広いリビングで、対面するのは私と直也さんだけ。

 朝の食卓で「いただきます」と声を揃えると、なんだかすごく妙な感じがして、私はスプーンを握った手に力を込めた。


 テーブルの上に並ぶのは……コンビニのおにぎりとサラダチキン。

 冷蔵庫から出してきたパックの味噌汁。

 見事に“手作りゼロ”の効率的な朝ごはん。


 「……なんか、すごく味気ないですね」

 私が呟くと、直也さんはタブレットでニュース記事をチェックしつつ、当然みたいに返した。

 「朝は栄養さえ摂れれば十分だよ。時間もそんなにないし」

 「でも、なんかこう……温かみが欲しいというか」

 「保奈美ちゃん。あったかいのがいいなら電子レンジでチンすればいいよ」

 「そういうことじゃなくて!」


 思わず声を張ってしまって、自分でもびっくりする。

 でも、直也さんはタブレットから視線を上げて、ちょっと目を丸くした後、苦笑いした。

 「……まあ、確かに、もう少しマシなもんを食べたいよね」


 そう言いながら、口にしているのはしっかりサラダチキン。

 無駄にヘルシー志向なのが腹立たしい。


 学校から帰ると、直也さんはリビングのテーブルにノートパソコンを広げていた。

 今日、直也さんはリモートワークの予定と聞いている。


 義父と母が亡くなる前まで、直也さんは毎日会社のオフィスに出勤していた。

 でも私と二人の生活になってからは、リモートワークで対応する日を増やしてくれていた。

 誰も居ない家に、私が学校から帰ってくる、そういう事にならないようにしたいという心遣いを直也さんがしてくれているのだ。


 ―でもエリート商社マンのお仕事に負担をかけたくはないな。


 スーツのジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖をまくって、キーボードを打つ姿は――うん、やっぱり「エリート」って感じ。

 私は鞄を下ろしながら、わざと大きな声で「ただいまー!」と言ってみた。


 「おかえり。今日は早かったんだね」

 「部活なかったので」

 「そうか。じゃあ保奈美ちゃんが宿題片付けてから、一緒にご飯食べよう」

 「……ご飯って」


 冷蔵庫を開けると、昨日の夜と全く同じラインナップ。コンビニ弁当の空き容器がゴミ箱に山積みになっている。

 「……直也さん。これ、ほんとに毎日なんですか?」

 「いや、一応日替わりメニューにしているよ。昨日は牛丼で、今日はカツ丼なんだから」

 「そういう問題じゃないんです!」


 私は両手を腰に当てて、ぷくっと頬を膨らませた。

 「女子力0の人の一人暮らしじゃないんだから。少しは栄養とか彩りとか考えないと!」

 「いや、オレそもそも女子力なんて皆無なんだから、仕方がなくない?」

 「ずっとこんな感じじゃ、絶対ダメです!」


 半ば呆れながらも、私はエプロンを取り出して首にかけた。

 「え? 保奈美ちゃんは料理できるの?」

 「……できません」

 「……うーむ。なるほど……」


 だけど、やってみなきゃ始まらない。

 母がいなくなって、私が「家を守る」って決めたんだから。


 私はレシピアプリを立ち上げて、初心者でも簡単そうなメニューを探した。

 ――卵焼き。

 これならできる……はず。


 フライパンに卵液を流し込んで、菜箸でくるくる巻いていく。

 「わ、わわっ、崩れる!」

 「ああ……保奈美ちゃん、危ないぞ!」

 背後から直也さんの声が飛んできて、慌てて火を弱める。

 結局、形はぐちゃぐちゃになったけれど……なんとか完成。


 「……うん。まあ、口に入れてしまえば、なかなかだね」

 「正直でいいですよね、直也さんは!」

 「いや、ほんとに口に入れられるという意味だよ。うん、味は悪くない」


 そう言って箸を伸ばし、ぱくっと食べてくれた。

 その瞬間、胸の奥がじんわり温かくなる。

 「……ありがとう」

 ぽつりと呟いた言葉に、直也さんは少しだけ驚いた顔をした。

 でもすぐに、柔らかい笑みを浮かべて「ごちそうさま」と返してくれた。


 こうして、直也さんと二人だけの生活が始まった。

 まだ分からないことだらけで、不安もいっぱいある。

 でも、私はもう一人じゃない。

 母はいなくなったけれど、直也さんが「守る」と言ってくれた。

 その言葉を信じて、私は前に進んでいける気がする。


 たとえ今は未だ、コンビニご飯とぐちゃぐちゃ卵焼きの食卓から始まったとしても。

 ――きっと、ここから「私たちの家族」ができていくのだ。

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