第36話:一ノ瀬保奈美
放課後、廊下を歩く足音がやけに大きく響いて聞こえた。
向かっているのは進路指導室。
まだ一年生なのに――少し早いかな、と思ったけど。
「未来をあきらめない」って直也さんに言われてから、どうしても一度、ちゃんと考えてみたかった。
ドアを開けると、進路指導の田村先生が顔を上げた。
「ん? 珍しいな、一ノ瀬。どうした?」
「……少し、将来のことを相談したくて」
机の前に座ると、胸がどきどきしていた。
うまく言えるか分からなかったけれど、勇気を出して言葉を繋ぐ。
「料理とか、家のこと……そういうことをもっと深く勉強できる場所って、あるんでしょうか」
先生は少し驚いた顔をしてから、ゆっくりと頷いた。
「なるほどな。実はそういう分野を専門に学べる大学もあるんだ。家政学部とか、生活科学部っていうんだよ」
「家政……学部?」
初めて聞く言葉に、思わず繰り返してしまう。
先生は棚から資料ファイルを取り出し、ページを開いて見せてくれた。
「例えば、栄養学、食品学、住居学、被服学……生活に直結するテーマを学問として研究するんだ。栄養士やフードコーディネーター、生活用品の開発者になる人もいる。もちろん研究者の道もある」
ページの写真には、白衣を着て調理実験をしている学生たちや、顕微鏡を覗き込む姿が載っていた。
「……すごい」
知らなかった世界が広がっていて、胸が高鳴った。
先生は資料を閉じながら言った。
「この分野で一番レベルが高いのは、……国立の女子大――水道橋女子大学だな。家政・生活科学系でも知られている。もともとは女子高等師範学校と言われていて、要するに女性の先生を教育する学校だったんだ。ただし、当然ながら難易度は高い。かなり勉強しないと合格は難しいぞ。でも、高1の今から準備すれば、可能性は全然あるよ」
「……可能性、あるんですね」
安堵と同時に、胸が引き締まる。
難しい。でも、やれるかもしれない。
未来を諦めなければ。
帰り道。西日に照らされた校門を出ながら、私はひとり小さく呟いた。
「私……本当に、やってみたい」
ただ直也さんに「美味しい」と言ってもらうだけじゃ足りない。
健康や栄養、安全までちゃんと考えられるようになりたい。
そのために学べる場所があるなら――そこを目指したい。
まだぼんやりとした決意。
でも、それは確かに私の胸に灯った“未来の形”だった。




