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第30話:一ノ瀬保奈美

 「ただいま」

 玄関から聞こえた声に、全身がびくんと震えた。

 心臓が胸の奥でドキンと跳ね、足が自然と玄関に向かう。


 「おかえりなさい、直也さん!お疲れ様でした!」

 笑顔で迎えたとき、直也さんの足がふっと止まった。


 私を見て――ほんの数秒、目を瞬かせていた。


 「……あれ? ――保奈美……」


 その一言に、胸がきゅうっと縮まった。

 名前を呼んでもらえるなんて、本当に久しぶりだ。

 だけど、ほんの一瞬だけ。

 直也さんの口から、確かに「保奈美」と呼ばれた。


 すぐに、彼は気まずそうに笑って、言い直す。

 「いや……義妹ちゃんは、なんか急に、大人っぽくなったな」


 照れくさそうに目を逸らしたその横顔が、胸の奥に焼き付いた。

 ――直也さんの頑なさを、一瞬だけ変えられたかな。

 でも、たったそれだけで今日一日の準備が全部報われた気がした。


 「さ、座ってください。夕飯できてますから!」

 エプロンを握り直して、慌ててテーブルに案内する。


 テーブルには、粗挽きハンバーグとコーンスープ。

 魔法のノートに「直也、大好き」と赤字で書かれていたスープをどうしても添えたかった。


 「……あれ? これ、なんか懐かしいな」

 「はい。頑張って作ってみました」


 スプーンを手にした直也さんが、ゆっくり口に運ぶ。

 驚いたように目を見開き――そして、穏やかに笑った。


 「……美味しいな。なんか、すごく懐かしい味だ……」


 その言葉に、喉の奥が熱くなって、思わず俯く。

 「よかった……ほんとに」

 声が震えていた。涙が滲みそうになるのを必死でこらえる。


 直也さんは気づいていないかもしれない。

 でも私にとって、この「美味しい」が何よりの宝物なんだ。


※※※


 食事が終わり、食器を片付けて戻ると、直也さんが鞄をごそごそしていた。

 「これ、盛岡で見つけたんだ。季節外れかもしれないけど……ほ…義妹ちゃんに似合うと思って」


 差し出された包みを受け取り、そっと開いた。

 そこには、淡いピンクに染められた草木染めのストール。


 「……えっ」

 指先で布をなぞった瞬間、胸がいっぱいになった。

 やわらかくて、温かくて、涙が零れそうになる。


 「ありがとう…ございます…大事にします」

 震える声でやっと言うと、直也さんは照れたように笑った。

 「義妹ちゃんに、似合うと思ったから買ってしまったんだよ」


 「……いま、つけてみてもいいですか?」

 自然に口から出ていた。


 ソファに腰を下ろし、そっとストールを肩にかける。

 ピンク色が、鏡に映る自分の頬の赤みに重なって――。


 「どう……ですか?」

 思い切って顔を上げると、直也さんが一瞬だけ息を呑んだ。


 「……ああ。すごく……可愛いな」

 短い言葉。でも、その声は優しくて、どこか掠れていた。


 胸がドクンと鳴る。

 まるで本当に、直也さんの“新妻”になったみたいで、顔が真っ赤になる。


 「ちょ、ちょっと……からかわないでください!」

 慌てて顔を逸らすと、直也さんは小さく笑った。

 「からかってないよ。今……そう思ったんだから」


 その笑顔を見た瞬間、涙がこぼれそうになった。

 だって、私は――守られている。

 この家も、この時間も、そして、この人の優しさに。


 ストールの温もりが、まるで直也さんそのものみたいに胸に広がっていった。


 ――おかえりなさい。直也さん。

 心の奥で、もう一度、そう呟いた。

 本当はギュッと抱きしめてくれたら、もっと嬉しかったけれど。

 でも、それは直也さんは絶対にダメって言うだろうな……。

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