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第11話:宮本玲奈

 早朝からの海外支社も交えた会議が始まる前に、直也からチャットが飛んできた。

 《義妹が熱を出してて、今日はリモートに切り替える》

 簡潔な一文だったが、妙に気になった。


 ――義妹の風邪、か。


 同期とはいえ、直也はどこか別格の存在だった。そもそもウチは総合商社でも最も老舗。入ってくるのは同年輩でも最も優秀な人材である筈だが、その中にあっても、直也は真面目で、冷静で、やるべきことはきっちり片づけ、そして実は優しい。


 新人の頃、研修で丹沢の山を登るという行事があった時、下り坂で足を少し捻った私を座らせて、足をテーピングしてくれたのが直也だった。

 テーピングしてくれたお陰で私は脱落する事なく、予定通りにゴールする事が出来た。それをお礼に行くと「全然気にするな。それより足大丈夫か?」とだけ言っていた直也。


―ちょっとカッコいいな、と思っても不思議はないでしょ。


 仕事に関しては本当に信頼できる。大体仕事自体が非常に早い。私も同じITセクターで同じ部署だから、ある意味で直也の仕事ぶりを一番よく知っている人間かもしれない。


 ……気になる。

 ただの同期として? もちろん――もちろん同期としてだよ。


 抱えている仕事はそれほどでもないので、私はオフィスを出ていた。

 「ちょっと気になるので様子を見に行ってきます」

 理由づけはそれで十分だった。


 直也の家に着いてインターホンを押すと、すぐにドアが開いた。

 「玲奈?」

 驚いた顔の直也が出てきて、私は小さく手を振った。

 「ちょっと様子見に来た。差し入れ持ってきたから」

 スポーツドリンクとゼリー飲料の袋を掲げてみせると、直也は少し安堵したように笑った。


 「助かるよ。ありがとう」


 ところが、リビングに足を踏み入れた瞬間――私は目を疑った。


 キッチンには、見知らぬ女性が立っていた。

 エプロン姿で鍋をかき混ぜながら、柔らかい笑顔をこちらに向ける。

 「こんにちは。谷川です。直也くんの幼馴染で」


 ……谷川さん? 幼馴染?


 その立ち姿は、あまりにも自然で、あまりにも“家庭的”で――。

 私は思わず喉を鳴らした。

 なんだろう、この圧倒的な「負けた感」。


「……へぇ」


 ちょっと直也に釘は指しておきたいかな。

 「直也、なんでこういうこと、先に言わないわけ?」

 「え、いや……別に言うようなことじゃないだろ。というか、そもそも玲奈がお見舞いにわざわざ来てくれるとは思わなかったし」

 「いやいやいや! まずは同期にホウレンソウなんじゃないの?」


 突っ込みながらも、心の奥がざわついて仕方なかった。

 料理の匂い。エプロンのひもを結ぶ後ろ姿。

 完全に“奥さんポジション”じゃん。


 ――なんか私、完全にかすんでない?


 頭の中でそんな言葉がぐるぐるしていると、玄関のチャイムが再び鳴った。


 現れたのは新堂亜紀先輩。

 直也のチューターで、今も公私にわたって面倒を見てくれる先輩だ。

 「保奈美ちゃん、大丈夫? 心配で来ちゃった」

 「……あ、はい。ありがとうございます」


 リビングに入った亜紀さんの視線も、当然のようにキッチンに吸い寄せられる。

 そこでは、谷川莉子が楽しそうに鍋をかき回していた。


 「……ん?…どういう事かな…」


私だって答えようがないし、むしろ私がそれを言いたいくらいかな。


 「……」

 「……」


 私と亜紀さんの視線が一瞬ぶつかる。

 お互いに笑顔を浮かべたつもりなのに、なぜか妙にぎこちない。


 この家の空気が一気に重たくなるのを感じた。

 直也は全く気づいていない様子で「なんか、わざわざスイマセンね」なんて言っている。

 ――なんかさ、直也って鈍いんじゃないかな。


 同期として、ただ心配で来ただけ。

 ……そのはずなんだけど。


 エプロン姿で鍋をかき回す幼馴染と、落ち着いた余裕の先輩の存在に、すぐに帰社する気持ちが完全に失せてしまったのだ。

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