第三章:男の名はミシェル・ヴィンセント/02
その日の夜、学生寮の203号室。
「ほらウェイン、さっさと座れ」
「おう」
風呂から上がって早々に椅子に座らされたウェインの後ろに立って、フィーネがパチンと指を弾く。
そうすれば、濡れていたウェインの髪が彼女の風魔術で瞬時に乾いてしまう。
「おお、もう乾いてら」
「待て待て、まだ髪を梳かないとならん」
「そ、そうだったな……どうにも慣れねえな」
「いいから、お前はじっとしてろ」
髪を乾かしてやると、今度は自分の櫛を使ってフィーネは彼の髪を梳き始める。
ウェインは座ったまま、彼女の好きにされるがままだ。
……見かねたフィーネに髪を洗われたあの日以来、こうして髪の手入れを彼女にされるのが日課になりつつあった。
シャンプー類も今まで使っていた安物から、彼女と同じものにいつの間にか置き換えられてしまっている。
流石に洗うの自体はウェインが自分でやっているが……しかし「慣れるまでは私がやる」と言って聞かないフィーネに、風呂上がりにはこうして髪を梳かれるのは毎日のことだった。
「やはりシャンプーを私と同じものに変えて正解だったな。見ろウェイン、目に見えて髪質が滑らかになってきているぞ」
「まあ、な……」
言いながらご機嫌そうに髪を梳くフィーネに、肩を揺らして返すウェイン。
その表情は、風呂上がりなのに何故だか微妙に曇った様子。
「なんだ、浮かない顔をしているな」
そんな彼の横顔を見て、些細な変化に気づいたフィーネが言う。
するとウェインは「分かるか?」と意外そうな顔で言うから、フィーネは「当たり前だ」と、髪を梳く手を止めないままに返す。
「お前のことなら、私には手に取るように分かるぞ」
「そ、そうか……見透かされてんな俺」
「ふふっ、きっとお前のことだ……例のミシェル・ヴィンセントの件じゃないか?」
見事に言い当てられてしまった。
びっくりするぐらいに的中している。手に取るように分かる、というのは本当らしい。
「……まあな」
だから言い当てられたウェインは、ただ静かに頷いて。
「ここしばらく、ずっと野郎のことばっかり考える羽目になってるんだ。浮かない顔にもなって当然さ」
はぁ、とため息交じりに言うウェイン。
フィーネは彼に「そう気にしすぎるな」と髪を梳きながら言って。
「確かに怪しいは怪しいが、だからといって気を張りすぎるのはお前の悪い癖だ」
「……自覚は、あるんだけどよ。癖ってのはどうにもな」
「それにこの間も言ったが、私は今のところ、あの男から嫌な風は……あの日を除いて、感じてはいない。経歴も普段の立ち振る舞いも、不審なところはなにひとつ無いんだろう?」
ウェインの黒髪に櫛を流しながら、そう言うフィーネ。
それに彼は「だから余計に不思議なんだよ」と返し。
「野郎は、明らかに戦い慣れてやがる。それに何よりも……あの目だ」
と、無意識に目を細めながら呟いた。
「あの目、か……言わんとしていることは分かるぞ」
うんうん、とフィーネが頷く。
ウェインもまた「ああ」と低く頷き返して。
「あの目は……普通の人間がする目じゃない。俺たちと同じ……こっち側の人間がする目だった」
シリアスな表情で、ポツリと呟く。
――――こっち側の、人間。
それが意味するところは、即ち二人と同じ……スレイプニールのエージェントである二人と同じ、戦士の側の人間ということ。
「ふむ……」
それを暗に汲み取ればこそ、フィーネは思案するように唸る。
「そういえば、確かお前の次の対戦相手……あの男になったんだったな?」
続けてフィーネが言うと、ウェインは「そうなんだよ」と頷き、
「あーすまんフィーネ、俺の端末取ってくれ」
と言って、机の上に置いてあった携帯端末を取ってもらう。
「ほら」
「悪りいな」
フィーネから受け取ったそれを操作して、ウェインは端末の画面にトーナメント表を呼び出す。
「俺がここで、野郎がここ。お互い勝ち進んでったから……ぶつかるんだよな、次の試合で」
「なら、いい機会じゃないか」
トーナメント表を使って説明してやれば、フィーネはふふっと笑って言う。
それに「どういう意味だよ」とウェインが首を傾げれば、
「お前自身で確かめる、絶好のチャンスだろう?」
あっけらかんとした態度で、フィーネはそう答えた。
「ミシェル・ヴィンセントが本当に戦い慣れている男なのか、私たちと同じ側の……戦士なのか。直に手合わせしてみれば、嫌でも分かるはずだ。違うか?」
「……相変わらずのプラス思考だな、お前はよ」
「ウェインが生真面目で神経質すぎるだけだ」
肩を竦めるウェインに、フィーネはいつものように自信満々な態度でそう言ってみせる。
「とにかく、実際に手合わせしてみればいい。確か対戦は週明けだったな?」
「そりゃあそうなんだけどよ……」
相変わらず、どこか浮かない様子のウェイン。
そんな彼の髪を梳きながら、やれやれとフィーネは小さく息をつき。
「お前は、本当に考えすぎるな……」
と、少し呆れたように言った後で。
「…………よし!」
なんて風に、急に何かを思い立ったらしい。
「ウェイン、明日は私と出かけるとしよう!」
とすれば次に飛び出してくるのは、なんとなく予想できていた台詞で。
だからウェインが「んだよ急に……」と怪訝そうな顔をすると、フィーネは胸を張ってふふーんと笑い。
「どのみち明日は土曜日、休みなんだ。くよくよ悩んでたって仕方ない、気分転換も兼ねて私に付き合えっ!」
「……一応訊くだけ訊いとくが、拒否権は?」
「お前にあると思うか?」
「だよなあ……分かってたけどよ」
ふーんと鼻を鳴らすフィーネの前で、ウェインが小さく溜息を漏らす。
ということで、明日はどこかに連れていかれることになったらしい。
諦めたウェインが大きく肩を竦める中、終わったぞと言ってフィーネは彼の髪から手を放す。
「あんがとよ」
と言って、ウェインが椅子から立った直後――フィーネはそのまま彼の手を取って、自分ごとベッドに引きずり込んでしまう。
「お、おい!?」
ウェインが驚くのも無視して、そのままフィーネはいつものように彼をぎゅっと胸に抱きしめる。
「明日は早いんだ、いいから寝ておけ」
有無を言わさぬ調子で言うと、フィーネはそのまま部屋の灯かりを消してしまう。
パッと暗くなった部屋の中、離してくれない彼女にされるがまま。ウェインは「へいへい……」と完全に諦めモードに入る。
こうなったフィーネ・エクスクルードは無敵だ。たとえ誰だって彼女を従わせることは出来ないだろう。なにせフィーネの強引さは世界一、いいや銀河一なのだから。
それを、他の誰よりもよく知っている。
だからウェインは、完全に諦めモードに入っていた。
「ふふっ……それでいい♪」
そんな彼をぎゅーっと胸に抱きしめながら、頭をそっと撫でてやったりしながら……抱きしめたまま、フィーネは言う。
「前も言ったが、肩肘を張りすぎるのはお前の悪い癖だ。学院に居る間はそれでも構わないが、この部屋に居るときぐらい……私と二人っきりの時ぐらい、ありのままのお前で居ていいんだ。ここには私とお前の二人だけ、何があっても私が傍に居る……だから、な?」
穏やかな口調で、囁くように細い声音で。そっと諭すように。
ウェインはそれに「……そうだな」と頷き返し、
「知らん間に、気張りすぎてたのかもな」
と、小さな声でポツリと呟く。
「……うむ」
呟いた彼にフィーネはそっと頷くと、やがて……そのまま、寝息を立て始めた。
ウェインを強く抱き締めたまま、すぅすぅと安らかな寝息を立てるフィーネ。
「珍しいな、俺より先に寝やがった……」
どうやら彼女、完全に眠ってしまったらしい。
ウェインはそう言いながら、でも抱き締められていて身動きが一切取れないから、どうすることも出来なくて。だから仕方なしに、ウェインもそのまま眠ることにした。
…………確かに、ミシェル・ヴィンセントは奇妙な青年だ。
もう少しの間、注意深く彼のことを観察する必要があるのは間違いない。もしかしたら、彼が……二人の探し求める、ゲイザーと繋がる内通者なのかも知れないのだから。
――――――でも、今だけは。
今だけは、そのことを忘れていようとウェインは思った。
明日は休日、またフィーネに振り回される一日が始まるのだ。
だから……せめてその間だけは。
二日間の休みが明けて、新しい一週間が始まるまでは……このことは忘れていよう。
(……ありがとよ、フィーネ)
そう思いながら、そうさせてくれたフィーネに心の中で小さく礼を言いながら……ウェインはそっと、瞼を閉じるのだった。
(第三章『男の名はミシェル・ヴィンセント』了)




