身請けと、唯衣の秘密 3
「事件は、 物取りの仕業と聞いておりんす。」
「犯人も、 自ら奉行所へ出頭したと。」
菊乃は静かに目を伏せた。
「……わっちは。」
「襖の隅で震えていた、 小さな小さな娘を連れて帰りんした。」
「それが、 唯衣でござりんす。」
菊乃は優しく唯衣を見つめる。
「だから。」
「唯衣は、 借財を背負っている芸者ではありんせん。」
「わっちが預かり、 娘として育ててきた子でありんす。」
一拍置く。
「いつか。」
「唯衣が、 この人と幸せになりたい。」
「そう心から願える殿方が現れたなら。」
「その時は、 笑って嫁に出すつもりでおりんした。」
菊乃はレオへ視線を向けた。
「決めるのは。」
「唯衣でござりんす。」
「唯衣が旗本の娘である証として、 白石家の家紋が入った刀がござりんす。」
「どうか、それを大旦那様と旦那様へお見せくださいまし。」
菊乃は三つ指をつき、 静かに頭を下げた。
「ああ。」
レオは短く頷く。
「すぐに話をまとめよう。」
その一言に、 菊乃の表情がようやく和らいだ。
レオはゆっくりと唯衣へ視線を向ける。
「唯衣。」
「お前の気持ちはどうだ。」
その瞬間。
「ありゃりゃ。」
翡翠がくすりと笑う。
「これは、聞くまでもありんせんね。」
皆の視線が唯衣へ集まる。
唯衣は真っ赤な顔のまま、 大粒の涙をぽろぽろと零し、 ただレオだけを見つめていた。
言葉にならない。
けれど。
その瞳だけが、 答えを伝えていた。
「……さぁ。」
翡翠は手を一つ打つ。
「少し空気を入れ替えんしょう。」
「今宵は悲しい話ではなく、 めでたい話でござりんす。」
艶やかに微笑み、 盃を手に取る。
「とびきりのお酒を、 お持ちいたしんす。」
座敷に、 ようやく柔らかな空気が戻り始めた。
「唯衣、おいで。」
レオが優しく手を差し伸べる。
唯衣はゆっくりと立ち上がった。
一歩。
また一歩。
恥ずかしそうに歩み寄る。
そして。
座ったままのレオへ、 ぎゅっと抱きついた。
「若旦那様……。」
その姿を、 菊乃も翡翠も、 優しく微笑みながら見守っていた。
レオは唯衣を抱き寄せ、 その柔らかな髪をそっと撫でる。
「唯衣。」
「お前を嫁にもらう。」
一拍置く。
「これは、決定事項だ。」
「……はい!」
唯衣は涙をこぼしながら笑った。
もう一度、 ぎゅっとレオへ抱きつく。
ここで一度空気を落ち着かせてから、
レオは唯衣を抱いたまま、 菊乃へ視線を向けた。
「菊乃。」
「一つ、聞きたいことがある。」
「はい。」
「唯衣の母上の元婚約者だが……。」
レオの瞳が静かに細められる。
「黒崎だった可能性はあるか。」
部屋の空気が再び張り詰めた。
菊乃は静かに頷く。
「……わっちも。」
「そうではないかと思っておりんした。」
少しだけ目を伏せる。
「白石家は、 家臣やその家族を養うため、 商家から多額の金を借りていたと聞いておりんす。」
「その貸し手が……。」
「黒崎家だった、と。」
レオは唯衣を抱き寄せたまま、 景へ視線を向ける。
「景。」
「はい。」
「大旦那様へ報告してくれ。」
「白石家の家紋入りの刀も見てもらいたい。」
景は菊乃へ向き直る。
「女将。」
「ご同行いただけますか。」
菊乃は静かに頷いた。
「もちろんでありんす。」
「刀はわっちが大切に預かっておりんす。」
レオは続ける。
「それと、黒崎家についても調べてほしい。」
「二十年前の白石家との関わり。」
「借財。」
「婚約の話。」
「そして、あの事件。」
「事実を確認してくれ。」
「承知いたしました。」
景は一礼する。
菊乃も立ち上がり、 唯衣へ優しく微笑んだ。
「少し行ってまいりんす。」
二人は静かに蒼狼の間を後にした。
「さぁ。」
翡翠は煙管を置き、 ゆっくりと立ち上がる。
「わっちも今宵は、 これにて部屋へ戻りんす。」
そう言うと、 レオへ悪戯っぽく微笑んだ。
「若旦那様。」
「かわいい妹を泣かせるようなことがありんしたら……」
少しだけ目を細める。
「二度と蒼月楼の敷居は、 またげないものとお覚悟くださんし。」
座敷に小さな笑いがこぼれる。
レオも口元を緩めた。
「ああ。」
「その時は、 俺が蒼月楼中へ頭を下げよう。」
「ふふっ。」
翡翠は満足そうに笑うと、 唯衣のもとへ歩み寄る。
「幸せになりなんし。」
そう囁きながら、 そっと唯衣の頭を撫でる。
唯衣は涙を浮かべたまま、 小さく頷いた。
「……はい。」
しゃらり。
鼈甲の簪が優しい音を立てる。
翡翠は一度も振り返ることなく、 静かに部屋を後にした。




