脱出!(前編)
翌朝、ワタルは早速昨日買ったばかりの食材を使って仕込みを開始していた。
大量にストックを用意しておくのは、カレーソースとトマトソースである。
二口あるコンロを同時に使い、寸胴二つをおいて、牛骨スープに追い牛骨をしながら、野菜の切れ端を投入し、どろどろになるまで煮込んでいく。
ここまでの作業はトマトソースもカレーソースも同じであるため、二つの寸胴に下合った寸胴の牛骨スープを全部使ってしまい、空の寸胴は洗浄して収納に戻しておく。
1時間ほど煮込んだあと、一つずつ漉しながらスープを新しい寸胴に移すと、野菜の切れ端だったものは、エメリーが処分していく。
本当にゴミが出ないので重宝する。
一つには、ダイスカットしたトマト、みじん切りしたにんじん、セロリ、タマネギなどミルポワの材料と同じものを投入し、もう一つはにんじん、ジャガイモ、タマネギを一口大に切ったものを入れて、弱火にしたまま、煮込んでいく。
それぞれメインとなる具は、その都度異なる素材を調理してソースとして使うため、肉類はあらかじめ煮込みに使わない。
あとは3時間ほど煮詰めて、量が半分ほどになれば完成の見込みだった。
ところが、
昼前、ワタルの部屋をノックする音がした。
宿の女将だった。
ワタルに来客で、1階の受付で待っているとのことだった。
ワタルには全く心当たりはなく、知り合いと呼べる知り合いがこの地に居るわけでもない。
どういう人かを女将に尋ねたが、口を濁し、とにかく来て欲しいとだけ話したことに不自然さを感じていた。
調理中だったので、片付けてから行くと回答したところ、後回しにしてすぐに来て欲しいとする女将の返答に胡散臭さは倍増したが、着替えて行くと答え、ドアを閉めると、コンロの火を消して、寸胴は全部収納した。時間停止機能が便利なのは、再び取り出したときに、そこから調理が再開できるということである。食材は傷まないし、冷めることもない。もっとも、煮込みの場合は冷める過程で具に火が通っていくので、火を止めても調理が進行することから、火を止めて置いておくというのも一つの方法だとは思ったのだが、この数日、ブランカを付け狙う追っ手に気を配りながらの生活だったことから、予想される展開の候補から外す訳にはいかなかった。
ワタルは着替えに時間が掛かるフリをして、エメリーとブランカを入れて歩いているバックパックに、着替えや毛布、一番小さなテントを詰め込むと、
エメリーとブランカは天井裏に、エメリーとブランカ用として購入した赤ちゃん用のベッドに、ダウンのジャケットを敷き詰め、上に網状の蓋をした状態でエメリーとブランカを入れ、ちょっと多めにお昼と万一夜遅くなった場合に備えてキマイラの切り身を入れておいた。
ベッドと天井にはそれぞれ気配遮断、魔力遮断、防御、防音、防臭の結界を張り、天井裏へのアクセスについてはワタル以外に開けられないよう密封の魔法を施してから、1階に下りて行った。もちろん部屋に鍵を掛けた上で。
1階に降りると武具に身を固めた騎士のような人物が3名、ワタルのほうを見ていた。
ワタルが受付に向かって歩いてその人物達の目の前で立ち止まる。
「ワタル殿ですね。私はゲルマニア共和国憲兵隊第2部隊隊長のエドガーです。これから隊の詰め所までお越し頂けないでしょうか。」
「理由をお聞かせください。」
「ワタル殿には、危険生物を無断で街内に持ち込んだ嫌疑がかかっております。」
直球で来たか。やはりブランカの件だったらしい。
「嫌疑だとおっしゃるのはご自由ですが、まず、危険な生物とはなんでしょうか。さらに、どのような罪に問われているのでしょうか。」
「来て頂ければ分かります。」
ずいぶん乱暴な話だ。
「この後もすることがありますので、お話があればここでお伺いしますが。」
「お時間は取らせませんので。」
どうやら押し問答にしかならないらしい。
ワタルは隅で関わりたくないという素振りをしながらも聞き耳だけはきっちり立てている女将に、「理由も教えてもらえないまま、この方達に同行しなければならないようですが、もし私が2時間経っても戻ってこなければ、申し訳ありませんが、この国の元首宛に、手紙を届けてもらえないでしょうか。お礼は、元首が出しますが、元首からもらえなかった場合は、私が金貨5枚をお渡しします。」
ワタルはそういって、受付で手元から出した羊皮紙になにやら文書をしたため、封書し、魔力封緘した封筒ごと女将に渡す。
「不本意ですが、同行いたします。身柄を拘束される根拠は何一つ示すことなく、私の意思で同行するのです。私が帰ることを求めたら、応じて頂きます。なお、先ほどお聞きのとおり、2時間経って、私がこの場に戻ってこなければ、エドガーさんでしたか、多方面にいろいろと迷惑が掛かることになるかもしれませんので、ご注意ください。」
どれだけ効果があるのかは不明だが、ワタルは一応国家元首の顔と名前は知っている。魔王討伐の遠征時に、この国に立ち寄った時に表敬訪問をしたことがある。
腐ってもワタルは救世の英雄パーティーの一員である。そんな肩書を振りかざしたくもないが、無用な争いはもっと好まない。
使える物は仕方ないから使うという精神で臨むことにした。
エドガーは目の前のうだつの上がらなさそうな人物が国家元首に手紙を書くことが出来る人物だとは思えず、はったりだろうと考えていた。手紙を宿の女将に渡すなどというのも嘘くさい。目的のためには多少の拷問も許されるだろうとこの時点では信じ切っていた。
ワタルは憲兵隊3人に連れられて,宿から15分くらい歩いたところにある詰め所に到着していた。
そこには、ワタルを連れに来た3人以外に、5人の兵士が居たが、隊長が到着すると、5名の兵士には、外に見回りに行くように指示し、すぐにワタルを連れに来た3人だけになった。
「そろそろ、理由を説明してもらえないか。危険生物の持ち込みとは何のことだ。」
「ツェルマーで幼竜を古龍から預かったはずだ、こちらに引き渡してもらおう。」
エドガーが薄ら笑いを浮かべながら、ワタルに向かって口を開いた。
今度はそうきたか。冒険者による粗暴な方法で失敗した後は、これまたおきまりの役人を使ってというパターンか。背後に居るのは誰なんだろうな。
「人違いじゃないのか。見ての通り、俺は幼竜を連れていないぞ。」
どこまで情報を得ているのかを目の前の人間の口から吐かせるために、とりあえずワタルはすっとぼけてみた。
「ほう、そこからしらを切るか。おい、出てこい」
部屋の奥から出てきたのは「賢者の剣じゃ」の元リーダーだったか?ワイズだった。
「こいつに間違いないです。一部始終を見てました。」
古龍の重圧に失禁して気絶し、助けてやったにも関わらず一日早く下山したのをいいことに、竜を自分が討伐したとギルドに報告して報酬を得ようとした結果、ギルドに対する詐欺で冒険者資格を剥奪されたワイズがそこに居た。
「パンツのシミは綺麗二落ちたのか?」
ワタルは挑発してみた。
ワイズは顔を真っ赤にして、ワタルに向かって魔法を唱えよとしたが、エドガーに止められた。
「で、竜の子供はどうした。」エドガーが嘘をついても無駄だという勝ち誇った顔で、再度ワタルに問い質す。
「街中に入れられる訳ないだろう。竜の子は古龍に返したぞ。」
あの場に居たなら、ワタルがどうしても面倒を見られない時は古龍に竜の子は戻すという話もしていた。あの場に居たなら聞いていただろう。
「ふん、埒があかないな。ではこうしよう、竜の子を引き渡したら金貨5000枚を払ってやる。」
ずいぶん下品な話になってきた。
ワタルには応じるつもりなど全くなかったが、少なくとも背後にそれだけの資力をもった人間が居ることは確かなようだ。少し情報を引き出してみるか。
「それはまた大金を出す人もいるもんだ。だが、さっきも言った通り、今は俺が街に入るために、竜の子は俺には同行できない。俺はテイマーではないからな。契約もしていないし、なんなら確かめるか?」
ワタルは服の袖をまくり、手の甲、手のひら、腕に何の契約刻印もないことを示す。
「嘘を言っても、すぐに分かるぞ、今俺たちの仲間がお前の部屋を調べている。竜の子がいれば、治安維持の名の下に、捕獲することになっている。」
「おう、そもそも何の根拠で俺の同意なしに部屋に立ち入り、調査が出来るのか知らないが、何か一つでもなくなった時には、相応の責任は取ってもらうぞ。大体俺の名前を知っているなら、俺とこの国のつながりも理解出来たはずだろう。救世の勇者の称号はクリス達3名にふさわしいが、同行していた者として、多少の便宜は各国でも図ってくれると思うが。」
この台詞を聞いた、エドガー以外の憲兵隊は青ざめた。その様子から、エドガーは確信犯だが、残りの2名はエドガーに命令されて同行しているだけなんが見て取れた。
「金貨5000枚か、悪くない話だな。古龍に預けるんじゃなかったな。」
ワタルはくさい芝居は承知で悪そうな顔をしてみた。どう考えても文化祭のクラス演劇よりも遙かにひどい棒読みの台詞だったが、欲に目がくらんだ奴は自分が聞きたい言葉しか聞こえない。
「それなら古龍から取り返して、こちらに引き渡せ。」
エドガーはワタルを味方に引き込めるとすっかり有頂天である。
「金貨5000枚などと景気の良い話をするのは結構だが、支払能力があるかどうか疑わしい。やはり信用するのはやめておこう。」
ワタルは最後の一押しとばかりに、上げて落とす作戦に出た。
エドが-はあわてて、「竜の子を買い取るのは、この国でも指折りの富豪、ゴールドモッテンマイヤー家の当主ゼニス様だ。金貨5000枚など漬け物石の代わりにしているようなものだ。」
この世界にも漬け物あったのか・・・
まあ、これで必要な情報は全部得られただろう。それにしてもゴールドモッテンマイヤーっていかにも成金っぽい名前だな。
「なあ、そろそろ帰っていいか。」
ワタルが宿に戻ると宣言した。妨害されても拘束される根拠はないので、力尽くでも帰る予定ではあったが。不在中に家捜しするとなると、あまり猶予を与えるのも望ましくない。
エドガーは「ご協力感謝する。」
ワタルは解放された。




