08◆ いざ北へ(2)
俺とトゥイーディアの唐突な発狂に、みんなが「どうした?」と言わんばかりの怪訝な表情を見せる。
俺とトゥイーディアは一緒になって、焦るが余りに吃りつつ、事態を説明。
ガルシアで一緒だったティリーに、世双珠を経由しない魔法の使い方を教えたことがあって、と説明するや否や、めちゃくちゃ冷ややかな顔になるディセントラとアナベル。
コリウスが「まいったな」と顔を顰める一方で、カルディオスの顔が尋常ではなく強張っている。
「――なんでそんなことしてるの? そんなにあんたたち、仲が良かったかしら」
「んなわけねぇだろ」
と、俺も少々口汚くなる。
「そうしなきゃ死ぬとこだったんだぞ。――な?」
トゥイーディアに同意を求めるも、トゥイーディアはなぜか微妙な表情。
え、と面喰らう俺を後目に、それはそれとして、きちんと状況を説明してくれる。
「あの、覚えてない? ルドベキアが一回、馬鹿な連中の――あ、ごめんなさい――他の隊員さんたちのせいで、地下に閉じ込められたでしょう? あのときよ。あのとき、世双珠がなくなってどうしようもなくなったんでしょ?」
ね? と窺うように見上げられて、その可愛らしさはもちろん、俺のためにじゃっかん言葉が汚くなったトゥイーディアへの感涙もあり、俺は鼻血が出るかと思った。
あのとき助けに来てくれたのもトゥイーディアだった。
地下からの脱出に当たって、俺が喧嘩腰で、「ここで住むわけにはいかないな」と言ったのに対して、めちゃくちゃ可愛い笑顔で、「一緒に住むことになったら仲良くしましょうね」と言ってくれたのだ。
あのときには想像もしていなかったが、いよいよ俺はトゥイーディアと一緒に住めるわけだ。
やべぇ、嬉しい。
思わず顔を覆って、俺は自分の緩み切った顔を隠すついでに鼻血が出ていないか確認した。
大丈夫だった。
それはそれとして、トゥイーディアの愛らしさに当てられて顔も上げられない俺に、「あのねぇ」と、アナベルの苛立った声。
「あなたが、いちいち感動しないとイーディの顔が見られないのは分かってるから。
ねえ、それより、あたしたちがせっかく頑張ったことが台無しになるかも知れない危険の方を、今は話し合うべきなんじゃないの?」
俺は顔を上げた。
「おっしゃる通り」
「アナベル――」
と、トゥイーディアが眉を下げて呼ばわった。
「でも、あのときスワンの令嬢に魔法を教えなかったら、ルドベキアが危なかったんだから」
庇ってくれてる。嬉しい。
しかしながら、もういちど俺を見上げたトゥイーディアの目は笑っていなかった。
「――なんで、わざわざスワンの令嬢に教えたのかは知らないけれど――」
俺はきょとんと瞬き。
え、“なんで”って。
「だって、あの中に居た中じゃ、あいつの魔法の腕がいちばんマシで、魔力もいちばんあったから――」
真面目にそこまで答えてから、俺は自分の頭の回転の鈍さに、自分の頭を殴りたくなった。
「あ、なんで公爵令嬢に教えちまったの、ってこと?
平民が魔法の使い方知ってるのと貴族が知ってるのとじゃ訳が違うから?」
一平民が魔法の使い方を啓蒙しようとするのと、公爵令嬢が「教えてあげましょう」と乗り出すのとでは、言うまでもないが後者の方が圧倒的に影響力がある。
つまり俺は完全に地雷を踏んだわけだ。
けれども、あのときはあれが最善手だったわけだが――
――あのとき、あの洞窟の中にいて、不安そうな顔を見せていたニールを思い出して、俺の胸が鈍く痛んだ。
彼はもういない。
ヘリアンサスが、人間としての善悪も弁えていなかったヘリアンサスが、彼を殺してしまったから。
短く息を吸い込んで、俺はその胸の痛みを押し殺した。
トゥイーディアはどことなく不満そうな顔をしている。
俺はたじろいだ。
「ご、ごめん――」
「ルド、ちょっと後で話そう?」
カルディオスが慌てた様子で声を掛けてきた。
なんでおまえから個別にお叱りを受けなきゃならないの、という思いでそっちを見遣れば、何やら異様に顔を強張らせているカルディオス。
よく分からないが、何か重要な話があるのかも知れない、と思って、俺は「はあ」と頷く。
「――えーっと、とにかく、」
と、軽く円卓を叩いて俺たちの注目を集めて、ディセントラが言う。
「今は取り敢えず、誰だっけ、そのスワンの令嬢とやらに、魔法を使う方法は内密でね、って釘を刺さなきゃどうしようもないんじゃないかしら。適当な言い訳は考えるとして」
確かに。
みんなが頷く。
俺も悔恨の表情で頷いた。
あのときはあれが最善手だった、と思ってはいても、トゥイーディアが不機嫌そうである以上、絶対に俺が悪いのだ。
「で、誰が行くか、だけど――」
ディセントラが話を振って、トゥイーディアがすっ、と手を挙げた。
そういう仕草にも、彼女には特有の透明さがある。
「――私かな。少なくとも、『リリタリスの令嬢』としてあの人と面識があって、あの人もさすがに私のことは忘れてないでしょうし。
それに、『魔王の首を落とした救世主』が言うことなんだから、聞いてくれる可能性も高いでしょう」
「まあ、そうね」
ディセントラが認めて、すっとコリウスを見た。
何かの思考を共有したらしく、二人が頷き合う。
コリウスが息を吐いて、口を開いた。
「僕は行けない。領都に戻らないと、この後の都合がつけられないし――」
「そもそもおまえ、怪我が治り切ってないだろ」
カルディオスが言って、彼自身も両手を軽く挙げた。
「俺も行けない。ここで待ってなきゃ、たぶんさすがに父様と合流できねーし。アナベルもだ。俺と一緒にファレノンの領地に帰るのが一番いい」
「じゃ、私がイーディに付いて行くわ。コリウス、シェルケまでは自力で戻って来るから、頃合いを見て迎えを頂戴ね。
――コリウスが行かないなら私が行かないと、不安でしょ?」
ディセントラがそう言って、トゥイーディアに首を傾げてみせた。
トゥイーディアが唇の端で微笑む。
「うん、一緒に来てほしい」
「それで、ルドベキアだけど――」
ディセントラが、きっぱりと言い渡してきた。
「残った方がいいと思うわ。残りなさい」
「なんでだよ」
俺もいらっとした。
ディセントラが顔を顰める。
「あんたね、自分のやったことだから責任取らなきゃとか、そんなの考えなくていいから。
遠出は避けた方がいいでしょう――たくさんの人に見られたら、その分あんたのその髪色で、あんたの正体がばれる可能性だって高くなってくるんだから」
俺はむかっとして唇を曲げた。
「いや、そうじゃなくて。行くの、ガルシアか? スワン家の領地か? どっちにしろ遠いんだろ。
そんなに長いあいだ、なんでわざわざトゥイーディアと離れてないといけないんだよ。せっかく一緒にいられるようになったのに」
「――――」
トゥイーディアが赤くなった。
他のみんながぽかんとした。
ディセントラが二の句に詰まって唇をぱくぱくさせるところを、俺は殆ど初めて目の当たりにした。
「え、――いえ、あのね?」
「嫌だからな。それに、女だけの二人旅とか危ないだろ」
と、俺も譲らない構えを見せる。
一日会えないだけで寂しいのだ。
そもそも、俺とトゥイーディアが一緒に居られるのは、あと数十年だけなのだ。
その中の貴重な時間を、なんで好き好んで彼女と離れて過ごさねばならないのか。
俺はトゥイーディアと一緒にいたいし、眠らずに顔を眺めていたいくらいなのだ。
「え、えぇ……」
言葉に詰まり、ディセントラがトゥイーディアを見た。
そして、匙を投げた様子で肩を竦める。
「イーディ、説得お願い」
まさか、トゥイーディアは俺と離れる時間が必要なのか?
――警戒しながらトゥイーディアを見遣ると、トゥイーディアはちょっとこっちに身を乗り出して、俺の目の上辺りに、目庇を作るように掌を翳してきた。
そうしてまじまじと俺を見つめてくれるので、飴色の瞳に俺はどきどきした。
「トゥ――トゥイーディ?」
「ルドベキア」
トゥイーディアが言って、俺の目のすぐ上辺りの掌を、微かに上下させた。
「このあたりまで隠れるフードのついた外套を買おうか。そうすれば髪も隠れるわ」
ディセントラが頭を抱えた。
「イーディ? これから夏なのよ?」
「じゃあ帽子にする?」
トゥイーディアが真顔で首を傾げて、俺の顔を覗き込んで瞬きした。
可愛らし過ぎて、俺は自分がそこで失神するんじゃないかと思った。
「一緒にいてくれるんでしょ? ね?」
俺は失神を堪えた。
無言で頷く俺に、「もーいいじゃん」と溜息を吐いて、カルディオスが投げ遣りに呟いた。
「どうせそんなに困ったことにならねーって。アンスが言ってた」
ディセントラが訝しそうに目を細めた。
頬杖を突いて、彼女がカルディオスを見遣る。
「何を?」
カルディオスは真顔で言った。
「〝この世界はルドを幸福にするためにある〟」
「――――」
虚を突かれたようにディセントラが瞬きする。
そんな彼女を後目に、カルディオスが俺を見て、肩を竦めた。
「良かったな、ルド。両手に花で旅行だぞ」
俺は眉を寄せた。
ちらっとトゥイーディアを見て、彼女が分裂したりはしていないことを確認してから、俺は真顔で呟く。
「両手に、って。――トゥイーディアは一人しかいないけど」
次の瞬間、割と本気の勢いでディセントラからスプーンを投げ付けられて、俺は呻いた。
後で話そう、とカルディオスから言われていたことだが、結局俺は、そのあと横に引っ張って行かれて、「あのな?」と話を切り出された。
「あのな、俺も悪かったけど、イーディとしても気にしてるんだと思うんだ」
「…………?」
俺は無言で首を捻る。
「なんの話だ」と言わんばかりの俺の表情を見て、カルディオスは驚愕の眼差し。
「――嘘だろ、もしかして忘れてんの? あんだけ恨み言垂れ流したのに?」
「は?」
俺が? カルに? 恨み言?
真剣に眉を寄せる俺に、カルディオスは両手で顔を拭って、「マジか」と呟いたあと、ご注進、と言わんばかりの口調になって言ってきた。
「あー、忘れてんならいいんだけどさ。
俺がちょっかい掛けて、おまえとティリーを逢引させたことあるでしょ」
「――――」
「あれ、イーディはばっちり覚えてるからさ。たぶん、ティリーがおまえに気があったのも察してんじゃないかな。だから、妬くっつーか、不機嫌になることはあると思うけど――」
「――そうだった」
思わず呟く。
カルディオスが、「げっ」という顔で一歩下がった。
「いやあの、こっちも、イーディを敗色濃厚な片想いから助けてやらなくちゃって、そっちに必死で」
遅れて湧き上がってきた当時の恨みに、俺は思わず拳を握り締める。
「おまえ――マジであのとき、俺がどんだけ嫌だったか――」
「イーディとの逢引での服を選んでやったんだから、それでちゃらにしてよ」
悪びれなくそう言って、カルディオスが俺の肩を叩く。
恩があることは事実なので、俺はうっと言葉に詰まった。
「とにかく、俺が言いたかったのは、仮にも自分の婚約者に気があった女に会いに行くんだから、イーディも神経過敏になることはあるだろうけど、そこは寛容になってやれよ、っていう。もっと言うと、不安にさせるなよって」
「――神経過敏」
思わず呟き、そうそう、と頷くカルディオスの手を、覚えず俺はぎゅっと掴んだ。
「それ、あれか? トゥイーディアが妬くとか、そういう?」
「そう言ったじゃん。いくら人間が出来てるって言っても、イーディも妬くときは妬くでしょ」
俺は両手で顔を覆った。
「可愛いな……」
カルディオスは天を仰いだ。
「――おまえがイーディを不安にさせないか、俺はすっごく不安だったんだけど、うん、その調子なら大丈夫そうだな」
◆◆◆
現在のティリーの居所だが、これはガルシアか、あるいはスワン家の領地か。
俺には見当がつかなかったが、コリウスとディセントラ曰く、恐らく領地に戻っているだろう、とのことだった。
俺たちからすれば、世双珠の母石が失せた以上はレヴナントが消失したことも自明の理だが、他の人たちからすればそうではないだろう。
レヴナントの被害が収まったにせよ、それが一時的なことなのか恒久的なことなのか、まだ判断がついていないはずだ。
つまり、レヴナントへの迎撃のために存在していたガルシア部隊は存在意義を失ったわけだが、まだ解散はされていないはず――解散するとすれば一年後か二年後、皇帝が、ガルシアに割く国庫の金を惜しむようになってからのことだ。
つまり常識で考えれば、隊員であったティリーはガルシアに留まっているはずだが、
「多分、というか絶対、ガルシアってもう機能してないじゃない?」
と、ディセントラがばっさりと言った。
「世双珠がないと魔法が使えない人たちばっかりだったでしょ? つまり、存在ももう名ばかりのものになってる可能性が高いのよね。
それか、まだどこかに世双珠が存在していないかどうか、隊員を使って必死に探している最中か」
「そこへ重ねてこの世情の混乱だ。――公爵令嬢ならば、早急に領地に帰したはずだ。万が一のことがあって責任を追及されるのは、ガルシア側としても避けたい事態だろうから」
コリウスがそう言ったところで、カルディオスが真顔で続けた。
「まあ、ガルシアが焼き討ちに遭うかも知れないわけだしな」
「――――」
思わず俺たちはまじまじとカルディオスを見たが、視線を受けた彼の方がきょとんとしていた。
「だってそーだろ? これまで魔術師だからって偉そうにしてきた連中もいるだろーし。世双珠が消えた、よしあいつらは魔法を使えない、ってんで、恨みを買ってた連中が棍棒片手に乗り込んでも、なんも不思議じゃねーと思うけど?」
トゥイーディアが憂鬱そうな顔をした。
カルディオスはそれには気付かなかったのか、肩を竦めて。
「だからさー、迎えを待つって言っても、俺だって父様のこと心配なんだよ。あの人、魔術師だから軍人やってんだぜ。今となっちゃあ死んだ技術だもん。半狂乱になってんじゃねーかと」
「まあ、そうよねえ」
と、ディセントラがちらっとコリウスを見遣ってから頷く。
「コリウスのおうちみたいに、血筋で領地を継いできたわけじゃないんでしょ? 武勲で賜った領地なら、取り上げられる可能性もあるものね」
「わぁ、順調に国が引っ繰り返っていきそうね」
アナベルが真顔で呟いたが、「大丈夫だと思うよ」とコリウスが宥める。
「国の元首の立場になって考えてみな。これまで馴染みの顔があったなら、同じ顔で国を固めて維持したい、自分の立場に支障のないようにしたいというのが本音のはずだ」
「そうだろーけど、家を維持するには何かしなきゃじゃん」
カルディオスが憂鬱そうに呟いて、溜息を吐いた。
「父様に拾ってもらったら、俺、頑張ってあの人を商人として育ててみるわ」
実際は俺が色々できるし、と言葉を継いで、カルディオスは顔を上げた。
「――でも、ま、そのうちになんとかなっていくでしょ」
ならいいけど、と呟いたのはディセントラだったが、カルディオスは「大丈夫だって」と請け合って、俺に目配せして片目を瞑った。
「俺たちが初めて死んだとき、世の中は今以上の大惨事だったんぜ。それでもなんとかなって、もう一回ここまで町もでかくなったんだ。
――大丈夫だって。人間ってのは、案外、しぶとい」
行先がスワン家の領地と決まっても、問題はそこへ行き着く手段だった。
スワン家の領地はここから遥か北にある。
コリウスも、汽車を使わない行き方は咄嗟には分からなかったらしく、高級宿のご主人なんかの地元の人に訊いていた。
本来ならば、船で大陸の西海岸を北上するのが早いらしいのだが、今は船も死んでいる状況だ。帆船が再び日の目を見るのはいつになることか。
そんなわけで俺たちは、シェルケをうろうろして移動手段の情報を集めた。
結果、そろそろシェルケに缶詰の生活に嫌気が差した人たちが金を出し合い、近くにある牧草地から馬を借り、車を借りて、馬車で北へ脱出しようとしているということを知った。
これ幸いと、コリウスの金でその金の出し合いに参加して、俺たちも席を確保する。
どこまで北上していく馬車なのかは知らないが、これは渡りに船である。
現在の世相は殺気立っている。
生活基盤であった世双珠が失せ、国は上から下まで大混乱、シェルケは比較的富裕層の多い町だから、様子見の姿勢が勝って一箇月程度で落ち着いたが、他所には完全に無法地帯と化した町もあるらしい。
貧富の差が激しい町こそ、今は危険地帯と化しているだろう。暴力で以ての下剋上の兆しが見えてしまったのだから。
そういうときに頼るべき軍人たちも、今は世双珠が失せたことで混乱している状況だ。
今は人が動けない状況なので、噂も動きようがなく、そういう話は八割方が想像の産物なのだろうが、およそ事実に近い話だろう。
そんなわけで、行き連れは多ければ多いほどいい。
シェルケから脱出する人々は、大きな馬車を五台借り受けて、集団で固まって北上していく作戦を採るらしかった。
その中の一つに、俺とトゥイーディアとディセントラは、問題なく席を確保することが出来た。
地図やら日持ちする保存食やらを買い求め、ついでに俺は薄い生地のフード付きの外套を買い求めて、ばたばたと旅の支度が整った。
あとの問題はティリーが俺たちに会ってくれるかということだが、これに関しては先触れの書簡を出すわけにもいかないこの状況、祈るよりほかない。
いよいよ出発という日には、もちろんのことみんなが揃って見送りに来てくれた。
カルディオスは見送りの中ですら十分に注目を集めた。
馬車での同乗者となる人たちは一様に、旅の荷物をしっかりと抱え、不安と安堵が半々のような顔をしている。
御者を買って出てくれた人たちが、ぞろぞろと集まってきた同志たちを見渡して、繰り返し繰り返し告げている――皆さん、まず我々は仲間です。皆さん、今は助け合いが大事です。皆さん、金目のものは隠しておいてください。そこの奥さま、天鵞絨のケープは隠して。そこの紳士、指輪は外してポケットへ。紳士の皆さん、淑女の方々をお守りするご協力を。
ちょっと問題になりそうだったのは、トゥイーディアの荷物だった――この子は、お父さんの形見でもある細剣を馬車に持ち込むのである。
何をどう見ても凶器でしかない二振りに、トゥイーディアと御者さんはちょっとした口論になっていた。
置いて行ってくださいと無礼千万なことを抜かす御者と、これが名誉ある騎士のものだと分からないのかと至極真っ当なことを言うトゥイーディアの口論である。
トゥイーディアの連れが俺だったということが、また事態をややこしくした。
トゥイーディアは、実態にそぐわぬ極めて無力そうな外見をしているので、彼女がただ細剣を抱えているだけでは、周りの人たちもそれほど危機感を煽られないだろうが、連れが俺である。
そこそこ身長もある俺が剣を振り回す恐怖が、どうにも御者さんの頭にこびりついてしまったらしい。
最後にはディセントラがトゥイーディアに加勢して、なんとかかんとか御者さんを黙らせていた。
いやむしろ、暴徒にでも襲われたときには、まず誰よりもトゥイーディアが頼りになると思うけどね。
馬車は、もともと大勢の客を乗せて移動することを前提とした乗合馬車のものだったが、突貫工事で硝子窓に板木が打ち付けられていた。
外から石でも投げ付けられたときに、硝子が割れては大変だというわけ。
その馬車を見て急に心配になったのか、アナベルが「気を付けてね」と言ってきた。
コリウスもじゃっかん心配そうにしている。
カルディオスが、なんだかそわそわしながら、俺に小さなブリキの箱を渡してきた。振ってみるとからからと音がする。
「なにこれ?」
「金平糖。甘いやつ。疲れたときに食べて。トリーにはさっき渡したから、それがイーディとおまえの分な」
トゥイーディアはそこまで甘いものは好きではないのだが、疲れているときにはその限りではあるまい。
そう思って、俺は素直に礼を言ってそれを懐に仕舞った。
それを神妙に見守って、カルディオスがちょいちょい、と俺を手招き。
「…………?」
首を傾げて、促されるままにちょっと集団から離れると、カルディオスがぐいっと肩を抱いてきて、声をひそめた。
「――おまえさ、これからイーディと旅行するわけじゃん」
「……? うん、そうだな」
ディセントラもいるけど。
訝しそうにする俺を、なんだか持て余すような目で見て、カルディオスはこそこそと続ける。
背後では、御者さんが相変わらず注意を繰り返している。
「いや、その、いくらおまえが鋼の理性を持ってたとしても、一日中ずっと一緒にいたら、衝動的にイーディに手ぇ出したくなる可能性はあるなと思って」
「ばっ――!」
思わず声と一緒に手が出掛けた。
このやろうなんてことを。
慌てて振り返ると、トゥイーディアはアナベルをぎゅっと抱き締めて、何か言葉を交わしている最中だった。
良かった、聞かれてない。
「落ち着けって、怒るなって」
カルディオスが言って、いよいよ困ったような顔をする。
俺は口をぱくぱくさせた挙句に、
「――これまで、俺がそんな暴力的なことをしたことがあるか?」
と。
カルディオスはいっそう困った様子で頬を掻いた。
「いやだって、おまえ、イーディ以外には興味なさそうじゃん。これまで一切色恋沙汰に興味なかったの、そのせいでしょ。
で、肝心のイーディに対しては、呪いがあるから指一本触れられないと」
間違いございませんが。
なおも口をぱくぱくさせる俺に、カルディオスは「魚かよ」と真顔で呟いてから、視線を遠くに向けつつ。
「いくら俺でも、おまえが無理に押し倒すとは思わねーって。イーディなら自衛も出来るだろうし」
まあそうだけど……!
「それに、おまえがどう思ってるかは知らんけど、別に後ろめたいことでもないだろ。好き合ってんだから、合意がありゃ寝ればいいじゃん。
イーディだって、おまえが誘ったら嫌がらねーと思うけど」
俺はじゃっかん腰が引けたが、カルディオスも完全に困り切っていた。気まずそうですらある。
「いや、俺だってこんなこと言いたくないよ。けどおまえ、逢引の後も手ぇ出さなかったから心配になってきて――」
当然である。婚姻前である。
「――いざってときに失敗したり、イーディに痛い思いさせたりすんの嫌でしょ。
イーディも初めてだろうし――」
今度こそ俺はカルディオスをどついた。
「そういうことでトゥイーディアのことを考えるなよ」
「は? そういう意味でイーディに興味はないよ。
――けど、コリウスもこれは経験してねーから、おまえに最低限の知識を遣るなら俺しかいないじゃん……」
まあそうだけど。
コリウスからこんなことを言われたら俺は引っ繰り返る。
話を打ち切ろうとして、俺は両手を振った。
「カル、気持ちは分かった。ありがとう。けど大丈夫」
カルディオスは懐疑的な顔をしていた。
「それで、イーディが痛がって泣いたりしたらおまえ、死にたくなるでしょ?」
俺は一瞬絶句し、「皆さま、くれぐれも道中の不和は避けて。お連れではない紳士と淑女は、一定の距離をお持ちください」という背後の御者さんの注意を一頻り聞くことになった。
カルディオスもめちゃくちゃ微妙な顔をしていた。
はっと我に返り、俺は吃りつつ。
「ディセントラだっているんだぞ」
「トリーだって、雰囲気察したら気を遣ってくれるって」
いやいや翌朝気まずいだろ。
俺はますます狼狽えた。
「そっ――そもそも手は出さない」
「なーんか俺もそんな気がするんだけど、取り敢えず聞くだけ聞いてくんねぇ? そーしないと俺、おまえに再会するまでずっと心配でそわそわしちゃうよ」
長年の親友にそう言われて、俺は観念して彼の短い小声の講義を拝聴したが、異次元の世界である。
自慢ではないが、俺はトゥイーディアの隣にいて、彼女と手を繋げるだけで満足なのだ。
なんだかぐったりした風情のカルディオスの肩に手を置いて、俺は神妙に、「悪かったな」と。
カルディオスも溜息を吐いて、軽く俺の肩を叩いた。
「気をつけてな」
◆◆◆
馬車は概ね平和に北上の道を辿った。
シェルケから出るには古い街道を使い、北方の山を東に回り込む形で出発した。
しばらくその街道の上を平和にがたごとと走っていたが、次に通る町が、遠目に見ても明らかに治安が悪かったため、集団の総意で迂回の道を採ることとなった。
馬車はしばらく獣道のような頼りない道を走ったが、運悪くその夜に大雨が降り、馬車が立ち往生した。
旅をしていればこんなこともあるよな、と、俺もトゥイーディアもディセントラも落ち着いていたが、旅慣れしていない人たちは不安そうで、停まった馬車の中で夜を越すあいだ中、不安そうなひそひそ声が聞こえてきていた。
トゥイーディアは俺に凭れてぐっすり眠っており、こんなに可愛い彼女を他の人間に見せてはいけないと、俺は自分の外套で彼女を隠していた。
馬車を叩く雨の音は未明まで続き、夜明けと共に雨は弱まって止んでいき、やがて空は嘘のように晴れ渡った。
一晩中雨に打たれた馬たちは当然ながら不満そうで、蹄で泥をはね上げながら、この不当な扱いに抗議していた。
そんな彼らを宥めるというよりは鞭で脅すようにして、再び馬車は進み始めたが、間もなく馬車は再び止まった。
理由は簡単で、行く手の急勾配の坂道を、とてもではないが馬たちだけの脚力では登り切られなかったがためだった。
御者は別に俺たちに雇われているわけではなく、俺たちの中の一員だから、これまた協議のうえ、脚が悪くない者は馬車から降りて坂の上まで歩くよう、という指示が出た。
「幸先が悪い」と呟く人もいたものの、俺たちが乗っていた馬車の人たちはすんなりと外に出て、足許のぬかるんだ泥に閉口しながらも、ゆっくりと坂を登っていった。
泥は盛大に跳ねて裾を濡らしたが、俺はそんなことよりも、ディセントラが転ばないかどうかにはらはらした。
トゥイーディアは全く足取りに問題がないが、ディセントラは。
――とはいえ、ディセントラも元は軍人だった。
俺とトゥイーディアに二人掛かりで心配されて、彼女も微妙そうな顔をしていた。
ちょっとした揉め事は別の馬車で起こっており、「とても歩けない」と言って馬車の中から動こうとしないご婦人を、「あんたさんが乗っておったらみんなが乗ってるのと一緒じゃ」と言って外へ引き摺り出そうとしているご老人がいて、ちらっと見たところご婦人は大変ふくよかだった。
一歩ごとにずぼずぼと沈む足許にあって、坂を登り切る頃には俺も息が上がっていたが、そこからの景色は綺麗だった。
緩やかな下り坂が続いた先に、初夏の深緑に彩られた湖の青い煌めきが見えている。
おお、と声を上げたのは俺の他にも数名いて、トゥイーディアも暑そうに上気した頬を掌で煽ぎながら目を輝かせていた。
馬たちは難儀しながら坂道を登った。
中の一台を牽く四頭は完全に癇癪を起こし、道半ばでどう足掻いても動かなくなってしまったので、最後には男連中のほぼ全員で馬車を押し、馬の首を叩いて機嫌を取って、なんとか坂を登り切らせる始末だった。
さすがに膝に手を突いてぜぇぜぇと喘いでいると、トゥイーディアが駆け寄ってきて革袋の水を差し出してくれつつ、「大丈夫?」と。
その顔を見て、現金にも俺は全回復した。
それからまた馬車の中に戻ったが、今度は俺がトゥイーディアに凭れて爆睡してしまった。
はっと目を開けると頭が彼女の肩に乗っており、トゥイーディアが片手で俺の手を握り、もう片方の手で俺の肩をゆっくりしたテンポで叩いてくれていたので、俺は一瞬、自分が死んで理想の国に飛んだのかと錯覚し掛けたくらいだった。
目は覚めたものの、手放すには惜しい状況だったので、俺はそれから一時間くらい、眠っている振りを続けていた。
馬車は、汽車に比べればゆっくりと北上した。
幸いにも馬車が襲われるような事態にはならなかったが、町々の混乱は明らかだった。
物価の変動も激しいようで、どうやら商人組合の機能が半ば麻痺しているらしかった。
俺はぼんやり、今は商人組合にいるはずのジェーンのことを考えて、彼女の無事を祈った。
とはいえ、馬車の中の空気は概ね和やかだった。
俺が、トゥイーディアがうたた寝をするときは大抵、自分の外套で彼女を隠すようにするので、ちょうどそうしている最中に、傍に座る品のいい老婦人から、「ご婚約者さんかしら?」と声を掛けられた。
俺が頷くと、老婦人は何やらふむふむと頷いて、「可愛らしいわねぇ」と。
俺としては、トゥイーディアの顔を隠している今、なんでそれを言うんだ? と思ったわけだが、まあ事実には違いないので、力強く頷いて、「はい、世界一可愛い人です」と断言。
そこでふと視線を感じて見下ろすと、俺が外套で庇った内側でいつの間にかトゥイーディアがぱっちり目を開けており、俺は自分が爆死するんじゃないかと思うほど恥ずかしくなった。
トゥイーディアも真っ赤になっており、外套から顔を出さず、しばらく俺に凭れて眠った振りを続行していた。
もうトゥイーディアは、俺に凭れてくれるその体温でさえ可愛い。
ちなみに後からディセントラに聞いたが、どうやら老婦人は、いちいち恋人の寝顔を周囲から隠す俺の挙動を指して、「若くて可愛らしいわね」と言ったらしい。
そうならそうとはっきり言ってくれよ。
顔を覆って悶絶する俺を見て、ディセントラは爆笑していた。
食糧の買い出しや水の補充のために、警戒しながらも時折町に立ち寄りながら、馬車はがらがらと北を目指した。
目にする汽車の駅や軌道は、すっかり使われなくなって、早くも寂れた空気を漂わせていた。
そうするうちに、ぽつぽつと馬車の顔ぶれが入れ替わっていった。
目的地付近に辿り着いた人が、晴れやかな顔で馬車を降りる一方で、この馬車の列を見掛けた人たちが、同乗させてくれないかと申し出てくることがあったためだ。
馬車の皆さんは、別に誰かを雇っているわけではないこと、金を出し合ってこうして馬車を進めていることを説明した上で、馬車の中の平和を壊したら叩き出すぞと重々脅し、そういった人たちを受け容れて、幾許かの金を受け取っていた。
その金で俺たちは飼葉を買い、パンを買い、それらを分け合って、徐々に徐々に北上を進めていた。
馬車の旅が長引くにつれて、当然ながら人々は疲労の色を濃くしていた。
座っているあいだ中、もぞもぞと身体を動かし、首を回したり自らの肩を揉んだり。
トゥイーディアももぞもぞと身体を動かすことが増えたので、俺はさっさと自分の外套を畳んで、それをトゥイーディアのためのクッションとして提供した。
トゥイーディアはじゃっかん呆れた様子で、「これはきみのでしょ」と言ってきたが、俺はトゥイーディアが隣にいてくれさえすれば平気だ。
あと普通に、俺の経験を舐めないでほしい。
魔界から大陸まで漂流したことを思い返せば、こんな旅路は余裕である。
その代わり、うたた寝する彼女の顔を隠すものを失ったので、俺はトゥイーディアが眠るときには、大抵彼女を抱き締めているようになった。
慎ましい彼女はたいへん恥ずかしがり、やんわりと幾度か俺のその挙動を止めようとしてきたが、俺たちと同じく恋人やら夫婦やらでこの馬車に乗っている人たちは、大抵同じ感じで振る舞っている。
カルディオスから貰った金平糖は、主に俺の役に立った。
トゥイーディアが退屈そうにしていたときに、「要る?」と尋ねて彼女の口に一粒入れてみたところ、トゥイーディアがめちゃくちゃ嬉しそうな顔をしてくれたので、それで俺が元気になったのだ。
ついでにトゥイーディアが俺に食べさせてくれることもあって、びっくりしたもののそれはそれで嬉しかった。
ただあんまりそういうのはやめてほしい、心臓が口から飛び出る。
件の、「可愛らしいわねぇ」と言ってきた事件の老婦人だが、彼女は目的地付近で旦那さんだろう老紳士と一緒に馬車から降りるとき、なぜかわざわざ俺とトゥイーディアのところへ来て、「末永くお幸せに」と声を掛けてくれた。
馬車は順調に走った。
一箇月少し経った頃、カーテスハウンの近くを通ったようだった――つまりが、ガルシアの近くだ。
だが、あそこはそもそもが軍事施設なので、おいそれと近付ける場所にはない。
ガルシアの様子は分からなかったが、カーテスハウンはずいぶん殺気立っているようだった。
馬車はゆっくりと進んだ。
出発してからおよそ一箇月半後、俺たちは目的の、オーリーベル山脈の傍の公爵領、その領都にほど近い町で、礼を言うと同時に先の道の無事を願う言葉を掛けて、その馬車を降りた。
さすがに全身ががたがたで、歩くにも難儀する有様である。
ディセントラの断固たるお言葉を受けて、俺がその町で宿を探した。
結果、古い宿ではあったが二部屋を押さえることができ、トゥイーディアとディセントラが一部屋を、俺がもう一部屋を使った。
部屋には暖炉があって、湯を自分で沸かすなら湯浴みもしてよいとのことで、でかい盥も部屋に備え付けてあった。
俺は嬉々として水を貰いに行き、ついでにトゥイーディアとディセントラにも水が要るか尋ねたが、そうしながらも苦笑する気持ちだった。
以前までは、こんなのほんとに数秒だったんだけど。
身体を洗ってさっぱりして、ちょっと埃っぽい寝具に横になっているときに、ふと一箇月半前、出発間際にカルディオスに言われたことを思い出した。
思い出して俺は一人で泡を食ったが、幸いにもというか、俺は婚約から今日に至るまで、トゥイーディアに下心を抱いたことはない。
婚姻前である、という自分の貞操観念の強固さに、俺は我ながら感心する思いである。
一晩をその宿でぐっすり休んだ俺たちは、翌日、領都に向かって出発したが、これは幸いにも、乗合馬車が動いていた。
一様に暗い顔をした人たちが乗合馬車に乗り込んで、がたごとと揺られながら領都に向かう。
俺たちも、変に目立つのは避けたいので、同じく暗い顔を作っていた。
どうやら領都にあるらしい、商人組合の支部に物価について意見具申に向かう集団であるようだった。
かっちりした木のトランクを抱えた人は、そのトランクに額をつけんばかりにして、何度も溜息を吐いていた。
斯くして俺たちは、昼頃には領都に辿り着いた。
さすが公爵領の領都、煌びやかさが他と違う。
だがそれも、今となっては混乱の大きさを浮き彫りにするだけのものだった。
領都の市壁をくぐってすぐに馬車の窓から見た立派な構えの大きな店舗は――たぶん、元は帽子屋か何かだったのか――は、重厚な窓枠が印象的な陳列窓が叩き割られて硝子が散乱しているままになっていた。
道幅は広かったが、今はそこに、破れた新聞なんかが散乱しているのが目立つ。
領都に入ってすぐの広場で、乗合馬車は止まった。
そこで別の乗合馬車に乗り換えて、更に領都の奥へ。
窓から覗くと、オーリーベル山脈が初夏の青々とした瑞々しさを湛えているのがよく見える。
領都の奥へ入って行くと、大きな邸宅を見掛けることも増えたが、その悉くが護衛を雇って邸宅の周囲を巡回させているようだった。
その警戒っぷりを見て、俺はどんどん不安になってきた。
「……これ、ここまで来たはいいけど、俺たち追い返されるんじゃないのか……?」
一方、ディセントラは涼しい顔である。
宿での休息にはご満足いただけたようだった。
「大丈夫よ、なんとかするから」
なんか、ディセントラがそう言うなら、なんとかなりそうな気がする。
公爵邸――つまり、領主館――の真ん前まで連れて行ってくれる乗合馬車などあるはずもなく、乗合馬車の終点で金を払って馬車を降りた俺たちは、そこから――周囲から怪訝そうな警戒の目を受けつつ――遠目にも分かるほど立派な尖塔が聳え立ってみえる領主の城に、徒歩で向かうこととなった。
だがまあ、さすが公爵閣下。
皇帝の直系の血筋に何かあれば、下手をすれば帝位継承すら視界に入って来る地位は訳が違う。
巡回の衛兵の数が増える増える。
揃いの臙脂の制服(心なしか、草臥れているものが多い気がする)を着た衛兵があちこちを巡回し、見慣れない顔(つまり俺たち)を、すごい顔で睨んでいく。
いつ声を掛けられるか、と思っていると、とうとう声を掛けられた。
この先にいらっしゃる方がどなたかご存知なのか、何の用だ、というわけ。
俺は、別にそんな必要はないことは分かっていても、思わずトゥイーディアを背中に庇っていた。
この辺りから、俺は外套を着て、フードを目深に下ろしていた。
万が一にも魔王の疑いが掛けられると困るからね。
素直に救世主の名前を出すべきか、と俺が逡巡していると、ディセントラがその場を引き受けてくれた。
彼女は、一切怯まず衛兵を見上げ(その目の強さに、むしろ衛兵の方が怯んでいた)、なに躊躇うことなく断言したのである。
「口の利き方には気を付けなさい。ドゥーツィア辺境伯のご子息の使いの者よ。
ここまでの遠路を犒うべきところを、詰問紛いの誰何をするなんて。
ガルシアでの同輩と言えばお嬢さまにも通じるわ。早く行って、ティリー令嬢に取り次ぎなさい」
衛兵さんの心境、推して知るべし。
疑念と驚倒が半々みたいな顔をした彼は、まず付近にいた同輩を呼び、彼に俺たちを託し、自分は上官のところへ走った。
上官もたぶん驚いたことだろう、更に上官へ走った。
その上官が俺たちを取り敢えず公爵邸の中の、衛兵の詰め所に通した。
衛兵といえど人間だし、ストレスは溜まっているのだろう。
ディセントラとトゥイーディアをじろじろ見る衛兵たちの目付きが気に入らなかったので、俺はそこでもやっぱりトゥイーディアを庇っていた。
苛々しながら待つこと一時間ちょっと。
この場にいる衛兵の、上官の上官の更に上官みたいな恰幅のいい男が、真っ青になって俺たちのところに転がり込んできた。
そして、震え声で告げた。
「――当家のお嬢さまが……お会いになるそうです……」
お、ティリー本人に話が通じた。
良かった良かった、と思いつつ、トゥイーディアがちょっとむっとしたような顔をしたので、俺はいっそうフードを目深に下ろして、今回は二人のただの護衛ですという役柄に徹する意思を見せた。
トゥイーディアは公明正大で、博愛主義で、本当に完璧な女性だが、こんなに可愛い微かなやきもちを覗かせてくれるというならば、それはもう俺としては、こんな素晴らしい女性に気持ちを寄せてもらった幸運を、ただただ噛み締めるばかりである。
 




