第5話:一ノ瀬保奈美
六月の夕方。
部活が休みの日の下校途中、私は商店街を通り抜けていた。
駅から少し歩いたこの通りは、どこか懐かしい匂いがする。八百屋さんや魚屋さん、昔ながらのパン屋さんが並んでいて、チェーン店だらけの駅前とは違う、人の温かさが残っている場所だ。
商店街の小さなスーパーで特売の卵と牛乳を買おうと歩いていたら、不意に声をかけられた。
「保奈美ちゃん?」
振り向くと、酒屋さんの店先にエプロン姿で立っていた女性が手を振っていた。
谷川莉子さん。
直也さんの幼馴染で、今は実家の酒屋を手伝っていると聞いている。二十歳になったばかりで、直也さんより二歳下。優しい笑顔が印象的で、初めて会ったときから“家庭的な人だな”と思っていた。
「谷川さん、こんにちは」
私がぺこりと頭を下げると、莉子さんはにこやかに微笑んだ。
「学校帰り? もう新しい生活には慣れた?」
唐突な問いに、胸が少しだけざわついた。
でも、私はすぐに笑顔を作って答えた。
「はい。直也さんと二人で、なんとかやっています」
莉子さんは私をじっと見つめ、少しだけ眉を寄せた。
「そう……大変じゃない? 高校一年生でしょ。お母さんを亡くしたばかりで……。直也くんだって、仕事も忙しいだろうし」
その声には本気の心配が滲んでいた。
――やっぱり、周りから見れば私は頼りなく映るんだ。
でも、胸の奥に小さな灯がともる。
「大丈夫です」
私ははっきりと言った。
「私、直也さんと、もう2人だけの“家族”になったんです。だから、私がこの生活を守ります」
自分でも驚くくらい強い声だった。
莉子さんは目を瞬かせ、やがて小さく笑った。
「そっか……強いね、保奈美ちゃん」
私は慌てて付け加える。
「もちろん、まだ何もできないですけど。でも、料理とか洗濯とか、少しずつやるようになって……。直也さんは不器用ですけど、すごく誠実で、いつも私を気遣ってくれるんです。だから、ちゃんとやっていけると思います」
莉子さんは頷き、少し遠くを見るようにして呟いた。
「……直也くんらしいなあ。小さい頃から、自分に厳しくて、他人には優しい人だったからね」
その声に、どこか懐かしさと親しみが混じっていた。
――ああ、この人は直也さんのことを、私よりもずっと長く知っているんだな。
少しフクザツな気持ち。
「でもね、保奈美ちゃん」
莉子さんは穏やかな笑顔のまま、優しく言った。
「もし困ったことがあったら、私にも頼ってね。無理して頑張りすぎなくていいから」
「……はい。あの…ありがとうございます」
そう素直に返事をしつつも、私はもう決めている。
――最初から人を頼りにしないで、まず、自分自身で頑張らないと。
直也さんと私という、この家族を守るのは、まず私自身だ。
周りの人がどう思っても、私は直也さんと一緒に生きていく。
それが、私を育てると言ってくれた直也さんへのたった一つの恩返しだと思うから。
商店街の夕暮れに、提灯の明かりがともり始める。
買い物袋を抱えて歩きながら、私は胸の奥で小さくつぶやいた。
「……大丈夫。私が守るから」
その言葉は、周囲への答えであると同時に、自分自身への誓いでもあった。




