21◆ レヴナント考察
――思えば、こんな環境である。
人心和やかに時間が進んでいくはずもない。
コリウスを見送った俺は(宙に浮き上がり、そのまま飛翔するコリウスに、アリーたち四人は大はしゃぎだった。「ルドベキアさんもあれやって!」とせがまれ、「ちょっと無理かなー……」と顔を強張らせたことは余談)、その後すぐに、どこか近くで怒鳴り声が聞こえてきたので子供たちを置いてそちらへ急行。
今しも殴り合いが勃発しそうになっているおっさん三人を発見し、まあまあ落ち着けと割り込んだ。
話を聞いてみると、どうやら食糧の配給(軍を通して領主である辺境伯から配給があるらしい)に係る揉め事らしく、俺はおっさん三人を引き連れて軍人の食事処まで引き返した。
ちょうど天幕の前で、騒ぎが起きたと聞き付けて飛び出して来たシャロンさんとアーノルドさんとばったり会ったので、斯く斯く云々と事情を説明。
二人は、俺が伝令じみたことをしたというのでえらく恐縮していたが、そういうのはどうでもいい。
今のうちに体力を蓄えて、俺たちが去った後に備えてほしい――ということで、俺がここにいる間は何なりと任せておけと胸を叩いた。
「わー、ルドベキアさんすごーい」と、なおもその辺をうろちょろしているジェーンが飛び上がって喜んでいたので、そうだろうそうだろうと、半ば諦めの境地の気分で彼女たちの頭を撫でて遊んでやっていると、――出るわ出るわ。
「――救世主さま、屋根が落ちてこっちで怪我人です!」
「どういう造りしてたんだ! すぐ行く!」
落っこちた(というか、崩れた)屋根の下敷きになった夫婦を救出して怪我を治し、ふうと息を吐いたところで次。
「救世主さま、あっちで喧嘩です!」
喧嘩の原因なんてごまんとあるだろう、いちいち訊かない。飛んで行って仲裁したところで、次。
「救世主さま、子供が高熱を出したと――」
「なんでもっと早く言わない!?」
俺が治癒の方向で絶対法を超えられて良かったな。
子供の枕元を慌ただしく見舞って容態を安定させ、涙ながらにお礼を言ってくるお父さんとお母さんに恐縮しつつ表に出たところで、次。
「隣の集落で小火です!」
見上げた先で、確かに上空にたなびく煙。
気付けば昼時。食事の支度で誰かがやらかしたか。
昨日までも多々あったことらしく、軍人たちはもはや悟りの表情。青い――水に関する法を書き換えるための――世双珠を取り出している人もいる。
見えなくても水ってのは空気中に霧散しているものだから、それを集めれば消火も出来るわけだけれど、俺からすればまだるっこしい。
距離を跨いでいても、火に関することならば出向くまでもない。
指を鳴らして火を消し止め、しかし俺は隣の集落に向かう。
コリウスみたいに速くはないが、ある程度の距離なら俺だって上空を移動することは出来るし、何より小火で怪我人が出なかったとは限らないしね。
俺が息せき切って駆け付けた集落では、幸いなことに怪我人はいなかった。
それには安堵しつつ、上空からいきなり降って来た怪しい男を警戒する皆さんに、素直に救世主だと名乗りを上げる。
何かあったら呼んでくれと説明している間にも、昼食の席で諍いが起きた模様。走って行って仲裁。
――ディセントラ、助けて。おまえこういうの得意だろ。
戦争並みに火力のある俺たちの喧嘩を、「いい加減にして!」と声を張り上げつつ仲裁していた在りし日の彼女の姿が、郷愁と共に脳裏に甦る。
とはいえ、救世主がこの東の国境にいるという事実は、どうやら集落の人々の気分を盛り上げた。
どことなく暗い、鬱屈した顔をしていた人たちが、少しではあれ明るい顔を見せている。
この集落には子供の姿は見当たらなくて、代わりと言わんばかりに若い娘さんたちが数人、俺の方をじーっと見ていた。怖い。
こっちを熱のある視線で見てくる数人から逃げるように、俺はまた別の集落へ。
この際、揉め事が起こっていなくても出向く価値がある。
ここに救世主が赴いたということ、その事実が人々の心を救うなら。
「喧嘩です!」
「怪我人です!」
「古傷は何とかなりますか!」
「子供が迷子!」
あちこちに呼ばれ、呼ばれた先からまた呼ばれ、気付くと夕方になっていた。
集落それぞれに駐屯している軍人さんたちからは、熱烈な感謝と敬意の歓迎を受けたけれど、なんか段々俺に対する遠慮がなくなってきた気がする。
最初は、「頼み事なんてそんな……」みたいな恐縮した態度だったのに、夕方に近付くにつれて、めちゃめちゃ気軽に呼ばれることが増えた。
まあいいけどさ。そのために来たんだけどさ。でもなんだかなあ。
「子供が泣き止みません!」
という用件で呼び出されたときはさすがに切れそうになった。俺は子守じゃねぇんだぞ……。
思わず相手を殴りそうになったが、脳裏にぱっと浮かんだトゥイーディアに、「だめ、我慢!」と窘められて、俺は紙一重で踏み留まった。トゥイーディアはいつでも俺の良心を呼び起こす。
とはいえ相当険悪な顔をしてしまったとみえ、さすがに俺は即座に謝罪と共に解放された。
町の城門にへばり付いていた人たちも、取り敢えず元居た集落に引き揚げさせた。
町に入ってもどうせ食糧に余剰なんてないよ、と疲れ切った顔の俺に言われ、彼らも渋々従ってくれた。
にしても揉め事が多すぎる。今日だけで何件の喧嘩を仲裁したか。
町の中もこれと似たようなものなら、コリウスが逃げ出す気持ちも分かる。というかあいつ、俺より短気だけど大丈夫か。町中を恐怖に陥れて事の解決を図ろうなんてしてないだろうな。
「――つ、疲れた……」
日も落ち切って暗くなった頃、俺はよろよろとシャロンさんがいる集落に戻った。
取り敢えず、またも空腹。
軍人の食事処である天幕内に顔を出してみると、ちょうど夕食時だった。
机代わりの木箱それぞれに一つずつ、大きなカンテラが置かれて天幕内を照らしている。
昼と変わらぬごった煮を掻き込む軍人たちのうち数人が、俺に気付いてぎょっとしたように立ち上がった。
「おー、ルドベキアさま!」
奥の方で立ち上がったアーノルドさんを発見し、俺はよろよろとそっちへ。
がたがたと数人が立ち上がって、親切にも俺の分の膳を揃えてくれた。
どっかりと木箱に腰掛け、俺は匙を掴んでごった煮を口に運ぶ。
アーノルドさんの正面の席に座ったから、カンテラに照らされる俺の顔が、彼にはさぞかしよく見えただろう。
「……大丈夫ですか、ルドベキアさま。なんつーか……顔が疲れて……」
「揉め事が多すぎる。なんでみんな喧嘩ばっかりするんだ」
呻いた俺に、アーノルドさんは「あー」と。遠い目をしてぼそりと呟く。
「今日はルドベキアさんが揉め事を一手に引き受けてくださったもんで、俺たちは非ッ常に心安らかな一日でね……」
労うように、水差しから俺のコップに水を注いでくれるアーノルドさん。
「いつもなら集落から集落に駆け回ってますわなあ」
「喧嘩だ盗みだ、揉め事には事欠きませんでな」
「何しろこんな所にずぅーっといるわけでしょう。しかも明るい未来なんて見えん。閣下も暴動を一番警戒してなさる」
同じ木箱を囲む軍人たちが頷き合う。俺は思わず真顔になった。
「――なんかすみません、一日で音を上げて」
「えっ」
アーノルドさんが目を瞠って俺を見た。
救世主が超人じゃなくてびっくりしたんだろうか……とびくつきながらその顔を見返すと、アーノルドさんは驚きの表情のままで言った。
「俺たちがそれぞれ一人で任務こなしてるとでも……? 部隊で当たるんですからそりゃ、一日の負担は今日のルドベキアさまの何十分の一でさぁ」
「あ、そっか」
俺もはっとしたところで、周りの軍人さんもうんうんと頷いてくれる。
「私はてっきり、救世主さまはレヴナント出現時にだけ登場なさるおつもりかと思っておりましたなあ」
「今日は久々にゆっくり眠れましたよ」
「俺は頭痛が消えてさ、あれって寝不足が原因だったのかと愕然としたね!」
「あ、それ僕もっす」
口々に俺の労を犒う言葉を掛けてくれる軍人さんたちに、俺は思わず食事の手を止めた。
――思えば救世主としての人生は長いが、こうして一箇所のために尽力するのは初めてかも知れない。
プラットライナのときのように、通りすがりに誰かを助けることは多々あったが、助けた後は早々にその場を去ることが多かった。
なので実は、面と向かって、手の届く距離で感謝されることには――しかも、俺一人でその感謝を受けることには、慣れていない。
俺たちに対する感謝はいつも、手の届かない位置からの歓声であることが多かった。
俺は一人で人助けをするのではなくて、仲間の誰かと人助けをすることの方が圧倒的に多かった。
笑顔で俺を労ってくれる軍人さんたちを見渡して、俺はぽろっと言葉を零した。
「ありがと……」
途端、周り中から「え?」みたいな顔で凝視され、俺は仰け反った。
「な、なん――」
「何言ってんすか」
真顔で、まだ若い軍人さんが俺を見ていた。
「礼を言ってんのはこっちですよ。救世主さまが俺たちに、何を感謝なさるんですか」
「え、いや……」
俺は思わず手許に視線を落としつつ。
「俺ももう数日でここを発たなきゃいけねぇし、それまでの間に、あなたたちには骨休めをしてもらって、なんとかここの体勢を立て直してもらわなきゃいけねぇし……。これまでずっと頑張ってくれてたのはあなたたちだし……」
ぼそぼそと続ける俺の言葉に、軍人さんたちが一斉に笑い声を上げた。
他の木箱の軍人さんたちから、何事かとこっちを見る視線が集中する。
「面白いこと言いなさる!」
「民草のために頑張るために、俺たちゃ軍人になったんですぜ」
「まあ、その分の給金が貰えてるかは置いといてな!」
「まったくだ。――しっかしまあ、閣下は俺たちを使い潰すおつもりなのかと勘繰ってちゃあいたが、ガルシアにきっちり要望を出してなさったとは」
「追加部隊が来ても、食い扶持が増えてどっちにしろ詰むとは思ってたんですよ」
「まさか救世主さまが来てくださるとはなあ」
「揉め事、揉め事、レヴナント、揉め事――で、正直そろそろ限界でしたしねぇ」
「今日でまた結構頑張れる分には復活しましたぜ」
「どうせこの任務、終わんねぇけどな!」
がははは、と豪快に笑う軍人さんたちに、俺は思わず目を点にする。
「……役に立ててるならいいけど……」
ごった煮を口に運び、ごくんと飲み込んでから、俺は誰にともなく尋ねた。
「――レヴナント、結構出るんですか」
「国の中央の方が出ますでしょ」
おじさん軍人がそう言って、何やら離れたところの木箱の、後輩らしき若い男性に手で合図しつつ、続けた。
「とはいえ、こっちも以前とは比べ物になりませんや。この数箇月で一体何があったのやら。他所からすーっと歩いて来たり、ここで発生したり、様々ですがな」
すーっと、と言いつつ手振りでその様子を表現し、おじさんはぶるりと身震いした。
「頻度としては?」
俺の問いに、おじさんは肩を竦める。
「ここで発生したのは昨日が久し振りでしたな。他所から来るのが圧倒的に多い。まあ、十日に一度は来ますかねぇ」
「そんなに……」
俺は思わず匙から手を離した。
こんな吹けば飛びそうな集落と町、十日に一度、あの化け物の襲撃を受けているなんて過酷すぎる。
「ま、我々も一応は魔術師ですし、ガルシアの部隊もそのためにいますし、何とか持ち堪えてはいますけどね」
ふうっと息を吐くおじさん。
「――まあ、無茶もしたけどな」
ごった煮を食べ終え、煙草を取り出しつつ、アーノルドさんが顔を顰めた。
カンテラの蓋をぱかりと開け、中の灯から煙草に火を移し、煙草を咥える。
「ローラン、おまえはまだ配置前だったろうから知らねえだろうが、一回だけ、発生したレヴナントを〈呪い荒原〉の方に追い遣ったことがあってなあ」
ローランと呼ばれた若者と一緒に、俺も目を見開いた。
あの死の大地をレヴナント討伐に使おうというアイデアが浮かぶことに驚いたのが一つ、そしてもう一つは、
「〈呪い荒原〉に近付いたんですか!? 近付くだけで病気になるような場所なのに!」
叫んだ俺に、アーノルドさんは目が笑っていない顔で笑った。
「ああ、失敗だったね。〈呪い荒原〉の境界から三ヤードくらいにまで近付いた奴が一人、口からも目からも血ィ噴き出して死んだ」
そこまでの至近距離に行けばさもありなん。俺は顔を顰めた。
そんな俺を一瞥してから、吐き出した紫煙を追うように視線を上げ、アーノルドさんは溜息に混ぜるようにして続ける。
「でもま、それでレヴナントは溶けていったがね。さすがの化け物も、〈呪い荒原〉には敵わんらしい」
でしょうね、とローランと呼ばれた若者がしみじみと零す。
それに頷きそうになって、――しかし、俺は違和感に眉を寄せた。
――いや待て、確かに〈呪い荒原〉は、この世に死という概念が手を伸ばしたかにも思える、生き物すべてを殺す土地だ。
だが、それでレヴナントが害を受けるのはおかしいだろう。
何しろあいつらは生き物ではないのだから。
それに、単なる物理攻撃はレヴナントに害を加えられない。
ならば自然災害もその例に漏れないはず。
レヴナントに有効打を与えられるのはただ一つ、魔力を介した攻撃だけだ。
――ならばなぜ、〈呪い荒原〉がレヴナントに害を与えることが出来る?
それではまるで――〈呪い荒原〉に何かの魔力が存在しているかのようだ。
「――ん? どうなさった?」
アーノルドさんが俺を見て首を傾げる。俺は首を振った。
「いや……」
口籠り、俺は匙を掴んでごった煮を掻き込んだ。
――俺はそんなに頭が良くないから、頭脳労働はコリウスやディセントラに任せるに限る。
カルディオスも時々、野性の勘じみた閃きを発揮することがあるけど。
まあ取り敢えず、俺はここで得た情報をあいつらに話せばいい。考えるのはそれから。
俺一人でうじうじ悩んでいても、何も解決しないんだから。
ちょうどそのとき、わあっと歓声が上がり、俺はごった煮の最後の一口を含みつつ顔を上げた。
そしてそこに、小振りの樽を転がしつつこっちに向かって来る若い軍人さんを見て一気に真顔になった。
待て、待て、あれは、もしかして。
ごくっとごった煮を飲み込み、水を喉に流し込んで、俺は椅子代わりの木箱の上で半ば腰を浮かせる。
アーノルドさんが振り返り、樽の接近に気付いた。そして浮かべる満面の笑み。
「おー、来たか」
さっきおじさん軍人が手振りで合図してたのは、もしかしてこれか。
俺に向き直るアーノルドさん。
俺は顔を強張らせる。
「いやあ、閣下から現場の慰労にって、小隊に一つ酒樽が配られたんですがね。開けるタイミングがなかなかなくて。今日はちょうどいいだろうってことで、どうっすかね、一杯?」
一杯どころか一口たりとも無理です。
俺は半笑いで立ち上がった。
周りから怪訝そうな視線が突き刺さるが、構っていられない。これは譲っちゃいけない一線だ。
「すみません俺、飲めない……」
えっ、というどよめき。
「マジで、一口でも飲んだら、そのまま爆睡するんで……。仲間にも、飲むなって固く言われてるんで……」
何なら、匂いすら嗅ぐなと言い含められているレベル。
椅子代わりの木箱を引っ掛けそうになりながら後退る俺。
「皆さんだけでどうぞ!」
叫ぶようにそう言うや、俺は逃げるように天幕を後にした。
どんちゃん騒ぎは好きにしてくれ、あんたらは明日も割とゆっくり出来るはずだから。
◆◆◆
夜陰は冷たい。
晴れた夜空に浮かぶ、丸々と太った月が俺の吐息を白く照らす。
手を擦り合わせてせめてもの暖を取りつつ、俺は夕食の席のざわめきが漏れ出す小道を歩いた。
ていうか俺、今日はどこで眠ればいいんですかね。
昨日の物置小屋、引き続き使わせてもらっていいんですかね。
取り敢えず物置小屋の方へ足を進めていた俺は、「ルドベキアさんっ!」と呼ばれて足を止めた。
この呼び方とこの声――。内心で溜息を吐きながらも、俺は声が聞こえた方向に首を巡らせる。
「――おう。トムか」
小屋の窓から身を乗り出すトムが、ぶんぶんと俺に手を振っていた。
そして白い息を吐きつつ、嬉しそうに声を弾ませる。
「どこ行くの? こっち来なよ!」
「トム? ルドベキアさまがいらっしゃるのか?」
小屋の中からシャロンさんの声が聞こえてくる。一緒にいるのか。
――そういえば、トムとかジェーンとか、両親はどこにいるんだ?
アリーの母親は俺が昨日治療した中にいたらしいが、それ以外の子の両親は?
そんなことを思いつつも、俺は小屋の方へ寄って行った。
ちょうどいいからシャロンさんに、昨日の物置を引き続き使っていいか訊こう、と考えたためだ。
扉の目の前まで来たところで、内側から引き開けられる扉。
扉を開けたのはにこにこしたジェーンで、そのままばっと俺に飛び付いてくる。
「ルドベキアさんっ、今日なにしてたの? 途中からいなかったね!」
「おまえらの知らないところで頑張ってたんだよ……」
思わず疲れた声で返し、俺はジェーンを抱き留めたまま小屋の中へ。
一室しかない簡単な造りで、部屋の中央には大きなランプ。
家具らしい家具はなく、部屋中に毛布が散乱している。
今はそこに、シャロンさんをはじめ、トムとカイが座り込んでいた。
各々木の椀を手に持っていたり傍に置いていたり、なるほど、食事の配給を受けてここで食べていたらしい。
アリーが見当たらないが、彼女はそりゃあ、怪我の治ったお母さんと一緒にメシを食っていることだろう。
と、そこまで考えて気付いた。
――さすがに親がいれば、食事は親と摂るだろう。
つまり、この子たちに親はいない。
レヴナントに殺されたのか、〈呪い荒原〉に踏み込んでしまったのか、あるいは病気か飢餓か……理由は分からないが、この三人の子供は親を失っている。
座っていたシャロンさんが、僅かに腰を浮かせた。
「ルドベキアさま、今日は本当に――」
言い差す彼の言葉を、ジェーンが思いっ切り遮った。
「ルドベキアさん、ごはんは?」
「食べて来たよ、ありがと」
応じて、俺はシャロンさんに視線を戻す。
「俺は全然大丈夫なんで、居る間は使ってください」
立ち上がって駆け寄って来たカイに手を引っ張られ、俺はその場に膝を突いた。
毛布があったから痛くはないが、遠慮しねぇなこのガキ。
そのまま嬉しそうに俺の背中に乗っかろうとするカイに、シャロンさんは顔を覆った。
「こら、カイ」
「いいですいいです」
俺ももはや諦めの境地。
外套をぐいぐい引っ張られ、首を絞められないよう、自分の襟元を引っ張って固定しながら、俺はシャロンさんに向かって尋ねた。
「そういえば俺って、寝るときにまた昨日の物置使ってもいいんですかね」
シャロンさんは微妙な顔をした。
「……いいか悪いかで訊かれますと、いいんですけど――なんと言いますか、物置にお泊めするのも失礼ですよね……」
緋色の目が泳ぐ。
俺が「別に気にしなくても」と言おうと口を開くと同時、ジェーンに腕を引っ張られ、俺は敢え無く口を噤んだ。
「ルドベキアさん、ここで寝たら?」
ぎゅう、と俺の腕を抱き締めるジェーン。
きらきらと輝く笑顔に、俺はうっと言葉に詰まった。
それ、ここで寝るって、もしこいつらも一緒だった場合、俺は一晩中おもちゃにされるんじゃないか……?
シャロンさんも同じ考えなのか、めっちゃ顔を強張らせている。
けど――けど……っ!
俺の中で、自らの安眠を尊ぶ気持ちに、目の前の子供三人を憐れむ気持ちが勝った。
「……おう、そうだな」
絞り出すようにそう答えた俺に、「やったあっ!」と無邪気な子供三人の声が突き刺さった。
――案の定というか何というか、ガキ三人は俺の存在に大いにはしゃぎ、夜半を回ってなお眠ろうとしなかった。
とにかく思い付く限りのことを喋り倒し、俺にもあれこれと話をねだってきた。
仕方がないので、ガルシアの訓練の様子やら、プラットライナでの密輸団討伐の話やら、これまでに遭遇したレヴナント討伐の話やら、魔界への航海の話やら、子供向けに要所を端折ったりぼかしたりして、思い付くままに話してやる。
これには子供たちだけでなくシャロンさんも興味深そうだった。
子供たちに至っては、汽車に乗ったことすらないだろう。他所の土地の話というだけで、御伽噺を聞くかのように興味津々に耳を傾けていた。
最終的にはランプを消し、それでもなお眠ろうとしない三人をシャロンさんと二人で毛布に包み、寝ろ! と言い聞かせた。
しかしまあ、それでもぱっちりと目を開けている三人に、簡単な手品を見せてやる。
俺ほどにもなれば、火花で空中に絵を描くなど容易いのだ。
夜陰に浮かぶ幻想的な黄金の火花の動きに、最初は目を瞠っていた子供たちも、徐々に火花の動きをゆっくりにしていくと、一人また一人と眠りに落ちた。
すう、すう、と安定した寝息が聞こえて、俺は思わず額を拭う。
そんな様子を暗がりの中で見て、シャロンさんが小さく笑った。
「――この子たちは一度寝付くとなかなか起きませんからね。もう大丈夫ですよ」
「助かった……」
心の底から述懐し、俺は身体の後ろに手を突いて天井を仰ぐ。
ふうっと息を吐いてから姿勢を戻し、俺は暗闇の中でシャロンさんのぼんやりした輪郭を見た。
「――シャロンさんも、いつもここで?」
はい、と応じて、シャロンさんは声を低めつつも笑った。
「でもまあ、そろそろお役御免ですよ」
俺は首を傾げる。
「というと?」
「――元はと言えば、」
シャロンさんは呟いて、そっとジェーンの頭を撫でた様子。
「この子たちは親御さんがいなくて……詳しい事情は知りませんがね、アリーの母上が四人の面倒を見ていたようで」
俺は顔を引き攣らせた。一人で四人の面倒を見るなんて、超人か。
「私がここに赴任して来てすぐ、レヴナント発生の被害がありましてね。アリーの母上が怪我をしたのはそのときです」
むにゃ、とトムが寝言を漏らし、シャロンさんはしばし押し黙った。
やがてトムがまたすやすやと寝息を立て始めると、彼の頭を撫でつつ続ける。
「私がそのとき彼女の傍にいたもので、彼女をあの――ルドベキアさまが訪れてくださった、怪我人の療養所にまで運んだのですが、そのときにこの子たちのことを頼まれましてね」
「それであなたが親代わりを」
合点しつつも、俺は声に驚嘆が滲むのを抑えられなかった。
「――大変でしょう、任務もあるのに」
「なに、それほどのことでは。今日は骨休めも出来ましたしね」
口調に笑みを滲ませて、シャロンさんは事もなげに言った。
「アリーの母上も――昼間に見舞ったのですが、しばらく寝た切りだったからでしょうな、まだしばらくは休息が必要でしょうが、もうすぐに元のようにこの子たちの面倒を見られるようになるでしょう。そうすりゃ、私は晴れてお役御免です」
明るい口調ながらも、幾許かの寂しさもある響きだった。
俺は思わず笑って、
「いや、そうだとしてもこの子たち、シャロンさんがここにいる限りは離れなさそうですけど」
はは、とシャロンさんが笑った。
それからは流れで彼の身の上話に話題が移った。
若い頃に奥さんを亡くし、一人息子も奉公に出たために手を離れて久しく、この子たちを見ていると息子さんが小さい頃を思い出して嬉しくなるのだと、優しい声音で語ってくれた。
すげぇな、俺なんか半ばは義務感で遊んでやっていたというのに――いや、俺は息子も娘もいたことないから(そもそも奥さんを持つことが不可能だから)、シャロンさんと同等の父性を持っているわけがないんだけど。
俺が単純に感心しつつ聞いていると、シャロンさんはおほんと咳払い。照れたように呟いた。
「……喋り過ぎましたね」
「え、いや」
俺が短く否定の言葉を発すると、シャロンさんは俺の方へ顔を向けた様子だった。
「――他の救世主さまはどんな方たちなんです? ……差支えなければ」
俺はきょとんと目を瞠る。差支えは別にないが、どんな奴らかと訊かれると。
「そうですね……」
視線を上に向けつつ、俺は言葉を探す。
あいつらのことはよーく知ってるが、いざ言葉に表そうとすると。
絶対に素直に言葉に出せない奴も一人いるし。
「ここに一緒に来てる、コリウスは――まあ見ての通り冷たい奴ですけど。頭が良くて秘密主義ですね。スカした態度ばっかり取るんで、別の奴と喧嘩になってたこともあります。まあ、可愛いとこもあるんですけど」
本人に聞かれたらめちゃめちゃ冷たい顔で、「は?」と言われそうなことを告げつつ、俺はコリウス号泣事件を思い出す。
顔を見るなり大泣きされてドン引いた思い出だ。膝から崩れ落ちて恥も外聞もなく泣くあいつの肩を叩きつつ、案外可愛いとこあるじゃんって思った記憶でもある。
「ガルシアにあと四人残ってて、――カルディオスっていう、結構……なんつーか、ちゃらちゃらしてる奴と、ディセントラっていう情に脆いのと。
アナベルっていう――」
脳裏に、俺たちが見た、最初で最後のアナベルの涙が蘇った。
心底嬉しそうに愛おしそうに微笑みながら、あのとき確かにあいつは泣いていた。
「――いつもは冷たいんですけど、めちゃめちゃ愛情深い奴と……」
瞼の裏に飴色の瞳が浮かんだ。
その目を細めて、俺ではない誰かに微笑み掛けるあいつの横顔。あるいは決然として、決して折れないと世界に向かって宣言するかのように、前を見据えているあいつの横顔。
「あと一人は――トゥイーディアっていう……よく分からない奴と」
そう言って、俺はぐっと伸びをする。
「まあ、みんな救世主ってだけあって強いんで、今頃はガルシアで扱き使われてると思いますが」
「やはり、ガルシアではレヴナントも多く……?」
尋ねるシャロンさんに、俺は肩を竦めた。
「多いのと、あとは知能が高いやつが多いらしくて」
言いながらも、俺は内心でまた祈った。
――トゥイーディが怪我をしていませんように。トゥイーディアが無理をしていませんように。
トゥイーディアが辛い思いや苦しい思いをしていませんように。
トゥイーディアが寒がっていたり、空腹を我慢したりしていませんように。
「――そんな中で来てくだすったんですなあ」
シャロンさんのしみじみした声に、俺は苦笑した。
「いや、ガルシアは多分大丈夫ですよ。それにここの方が、情勢的には逼迫してる」
「レヴナントさえ引っ込んでくれりゃあ、なんとかなるんですが」
苦い声でそう呟いて、シャロンさんはごろんと横になる。
俺も倣って、仰向けに寝転んだ。見上げる天井は暗い。
「レヴナントさえ……」
呟いたシャロンさんが、殆ど独り言のように続けるのが聞こえてきた。
「――歩いてくるレヴナントは何ともならねぇにせよ……発生する方は……」
「そっちも何ともならねぇでしょ」
俺が苦笑しつつ言えば、「いや――」と意外にも反論の言葉があった。
「単なる推測ですがね、――世双珠が壊れた場所でレヴナントが発生するような気がするんでさ」
「……え?」
俺は思わず身体を起こした。
それには気付かなかったようで、シャロンさんは訥々と続ける。
「昨日もそうでございましょ? 私の世双珠が割れたところでレヴナントが発生して。
――いや、私がこの狭い見識でそう思うってだけで、お偉い方々はもっと何かご存知だから、これは間違いなんでしょうがね」
ただ、と言葉を継いで、シャロンさんはちょっと眠そうに呟く。
「私自身は、世双珠が割れた場所でレヴナントが発生するのしか、見たことがねぇもんで……」
「――――」
俺は黙り込んだ。
思い返してみる。
初めて俺がレヴナントを見たのは海の上。既にレヴナントの犠牲になった船があった。
――つまり、船の動力源たる世双珠があったのだ。
その世双珠が、もしも破損していたのであれば、シャロンさんの仮説に対する反証にはならない。
――それに魔界への航海途中も、その復路においても、レヴナントに遭遇するときには犠牲になった船があった。
そう考えると、確かにシャロンさんは正しい気もする。
それに――俺が唯一、レヴナントの発生をこの目で見たことがあるのはプラットライナだ。
あの場には、自爆に使われた世双珠の残骸が山程あった。
そういえば、ガルシアで世双珠を割った奴が懲戒を受けた直後に、ガルシアの目と鼻の先でレヴナントが発生して、カルディオスもその討伐に行かされたこともあったっけ。
――あれ?
あれ、これ、シャロンさんが正しいのでは?
世双珠の扱いを徹底すれば、もしかしてレヴナントの発生被害ってある程度防ぐことが出来るのでは?
このところの異常発生がヘリアンサスの仕業であることを考えれば、効果は薄いかも知れないが。
興奮で頭が熱くなった。
もっと色んな情報を集めないと何とも言えないが、それでもレヴナントの発生原理が分かれば、多分討伐はやりやすくなる。
尤も、シャロンさんが気付いたことを、ガルシアの魔法研究院とかが気付いていないことには疑問が残るが――
――いやむしろ、魔法研究院の連中はレヴナントが発生したその現場を見ることはない。
なぜなら戦闘員ではないから。
ガルシアの部隊も、レヴナントが発生した後に出動するのだ。
レヴナントの発生現場をそう何度も見る経験は、実は結構稀少なものなのだ。
「……おぉ」
思わず声を出し、俺は声を潜めつつもシャロンさんに向かって言った。
「――いや、正しいかも知れませんよ! 全く気付かなかったけど、でも――」
ぐぅ、とシャロンさんの鼾が聞こえて、俺はぴたっと言葉を止めた。
興奮がすうっと冷めていく。
はあ、と溜息を吐き、がっくりと肩を落としてから、俺はごろんと横になった。
――このことはコリウスに言おう。で、意見を聞こう。
マジでこれが正しいようであれば、ガルシアに戻ったときに提言すれば役に立つはずだ。
「――寝よ。疲れた……」
独り言ちて、俺は目を閉じた。
本日の疲れも相当なもので、眠りはすぐに俺を泥沼に引きずり込んでいった。
――疲れていたとはいえ、眠りは少し浅かったらしい。
俺は夢を見た。
夢の中で俺は、誰かから懐中時計を受け取っていた。
夢のくせに細部まで鮮明だ。
懐中時計はやや大ぶりの造りで、磨き抜かれた金色で、蓋には繊細な蔦模様の彫刻。
ぱちりと蓋を開けてみれば、白い文字盤はまるで真珠を貼り付けたかのような幻想的な光沢を放ち、中央だけが玻璃になっていて、奥の歯車が見えている。
時字の飾り文字には小粒の青玉が埋め込まれて煌めき、針は剣を模していた。
開けた蓋の裏に目を遣れば、そこに飾り文字が彫られているのが見えた。
俺の知らない文字だったが、夢だからなのか何なのか、俺にはその意味が分かった。『親愛なる大使さまへ』と書いてある。
――ありとあらゆる面で美しい一品に、夢の中の俺は顔を上げて――
『駄目よ』
水晶の笛を鳴らしたかのように高い声が聞こえ、それきり夢は消えていった。




