第50話:一ノ瀬保奈美
直也さんの咳は、薬を飲んでも良くならなかった。
仕事から帰ってきて、疲れた顔で咳き込むたび、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「……お願い、直也さん。病院に行ってください」
気づけば涙が頬を伝っていた。
「直也さんに、何かあったら……私、本当に一人ぼっちになっちゃう」
嗚咽まじりの声。自分でも驚くくらい切羽詰まっていた。
直也さんは、困ったように微笑んで頭を撫でてくれた。
「ごめんな……もう少し我慢すれば一旦落ち着くから。そしたら病院に行くよ。約束する」
その言葉に、少しだけ胸の重みが軽くなった。
でも――それまでの間、私が守らなくちゃ。
※※※
自分にできること。
考えて、思いつくのはやっぱり「食事」だった。
スマホで「咳 食事 効果」と検索していると――『管理栄養士がおすすめするメニュー』というページが目に入った。
管理栄養士。
この前から調べている家政学や生活科学の勉強で、資格取得を目指せる国家資格だって知ったばかり。
画面には、咳に効くと言われる食材が並んでいた。
はちみつ、大根、れんこん、梨、ねぎ、しょうが。
「……よし」
私は冷蔵庫を開けて、材料を取り出した。
夕食には、消化が良くて身体を温めるうどん。
そこに、大根とれんこんをすりおろして加え、ねぎとしょうがを散らす。
ほんのりと立ちのぼる湯気に、身体の芯まで温まるような香りが混じる。
さらに、はちみつと大根、しょうが、梨をミキサーにかけて――特製ジュースを作った。
少し甘酸っぱくて、飲みやすい。咳で荒れた喉に、優しく染みこんでくれるはず。
「直也さん、少しでも楽になりますように」
祈るような気持ちでテーブルに並べる。
※※※
「いただきます」
直也さんは、静かに手を合わせてから箸をとった。
最初のひと口をすすると、ふっと表情が和らぐ。
「……ああ、温まるな。すごく食べやすい」
次に、特製ジュースを口に運ぶ。
とろりとした喉ごしのあと、小さな咳が出たが、続けて二口目を飲むと――その咳が少し収まった。
「……うん。なんだか、さっきより楽になった気がするよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥から安堵が溢れた。
気づけば、私は両手で胸をぎゅっと押さえていた。
「よかった……ほんとによかった……」
思わず涙がにじむ。
直也さんは驚いたように笑い、少しだけ首を傾げて言った。
「義妹ちゃんは……義妹ちゃんなのに、母親みたいだな」
「も、もう……からかわないでください!」
涙と一緒に笑いがこぼれ、頬が熱くなる。
食卓に漂う湯気が、帰宅の疲れを包み込むように優しく揺れていた。
――直也さんの咳が、一日も早く治りますように。




